160 おやすみ
やる事がなくて暇だ。
まだ少し体がだるいので、眠ってばかりだけどさすがにそれも飽きてきた。
早く自由に体を動かしたいと思うが許可が出なかったので仕方がなくぼんやりして時間をつぶす。
「思った以上に安定していますね。本当に興味深いです」
「一発勝負で成功するとは、流石僕かな?」
「そんな風に言ってると、また大失敗しますよ」
微笑を浮かべてパソコンのディスプレイを見つめる榎本君に、教授が後ろからそれを覗いて満足そうに笑む。
表情を一切変えず、さらりと告げた榎本君の言葉に小さく目を見開いた教授は「あ、うん」と呟いて俯いた。
爽やかで笑顔が素敵と言われる榎本君だが、あの表情で鋭い針のように急所を突くかの如き発言をするんだから教授のダメージも大きいだろう。
それにしても、またというのが気になる。
「暇だ……」
私は彼らに「いい」と言われるまでこの円柱形の容器の中で大人しくしていればいいらしい。
そんな時間があるのか、とか体の形はしっかりしているし不具合も無さそうだから出られるだろうと言っても彼らは揃って首を横に振るだけ。
何がまだ不安定で、危ないのか私にはさっぱり分からない。
けれど、専門家と言ってもいい二人がそう判断しているのだから大人しくしているしかないだろう。
一眠りしようかとも思ったけれど、そんな気にはなれずイナバやくろうさに呼びかけてみるも反応は無い。
そう言えば、ここって現実?
それとも誰かの内世界?
「あの、ここってどこですか?」
「僕の研究室だよ」
「えっ、教授の!? そんな怪しげなものを持っているなんて……」
「大丈夫だよ。地下にあって周囲に被害が及ばないようにしっかり対策はしてあるから!」
そんな自慢げに言われても「わぁ流石ですね」なんて言えるわけがない。
でもきっと、教授はそういう反応を期待しているんだろうなと思いつつ私は曖昧な笑顔で頷いた。
ちゃんと周囲に迷惑がかからないように万全を期してるならそれでいいだろう。
もし何かがあってもその前に逃げればいいだけだから。
いや、この状況で一番逃げられないのって私だけだ。
そんな事にならないように祈ろう。
「学会とか、怪しげな団体とかに嗅ぎ回られてないですよね! 何かあったら逃げ遅れるの私だけじゃないですか!」
「あ、そっか」
「教授っ!」
「大丈夫だよ、羽藤さん。教授は真っ先に自分の保身を計算しながら逃げるだろうけど、僕はちゃんと君を連れて行くから」
やだ、癪だけど榎本君すごくイケメン。
胸キュンはしないけど、感動した。
こうなる前も私の事を守ってくれた彼なら、ここで何があっても私を置いて逃げるような事はしないだろう。
もし、彼まで逃げたら自力でこの容器をぶち破って逃げなくてはいけない。
中々頑丈だけど、頑張ればなんとかなるはず。
万が一、榎本君が私を置いていった時の場合を瞬時に考えてしまう私は、基本頼れるのは自分だけという考えが身に染みているようだ。
「榎本君……。話が合うから楽しくて嬉しいんだけど、そんなに親しくないのに僕に厳しいよね? どうしてなのかな? 僕、君に何かしたかい?」
「僕、何となく見えるんです。その人の、本質が」
「っ!」
「わざとらしく動揺したふりなんてしないでくださいよ。くだらない」
「あ、バレた?」
何だこの二人は。
他世界で一緒に研究していただけあって、榎本君が教授の扱い方を心得ているように見える。
例え世界が変わっても、その人となりが簡単に変わる事はないってことなんだろうか。。
それにしては、私と雫は随分と違ってしまった気がするけど。
いや、私もループなんて事がなければあんなふうに大人っぽくなってたのかもしれない。
本人を前にして言うつもりはないが、雫は私の理想だ。
「仲良しですね」
「僕は知ってるからね」
「ずるいよね榎本君はさ」
