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選択肢が拗ねました  作者: esora
本編
160/206

159 早い目覚め

 おひさまのいい匂い。

 柔らかく私を包み込む温かな何か。

 これは水かな? 

 ぬるま湯の中を漂うような感覚に身を委ねながらゆっくりと目を開く。


「……」


 うん。よし、寝よう。

 ばっちり目が合った人物に違和感を抱いて私は逃げるように目を閉じた。

 コンコンコン、とうるさい音に体が揺れる。

 くぐもった声が聞こえて、何を言っているのか分かったが返事をするのが嫌で無視した。

 悪い夢ばかり見てどれが現実なのか分からなくなりそうだ。

 私は一体いつになったら、この悪夢から目覚めることができるんだろうか。

 夢の中で夢を見て。

 またその夢の中で夢を見る。

 終わりの無い悪夢と心地の良い夢の繰り返しに感覚が麻痺して、私は今一体どこにいるんだろうと分からなくなってしまう。

 そもそも、羽藤由宇という存在は本当にいるんだろうか。

 私は本当に羽藤由宇なのか?

 勝手にそう思い込んでいただけで、羽藤由宇という人物は他にいるんじゃないか。

 だとしたら私は誰だろう。


「聞えますかー?」


 聞えません。

 聞えているけど聞えません。

 反応したら駄目だと思って表情も変えず私は眠り続けた。

 でも耳から入る情報が気になってチラリと薄目になってみる。幸い、さっき目を開けた時に体勢を変え、今は頭を下げて俯いたような格好をしているので誰かと目が合うこともなかった。

 私を見つめて話しかけていた人物は、私があまりにも無視を決め込んだので諦めたのか近くにいる気配はしない。

 それよりも、薄目で見えたのが私の裸足ってどういう事だろう。しかもなんか、水色の液体に浸かってるような気がするんですけどホルマリン漬け?

 いやいや、ホルマリンにこんな色つくはずがない。じゃあ、何だこれは。


「起きてるかい? 起きてるね。残念だけど、データ取ってるから君が起きてるのは分かっているんだ」

「……性格悪いです」

「ごめんごめん。これも君のためだから、ね?」

「それ、魔法の言葉ですね」


 私のため。

 そう言えば納得すると思っているのか。

 不満を滲ませた声に話しかけてきた人物は苦笑して「困ったなぁ」と呟いた。

 困っているのは私だ。

 病院服のようなものを身に纏っているのは分かるが、どうも体にフィットし過ぎて恥ずかしい。

 これは本当に、真っ裸でいるよりも恥ずかしい気がする。

 いや、真っ裸なのもそれはそれで嫌だ。でも、体のラインが出そうなピチピチした服着せらるのは罰ゲームのだろう。


「実験動物とか、SFやゲームとかで見るような実験体の気持ちが凄く良く分かります。拘束されて自由を奪われて色んなデータを取られて研究される。不快ですね」

「しょうがないんだって、羽藤さん。あぁ、榎本君どうしよう凄く綺麗な笑顔だよ」

「それはかなり怒ってる証拠ですね。おはよ、羽藤さん」

「チッ」


 ヨレヨレの白衣を着た亀島教授が私の機嫌取りに失敗してうろたえている。

 助けを求めた相手はにこやかな笑顔を浮かべて私に挨拶をしてきたので、思わず顔を歪めて舌打ちをしてしまった。

 そんな私の姿に教授は「ヒッ」と小さく声を上げる。

 動揺なんてしてないくせに、と軽く睨めばコホンと咳払いをして顔を逸らされた。


「気分はどう?」

「どう見える?」

「意識ははっきりしてるみたいだね。うん、良好良好」

「何がどうなってこんな事になってるのか、説明して欲しいんですけど」


 何が良好良好だ。

 こっちは気分悪いっていうのに。

 榎本君も白衣なんて羽織って研究者気取りですか?

