170 眠る世界
一難去ってまた一難。
休憩する暇すら与えてくれないのか、とぼやきながら私は二階のベランダから街並みを眺める。
穏やかで、何の変哲もない光景にしか見えない。
私が眠りについた時にはもう、世界は静かに眠っていただなんてまだ信じられなかった。
強烈なノイズは一瞬だったと教授と榎本君が言っていた事を思い出す。
「マジかーとは思ったけど、まさか本当だとは」
テレビの中のキャスターたちは机に突っ伏して眠っており、ラジオからも寝息のような音が聞える。
知り合いに電話をすれば誰一人として出ず、榎本君が全国の監視カメラに接続すると人があちこちに倒れていたらしい。
私も試しに知り合いに電話をしてみれば同じように誰も出なかった。
けれどあまりにも信じられないのでとりあえず、叔父さんの喫茶店へと行って帰ってきたところだ。
その途中、道端で倒れている人々を実際目にし、喫茶店に行って現実なのだと思い知らされた。
お客さんを含め叔父さんが深い眠りについている。
賑やかな駅前も、商店街もシンと静まり返っており活気が感じられない。
その薄気味悪さに怖くなって教授の家に戻ってきたのだが、冷静に考えるとそこまで恐怖はしなかったと思う。
ホラー映画のようで怖いという感じではなく、自分だけ取り残されたような気がして不安だっただけか。
「人々が、生き物が全て眠ってるだけの現象。ライフラインは正常で、事故になる危険性も低いとは言ってたけど」
それは一体どう管理されてそうなっているんだろう。
管理者が何かしたのか、それとも何かあったのかと考えているのは他の二人も同じだったらしい。
教授が、管理者と連絡を取ってみると言ってくれたのでそれは教授に任せて私はただぼんやりとしているだけ。
どれだけ呼びかけても、イナバから返事はない。
それがまた不安を煽るがこの世界で私と同じように起きているのが、他に二人もいるんだということに心は少し落ち着いていた。
「はい、お茶」
「ありがとう。教授は?」
「何とか連絡取ろうとしてるみたいだけど、混線してて戦ってる」
「……そう」
連絡の取り方は秘密だそうなので詳しくは知らない。
別に連絡が取れればそれでいいと思っているので、私もそれ以上食いついて聞いたりはしなかった。
けれど、世界中の生物が眠りについているのだとしたら混線などするわけがないような気がするが。
ますます嫌な予感がしながらも榎本君からカップを受け取り、温かいお茶を飲んだ。
「混線、するものなの?」
「普通のネットワークとは違うんだけどね……」
「それを知ってる教授は、益々謎な人だわ」
スペックが見た目より高過ぎて驚く。
協調性が無いからというよりも、あまりにも天才すぎて協会内でも扱いに困ってしまったようにも思う。変な扱われ方をされる前に、教授が逃げ出したのかもしれない。
雫や榎本君の中の人がいた世界でも、教授はその才能を広く認められていたようだし。
「その教授も、この世界のループはどうしようも無かったのかしら」
「そもそもの起点が分からなかったからね。探る前にループしてしまうって言ってたよ」
「起点……」
「そう。管理者ですらどうすることもできなかった起点。つまり、君と神原君なんだけどね」
「諸悪の根源みたいな言い方されても困るわ」
こっちだって迷惑しているんだと眉を寄せてお茶を飲み干す。まだ温かさが残るカップを両手で包み込みながら私は息を吐いた。
榎本君も教授も、私と神原君を責めてるわけじゃないのは分かっている。
けれど、はっきり私達のせいでループしてしまうと言われれば言われるほど責められているようにしか思えない。
「でも、元々歪められた世界は、特定の条件下でループする仕組みになってたんでしょう?」
「らしいね。けど、二回目の世界……つまり今は違う」
「二回目……」
一回目は神たちによって故意に歪められた世界、二回目はそれを戻す為に管理者たちによって継ぎ接ぎになった今の世界というわけか。
よくよく考えると、それで崩壊しない世界は意外と頑丈なのかもしれない。
