175 外世界への侵食
訝しげに眉を寄せたまま大きく肩で呼吸をしている教授を見る。
半信半疑、いや疑いの割合が多そうだ。
それも仕方ない。
私が教授たちだったら同じような態度を取るだろう。
「どこまで行けばいいんだろうね?」
にこにことしながら上階を見ている榎本君は、うん。
こちらが気持ち悪くなるくらい、私の話を信じて一緒に教授を引っ張って来てくれた。
本当に相変わらず何を考えているのかさっぱり分からない男だ。
私の味方を自称しているらしいが、それを鵜呑みにするのもどうかと思っている。
いくら私に恩義があるとは言え、そこまでする理由が無い。何度考えてもどう考えても、だ。
だったら、害にならない限り注意しつつ放置が一番いいだろう。
結局そういう事にしておいた彼はノート型の端末を手にしながら周囲を見回していた。
「教授、エネルギー反応が二つあります。それも、どちらも異なる波形で興味深いですよ!」
「どれ? 見せてくれないか」
「これです」
楽しそうに話しかける榎本君の言葉に、眉を寄せていた教授の表情が一瞬にして変わる。きらりと目が輝いて榎本君から渡された端末を食い入るように見つめた教授は笑顔になった。
口元が緩んで嬉しさを抑えきれない、そんな様子の二人に溜息をつきながら私は胸元にそっと手を当てる。
意味はないが、何となく。
自分の内なる声を聞くために、とか格好いい事を言ってみる。
「私のは入ってる?」
「入ってないよ。除外してあるから」
「そうか、だったら表示させよう。更に面白いことになるかもしれないからね」
「……はぁ」
気持ち悪そうにぐったりしていたのはどこへやら、生気漲る雰囲気で榎本君と楽しそうに会話をしている。
相変わらず私にはさっぱり分からない専門用語が飛び交っているが、何を話しているのかは何となく分かる気がした。
端末の画面を操作しながら「あぁ」だの「おぉ」だの騒ぐ二人を他所に、私は周囲の様子を探る。
徐々に近づいてはいるが、まだ遠い。
妨害するような敵の存在は感じられないが、接近して姿を現すものもいるので油断はできないだろう。
いざとなれば私と榎本君で何とかなりそうだし、それよりも今はそこに到達するまでの障害を越える方法だ。
本当は教授が留守番をしてという形だったが、現場に一緒にいた方が心強いと榎本君が推し教授も管理者達から前もって協力を要請されていたとのことで一緒に来る事になった。
困ったのは場所だが、それは私が見た内世界での出来事をもとに決めた。
だから教授は確証もないのにと不満気で、ここへ来るのを渋っていたのだ。
「羽藤さん、悪いんだけど本当にここなのかい?」
「間違いないです。性質については教授の方がよくご存知なのでは?」
「……そうかもしれないけど、僕なんかの知識じゃ話にならないと思う。きっと、君の方が僕よりよく理解していると思うよ」
「そうですかね」
全くそういう感じはしなけど。
苦笑しながら「羨ましいな」と呟く教授に「代わりますか?」と言えば思いっきり首と両手を横に振られた。
全身で拒否するとはなんでだ。
羨んでいたんじゃないのかと愚痴る私を見て榎本君が「まぁまぁ」と宥める。
「教授は、早い内からここに目星をつけていたはずですけど。いや、違うか。最初からそうなると分かっていた?」
「え、何それ。もしかして教授黒幕説? うわ、すっごいワクワクしてきたんだけど」
「ええっ! ちょっと待ってよ、僕にそんな大それたことできるわけないって!」
「えー?」
「ねぇ」
考古学を専門としていると言いながらあらゆる分野に精通しているような知識の深さと実力を持っており、そのもっさりとした様子から見落としがちな天才的頭脳。
大学の中でも秀才と他の教授からも誉れ高い榎本君ですら舌を巻き、足元にも及ばないと言わしめる人物だ。
それに榎本君の中の人は雫の世界での亀島教授の下で研究者として働いていたのだから信憑性には足るだろう。
世界が違うから人柄も違うんじゃないかとは思ったが、榎本君はそう劇的に変わる事は無いと言って笑っていた。
私と雫のようにと言われたが、同じ私なのに雫は別人のように感じる。
それについては私が置かれている立場が非常に特殊な為とのこと。
特殊と言えば聞えはいいが、雫の世界以外の他の世界に存在しているかもしれない私の中で、今ここにいる私が異常なのだろう。
つまり、通常なら雫のようになっていたはずだ。
黄金畑でのレディの説明でもあったように、抵抗する神と管理者との間で激しい衝突が繰り返された結果が私だ。
そうでなければ、温室育ちの薔薇のように世界の真実など知らず継ぎ接ぎの世界で楽しく毎日を生きていた事だろう。
温室から弾かれたのは偶然だとレディは言っていたが、誰かがわざと私を外に放り出したような気もして納得が行かない。
ほとんどの人々が温室でぬくぬくと育っているというのに、私がここにいる意味はイレギュラー故の異常性を知らしめるためだとか言っていた。
よく分からないが、私みたいなバグがあるから神様たちも都合よく動けないらしい。
簡単に潰せるような人間なのに、こんな小さな存在に狂わされるだなんて思ってもみないはずだ。
「コホン。ともかく、一旦中に入って未開のエリアに侵入するよ」
「未開のエリア?」
「世界が眠りについてしまってから、世界の構成が一部変わってしまったらしくてね。通常はあるはずがないものが存在したりしているんだよ」
「……ええと?」
通常とは違う状況になっているのは分かっているつもりだった。
世界が眠りについたと言われても、それは私達以外が眠っている状態なのだろうとそんな程度に。
