168 花とうさぎ
天気がいいとお茶も美味しい。
けれど、そうでもない時もある。
例えば、今だ。
神原君の様子を遠目で窺いながらイナバとお茶をしていた私は、かける言葉が見つからなくて自分の情けなさに溜息をつく。
彼が一旦落ち着いてこちらに来た時になんと言えばいいのか、どういう態度が最適か。
傷つけないように、けれど気を遣っているとは悟られないように。
私の演技力をもってしても中々に難易度が高い挑戦だと溜息をつけば、そんな私の気持ちも知らないイナバが美味しそうにカップケーキを頬張っている。
まだ口の中に入っているのに、手には焼き菓子が握られている卑しさ。
ハムスターかと突っ込みを入れたくなるくらいに頬がパンパンだ。
イナバの両頬を押したらやっぱり口から食べたものが出てしまうんだろうか、とうずうずしながら見つめる。
惨状が容易に想像できるのに、やってみたくなるのが性。
「ぷはー! 美味しいですね! お菓子も、紅茶も美味い! 空気も美味い! サイコーです!」
「……チッ」
「あははは、由宇お姉さんが狙ってる事なんてお見通しですよー」
「だったらもう少しお行儀良く食べられないの?」
「どこぞの黒うさぎのようにモソモソ食べてたら、生存競争には勝てません」
「何と戦ってんのよ」
第一、あなたは生存競争するような生き物じゃないでしょうが。
野生は怖いのだ、厳しいのだとまるで自分が生き抜いてここにいるかのような口ぶりで語るイナバ。
しんみりしている神原君と比べたら、能天気でいいものだ。
いや、だからこそこういう反応がもしかしたらいいのかもしれない。
けれど私がイナバのようにするには、度胸が足りなかった。
どうにも神原君に同情してしまって、あれだけの事をされたというのにもどきに哀れみを感じてしまうくらいだ。
結局神様は何がしたいのだろう。
もどきの最期を聞いても顔色一つ変えずに「へぇ」と呟いただけのイナバも気になるが、今は神様のことだ。
神原君の話から推測するに、もどき……ママと呼ばれた人物がレイと呼んでいた娘の核はティアドロップだと思われる。
それはイナバも異論は無い。
一つ疑問なのは、ティアドロップが魂や命の代わりになるものなのかということだ。
レイのあの性格は本来の体の持ち主である神原美羽とはかけ離れているもので、同一人物とは考え難い。
器と中身があっておらず、別の中身が入っていたとしたら元々入っていた中身はどこへ行った?
「そもそも、美羽ちゃんの体がなんで神様側? にあったのかって事よね」
「神原君は何度繰り返しても妹なんて産まれた覚えは無いって言ってましたからね」
そうなると、世界が今のように継ぎ接ぎになる前からと考えられる。
しかしそう考えると余計に不思議だ。
神様が神様として自分の理想通りの世界を運営していく中で、どうして美羽ちゃんがそこにいるのか。
もしくは、必要とはしていなかったけど偶然落ちてきた?