今の管理者がそうならないように必死になっているのは知っているけれど、具体的にどう大変なのかが良く分からないのでそう思ってしまう。
ギンあたりにこんな事を言ったらキレられるんだろうなと思いつつ、私は手を差し出す榎本君にカップを渡した。
「二回目の世界が安定する途中で、君と神原君にだけ何らかの影響があったとは仮定しているけど詳しくは分からないみたいなんだ」
「管理者ですら把握してないんじゃないの?」
「そうだろうね。まぁ、言ってしまえばバグのようなものだから。でも、教授が言うには下手に取り除けば全て崩れるかもしれないし、修正しようにも他に不具合がでてしまうかもしれないってところらしいね」
「……超迷惑な存在じゃない」
「そうだね」
消すことも修正することもできない。与える影響が大きすぎるのが問題だねと呟く声を聞きながら、私は手で顔を覆った。
神原君には申し訳ないが、彼ならばそういう立場になってしまうのも分かる気がする。
丁度良く世界を安定させられたゲームの登場人物、しかも主人公というキャラクターだから。
けれど、私が巻き込まれた理由がさっぱり分からない。
思い当たるとすれば、父親が管理者だということだ。
しかし、まさかそれだけで私に白羽の矢が立ったなんて考えたくない。
「もしかして、私に原因がある?」
「ん?」
「神原君と、私だから問題があるんじゃない?」
「あぁ、それは思いつかなかったな。何か心当たりでも?」
巻きこみたくない、迷惑をかけたくない。知らないなら知らないままの方が良い。
そう思っているわりに関係者と交遊を深める自分の行動には頭が痛くなった。
もしかして、なんて淡い期待を持って主人公気取りでいたことは認める。
「もしかして、成瀬さんのことかな?」
「あ、教授」
やあ、と片手を上げて「お茶のお代わりはどうだい」と笑顔で告げてくる教授に、私は心臓が飛び出そうになった。
何で教授が愛ちゃんの事を知ってるんだろう。
警戒を高める私に気付かない榎本君は「そうですね」と笑って私を室内へと促す。
「成瀬さんって、成瀬愛ちゃんですか?」
「おや、榎本君も知ってるんだね」
「そりゃ弟の可愛い彼女ですからね」
「えっ! そうなの!? マジで!?」
さらりと言い放った榎本君に私は思わず彼の襟ぐりを掴んで詰め寄ってしまう。私の剣幕に気圧された榎本君は何かに思い当たったのか「どうどう」と私を宥めて座らせた。
お茶を入れてくれていた教授は私の行動に驚いた様子で目をぱちくりさせている。
「まぁ、将来的に?」
「まだなのか……」
「羽藤さん、そういうのやめた方がいいよ? 気持ちは分かるけどさ……」
「分かってる! 分かってるから言わないで。それに押し付けたりはしないし表には出さないように気をつけてるから大丈夫」
「それなら……いいんだけど」
「私が相手の立場だったら、凄く鬱陶しいもの」
愛ちゃんが誰を選ぼうがそれは愛ちゃんの勝手だ。
私はやっぱり王道ヒーロの聡君が好きなんだけれど、だからと言ってそれを彼女に押し付けるような真似はしないと決めている。
決めているが、勝手に想像するのは許して欲しい。
これは神原君と華ちゃんに関しても同じ事が言えるのか、と私は肩を落として溜息をついた。
「もし、コイツ駄目だなって思ったら、容赦なく私にツッコミ入れてくれない?」
「あ……うん。分かった」
「……もういっそのこと、繋がりを断ってしまおうか」
「そこまで!?」
愛ちゃんが聡君以外のキャラクターといちゃいちゃしてたとしても、心は波立たない自信がある。神原君が華ちゃん以外と仲良くしていても同じだ。
けれど、どうしても彼らと会話する中で私のイチオシの攻略対象を押してしまう時があるかもしれない。
いや、現に今までそうしてきたかもしれない。そう考えるともう何も話せないなと思った。
華ちゃんは可愛いし、聡君はちょっと天然なところがあるけれど格好いい。
公平にと思っていても他の対象と比べて贔屓してしまう。
まぁ、聡君とは接点ないから今のところ話題には出てないけど、彼の兄である榎本君と知り合いだからな。
イレギュラーな私が周囲に影響を与えるという事もあるし、それが恋愛にまで及んでしまうと申し訳ない。