「教授は結婚なさってるんですから、あまり無理はできませんよ?」
「勿論だよ!」
あ、そう言えば教授は既婚者だった。
奥さんは教授のこんな一面も知ってるんだろうか。
ここが教授の家なら、奥さんもいるんじゃないかと心配になる。
地下って事は、奥さんはここの場所を知らないのかな。
「あぁ、妻は仕事で家にはいないから心配しなくてもいいよ」
「よくバレませんね」
「のほほんとしてるからね。それに簡単な研究室ならあるから、誤魔化しやすいんだよ」
書斎から色々な手順を踏んでここへ繋がる道が開けると説明してくれた教授は、ゲームみたいで楽しいだろうと目を輝かせた。
歳のわりには純粋な少年のような顔をして本当に楽しそうに見える。
ただ、今その興味が私の肉体再生というのが複雑な気持ちになる。
放っておいてもループするだけだから別に良かったのに、と呆れたように呟く私に教授と榎本君が顔を見合わせた。
別に変なことを言ったつもりはないけど、ループやリセットの事を知らなかったか。
榎本君は知ってるはずだけど。
「そう言ってられたら、楽なんだけどねぇ」
「ですねぇ」
「え? なに? 何なの!?」
二人だけで成り立つ会話をされても私はさっぱり分からない。
匂わすような態度を取るならちゃんと説明してくれと、ガンガンと内側から透明な壁を蹴る。
ゴポポと下から出ていた酸素らしき泡が音を立て、私の動きによって容器内に散らばった。
大きな水泡が細かくなっていく様子も気にせず抗議を続けていると、どこかの機械からピーという甲高い音が聞える。
「うわ、羽藤さん落ち着こう。ちゃんと話すから!」
「榎本君、濃度七十まで上げようか」
「それは濃過ぎませんか?」
「いや、この様子だと多分大丈夫だろう。それに鎮静剤も混ぜる」
「一番軽いのにしますね」
「そうしてくれ」
え、ちょっと抗議しただけで鎮静剤なんて大げさなんですけど。
目を見開きながらどこから薬が注入されるのかと険しい表情で見ていた私に、顔を上げた教授が穏やかに微笑んだ。
その笑顔が恐ろしい。
「心配いらないよ」
「その胡散臭い笑顔で安心しろなんて、無理なんですが」
「そうですよ教授。無理があります」
「化けて出てやる……」
全力で蹴れば壊れてしまいそうな透明な壁は、意外と頑丈で私の足の方が痛くなった。
それに、ガンガンと激しく蹴っていたら「見えるよ?」と榎本君に笑顔で言われたのでやめるしかない。
射殺すように睨みつければ、間髪入れずに教授が彼を叱ってくれる。
そうこうしている内に、薬が回ってきたのか少し気分が落ち着いた。
「うん。落ち着いてきたね。榎本君、あまり興奮させないように」
「分かりました、以後気をつけますね。興奮させる時は、ちゃんと時間と場所を選ぶように……」
「榎本君? 君、わざとやってるなら直接鎮静剤一番強い奴刺すよ?」
眼鏡を光らせながら穏やかな声のままそう告げた教授の表情は、残念ながら私からは見えなかった。
しかし、榎本君の反応を見るとそれは素晴らしいものだったんだろう。
榎本君は何事もなかったかのように机の上に置かれていた資料を見つめると、手にしたペンで何か書いていく。
くるりと振り向いて私と目が合った教授は、にっこりと笑みを浮かべた。
「心配しなくていいよ。君は大事な駒だから、亡くすような真似はしないよ」
「駒って、仮にも教え子にまたストレートに言いますね」
「大事な存在だから、とか最後の砦だから、とか大仰に言われるのは嫌いだろう? 嘘であれ、事実であれ」
「嫌いですね」
「はははは。じゃあ、問題ないね」
「無いですね」
結構酷い事を言われているというのに傷つく事は一切ない。
ここまではっきり言ってくれると気持ちがいいくらいだと思いながら、私は淡々と返す。
