178 思わぬ人物との再会
「残念だが、レディはここにはいないよ」
「嘘ついても、無駄ですよ」
「嘘はついていないさ。レディはここじゃない【隔離領域】にいる」
ならばセントラルに充満しているレディの気配は一体何だと説明するのか。
私が睨むように眉を寄せると魔王様はそれに気づいて軽く肩を竦めた。
いつでも防御できるように態勢だけは整えておく。
「ここで、レディは力を使用したからね。君が反応したのはその残り香のようなものだろう」
「……馬鹿にしてもいいですけど、誤魔化しは効きませんよ」
残り香と本物を間違えるものか。
人間離れしてるんじゃないかと思うほど、復活した肉体の能力は高い。
命に溶けてしまったティアドロップとの相性が良いお陰でレディがここにいると分かる
リンとした清らかな音色が響き渡り、私はここだと言っているのが聞こえた。
近づけば近づくほどその反応は強くなり気配も感じるのが嘘だとは思わない。
これは、私だけが知り得る事。
私だけが体感できるもの。
さながら探知機か、と内心で苦笑しながら私はゆらりと前に出現する白と黒の炎を見つめた。
「これは……困ったねぇ」
「覚悟はしていますので、遠慮なくどうぞ」
こちらの準備は整っているという意思表示だ。これで魔王様にも私が本気だという事は伝わったはず。
口では強気な事を言っても、心の中では冷や汗もので今すぐ逃げ出したい。
けれどそれを表には出さずゆったりとした動作で余裕があるように見せかけた。
私の性格を知っている魔王様には無駄だとは分かっていても、そうでもしないと私が耐えられない。
ゆらりと揺らめく炎は薄く小さいまま私を守るように前に配置してある。
魔王様が切れ長の瞳を楽しそうに細めた瞬間、肌が粟立ったが腹に力を入れて耐えた。
腕を組んで長い指を顎に当てて首を傾げた魔王様の背後から何かが飛び出す。
反射的に身構えた私は、途中でその動きを止めて一歩退いた。
「あぁ、もう。どうしてそうやって脅すような真似をするの! 由宇ちゃん驚いちゃってるじゃないの!」
「いや……つい」
「私は彼女に説明をしてくれと頼んだはずよ。対峙しろなんて一言も言っていないわ。違う?」
「それは……」
魔王様の後ろから姿を現したのは私も良く知っている人物。
何かと親身になってくれて、信頼していた人だったのに。
騙された、裏切られたとショックを受けるよりもどうなっているのか説明してくれという気持ちの方が大きい。
私は体勢を直して魔王様の前に立つ妖艶な人妻を軽く睨みつけるように見つめた。
彼女は少し驚いたように目を見開いて、逸らす。何かを言いかけるように口を開いたがすぐに閉じて、決意したようにいつもの笑顔を浮かべて私の名前を呼んだ。
「こんにちは、由宇ちゃん。無事で良かったわ」
「それはどうも」
「もう、貴方のせいで警戒心バリバリじゃないの」
「何でもかんでも私のせいにされるのは心外ですね」
私と彼らの温度差が有り過ぎるような気がするが、私は間違っていないと思う。
二対一か厄介だなと思いながらも揺らめく炎に足止めくらいならできるだろうと考えた。
相手は相手で、敵意なんて微塵もありませんよと言うような笑顔と雰囲気を纏って私に笑顔を向けてくる。
私もそれに答えるように笑顔は返すが、警戒を解くことは無い。
「あのね、由宇ちゃん。その、色々思うところはあるんだろうけど……」
「レディは今どこで何をしているんですか? 彼女が存在しているのに世界が崩壊しかかっているのは【観測領域】を出たせいだと聞きましたが、どうするつもりですか?」
「あ、うん。そうね。そうなのよ」
「ユウ。少し深呼吸を……」
「は?」
「すまない」
仮にも管理者の一人である魔王様がそう暢気でいられる神経が分からない。
どうせ自分たち管理者は私達がどうなろうとも生き残れるからの余裕なのか、それともそれすら主の命令なのか。
管理者にしては、ギンとの意思疎通がなっていないのも気になった。
そもそもギンは彼女の存在を知っているのか。
「ずっと、騙していた事に怒っているかもしれないけど……それは私が悪いからどう思ってもらっても構わないわ」
「いえ、特に何とも思っていませんのでお気になさらず」
「……っ。ごめんなさい」
謝罪など必要とはしていない。
それに近しい人に裏切られたり騙されたり嵌められたりするのは慣れている。
親しかった人が豹変してとり憑かれたように襲ってくるのも、勝手に期待して絶望するのも。
心が麻痺してしまったんだろうか、と他人事のように考えながら私は淡々と答えた。
表情を一切変えず冷静に返す私の様子に魔王様たちは顔を見合わせて困った顔をしている。
「それより、質問に答えてもらえませんか?」
「あぁ、そうね。あの子……レディは今ここにはいない。ナナシが説明した通り、あの子がここで力を使ったからその残り香が強く残っているだけよ」
「……」
「共鳴しているから、信じられないのね。強く反応するのはきっと、あの子がこの場所の裏世界でもある【隔離領域】で神原君たちと一緒に戦っているせいかもしれないわね」
この場所の、裏世界?
