173 一人たりない
あれだけ眠っていたので、寝付くまで時間がかかるかと思っていた。
けれど、榎本君に手を握られたらすぐに瞼が重くなって気付けば眠りに落ちていく。
彼の気配を感じながら、伸びる光りに沿って私は下りていった。
なるほど、こうして行けば自分の内世界に下りられるのか。
今までどれだけイナバに頼りきりで自分で覚える気が無かったのかを思い知らされる。
雫にもちゃんと覚えろと言われたのに、後回しにしてたことを後悔した。
途中、いくつかの注意を受けながら内世界に下り立てば、榎本君の気配と声が消えていく。
右手に感じていた温もりに小さく笑って広間を通る。
いつもは大勢の私達がいるのに今日は一人も見当たらない。
まさかここにまで影響が出ているのかと不安になりながら、いつもの部屋のドアを開ける。
「うおお!」
「え、何その奇声。新たな出迎えの言葉なら、やめてよね」
ちょうど部屋を出て行こうとしていたのか危うく番人とぶつかりそうになる。彼女は私の姿を見るなり変な声を上げて飛び退いた。
ざわざわ、と室内にいた他の私達が何事かとばかりに顔を覗かせる。
侵入者扱いのような気分の悪さを感じながら後ろ手でドアを閉めて中に入ると、ザザザと私達が一斉に避けた。
「ぶ、無事だったの?」
「私の内世界って、体に依存するの?」
「いや、精神だから中身?」
「じゃあこうして自分たちが存在している事こそが、私の無事を証明してる事になるんじゃない?」
私の言葉をポカンとした表情で聞いていた番人は座布団を盾にしたまま首を傾げると「確かに」と呟いた。
本当に気づいてなかったんだろうか。私が存在してなかったらここも存在しないだろうに。
あぁ、一つ例外があるか。
「ループして次の私の番になったとしても、当然存在してるだろうけどね。羽藤由宇が存在する限りは」
「あんたはまだループしてない由宇だよ。どっちにしろ、上書きされるんだからあんま変わりないけど」
そういうものなのか。
私はてっきり、今の私がループをしたらその私は他の私達と同じようになるのかと思っていたのに。
上書きされるだけなのか。
「それより! 雫が突然いなくなったのよ!」
「雫が?」
よりによって、こんな時に?
番人が常駐していてあちこちに私達がいるこの内世界から勝手に出られはしない。それに、出てしまえば身の保障はできないのであの雫が自ら出て行くとは考えにくかった。
かと言って外部からの侵入かと首を傾げるが、番人も私達も皆そんな事はあり得ないと否定する。
四足クリーチャーは榎本君が消滅させてくれたから、アレが襲ってくるというのもないだろう。
内世界では私の器である体が消し炭になった時に大きな地震に襲われたが、崩壊することはなかった。
その時点で私が生きていると安心するのが普通だろうが、どうやら番人はそこまで気が回らなかったというのだ。
もしかして、これは偽物かと訝しげな目で彼女を見つめると「こっちだって色々忙しいのよ! 寝てないのよ!」とヒステリック気味に叫ぶ。
彼女たちは私の気力や体力を消費して活動しているんじゃないかと思って眉を寄せた。
番人が寝たところでそれが回復できるとでも言うのか。
「あんたのエネルギーばっかり使ってたら、枯渇するでしょ! 精神を休ませる為に私も寝る必要があるの!」
「そういうものなの?」
「そういうものなの。それについては後でうさちゃん達に聞いておきなさいよ面倒臭い」
もう一人の自分に怒られるというのは、他の人に怒られるよりもムッとする。そして、結構傷つくことに気がついた。
室内にいる私達は、番人と私のやり取りを心配そうに見つめているが口を挟んだりすることは無い。
頭が番人だから邪魔せず彼女に従っているんだろう。
統率がちゃんと取れているという事は、内世界は正常に働いているということか。
ということは、それが私は正常だという証でもあるのかと一人頷いた。
こうやってしっかりとした意識を保って内世界に下りられる人物は、一体どのくらいいるのだろう。
神原君と私と、あとは榎本君あたりしか私は知らない。
変な感じがして、居心地が良過ぎるのであまり下りない方がいいのかなと不安も抱いていたけど、こうして客観的に自分の状態を確認できるのは便利だ。
それもそれで、変な感じは消えないけれど。
まぁ、こんな風に私だらけの内世界っていうのも珍しいんだろうなと神原君の内世界を思い出した。
「雫が消えた前後に何か異変や予兆は?」
「何もなし。いつもと変わらない言動に、消える理由も原因も不明よ」
思い付く原因は私の肉体焼失くらいだけど、内世界が精神に依存するらしいから消える理由も特に無い?