その様子を暫くじっと見つめていた教授は、何が面白いのか顔を逸らして「ふふふふ」と笑った。
そう言えば落下物から庇ってもらった時も教授は私を不思議そうな目で見ていたなと思い出す。
変わっているねと異性から言われる事はあまりないので、あの時はちょっとびっくりした。
「とりあえず今は、眠るといい。薬の効果で眠くなってきたはずだから」
「そう言われてみれば頭が重いです」
「眠いのに逆らっているからだよ。今は回復を第一に考えて、後は僕たちに任せてくれ」
「うん、それがいいよ」
そうは言われても、こんな悠長にしていていいのか、イナバやくろうさ、管理者たちはどうしているのかとか、神原君は未だ目覚めていないのかと気になる事ばかりで眠れない。
薬のせいで体は眠りたいのに、眠ったら駄目だと脳がそれを許さないそんな感じだ。
このまま彼らの言う通りにして寝てしまえたらどんなに幸せか、と思う反面次に起きたらどうなっているんだろうという不安が恐怖を呼ぶ。
また変なことになっていそうで嫌だな。
「そうだね。よく眠れるかどうかは分からないけど、君が気にかかっているだろうイナバ君たちの話でもしようか?」
「えっ!」
難しい顔をしている私を見て、教授は苦笑するとそう尋ねてくる。
教授の口からイナバの名前が出るとは思っていなかったので、びっくりしてしまった。
「そう驚かなくてもいいだろう? 大体の状況は把握しているんだ。あとの詳しい事は榎本君から聞いたよ」
「ここまで来て教授に何も説明しないわけにはいかないからね」
いいの?
思わずそう口にして榎本君へ視線を移した私に、ちょっと顔を上げた彼が苦笑して軽く肩を竦めた。
カリカリと赤いペンで何か書いているが、ここからでは何なのか分からない。
専門的な事なんだろうなとぼんやり思いながら、近づいてきた教授を見下ろす。
「イナバ君とくろうさ君の二羽は、管理者によって場所を移動したよ。あの場所が敵にバレて襲撃を受けたらしくてね」
「ええっ!」
「なに、心配はいらないさ。その前に察知した管理者がきちんと保護したんだから。二羽は管理者と共にいるよ」
そうか、それなら良かった。
イナバも心配しているだろうけど、くろうさも何だかんだ言って心配してくれてるんだろう。
例え世界の為に必要な手駒の一つとしてしか見られてなかったとしても、心配しているのが演技だとしても嬉しい。
くろうさに対してはイナバと色違いのうさぎだから、ちょっと甘くなってしまうのかもしれない。
という事は、自分が思っている以上に私はイナバを信用しているという事か。
結局頼るのはイナバなんだからしょうがないか、と苦笑する。
「イナバちゃんから僕たちに連絡があってね。無事を聞いてホッとしていたよ。羽藤さんの事は、悔しいけど今は僕たちに任せるってさ。可愛い子だよね」
「そう。神原君は?」
「未だ眠ったままだね。もしかして、お姫様の口付けを待っているのかな? あの王子様は」
王子様、ねぇ。
受身タイプの王子様だと思いきや、意外と積極的で男らしい彼がお姫様を待っている図を想像すると笑えてしまった。
神原君には悪いけど、中々似合うかもしれない。
とすると、お姫様は華ちゃんか。
「華ちゃんたちは?」
「何かあったら危ないから、神原君の内世界に避難してるよ。あそこは守りが一番堅いからね」
「現実世界にある肉体の事も心配する事は無いよ。管理者の保護下に入っているから」
それはレディというよりも魔王様の担当かな。
そんな事ができるなら最初からそうして欲しかったとぼやきながら私は大きく欠伸をする。
目を擦って落ちてくる瞼と戦っていれば、困ったような顔をした教授がゆっくりと近づいて容器に手を触れた。
他世界での父親がこの人かなんて思いながら私がぼんやりと見ていると、教授は穏やかな声で優しい表情をしながらゆっくりと告げる。
「おやすみ」