 あ、中身は研究者だからおかしくないのか。

 だとしたらもしかしてこの教授も、あっちの世界の人物って可能性もある。

 いや、そうなると教授は雫のお父さんていうことになるけど。


「ソレ、中身こっちの?」

「駄目だよ羽藤さん。今まで知らない振りしながら僕たちの動向を注意深く観察して、漁夫の利を狙おうとしていた教授は確かに不快を感じて仕方ないとは思うけど、でも一応こうやって助けてくれたんだから」

「え、榎本君それは……」


 知らない振りして動向探ってた? 監視してた?

 漁夫の利って何?

 苦労して敵を倒したところで、疲労困憊の私達をあっさり屠って世界を我が手にとかそういう系?

 何、私敵に助けられたの?

 最悪なんですけど!

 ガンガンと内側から入っている容器を蹴る。


「あああ、波形が乱れてる。怒りで振り切れそうだよ、ちょっと榎本君!」

「何ですか?」

「いや、君も笑顔じゃなくて……羽藤さん落ち着いて。ね? 落ち着いて」

「そう言われて落ち着けたら誰も苦労はしませんよ。教授」


 きょうじゅ、とゆっくりと紡いだ言葉に満面の笑みを付け加える。

 八つ当たりに目の前の透明な壁を蹴り続ければ、意外といい音がした。

 円柱形の透明な容器の中に入っている私は、頭、両手両足、胴体それぞれの箇所についているテープとコードを見て引き千切ってしまおうかと首を傾げる。


「あ、駄目だよそれは君の生命維持も兼ねてるんだからね! 今中途半端にしてしまうと、戻れなくなるよ」

「戻れはしますよね? 確実に間に合わないですけど」

「そうなんだよ、榎本君。 羽藤さんには僕の大事なパンドラ鉱石から抽出した液体を惜しげもなく使ってるんだから!」

「あ、それが本音ですか」

「いやいやいや、違うって! 大事な教え子を見殺しにできるわけないだろう?」


 教授、普通はそっちが先に出ますよね。

 本音も建前も出ちゃってますけど、お気づきですか?