神達に……いや、それもないか。もしそうだったら番人が無事なわけないだろうし。
内世界破壊されたら私もここにはいないだろうから。
うーん。
「私の肉体焼失の衝撃で、弾かれたんじゃないの?」
「……どうだろう。混乱してて、よく分からないんだよね。そこのところ」
番人は非常に疲れた顔をして息を吐く。
雫がどうなったのか、無事なのかは気になるが知る術がない。
多分、大丈夫だろう。
「あ、そうだ。今、現実世界が眠っているのは知っている?」
「は!?」
私が蘇って活動してから暫く経つというのに知らないというのもおかしい。
どうして私がちゃんと起きているのに、リンクできていないのかと番人に尋ねれば彼女は難しい顔をして唸った後「もしかして」と呟いた。
「阻害されてる?」
「何に」
「知らないけどそんなの。でも、由宇の体の再生? 前後でこれだけ違いすぎるのも気になるわ」
「前は私が体感する事全て、経験すること全て貴方も知っていたものね」
「それは当然よ。ここは羽藤由宇の内世界だもの。それが、通常」
うわぁ、また面倒な事が増えたのかと嫌な顔をする私と同じように、番人も嫌な顔をしていた。
どちらからともなく手を伸ばし、軽く触れて同一だということを確認する。
そんな事でホッとしてしまうのが少々空しくて笑えば、番人は盛大な溜息をついて頭を掻いた。
「あーもう! 何なのよ何なのよ! 急に雫は消えるし、あんたと遮断されるし、復旧したと思ったら外の様子はさっぱり分からないし!」
「……お疲れ」
「があああ! 今あんたが下りてきたせいで大量の情報が一気に雪崩れ込んで大変なのよ! 眠らせろ!」
「……うん、寝ればいいんじゃないかな。ほら、後の事は他の私達に任せて」
目が血走って顔が般若、いや鬼のような形相になっている。正直言って、もどきや四足よりも恐ろしいかもしれない。
牙を剥くように歯をギリギリと鳴らしていた番人は、私の言葉に息を吐くと肩を落とした。
「そうしようかな。細かい事は後にして、とりあえず整理してもらおう。でもさ、あんた何か用があってここに来たんでしょ?」
「情報閲覧さえできれば大丈夫だと思う。あとは、異常あるかどうか確認にきただけだから」
「あっそ。じゃ、適当に見て帰って。あんたは本体なんだから権限に制限ないからね。あと……」
「ん?」
「私はこれから寝るので、決して起こさないで下さい」
うん、分かったから。分かったからそのホラーじみた顔やめようか。
私と同じ顔だけにあんまり見ていたくないんだけど。
分からない事があれば周囲の私達に適当に聞くと頷いて、のそりと立ち上がる番人を見送った。奥の部屋に消えていった彼女が去った後、室内を見回せばあれだけいた私達の姿が減っている。
恐らく番人の指示に従って自分の仕事をしに行ったのだろう。
さて、番人の許可は得たことだしちょっと今までの記憶を探ってみようか。
私が気を失ってここに下りてくるまでの間、何か異常は無いかどうか。
何も目新しいものは無いんだろうけど一応確認しておく。
座った私にスクリーンを表示させた“私”と操作する“私”の二人が残って、私の言うままに色々と見せてくれた。
倍速で映像を流しながらお茶を啜っていると、ちょっと引っかかる箇所がある。
首を傾げて停めた映像をゆっくりと巻き戻しにしてもらい、ストップをかけたがちょっと速かった。
そこからはコマ送りで気になる箇所まで辿り着く。
映像は広間を映したもので、広間に置かれている長いテーブルと多数の椅子がそこにあるだけだ。偶にやってきた私達が座って話をしたりしているがその程度。何も変なところは無い。
「これ、拡大して画像綺麗にできる?」
スクリーンに近づいて指を差した私に力強く頷く二人の“私”
時間がかかるかと思ったが、手早く操作して私が欲しい画像を出してくれた。
出てきた画像に合わせて首を傾けていると、見やすいように角度を修正してくれる。
「何だろうこれ。どっかで見たことがあるような? って私そんなのばっかりだな」
拡大してもらった映像をそのままに、時間を進めてもらう。気になる物体はずっとその箇所にあるわけではなく、スゥとその形を薄くして溶けるように消えていった。
操作してくれている二人に心当たりがあるかどうか聞いてみるも、二人は顔を見合わせて首を傾げるだけ。
今までの記憶に似た様な物体があったかどうか検索をかけてもらうことにして、私はお茶を飲み寛いでいた。
流石に検索結果はそう簡単には出ないらしい。
「何だか眠くなってきちゃうね……え? 何、もう終わったの?」
一眠りしようかなと思っていれば、トントンと優しく肩を叩かれてスクリーンを見るようにと促された。
ここに保管してある膨大な記憶を検索して十分も経たないってどういうこと。
でもこれが普通なのかな、と思いながら私は検索結果を眺めた。
「あれ、意外とある。覚えてないけど」
情報の古い物から順に見ていた私は最後の、最新の画像を見て「あ」と声を上げた。
拡大された画像との照合を頼めば一部の絵柄がぴったりと重なる。他の画像も一部分だけしかないが、最新の画像のものとどれも合致する。
間違いない、と自信を持って頷く二人の私。
私もそれに合わせて力強く頷くとゆらり、とスクリーンの映像が動いたような気がした。
ちょっとこんな時に怖い事はやめてよねと思いつつ、自分一人だけじゃない事に安心する。
キレられるのを覚悟で番人を叩き起こす前にまずは落ち着こう。
揃って首を傾げる私達に異変を告げようとしたら、周囲の光景が灰色がかって見えた。チラチラ、とノイズが走って目を擦る。
ぱちぱち、と何度瞬きをしてもチラつきが取れないので眉を寄せていれば聞き覚えのある、柔らかな笑い声が響いた。
「うわぁ」
思わず出た言葉と歪めた表情に、その人物は気にした様子もなくポンポンと左腰の辺りを叩いた。
ぱくぱく、と口を動かしているが声が聞こえない。
その人物も声が届いていないのを知っているのか、何度も繰り返し口を動かしていた。
「お……え、お?」
違うな、“お”じゃない。
唇をくっつけて、思い切り離すから破裂音? 濁音?
あ、左腰ってもしかしてポケット?
着ているジャケットのポケットを指差して「これ?」と首を傾げれば、その人物は笑顔で何度も頷いてパチパチと手を叩いていた。
ポケットに何かあるのかと視線をそちらにやった瞬間に、ぐるりと世界が回る。