強く眉を寄せた私の表情を見て、魔王様が説明してくれる。
魔王様を見上げるのに首が痛くなりながら私はゆっくりと息を吐いた。
できるだけ雑念を取り払って、集中する。
「ここセントラルタワーは黄昏市の中心地。神が降り立った場所でもあるんだよ」
「そう。そして、管理者と神が戦い、封印された場所でもあるわ」
「物騒な」
ティアドロップはティアドロップを呼ぶ。
間違えるはずのないレディのティアドロップの強い反応は確かにこの場所からしているままだ。
未だ信じられない表情をした私に彼女は苦笑する。
泣きぼくろがより一層儚げな雰囲気を醸し出して、まるで私の方が悪者ではないかと錯覚してしまうようだ。
相手にそんなつもりはないんだろうけれど、いい気はしない。
「まったく、どうして困らせるようなことをするの! 楽しんでる場合じゃないでしょう」
「しかし、この程度で怖気づいてはこの先進めなくなりますからね」
「協力してもらってその態度。本当に勝手よね」
どうやら彼らは彼らでもめているらしい。
私にはどうでもいいので、早く帰らせて欲しかった。
冷静に考えれば、この状況で生きているのが不思議なくらいだけど。
魔王様と、私を刺した人物を前にこれだけ堂々としている自分も異常だ。
それだけ鈍くなってしまったんだろうか、と溜息をついて私は彼女を見た。
「どちらも勝手すぎるので、私はからはなんとも」
「うっ……。ゆ、由宇ちゃん?」
「なにか?」
「可愛いお顔が怖いなーって思って」
「レディのことが心配なので。さっさと移動できればしたいんですけど」
こんな所で世間話をしている場合じゃない。
とは言っても、魔王様は私の足止めをしたいようだけど。
そうなるとやっぱり私がレディと再会するのは何かまずいことでもあるんだろうか。
それはそれで気になる。
「あ、そうよね。歳は取りたくないものだわ。私、浮かれてるのかしら?」
「どう見てもミヤコは浮かれていますね」
「そう……ダメよね。だからこそ余計に気を引き締めなきゃいけないのに」
誰を、何を巻き込んでも後悔はしないと決めたんだから。
決意を滲ませた呟きを耳にしながら私は一人蚊帳の外になっている気がした。
もう二人を放って行こうかと背を向けて歩き出す。
とりあえず、勘を頼りに出口のようなものでも探して教授と榎本君の二人と合流しなければ。
レディの居場所は分かったけど、そこへどう行くのかは分からない。
魔王様と高橋さんは放っておいても問題ないだろうと、黄金畑を泳ぐように走る。
「待って! 待って、由宇ちゃん!」
「いえ。何だか、お邪魔みたいなので帰ります」
「そんな事言わないで。貴方たちのお陰でやっとここまで来れたんだから本当に感謝してるのよ」
「……はぁ」
背後から追ってくる気配を振り切ろうとするが、目の前には魔王様の姿があった。
本気で逃げなかったので容易に回りこまれてしまったんだろう。
追いついた高橋さんが慌てた様子で私の前に立つ。
私の両手を取った高橋さんは、私の顔を覗きこむようにするとその瞳を少し潤ませて告げた。
「本当よ。信じてもらえないのは分かるけど、本当に感謝しているの。今度こそ、終わらせる事ができるって」
「……今度こそ?」
「ミヤコ、それは俗に言うフラグというやつではありませんか?」
「ナナシは黙って」
高橋さんの言葉に引っかかりを感じて首を傾げる私に、彼女は渋面になってから振り返る。後方にいる魔王様を睨みつけでもしたのだろう。
魔王様は「困りましたね」と呟いて小さく笑っただけだったが。
強く握った私の手を謝罪しながらそっと離した高橋さんは、くすりと笑って怪訝な顔をする私に何度も頷いた。
何を一人で納得しているのやら、と眉間に皺を作っていると彼女は大きく息を吸って囁くようにこう言った。
「リトルレディ……あの子は、私の娘よ」