「羽藤さんも影響力あるからね」
「えっ」
「まぁ、落ち着いて。一応、自制するように気をつけてるみたいだから心配はないと思うけど」
「……私が一人でその子たちを好き好き言ってる分には、問題ないですよね」
「そうだねぇ」
大体の流れを察したのか教授が苦笑しながらお茶の入ったカップを目の前に置いてくれる。私は礼を言いながら思わずテーブルを軽く叩いていた。
私のうろたえっぷりに教授は両手を前に出して落ち着くようにと言い、榎本君がポンポンと背中を叩いて宥めてくれる。
馴れ馴れしいんじゃないかと思わず彼を見てしまったが、優しい笑みを見ていたらそんな文句は飲み込まざるを得なかった。
「それはともかく、神原君と対をなす存在というのは成瀬さんだったんですか?」
「恐らくはね。あの二人は立場も似ていて非常にバランスがとれているから、管理者もその二人を最初から注意していたみたいだよ」
「……墓穴、掘ってこよう」
「待って待って。落ち着いて話を聞こうか、ね?」
何となくそんな気はしていたが、他の人に言われると自分が惨めになってきた。
今までの事を思い出すと色々恥ずかしくて仕方がなくなってくる。
管理者たちも、ノーマークの私が現われて相当混乱したことだろう。本当に申し訳ない事をしたと思いながらのそりと立ち上がる。
これは墓穴で暫く引きこもるしかない。
そう思った私の腕を神原君と教授が優しく引き止めた。
責めてるわけじゃない、君が悪いわけじゃない、君は被害者だとこれまた優しい言葉をかけてくれるが気休め程度だ。
気休めだと、分かっているのに視界がぼやけてくるのは何故だろう。
「でも、神原君はすぐに見つかっても成瀬さんにその兆候は見られなかった」
「あ、兆候って言うのはね、前世の記憶持ちでループしても前の記憶を失わないっていう事なんだ」
「うあぁ、やっぱり私のせいで!」
「はいストップ。ポジティブに考えよう。君が肩代わりしてくれたお陰で、成瀬さんは幸せに暮らしていると」
ポジティブ……。
私が巻き込まれて苦労しているお陰で、愛ちゃんは幸せに暮らしてる。
逆を言えば、愛ちゃんが私が今まで苦労してきたような状態になっていれば、私は幸せに暮らせていた?
いや、駄目だ。そんなのは駄目だ。
愛ちゃんにあんな思いをさせるなんて、想像しただけでもゾッとする。
そうか、だったらこうなるのは私で良かったのか。例え予想外だったとしても。
「いやいやいや、良くないわー。確かに愛ちゃんが私みたいにならなくて済んだのはいいと思う。でも、だからって私でいいわけもないでしょう! 神原君も可哀想だし」
「確かにそれはそうだけど、管理者ですら手の届かない範囲だったと言っていたからなぁ」
「じゃあ誰にこの怒りをぶつければっ!」
私みたいな女が悲劇のヒロインぶっても、誰も優しくしてくれないし盾にだってなってくれない。
変な力を得た上に何度死んだか分からないなんて、本当に世界は私に何か恨みでもあるんだろうか。
世界というか、敵?
神様?
「えっと……敵、かな?」
「まともに取り合ってくれるような気がしません」
神原君の話を聞いた限りでは、ママと呼ばれる神様も何を言っているのか分からなかったと言っていた。
器として必要とされていたはずの私と神原君は既にあの人たちの眼中には無い様子で、本物だとか偽物だとか言っているところを見ると、娘でも探して彷徨っているんだろうか。
教授たちにもその事は軽く話したが、それについてはどう思っているんだろう。
「直接会っていない私が言うのもなんですけど、神原君の話を聞いて本当に同一人物なのかって疑問になったんですよね」
「神が?」
「ええ。なんと言えばいいのか、精神崩壊して向こう側にいっちゃってるようなそんな感じがして」
元とは言え神様たるものが些細な事で精神バランスを崩すなんてことはまずあり得ないだろうけど。
そう思いながら話す私の言葉に榎本君は興味津々の顔で、教授は視線を逸らし考えこむような素振りをしていた。
精神崩壊に目を輝かせる榎本君は、本当にどうかと思う。




