164 兄と妹
どこまでも続く花畑を歩いていると、この場所でのんびり過ごしていたくなる。
これからやらなければいけない事はたくさんあるのに、全て放り投げたい。
動きに合わせて揺れる花たちに目を細め、小さく欠伸をした。
「ふわぁ」
綺麗な小川で顔を洗いさっぱりした気分で周囲を見回す。
敵襲もなければ、神が降臨される気配もない。
嫌な気配が全く無いというのが逆に怪しくて警戒してしまうのだが、イナバも心配するような事はないと言っていたから大丈夫だろう。
まぁ、大丈夫だからと言って油断してると落とし穴に落ちるわけだが。
「空は抜けるように青く、雲は白い。眼前には鮮やかな花の絨毯が広がって、動物たちがのびのびと過ごしてるってか」
「ポエムですか?」
「違うわよ。人が理想として考えるような場所だなぁと」
「人によって理想も多種多様でしょうけどね」
花に擬態できないカタスたちは、それでも必死にまぎれようと模索中だ。
高校でのカタス領域拡大という真似はこちらではしない。そんな事をしても力の無駄遣いな上に景観が壊れるからだ。
だから最小の召喚で何かあった時に対処できるようにはしている。
ムキムキとした腕のカタスは、他のカタスに作ってもらった花輪を指にはめてうっとりとしていた。
何でよりによって薬指なんだろうと思ったが、口にはしない。
何故なのか聞いて欲しそうに本人がちらちらと私を窺うが、知らないふりをし続けた。
しなやかな腕のカタスは器用な指先で私も舌を巻くほど上手な花輪を作り続ける。
ムキムキしているカタスに花で出来た指輪を作ってあげたのも彼女だ。
「器用だね、相変わらず」
手先が器用な彼女の手の甲には薄っすらと痣がある。
カタスは影の手なので見た目は真っ黒なのだが良く見ると一つ一つ違う個性があって面白い。
退屈な時は彼らを眺めているだけでも暇が潰せたものだ。
店で購入した以外の装身具は彼女の手作りで、モモも好んでお願いしていたのを思い出す。
材料さえ渡せば作ってくれるのだから買うよりも安上がりだ。
「由宇お姉さん! こっち来てくださーい」
「今度は何?」
のんびりピクニック気分になりながら、早くもずっとこのままここでこうしていたいなと思ってしまった。
それを現実に引き戻すのは、ぴょんぴょんと跳ねる銀髪の子供。
何が楽しいのか花畑で前転したり木に登ったり、小川で魚をつかみ取りしてみたりと行動が読めない。
人化する前よりも野生に戻ったような気もするが、振り回されるこちらとしては疲れる。
そんなイナバが少々難しい顔をして早く来いと言うので、私は仕方なく走った。
「何? 今度は何を見つけたの?」
「あれ、です」
「ん? んん?」
動物を見つけると好奇心旺盛に近寄っては嫌がられる。いつもは視点が低いか、思うように動けないので新鮮なのだろう。
草を食む鹿をガン見しては頭を齧られ、木の実を探してリスと喧嘩して噛み付かれと散々な目に遭っているのに懲りずにイナバは突進してゆく。
狼が出たら頭からガブリといかれるだろうなと思いながらイナバの指差す方を見て、首を傾げた。
残念ながら私の視界には何も映っていない。
しかし、イナバはしきりに「あれですよ、あれ!」と言ってくる。
何なのかはっきり言えばいいのにと呟きながら目を凝らす私の耳に、言葉に詰まったようなイナバの声が聞こえた。
これは、何と言えばいいのか分からない。
嬉しいような悲しいような。
やり場の無くなった気持ちを持て余しながら、それを必死に落ち着かせて私は息を吐いた。
白い衣を身に纏った背中を黙って見つめ、私と同じように気まずい表情をしているイナバと目を合わせる。
無言で会話した後、無難で当たり障りの無い言葉をと考えていた私は小さく笑うその声に僅かに体を強張らせた。
「すみません。気を遣わせてしまって」
「あ、ううん。こっちこそ、気の利いたこと一つも言えず……申し訳ないわ」
たくさんの花に囲まれた少女を見下ろしながら神原君は苦笑する。
最初彼が彼女を抱えて現れた時には、驚きすぎて言葉が出てこなかった。
こんな所で会えるなんて、とか本物なのかとか。
何があったのかと聞く前に短く告げた彼の言葉にそれ以上は何も聞けず、何となく察してカタスにも協力してもらい彼女の周囲に花を飾った。
ぴくりとも動かない彼女はこうしてじっくり見ると眠っているようにしか見えず、どうしても腰が引けてしまう。
力が使えるのだからそう怖がらなくてもいいのに、心に受けた傷は思った以上に深いらしい。
「駄目ですよね。放っておけばいいのに、そうできなくて結局連れてきちゃいましたよ」
「別に……いいんじゃないかな?」
いつ動き出すのか気が気じゃないですけど。
本当に彼女が死んでしまったなんて未だに信じられない。
残念ながら惜しい人を亡くしたという意味じゃないけれど。
しかし、そんな事を口に出して言うほdp私も馬鹿じゃないので、もどきの死を悼む神原君を黙って見ているしかできない。
イナバも、カタスも生命反応は無いと判断して大丈夫だと告げるが念には念を、だ。
そっと神原君の背後から横たわっている少女を覗き込む。
薄汚れた身なりをして、全身ボロボロの姿だった彼女はカタスやイナバによって綺麗に整えられていた。
