174 黄金畑にて
ぐるぐるぐる。
世界が回り、目の前が暗くなる。
目を閉じて開ければ、また違う場所。
あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。
「はぁ」
随分と移動してばかりだなと思いつつ、私は周囲を見回した。
また花畑が出てくるのかと思ったが地平線まで広がるのは夕焼けに照らされて黄金色に輝く稲畑。
一瞬、海外のような光景に麦かと思って穂を見たら米だった。
よく見てみれば大きな道路とどこまでも続いていくような電線が立っている。
古き良き、懐かしき田舎の風景だ。
とは言っても私はこんな光景を画像や映像でしか見た事はないけれど。
黄昏市も外れに行けばこういう景色が見られるところはあるが、ここまで何も無いところじゃない。
こんな場所で、夕焼け空に飛ぶ赤とんぼでも眺めながらぼんやりできたらなぁ。
「今年も豊作だなぁ。新米が楽しみです」
そう言えば榎本君が作ってくれている夕飯は何なんだろう。
夕飯、というのも変な感じだ。
日が落ちて月が昇るという現象がないのでどうしても時間の感覚が狂ってしまう。
いや、世界は眠っているのだからあの時刻が本物なのか。
その世界の中で動いている私達が異質で、おかしい。
元々自分がおかしいという自覚はあったけれど、それ以上にまたおかしな事が続くとは想像していなかった。
自分の意思に関係なく、こうしてあちらこちら振り回され飛ばされるのにも慣れてきたくらいだ。
振り返れば山肌は赤や橙、黄色の綺麗なグラデーションに染まり陽の加減でキラキラと輝いて見えた。
「昔々あるところに、どこにでもいるような家族がいました」
「今度はなに?」
突然声がしたので前を向くと黄金畑にレディの姿がある。
彼女は挨拶もなしに昔話を始めたかと思うと、暢気な私の声に苦笑して小さく頷いた。
これは黙って聞いた方がいいのかなと私は肩を竦める。
こっちも聞きたい事は色々あるが、とりあえず今後の方針についてだ。
管理者の中でも中心に位置する彼女ならば何をすればいいのか教えてくれるだろう。
幼いのは見た目だけだと分かっているが、どうしても彼女が神と対抗できるほどの存在だとは思えなかった。
恐らく私は未だに彼女の事を心のどこかで侮っているんだろう。
淀みなく昔話を告げる少女を見つめ、カァカァと鳴く烏に空へと視線を移した。綺麗な夕焼けが胸に染みて懐かしい気持ちになる。
ループ当初は夕方が来るだけで怯えていたというのに、今ではこれだ。
人間という生き物が逞しいのか、それとも私が鈍いだけなのか。
きっと後者なんだろうなと思いながら終わる気配のないレディの話に耳を傾ける。
途中、口を挟みたい箇所がいくつかあったがそこはグッと我慢して最後まで彼女の話を聞いた。
一人でずっと話していたレディは物語りを終えて疲れたのかその小さな肩を落とす。
はぁ、という可愛らしい声の後に深呼吸する音が聞えた。
こちらに背を向けたままなので表情は分からないが、私は何となく反応を待たれているような気がして困る。
聞いている途中は「え?」とか「オイオイ」とか突っ込みを心の中で入れていたが、最後まで聞き終えると彼女の話がストンと自分の中に落ちてきて変に落ち着いてしまう。
「で、何をすればいいの?」
「……それ、だけですか?」
「とは言ってもね。大体私の推測は合ってるんでしょう?」
一から十まで全て事細かに説明してもらわなければ分からないほど馬鹿じゃないわ、と付け足すように言うとレディは慌てたようにその小さな頭をブンブンと左右に振る。
振り返ってやっと私を見上げた彼女は、夕陽を背後に背負っていてまるで後光のようだと私は一人笑ってしまった。
笑われた意味が分からず首を傾げて困った表情をするレディに、私は何でもないと告げる。
それにしても、こんな状況だというのに彼女は相変わらず可愛らしい。
「聞いたところで、今更よ。今は怒りも憎しみも、抱いている余裕がないわ」
「でも……」
「せめて、もう少し早く言ってくれてたら想像通りの反応ができたと思うんだけどね」
それだけなのか、という顔をされて私は笑う。
だったらどうして欲しいんだろう。
理不尽だと叫べばいいのか、可哀想だと同情すればいいのか。
いつもの口調で首を傾げつつそう尋ねると、レディは困った顔をして俯いてしまった。
「私がどれだけ足掻いても騒いでも、自分の立場がそう変わるもんじゃないっていうのは嫌と言うほど分かってるのよ。まぁ、それでも懲りずに足掻くんだけどね」
みっともないのは知っている。
無駄なのも知っている。
だったら何もしなければいいと不貞寝した所で、結局気になって関わってしまう。
自分をこんな状況にさせた相手を恨む気持ちも今は前より薄れているのが笑えてしまった。
やはり怒りも憎しみも火がついて膨れ上がっている時に一気にやってしまわないと、ダメらしい。
私のようなタイプは特に。
実際に対面するとまた燻っていた火種が勢いよく燃えるのかもしれないが、相手を焼き尽くすつもりでまた消し炭になってしまったら目も当てられない。
その前にきっと誰かに止められるとは思うけど。
「神原君みたいに愚痴は隠して真っ直ぐ進むような性格でもないしさ」
「でも、それが普通の反応だと思います」
「そう? 本当はここにいるのは愛ちゃんだったんでしょう? 成瀬愛ちゃん」
さわさわ、と稲穂を触りながら告げた私の言葉にレディは面白いくらいに動揺する。
あれ、予想内の発言じゃなかったの? と私の方がびっくりしてしまった。
レディは視線を彷徨わせながら口元に手を当てて「あの、それは……」と歯切れ悪く呟いている。
「ごめんねー? こんなオバサンで」
「そんな! まだ二十歳じゃないですか!」
「まぁ、見た目は? 何回ループしてきたか分からないからそれを考えると……ねぇ?」
「それは……」
もっとも、きっと目の前にいるレディの方が私より遥かに年上なんだろうけれど。
彼女は大きくなってもこのくらいの姿にしかなれないらしいので仕方がない。
大人になったら美人さんになると思うんだけどなぁと想像しつつ、私はにへらと笑う。
「ついでだから聞きたいんだけど、私がこうなってるのはギンのせいじゃないの?」
「……それもあると思います。あとは、きっと私達が邪魔した結果かと」
「あぁ、神様たちの足掻きを」
とすると、神様たちは最初から神原君と愛ちゃんを狙っていたって事だろうか。
継ぎ接ぎの世界になったのは彼らが封印されてからの事で、予知する事はできなかったのに?