いや、それもおかしいか。
ゲームの登場人物や、彼らの親類縁者以外だったら偶然ということにしても一応納得はできる。
しかし、美羽ちゃんはキュンシュガの主人公である神原直人の妹だ。
偶然にしてはできすぎているような気がする。
それに自分たちの器として狙っているとばかり思っていた私と神原君の体は、不要のようでそちらも疑問だ。
「器も必要ないみたいだし。どーなってるのかしらね」
「ですね。管理者達にも一応報告はしておきましたが、彼らも不思議そうにしてましたよ」
「演技じゃなくて?」
「そう言われると……そこまで見抜けませんから何とも」
ここにきてまたこういう訳の分からない事になるのか。
溜息をついて紅茶を飲み干した私は、この世界から出て目覚めるべく席を立った。
「神原君はいいんですか?」
「後でちゃんと起きるから、先に行っててくれって」
「え、そんな事言ってましたっけ? 何時の間に!?」
「カタスが教えてくれたのよ。それと、カタスを少し貸してくれって言ってたけど、何するのかしらね」
何となく予想はつくけれど、聞かないでおいた。
カタスは素直に了承してくれたので、不測の事態になっても何とか対応できるだろう。
もっとも、気持ちが悪いくらいに綺麗なこの世界で何か起こるなんて想像もできないが。
「そうですねぇ。寂しいから静かに寄り添ってくれる何かが欲しいのかもしれません」
「確かに、あの子たち喋らないからなぁ。いや、喋るんだけどそれは私にしか聞えないし」
「わたしもカタスさんたちのお話、聞いてみたいです」
「……結構うるさいわよ?」
単体ではなく集団で戦うので、数が少なければ少ないほど弱い。
けれども細々とした雑用やら私の話し相手まで器用にこなせるのは、色々な性格のいるカタスならではだと思う。
まぁ、大体が腕から先だけだから老若男女と言っても肌の質感とか雰囲気からでしか判断はしてないけれど。
気性も比較的穏やかでいい子たちばかりだが、術者の性格にもよるようなので一概に全てのカタスが穏やかだとは言えない。
恐ろしい程に感情の起伏が激しいヒステリックなカタスもいたなぁ、と思い出しながら私は花畑をゆっくりと歩いていた。
出口はどこかなんて聞くことはない。
なんとなく、どちらの方向へいけばいいのか分かるからだ。
イババもそんな私に何も聞かず、ただ歩くのが速いとか見たことのない鳥が飛んでいるとか言っては私の足を止めた。
「見てください! 虹色の鳥がいますよ! うわ、見ました!? 宝石みたいなキラキラの鱗をした魚が跳ねましたよ!」
「はしゃぐねぇ」
そんなものは今更だろうと心の中で呟きながら、私は駆け回るイナバを見つめた。
こうしてみるとイナバも外見年齢相当の子供に見えるから不思議だ。
本当は私より年上かもしれないというのに。
そう言えばそうだ。
今までずっと小動物の姿をして、幼い口調だったのでついつい年下だとばかり思ってきたが正確な年齢は不明だった。
「イナバって、いくつだっけ?」
「ご想像にお任せします!」
「またそれか……」
最初に性別を聞いたときもそう言われ、今回も同じ答えだ。
隠したいということは、私より遥か年上でしかも独身だなと勝手に想像している。性別がどちらであっても、未来の自分がそこにいるようで少し切ない気持ちにはなった。
いや、私はまだこれからだ!
ループ無くなったら恋人なんていくらでもできる!
そう自分を鼓舞して、頑張れ頑張れと繰り返せば繰り返すほど空しくなってゆく。
大体、恋人ってこんなに気合入れて作るものなんだっけと首を傾げて溜息をついた。
そもそも私は本当に恋人が欲しいのかと考えてみる。
「別に?」
あれ、これなんかおかしいな。
思わず口から出た素直な言葉に眉を寄せて、甘酸っぱい恋愛を体験してみたくないのかと自分に問う。
残念ながら、答えはノーだった。
そう気負わずともその内気づけば恋人が出来てるんじゃないかな、と楽観しぐるぐると走り回るイナバに目を向ける。
イナバはいい。そんな事を考えなくともいいんだから。
人間ではないのは確かなので、あれ以上歳を取る事はないんだろう。
それで言ったら他の管理者も同じなんだろうけど、と頭に浮かんだのはギンの姿。
神原君の話を聞くに、いい相棒っぷりを発揮しているようで何よりだ。彼を放っておけないのは私達を重ねているからかなぁ、なんて都合よく想像してしまったりして。
羨ましいとか寂しいとか、そんな事すら思わず完全に他人事の自分に苦笑してしまう。
そう思うたびに周囲の人や環境に恵まれている事を知る。
ギンは寂しくないんだろうか。
辛くて心配で、本当は自分が父親だと私に言いたいんだろうか。
今までのことを思い出す限りでは、そんな素振りは一切見せてなかったように思う。
必要以上に心配したり、こだわったり。
そんな事はなかったなと思った瞬間に、何故かがっかりしてしまう私がいた。
どうやら少しは寂しいと思っているらしい。
自分の事なのに本当に他人事だなぁと思うと、なぜか笑えてしまった。




