169 理想の体
「うーん」
頭の中も体もすっきりとして清々しい。
まるで全てのパーツを新しく取り替えたかのようだと思いながら苦笑する。
似たようなものか、と。
用意された服は、私の好みに合わせて榎本君が買い揃えたらしい。支払いをした方がいいのかと心配すれば「そんなこと」と苦笑されてしまった。
下着のサイズがぴったりだったのは、気にしない事にしよう。
あの容器に入れられていた時点で全て把握されていると思って間違いないはず。
恥ずかしいとか信じられないとか、怒る気も失せたが前の自分とはちょっと違っているような気もして不思議な感覚だ。
まず、真っ黒だった髪の毛が少し茶色がかっている。焦げ茶なので見た目はあまり変わらない。
髪の質が変わらなかったのは少々残念だが、あぁ私だなとも思う。
厚みがあって広がってしまう髪を櫛で梳かし、指通りが信じられないほどツルツルなのには驚いた。
いつまでも触っていたくなる、とキャッチコピーでは良く見るがまさにその通り。
まめに美容院に通ってトリートメントでもしてもらったかのようだ。
「なんかなぁ……変な感じよね」
違和感があるわけではない。
寧ろ、前より体調も良く苦手にしていた運動も積極的にやりたいような気分だ。
体重は然程変化は無かったが体形が少々変わった様な気がする。
「痛いとか、苦しいとかあったらすぐに言ってね」
「いや、それはないんだけど」
「些細な事でもいいから」
「うーん。いや、逆に体が軽くて動かしやすいから驚いていると言うか……」
体が軽く動かしやすい。
ストレッチをしてもしなやかに体が動き、苦痛に顔を歪めていた体勢も難なくできる。
開脚も、足上げも驚くくらいに綺麗にできた。
調子に乗ってプリマ気分でピルエットをしていれば、ガツンと椅子に足をぶつける。
顔を逸らして笑いを堪えている榎本君を軽く睨みながら私はぶつけた箇所を涙目でさすった。
「なるほどね。拒絶反応もなく、今のところ違和もない。いい傾向だ」
「でも、ちょっと変な感じはするかも。動きやすいし、これと言って問題はないけど私じゃない別の誰かに憑依してるような気もするわ」
何と言えばいいのか、と首を傾げながら小さく唸っていると書類を見つめていた教授がこちらに向ってくる。
じろじろ、と間近で観察されながら困っていれば教授はにっこりと微笑んだ。
「まだ完全に馴染んだわけじゃないからね。焦らずゆっくり、慣らしていこう」
「え、それで間に合うんですか?」
「君の頑張り次第だよ、羽藤さん」
「頑張り次第……」
気力と努力だけで乗り越えていけるなら何だって苦労しない。私だってこんなに馬鹿みたいにループしてなければ、消し炭状態にもならなかったはずだ。
それはお前の努力が足りないせいだろうと指摘してくる輩がいたら、同じ目に遭わせてあげたいものだ。
それだけ言うのならきっと難なく状況を好転させ、一度も死ぬ事無く幸せな結末に辿り着くことができるんだろうから。
「慣れるまでそう時間はかからないはずだよ。体の再構築に多少他の素材を使用はしたけれど、害はない範囲だし、何よりもティアドロップがとてもいい働きをしてくれたからね」
「そうですね。僕もあの物質の可能性がまた大きく広がった現場に立ち会えたのは嬉しくもあり、恐怖もしています」
「そうだね。ティアドロップが悪いんじゃない。使う側次第……ってそれが一番難しいんだけどね」
私は教授の説明を聞きながら自分の両手や腕を軽く揉んでみる。
この体があの消し炭で作られたというか、元に戻されたというのが到底信じられなかったが他の素材とは一体なんだろう。
聞いても分からない専門用語がたくさん出てくるだろうなとは思ったが、聞かないでいるのも不安になる。
害は無いと言った教授を信じるしかないか。
「この体にもティアドロップが使われているんですか?」
「ごく微量ではあるけどね。ティアドロップが勝手に動いてくれたって言えばいいのかなぁ」
「簡単に言えば自己修復の手伝いをしてくれたんだよ」
「え、そんな力があるの? どんな感じで?」
それは私も見たかったと残念がると教授と榎本君は顔を見合わせて笑う。そんなにおかしい事を言ったつもりはないけれど、その間ずっと眠っていただけの私が悔しい。
中身だけ飛び出して外側から体が再生されていく様子が見られれば良かったと言うと、教授は静かに首を左右に振った。
「それは無理だよ。ティアドロップは君の体にあるわけじゃない」
「え?」
「精神体、魂、核、そう呼ばれる中身に溶けているからね」
「中身……」
胸元に手を当てて、目を瞑る。
それらしい形を取ってみたがティアドロップの感覚も、魔王様の力の感覚もさっぱり分からなかった。
