162 しろうさ
着いた場所はなだらかな丘になっていた花畑から、ちょっと横に逸れたところだった。
木々に囲まれて小さな花畑のようになっている風景に、神秘的なものを感じながら感嘆の溜息を漏らす。
そして、花畑のほぼ中央は土が顔を出して花は一切生えていない。
なにかありそうな感じがする。
「ここ掘れ?」
「うさうさ、じゃないですからね」
「うん、分かってた。で、誰のお墓?」
「……え、分かりました?」
「そりゃあ、掘り返されたような跡があるけど綺麗にされてるし、花輪が飾られてちょっと大きな石があるんだもの。想像つくわ」
墓石なのか、白い石の表面はザラザラとしていて崩れやすい。
これはすぐに壊れてしまうぞ、とイナバに言うも「それしか無かったんです」と俯いてしまった。
「誰のお墓? イナバが掘ったの?」
「……なんでそう思うんです?」
「指先が汚れてるでしょ? 爪に土が入ってるとこもあるし」
「うっ……綺麗に洗ったはずなのに」
いつものイナバなら、私がそこまで推測することくらい分かりそうなものなのに変に動揺している。
動揺するようなものでも隠した?
「言っておきますけどね、わたしは人殺しなんてしてませんからね!」
「何も言ってないけど」
「顔に書いてありました!」
「そっか。そうだよね。イナバが証拠残すような事するわけないよね」
「そうです! って、違う」
急に私の気配がしたから慌てたんだ、との言葉は無視して私は口元に指を当てる。
イナバがここまでするくらいだからせめてもうちょっと、立派なものにしてあげたい。
いくら夢ですぐに消えてなくなってしまう世界とは言え気持ちは大事だと思う。
「うーん、こう……かな?」
「わぁ」
「あれー? あんまり上手くいかなかった。ごめんね、イナバ」
イナバの事を意識し過ぎたのか私が触れた白い石は形を変え、白うさぎの姿になってしまった。
可愛らしさは満点だが、この下に埋まっているかもしれない人物は不満かもしれない。
ザラザラとした石の表面が、綺麗に磨かれて光っている。その手触りにイナバは目を大きく見開き、私と石像を交互に見た。
「トゥルットゥルですよ!」
「よく分からない」
「あぁ、良かったですね。美形にしてもらって何よりです。いえ、わたしはいいんです。綺麗よりも愛らしさを追求しますから」
何をそんなに言っているのやら。
うさぎの石像に頬ずりをしながら腕を絡め、恍惚な表情で呟くイナバに私はちょっと引く。
暫くその肌触りを味わっていたイナバは何かを思いついたように、私の腕を引っ張って足元に咲く花を指差した。
綺麗だね。
「花輪作りましょう! 花輪!」
「作ったら、いいんじゃないかな?」
「由宇お姉さんも作るのです!」
そんな面倒なこと嫌だと言おうとしたけれど、イナバがキラキラと目を輝かせて私を見つめるので渋々腰を下ろした。
注文は何かあるか、と聞けば特にないと返された。なので、一種類だけではなく色んな花を組み合わせた輪にしよう。
花輪作りなんて小学生の時以来だなぁと思いながら指を動かす。シロツメクサの花輪をたくさん作ってたっけ、と私は兄妹三人で仲良く作っていた事を思い出した。
今思うと、女の子の遊びに付き合ってくれた兄さんは私となつみ以上に器用だった。
虫カゴと網を持って野山を駆け回ったり、木登りをしたり、魚を探して川に流されたこともあったっけ。
叔父さんに助けられて、母さんと叔父さんに酷く怒られたことを思い出す。
懐かしいなぁ。
「いくつ作ればいいの? あれ、イナバ?」
考え事をしながらも手は動く。
順調に作り終わった花輪の結び目の始末をして、私は仕上げに取りかかろうと思い顔を上げた。
目の前にいたはずのイナバがいない。
そよそよ、と風に木々が揺れて小鳥たちが囀っている音だけがやけに響いた。
人に花輪を作らせておいてどういうつもりだ、あの白うさぎ。
「っ!」
一瞬、強烈な眩暈と共に視界がぶれる。
あぁこの感覚も久しぶりだなぁと懐かしささえ感じながら、私は俯いてゆっくりと深呼吸を繰り返した。
膝の上に乗せた花輪に汗がポタポタと零れ落ちる。
大丈夫、大丈夫。
自分にそう言い聞かせて大きく揺れる頭を少しずつ上げていく。
風に揺れる色とりどりの花、イナバはいないけれど少し離れたところにうさぎの石像が……無い。
「え?」
体を支える為に地面に手を付けば柔らかいものに当たって慌てて手を引っ込めた。
白くて、ふわふわして、もこもことした毛は柔らかくて温かい。
私はそれを知っている。
