176 誘拐事件?
壁が現れて、消える。
その繰り返しを何度も見ているので飽きてきた。
気が緩んでいる証拠かと、眉を寄せて深呼吸をする。
思ったより地味な作業が多いよねとか、派手な展開には中々ならないよねとか。
思っていても言ってはいけない事がある。
冷静に考えるとそんな状況はお断りなので、平和で退屈とも言える壁を壊すだけの作業はいい方か。
すぐに飽きるかと思った教授だが、壁にも色々と工夫を凝らした仕掛けが施されているらしく楽しそうだ。
私はそれを眺めるか周囲に何かおかしなところは無いか気をつけているくらいしかできない。
一緒になって楽しむかと思った榎本君は、私の少し後方にいてスマホを弄っている。
何をしているのかと思えば、彼はにっこりと笑って画面を見せてくれた。
「何これ」
「セントラル内の構造図だよ。こっちが元で、こっちが今ね」
「元々のは分かるけど、今のはどうやって?」
「端末内のデータはこっちにもあるんだ。あの端末は教授が持ってた方がいいと思うからね」
榎本君が言うならそうなんだろう。
現に今も教授は端末の画面を見ながら目の前の壁と遊んでいる。
うん、あれはもう遊んでいると表現したほうがいいだろう。
パズルのようになっているのもあって、本当にこれを作った人物は何を考えているのやらと私は溜息をつく。
「こうして見ると、元々の構造図なんて役に立たないわね」
「まぁ、そう言わないでよ」
「あのセントラル内部がこんなに広いなんて事がまずあり得ないじゃない。さっさとレディ見つけないと本当にやばい事になりそうね」
今まではどこかで、すぐに見つかるだろうと思っていた。
私と神原君の他に協力者がいるので気が大きくなっていたのかもしれない。
内部世界の方はどうなっているのか分からないが、上手くいっていると信じるのみだ。
きっと神原君ならやってくれるはず。
イナバやくろうさと連絡が取れないというのも痛いが、仕方がない。
「寧ろそれが狙いかなぁ」
「え? あ、時間稼ぎ!? いや、でもこの状況で時間は関係ないか」
「相手も僕たちと同じだったら関係あるだろうね」
そうなると気ばかり焦って困る。
せめて、面倒くさい手順を踏まなきゃいけないあの壁がサクサクと壊せればいいんだけど。
どうにか破壊できないもんだろうか。
「……あれ、壊せないかな」
「急がば回れ。教授も急を要するのは分かってるから大丈夫だよ」
本当だろうか。
教授は楽しそうだし、榎本君はのんびりとしている。二人とも緊張感というものがないんだから、と溜息をついて額に手を当てた。
物理的な破壊を止められている以上、教授と榎本君に頼るしかない。もっとも、物理的な破壊も通用するかどうか分からないが。
「羽藤さん、例の気配は?」
「あ、あぁ。大丈夫よ。まだここにいる」
「となると、ここからは動く気が無いのかもしれないね」
そうだといいんだけど。
レディはここにいる。
証明できるものは何もないけど、間違いないと感じた。
私に溶けたティアドロップの影響かもしれないと教授が言っていたので、恐らくそうなんだと思う。
上手く言えないけれど、私の中の何かがレディの存在を感知している。
「どうかなぁ」
榎本君が言うように移動しないとは限らない。旗色が悪いと見れば安全な場所に逃げられるかもしれなかった。
レディがどうしてここにいるのかは知らないけれど、理由は見つけ出してからでも遅くないだろう。
「羽藤さん、大丈夫だよ。榎本君が言うように、ここから動く事はないと思うから安心していいと思う」
「えっ」
「だからと言って、ゆっくりしてもいいというわけじゃないけどね」
「教授、どうですか」
「凄く楽しくて、榎本君にも是非この興奮を味わって欲しいくらいだよ。この仕掛けを考えた人物と語り合いたいね」
そういう場合じゃないんです。
さっきから私は心の中で突っ込んでばかりのような気がした。
それもこれも、私の他に突っ込む人がいないのが原因だと思うんだけどってそういう事じゃない。
嬉々としている教授は置いておいて、仕掛けを考えた人ということは神様と考えていいんだろうか。
このまま戦闘もなくレディを見つけて帰る事ができれば一番いいが、そう簡単にいくかな。
そもそも、レディがどうして行方不明になったのかが分からない。
「心配?」
「そりゃそうでしょう」
「そうじゃなくて……魔王様の事」
「あぁ、それは全く心配してないわ」
寧ろ会ったら一発殴っても許されるような気がする。
なので、初っ端から一撃を加えるつもりではいた。
いや、そんなのでは足りないか。
そう思っていたら私のスマホがブルブルと震える。
こんな時に誰だと思えば表示されるのは知らない相手。しかも非通知だ。
セントラル内では圏外と表示されていたのでちょっとしたホラーだが、相手は大体誰なのか察しがついてしまった。
「はい」
「由宇か。時間が無いから手短に話す」
「うん」
どうして、とか何でとか言う事もせず私は相手の言葉に頷いた。
真剣な表情になる私に榎本君が首を傾げている。
ちょっと待って、と片手で制して私はノイズ混じりの通話を続けた。
「レディが行方不明になった件だが、ナナシが誘拐したらしい」
「馬鹿じゃないの? 大体そんな気はしてたけど」
「え、何お前知ってたの?」
「レディらしき気配に加え、魔王様がここにいるのは何となく分かってた」
けれどそれは、魔王様もレディを探してここに来ているのだと思っていたからだ。
それがおかしいと思ったのはこの場に着いて内部に潜入してから。
私がここにいる事は魔王様も分かっているはずなのに何のコンタクトも無い。妨害されているのだとしても私はどうも引っかかるものを感じていた。
「魔王様、レディのお守り役だけど元々は神様に作られた存在でしょう? それを、思い出したの」
「あぁ……。主導権はアイツに渡ったって思ってたんだけどなぁ」
「どうせ魔王様の事だから馬鹿な事しか考えてないわよ」
「何だお前、その冷めた物言い」
冷めたくもなる。
これから魔王様と対峙することを考えると頭が痛い。私と榎本君とで魔王様の攻撃を防ぎきれるだろうかとか、何が有効だろうかとずっと考えているんだから。
直接攻撃も、間接攻撃も魔王様の方が上だ。
私の能力を知っているあの人を上回るにはどうすればいい?