 冷めた気分でやりとりをする二人を眺めながら私は大きく欠伸をした。

 そう言えば、液体の中に浸かっているというのに呼吸が苦しくない。

 欠伸をしても口の中に水が入り込んで苦しむという事がなくて首を傾げた。

 どこかで感じた事のあるような少し懐かしい淡い青緑色の液体。

 適度な浮遊感のお陰で直立していても疲れない。


「それで、黒焦げになってたはずの私がどうしてこうなってるんです?」

「黒焦げになった君を回収しただろう? あれを再構築している最中なんだよ」

「再構築?」

「まぁ、あきらかに倫理的に問題があるし、バレたら首が飛ぶくらいじゃすまないような事かな」

「クローンじゃなくて?」


 袋にかき集められた消し炭を思い出した私は嫌な顔をしながら尋ねる。

 近くにあるパソコンや機械が吐き出す波形が記された紙を見ていた榎本君が、私の言葉に笑う。

 教授はコホンと咳をして私を見上げながらゆっくりと話し始めた。

 他世界の存在は前から知っていたこと。

 遺跡から発掘されたパンドラ鉱石を個人的に解析している内に、それを使って自由自在に世界や時を駆け抜ける存在がいたという事。

 それらは学会でも知られているが、混乱を避けるため公表はされてはいないらしい。

 秘密裏に特別な機関での調査も進んでいるとの事だが、教授はあえてそこには行かず教壇に立つ道を選んだと言った。


「どうしてですか? 研究好きなんじゃないんですか?」

「いや、僕は協調性に欠けてね。マイペース過ぎるし、頑固なところもあるから和を乱しやすいんだよ」

「教授からお願いして大学に呼んでもらったって言えばいいじゃないですか」

「へーそうなんですか」

「榎本君!」

「下手に隠すと、後が怖いですよ?」


 教授がぼそりと「君も充分怖いよ」と眉を下げながら呟いている様子を見て、私は思わず笑ってしまった。

 頼りなく情けないのは演技かと思ったが実際、そんな感じらしい。

 用意周到に自分の就職先を無事見つけた教授は、学会に目をつけられぬように細心の注意を払いながら個人的に研究を進めていたという事だ。


「そのわりには、私がすぐに気付くような場所に色々ヒントありましたね」

「えっと、それは……」

「羽藤さんの反応を窺う為に、わざとそうしたんですよね」

「へぇ」

「ちょ、榎本君っ!」


 そうか。

 私が助手として何故目をつけられたのかずっと疑問だったけれど、そういう事ならば納得がいく。

 イナバが読み終わった論文も、随分胡散臭い内容だったけどまさか事実だったとは。

 あきらかに怪しげなものだけにそんな訳が無いって笑っていたんだけど。

 今思うと自分の置かれている現状が充分あり得ないんだから、否定する理由には弱いのよね。

 寧ろ積極的にそういう事もあるのかって考えていれば、少しは(ルート)も変わったのかな?


「僕にも色々事情っていうものがね、あるんだよ! 言えない事だってあるんだよ! オジサンだからって思慮ある頼りがいある大人だとは限らないんだよっ!!」

「キレた?」

「だね。みっともないなぁ、教授」


 煽っていくのは榎本君だけのような気がするけど、教授がここまで感情を露にした姿を見るのは初めてだ。

 雫の世界では彼女の養父になって、娘思いのいい父親なんだよなぁと思っていたがそれも引っかかる。

 もしかして、雫の世界の教授はこうなる事を知っていて母さんと?

 いや、流石にそれは無いな。

 父さんは完全なる事故死らしいし、そこに教授は全く関わっていないだろうから。

 それに、向こうの父さんが死んだのは雫が二、三歳の頃だったはずだもの。

 すぐに教授と出会って再婚になるならまだしも、教授と母さんが出会って交際し始めたのが雫が中学に入る時だからブランクがあり過ぎる。

 中学卒業、高校入学で再婚したらしいけどもう既に父親として雫は懐いていたって言うからな。

 幼い頃に父親を亡くしていればそんなものかな。

 普通は祖父がいるなら祖父が父親代わりになりそうなものだけど。あ、あと叔父さん。

 私にとっての父親代わりは一応、叔父さんだったのかな。

 叔父さんは叔父さんなんだけど兄のようでもあり、父のようでもあるし、友達のように思える時もある。

 そう考えてみると不思議な存在だ。

 お陰で私はバイトをさせてもらっているし、そのお金でゲームを買ったり遊びに出かけたりゲームを買ったりできるわけだけど。


「私達を助けたのは、教授の計画上も困るからですか?」

「そう……だね」

「落ち込まないで下さいよ。自分で言ってるようなものじゃないですか」


 私や榎本君が落ち込むならまだしも、どうして教授が落ち込む。

 策士で腹黒いんだか、見た目だけで実際は打たれ弱いのか良く分からない人だ。

 教授、申し訳無さそうな顔して私を見つめても、何も出ませんよ?

 許しの言葉が欲しいのかと困って榎本君へ視線をやると、彼はそれに気づいて無言で首を左右に振った。

 眉間に皺を刻む私に彼は笑って、再びディスプレイを見つめる。


「そうですね。どんな方法で私を蘇らせてくださった? のかは分かりませんが、ありがとうございます」

「良かったら、詳しく聞くかい? パンドラ鉱石から抽出される液体は君も良く知っている通り……」

「いえ、結構です。聞いても判りませんので」


 頭痛がする前に眠くなりそうな専門用語ばかり飛び交ってもどうしようもない。

 私が丁重にお断りすると教授はとても残念そうな表情で「惜しいな、実に惜しいなぁ」と呟いていた。

 会話ができる榎本君と専門的なことを話していた方が楽しいんじゃないかと思うんだけど。

 そう思いながら私は小さく欠伸をした。




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