服は良家の子女風の白いワンピース。透けるような肌にその色は怖いくらいに似合いすぎていて、作り出したのは失敗したかと思ったくらいだ。
胸の上で両手を組み合わせ、目を閉じている姿は誰が見ても美少女だ。
こうしてみると、神原美羽にしか見えないだけに私は複雑な感情を持て余したまま思わず顔を歪めてしまった。
「中身が違っても、駄目なんですね。やっぱり、美羽なんですよ」
「うん」
「外見だけは、間違いなく美羽で……もどきがいなくなったから、体だけでも戻ってきて嬉しいと……そう思えるはずだったのに」
そっと組み合わせられた彼女の手に触れてみる。
ひんやりとした冷たさが伝わってきて、温もりが奪われるようだった。
微動だにしないだけで人工物めいて見えてしまうのかと思いながら、私は神原君が説明してくれた通り彼女の死を理解する。
人をサンドバッグのようにして弄び、子供のような無邪気さで残酷なことを平気でしていた彼女はいない。
次に会ったら正面からぶつかって倒してやる、と頭の片隅で考えていた私はその機会がもう二度と来ない事を寂しく思った。
安心すべきなのに、寂しいとは。自分でも自分の感情がよく分からない。
「それで、神はどうしたの? 攻撃されなかったみたいだけど」
「僕なんて眼中になかったみたいですよ。器として狙われていると思っていたので、警戒していたんですけどね」
まるで路傍の石のような扱いでした、と呟いた彼は嘲笑するように笑うと深い眠りについてしまった少女の頬を撫でて目を伏せた。
同情なんて無用だと思った。
次こそは確実に殺すと思っていたのに胸を占めるこの思いは何なんだろう。
神原は安らかな顔で横たわる美羽を見つめながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。
特殊な空間だから時間は気にしなくてもいいだろうと言うイナバの言葉に、彼は妹になるはずだった少女の頭を撫でる。
気を遣ってくれた二人に感謝しながらも、神原は自分の力の無さを痛感していた。
管理者や神以外で言えば優れた力があると自覚しており、自信もあった神原は自分が頑張って動けば管理者達が言うような世界に戻ると信じている。
最初の頃は前世の自分と神原直人としての自我が上手く噛み合わずに気持ち悪い思いもしたが、由宇と再会した頃にはそれも落ち着いていた。
あるがままを受け入れなければ強くなれないとギンに言われた彼が、相棒に八つ当たりをしたのも一度や二度ではない。
何で自分だけがこんな目に遭わなければいけないのかと、いい子でいられなくなった彼が爆発して当り散らすのをギンは軽やかに避ける。
嫌ならやめてもいいとすら言われ、自棄になった神原も喧嘩を買うような気分でそれを受け入れようともしていたが寸前で思い留まった。
それは、自分が手駒としていなくなればもう一つの手駒である由宇に負担が重く圧し掛かってしまうと思ったからだ。
神原と違ってキャラクターの性格に左右されない由宇を羨ましく思い、妬んで暴言を吐いた事を悔やみながらも捨て切れない。
基本が心優しい性格だけに完全に背を向けることの出来ない損な性格だ。
期待されるのも、それだけの力があるのも良く分かっている神原だったが、周囲からの過度な期待には吐き気がしていた。
表でそれを態度に出さなかったのは神原自身が、神原直人という人物が好きだったからだ。
それにそんな事で愚痴を言っては投げ出してしまう自分が格好悪いと、周囲の目を気にしたというのもあるだろう。
頼りない優男に見えるけれど、馬鹿みたいに真っ直ぐで人の痛みに寄り添える。
単純だが、中々難しい事をゲームの神原直人はどのルートでも実行していた。
所詮はゲームだろうと思っていた前世の神原も、やればやるほどキュンシュガにはまりDVDやCD等他のグッズにまで手を伸ばし買い揃えたくらいだ。
他のゲームの主人公よりも特別魅力的だというわけではない。異能を持っているわけでもなく、気がつけばハーレム状態になってしまうような体質でもない。
ちょっと頑張れば手が届きそうな場所にいる、そんな主人公に惹かれていつの間にか憧れていた。
あんな風になれたらな、と思いながら現実での自分に苦笑する日々。
リメイクや、他機種に移植されて攻略キャラが増えた時も必ず買ってやりこんだ。
懐かしいなと呟いて視線を落とし、神原は少女を見る。
「邪魔なんてされず、君と兄妹になってみたかったよ。きっと、賑やかでうるさい時もあるだろうけど楽しいんだろうな」
彼が想像するのは由宇たち三兄妹。
一番上の兄はたまになつみを迎えに来る時に見かけているが、ゲームでは登場しないキャラだったので驚いた。
それは由宇にも言える事だが今では彼らに感じていた違和もなく、仲の良い関係を羨ましく思っている。
由宇が妹であるなつみを可愛がっているのは目に見えて明らかだが、彼女は「シスコンとは違うんで」と強く主張する。
他から見ればシスコンにしか見えないのだが、本人の中では違うらしい。
「作中での君は、それこそ羽藤さんみたいに兄思いのいい子だもんね。現実では、どうなったのかな?」
何度繰り返しても兄妹にはなれないのかなぁ、という神原の呟きが寂しくその場で響き静かに消えていった。