魔王様の力の欠片は【隔離領域】とリンクさせた夢の世界で、ティアドロップは裏世界で手に入れたものだ。
どちらも夢物語のようなあやふやさだというのに、それが私を助けた。
あの消し炭から本当にこの姿に戻ることができたのが事実だとすると、その力は脅威どころではない。
使いようによっては、世界戦争さえ起こりそうだ。
管理者がいる間は彼らが上手く誤魔化してくれるだろうから大丈夫だろうけれど。
「それにしても、教授って考古学が専門なのにこんな事までできるんですね」
「あ……うん。まぁ、うん」
「教授は天才だからね。それこそ、天災並の天才だ」
困ったように頭をかいて頷く教授に、榎本君がそう教えてくれる。
彼が言いたい事は分かるが、言葉にすると分かり難い。本人は上手い事を言ったと得意気な顔をしているが、そうでもないと思う。
教授は「そんな事ないよ」と言いつつどこか嬉しそうだった。
照れたように頬を薄っすら染めながら、俯き加減で室内を行ったり来たりしている。
「へー」
「え、羽藤さん納得するの!?」
「まぁ。イレギュラーな事ばかり身の回りで起こっているので、別に無くは無いかなと」
「あ……そうなんだ。淡白だなぁ」
「そうですかね。慣れてしまって麻痺してるだけですよ。歳は取りたくないものです」
「いや、年齢関係ないよね? というか、僕より若いのに何言ってるの!」
いいツッコミですね、教授。
私と榎本君が同時にグッと親指を立てると「違うでしょ、君たち!」と教授が叫んだ。
「あ、そうだ。前より体形良くしてもらってありがとうございます」
「え……そうなの?」
「あれ、だって私の体を再生させたのって……」
私の体が前よりいいものになっているのは間違いない。服を着ていると前とあまり変わらないが、腹回りの贅肉が消えて私は歓喜していた。
風呂に入らせてもらった時、まじまじと観察して夢ではない事を確認したので間違いない。
あれ、でも体重は変わってないんだけど、どこにいったんだろうあの脂肪。
「そういうのは榎本君に任せてしまったからなぁ。あとは妻の意見を聞いたりして……」
「ティアドロップが前の体を覚えていたから僕はそんなに手を加えていないよ。ただ、体形が固定化する前にちょっと見栄え良くしただけで。気に入った?」
「……凄く、複雑な心境です」
確かにすっきりした体形を手に入れて浮かれていたのは事実だ。しかし、それが榎本君の手によるものだと想像すると、身震いしてしまう。
てっきり、教授主導でこの体が再生されたとばかり思っていたので、助手をしている彼が大きく関わったというのは予想外だった。
だからと言って、教授にならベタベタ触られてもいいというわけではない。
ただ、教授の場合は私を女として見るよりも研究対象として見て接するだろうから、不安が少ないだけだ。
それになにより、教授が愛妻家なのは彼の授業を受けている生徒なら大体が知っている。
うん……それは見せかけだけじゃないはずだ。
「あ、そっか。僕だけが羽藤さんの裸見ちゃったから怒ってるんだよね。分かった。じゃあ、僕も……」
「結構です」
裸を見られた事はもうどうでもいい。
冷たくそう告げると榎本君はつまらなそうな表情をして唇を尖らせていたが、ハッとした顔をすると私を見つめてきた。
キラキラとした眩いオーラを放って目を細める彼に、私は嫌な予感しかしない。
「そうだよね。うん、分かってるよ。後でちゃんと二人きりで」
「ところで教授は一体どこまでご存知なんです? 管理者と繋がっているのであれば、これからどうすればいいんでしょうか」
「あ、えっと……うん、そうだね」
弟が聞いていたら泣くぞ、と思いながらも榎本君の言葉を無視する。
いきなり話を振られた教授は私と彼を交互に見ながら冷や汗を流し、必死に頷いていた。
別に教授がそう困る事はないと思うんだけど。
「とりあえず、ご飯食べながら話そうか? お腹空いてるでしょう?」
「あ、忘れてました。そう言えば」
「あははは。食欲があるのは、いい事だね」
「じゃあ僕が腕によりをかけますよ!」
腕まくりをしながら部屋を出てゆく榎本君を見送った私は、ちらりと窺うように見てくる教授に首を傾げた。
目が合うと「はははは」と笑って顔を逸らされる。
私が眠っている間に何か言えないようなことでもあったのか、と訝しむ私に教授は「榎本君は本当に羽藤さんがお気に入りなんだね」と呟いた。
ゾッとするような発言は聞かなかった事にして、私は空腹を訴える腹に手を当てる。
一服盛られなきゃいいけど、今の私なら何を口にしても解毒できそうだなと思った。