けれど、どうやら私の想像を遥かに超えるようなことが起こっているらしい。
「簡単に言えば、現実世界と【領域】の境が消えかかっていてぐちゃぐちゃになってるんだ」
「はぁ!?」
「まぁ、あの子も行方不明だからね。だからこうして捜索に来てるんじゃないか」
「え、そうなの?」
「えって、分かってて言ったんじゃないの? 助けに行こうって」
「いや、それは単純に助けなきゃなと思っただけで……」
どうやら深いところでの意思疎通がなっていなかったとこんな所に来て判明した。
頭を抱えて謝る私に教授は苦笑して「いいよ、仕方ないよ」と言ってくれる。
榎本君も「困ったなぁ。てっきり分かっているとばかり」と呟いていた。
そうか、レディが行方不明になったせいで世界の安定が崩れて現実世界と【領域】が混ざりそうになってるのか。
それは一大事だ。
あれ、でも【領域】と言っても種類があるけどどこだろう。
まさか【隔離領域】なわけないよね? まさかね。
「あの、侵食してる【領域】の種類は何ですか?」
「羽藤さんが大体想像している通りだよ」
「えー」
「神様たちが封じられてた【隔離領域】だね」
「げぇ!」
「ダメだよ、女の子なんだからそんな声出したりしちゃ。『キャーこわーい』とか言わなくちゃ」
私にそうしろというのは無理があるだろ、と無言で見つめれば榎本君は「うん、ごめん」と笑顔で頷いた。最初から分かってましたけどと言わんばかりのその顔が腹立たしい。
でも、そんなやり取りのお陰で少しだけ気持ちが楽になる。
「……はぁ」
「大丈夫だよ。【領域】の方は神原君がギンさんと一緒に内世界を経由して食い止めるって言ってたでしょ?」
「そうだけど……想像通りっていうのも、なんか嫌ね」
「しょうがないね。さて、突破するよ」
パンと両手を叩いてにこりと笑った教授が何もない廊下に手を向ける。
私の目にはただの長い廊下にしか見えなかったが、呼吸を整え心を落ち着かせると見えなかったものが次第に見えてきた。
ゆらり、と揺らめく蜃気楼のような物体に何か投げられるものはと周囲を探していると、教授が静かに近づいてゆく。
危ないと止めようとした私を制して、榎本君は唇に人差し指を当てるとウインクをした。
持っていた端末を軽く操作し、画面に映った何かを見て満足そうに頷いた教授は軽く片手を上げて前へ伸ばす。
ちょん、と教授の中指が揺らめくものに触れた途端、見えなかったものが可視化する。
ノックをするように突然現れた壁を叩いて材質でも確認しているのか、教授は私達の方へ振り向いてにこりと笑った。
「なーんかさ、僕魔法使いになった気分だねぇ」
「胡散臭いので、そういうのは結構です」
「厳しいなぁ、羽藤さんは」
夢がないよねとぶつぶつ呟きながら白衣の内ポケットからカードのようなものを取り出し、教授はそれを壁に走っている幾何学模様の一箇所に差し込む。
一見するとただのデザインのようにしか見えないのに、躊躇うこともなくその場所にカードを入れることに驚く。
どれだけ異常事態に慣れてるんだよ、と私は心の中で突っ込んだ。
ちらり、と榎本君を見れば彼はいつもの表情で教授の行動を見つめている。
「何か言う事とかないの?」
「別に。何か、言いたいことでもあるの?」
「……べつに」
腹の探り合いとは正にこれか。
そんな事を考えながら音も無く消えてゆく壁を見つめる。
ヒラリ、と床に落ちた黒いカードを拾い上げて教授はぶつぶつと何かを呟き、首を傾げていた。
分散しているせいで特定しにくいとか、そんな事を言っている。
立ち止まってしまった教授の横を通り抜けて私は真っ直ぐに歩き続けた。
敵も出ない、妨害なんて遮蔽物のみの可愛らしいもの。
随分と難易度が落ちたなと思いつつも警戒は怠らない。油断させておいて絶望させるパターンとも考えられるからだ。
考え過ぎで想像力逞しすぎると笑われてもどうでもいい。
今は一刻も早く、正確に外部世界の権限とやらを手に入れてこの世界を安定させなければいけない。
それには権限に加えそれを実行できるレディもいなければいけないんだけど。
そっちは多分神原君たちの捜索に任せるしかない。
非常に無責任なのは分かっているがきっと彼らなら大丈夫だろう。榎本君も、教授も安心だとまで言うくらいなのだから。
「この壁、あとどれくらいあるんですかね」
「そうだね。解除は簡単なんだけど、厄介な足止めだね」
「一気に壊せればいいんですけどねぇ」
「それが出来たら苦労しないよ。一応一つ一つ解除パターンは変えてあるみたいだからさ」
全く同じ事を繰り返しているようにしか見えないんですけど、パターン変わってたのか。
サクサクと教授が模様の一部にカードを刺していっているだけにしか見えない。
確かに場所は毎回変わっているし、模様に沿ってカードを動かしたりもしているが想像していたような解除方法とは違ってどこが凄いのか、驚くところなのかがさっぱり分からなかった。
「端末使って解除するパターンの方が、見慣れてるよね。映画とかで」
「あぁ、うん。何か、正直遊んでいるようにしか見えない」
「あははは。あながち間違いではないと思うな。見てよあの教授の顔」
うん、見てます。
あまり歯ごたえがなくてつまらないと愚痴りながら壁を消してゆく教授。
時折現れる二重ロックの壁には不敵な笑みを浮かべて眼鏡をくいっと上げていた。
何がどういう仕組みでどうなって解除になり壁が消えているのか、不可視だった壁が可視化する方法は何なのか。
気になる事はあったが、聞いても理解できる気がしないので“そういうもの”なのだと思うことにした。