「あ、やべ。時間がねぇわ。一つだけ俺からアドバイスな!」
「……一撃必殺の技?」
「んなもんねーよ! ナナシはお前に甘い。そういう事だ!」
「はぁ?」
じゃあな、と告げて一方的に切られた通話に私は思わずスマホを床に叩きつけたくなってしまった。
会話が聞えていただろう榎本君は首を傾げて私が話すのを待っている。教授は、ニィと口を歪めて頭が痛くなるような言葉を呟いていた。
きっと、何かの計算式だろう。
「魔王様がレディを誘拐して消息不明になった。ここにいるのは魔王様とレディで間違いないと思う」
「わお、魔王様やるねぇ。逃避行ってやつ?」
「彼が敵に回ると厄介だよね」
「でも、敵は敵です。とりあえず、レディ助けるついでにとっ捕まえて吐かせればいいんじゃないですかね」
実際に管理者と接触した事があるのか、教授が渋面になる。
榎本君も難しいなと呟いている中での私の発言だ。
二人は同時に「えっ」と驚いた顔をして私を見つめるが私からは特に言う事は無い。
「羽藤さんて、強いね」
「あ、教授それ女性には禁句ですからね!」
「うわぁ! 妻にも怒られてるんだっけ、ごめんね」
「強くないですよ。でも、切り替えはしないと。レディを誘拐して何をしたいのかは知りませんが、レディは世界の安定には欠かせない存在でしょう?」
「そうだね。彼女は管理者の中でも主たる存在。神を封じられたのだって彼女の働きが大きい。そんな彼女が万が一消滅なんてしてしまえばこの世界は終わるろうね」
「まさかこんな展開になるとは思っていなかったけど、魔王様って幼女が……ふぐぅ!」
最後まで言わせるとでも思うのか。
そんな気持ちを込めて榎本君の鳩尾めがけ、ツッコミという名の拳をお見舞いする。
軽くよろめいて咳き込んだ彼は静かに見つめる私の雰囲気に「冗談だって、冗談」と笑顔を浮かべながら冷や汗を流していた。
「魔王がレディをね。もしかして、それもレディの指示なのかもしれない……」
「え?」
ぽつりと呟いた教授の言葉に、私はその可能性を考えていなかった事に気付く。
考えていなかったのは、そんな事はあり得ないと思っていたからだ。
そういう事もあり得るとどうして除外していたのか。
それはあまりにも彼らと近づきすぎたせいかもしれない。
仕方がない。私が生き延びてループを解消させる為には管理者側に立たなければ無理だから。
「なるほど。魔王は主に忠実。元々の主は神でも今はレディだからね」
「それって、レディが魔王様を連れてわざと行方をくらましたって事?」
「羽藤さん落ち着いて。可能性の一つとして、だよ」
榎本君に宥められるまでもなく分かっているが、その可能性は好きじゃない。
好き嫌いなんて言っている場合じゃないのも分かっている。
レディが完全にシロとは言えないが、それでも彼女が自ら姿をくらます理由が分からない。
自分が世界にとってどういう存在なのか、自分の役割を理解しているからこそ彼女は幼い見た目とは裏腹に肝が据わっていた。
達観しているというよりは、諦観しているようにも見えたレディはいつかの私とかぶる。
私となんかでは比べ物にはならないだろうけど。
それにしても一方的に連絡してきたと思えば、あまり役に立つような事を言わなかったギン。無事なのは分かったが、あの人が言った意味も分からない。
最後のあの言葉は何だろう。
私に色仕掛けでもしろというのか。まともにぶつかるよりも無理だろうに。
「大体、本当に甘かったとしてもそんなの見せかけだけだって言うのに」
「ん?」
「何でもないわ」
私は胸元に手を当ててレディの気配を感じていた。
今はもう私に溶けている彼女のティアドロップが反応しているのを確かめ、息を吐く。
神でないだけマシか、と思えば不思議と笑いがこみ上げてきた。