けれど認めたくなくて薄ら笑いを浮かべながら速い呼吸をしているそれに、そっと触れた。
綺麗な毛並みを汚す鮮血は首筋からとめどなく溢れている。
回復魔法を反射的にかけても止まらない。
あぁ、これは今じゃないからかと思いながら、私は薄っすらと目を開けた白いうさぎを撫でた。
嬉しそうに目を細めて、もごもごと口を動かすも痙攣したように大きく跳ねた体はすぐに動かなくなった。
この子は、イナバだ。
直感的にそう分かった私は体が冷えていくのを感じていた。
いつの間にか眩暈は治まり頭もはっきりしている。
血塗れの白うさぎを優しく撫でながら顔を上げた私は、声にならない悲鳴を上げて歯噛みした。
「……あぁ」
綺麗な花畑に落ちたいくつもの白い塊。
所々赤く染まったそれらは、全て同じ生き物だと理解する。
首をもがれ、胴体と切り離された白うさぎ。
四肢を引き千切られた白うさぎ。
轢死したように目を背けたくなってしまう惨状の白うさぎ。
ふわふわ、と肉槐に申し訳程度に乗っかっている白い毛が汚く染められている。
こんな光景を、私は前にも見たことがある。
白うさぎの血で汚れた手で顔を覆いながら、私はやり場の無い気持ちに眉を寄せた。
そうか、イナバが作っていたのはこの子達のお墓だったのか。
私は惨たらしい白うさぎたちの死体をぼんやりと眺めた。
私の、私の大切な相棒だった白うさぎ。
「由宇お姉さん、どうしたんですか?」
「……イナバ?」
聞き慣れた声に虫唾が走る。
何食わぬ顔でひょこひょこと近づいてきた白いうさぎは、真っ赤な目と同じように口の周りを赤く汚していた。
鋭い牙を覗かせて愛くるしい顔で首を傾げ近づいてくる白いうさぎに、私は思わず口を動かす。
カタス、と。
発動しないのは分かっていたはずなのに、声を発すると同時に花に混ざって生える無数の影の手。
色とりどりの花に混ざって出現したカタスは周囲の花を見て浮かれているようだ。
回復魔法は効かなかったのに、カタスは発動したのは何故か。
そんな事を考えながら、驚きに目を見開く白いうさぎをただ見つめていた。
コレはこうやって、私のしろうさを食い殺し情報を得て成り代わっていたのだろう。
そして私を死亡ルートへと、もどきの元へと導いた。
チップを吐き出した私が周囲にいくつもの自分の死体を見た時よりも、衝撃が大きい。
「どうしたんですか? おねえさん? おねえさん?」
「あの時のあんな攻撃じゃ、死ななかったのね」
聞き慣れた声のはずなのに、耳障りで不快だ。
しぶといのも趣味が悪いのも主人に似てるのかな、と呟きながら焦ったような声を出しカタスに囲まれている白いうさぎに声をかける。
赤い目に、鋭い牙。
虫唾が走る声色に、神経を逆撫でするようなその表情。
私の相棒の綺麗で透き通った鮮やかな赤い瞳とは大違いで、安っぽいビー玉のような輝きしかしない目玉はどこまでも毒々しい。
そうか、そうだった。
私の相棒のしろうさは、本当は赤い瞳だった。
今ほどうるさくはないけれど、愛くるしくて私にとても従順で懐いていたあの子。
すぐに入れ替わったとも知らずに接していた私を、恨んでいるだろうか。
そんな事を考えながら、思った以上に優しい声が出た自分に驚いて笑ってしまう。
「カタス、好きにして」
「は? ちょっ、何言って!」
「もどきのペットなら、そのくらい抜け出してみたら?」
「……虫けら風情が」
愛くるしい表情が凶悪なものに変化しても何とも思わない。
ドスの効いた声で貶されても心は動かない。
今は一刻も早くその存在を消し去りたい。カタスは私の心が分かっているのか、白いうさぎの動きを封じると噛みつくうさぎを弄ぶようにした後、自分の世界へと吸収した。
まずい、と抗議するように近づいてきたカタスたちに大切な相棒たちをお願いする。
彼らは戸惑うような素振りを見せて、掌に開いた口から相棒を綺麗に食べてくれた。
「アレはもう消えた? そう、ありがとう」
あんなものを吸収しても食あたりをおこさないカタスは本当に凄い。
私の大切な相棒は、ちゃんと自らの口でそれぞれ取り込んでくれるというのも嬉しかった。
アレはカタスにとって消費される養分になるだけだ。
それに比べ、相棒たちは彼らの力となる。
「夢ならいいけど、夢じゃないんだろうな」
これを見つけたのがイナバで、一人であの数を埋めたのだとしたら一体どんな気持ちだったんだろう。
そう思っていると、ぶれた視界が次第に滲んでゆく。
揺らぐ体を意識して止めようとはせず、そのままゆっくりと目を閉じた。