そう考えると、継ぎ接ぎの世界になることすら想定済みだったような気がする。
想像していた以上に神というものの恐ろしさを感じた。
「誰か、と具体的に指定する事はできませんが彼らが自分の依代となる者を探っていたのは分かっていましたから」
「依代の基準は、器が神様たちに耐えられる事……だけ?」
「そうですね。それと、世界中で誰よりも運がいいという事でしょうか」
「運?」
「はい。運は目に見えませんが確実に自身や周囲に影響を及ぼすものです。あの二人はゲーム内での能力がそのまま反映されていますから、通常ではあり得ない存在です」
なるほど。
物語の主人公とは正にそういうものだ。危機に陥っても紙一重で回避できる。
それはプレイヤーの選択にも関わってくることがあるけれど、基本的にそういう流れの物語ではない限りどんな困難でも彼らは乗り越えていく。
完璧超人にしたければそうすることもできるし、ぐーたらでどうしようもない奴にしたければそれも可能だ。
プレイヤーの操り人形のようなものだが、この世界で彼らは自我を持ち自分の意思で行動している。
それら全てが、ここにいる私ですら誰かに操られている結果だとしたらその主は一体どんな結末を望んでいるんだろう。
「そっか。それにしても、そうお澄まししてると何だか別人みたいね」
「一応、管理人ですから」
ギンと言い合っていた光景を思い出して私が残念な顔をすると、レディは少し頬を膨らませて視線を逸らした。
どうやら、子供扱いされてばかりなのも嫌らしい。
実年齢がどのくらいなのかは分からないが、見た目が私より下である以上は仕方がない。
彼女が嫌なら子供と接するような私の態度も改めた方がいいんだろう。
そんな風に考えていると、私の心を見透かしたかのようにレディが小さく口を開いた。
「別に、嫌じゃないですけど」
「私より年上のはずなのに、本当に可愛いわよね」
「なっ! 馬鹿にしないでください! 私これでも世界の管理人ですよ! それにそんな事言ってる場合じゃないですって!」
「そういうのがね、可愛いって言われるのよ」
ムキになって怒るところ。
私の指摘にレディは顔を真っ赤にして両頬を膨らませた。
彼女の守役だったらしい魔王様は一体どんな教育をしてきたんだろうかと不安になる。あの人は主人であるレディのイエスマンらしいので何でもかんでも好きにさせそうだ。
そうなると、我儘のどうしようもないお嬢様ができあがりそうなものだがレディを見る限りそんな様子はなかった。
これは、ギンが相当口を出して矯正させたパターンかと考えていると「私は元からいい子です!」とレディが叫んだ。
さっきから気になっていたが、どうやら私の思考は彼女に筒抜けらしい。
悪趣味な、とも思ったけれどこういうのも今更かとどこかで慣れた自分がいる。
彼女の前では心の壁を築いても無駄だろう。
「世界が変化したのは二回だけ?」
「いえ。安定というか、世界が世界として回るまでに数え切れないくらいの攻防が」
「えっ!」
「封印直後も暴れたままでしたし、継ぎ接ぎの世界は不安定なままで【隔離領域】の一空間に避難させた人々を住まわせるにも無理がありましたから」
「何だろう。寧ろそのまま完全に安定するまでソッとしておいて欲しかったと思った」
それではそれで、世界が死んでしまうのは分かっているが。
【再生領域】【隔離領域】(神の隔離領域を除く)【観測領域】、そして【世界】と微妙なバランスが保たれて私が生きている世界は回っている。
そこに人が居なければ世界は回らないし、世界を元に戻す為に戦った管理者たちの苦労が水の泡になってしまう。
いっそのこと彼女たちが諦めてしまったら、世界は崩壊し私達は痛みを感じることもなく消え失せていたのかもしれない。
そうなれば、世界を歪めた神ですら消えるだろうからそれが最良だったのではないかと私は思った。
下手に存続させようとしたから今のような状況になっているのではないか、と。
管理者と神様との喧嘩なんて他でやってくれ、と顔を顰めたいが神はきっとこの世界に固執しそうだし管理者は再び歪められるかもしれない世界が心配で見捨てられないだろう。
あぁ、悪循環と溜息をついた私は申し訳無さそうにして項垂れているレディに苦笑した。




