157 ダウト
おかしいな。
そう思ったのと、これはヤバいと思ったのはほぼ同時。
頭では不思議に思っているのに、体が拒絶反応を示している。
この変な体感に複雑な表情をしながら周囲を見回した。
隠れるような物、場所がない。
またこれか。
「……マジか」
イナバもくろうさもいない。
何回も何回も本当に懲りないもんだと頭を抱えて溜息をつく。
この状況は初めてじゃないから、慌てず深呼吸をしよう。
そうして深呼吸を繰り返して自分を落ち着かせる。
「よいしょっと。ふう」
「ぎゃああ!」
「酷いなぁ、僕だよ僕」
「ボクボク詐欺?」
どこから何が来るのかと警戒していれば、背後から声をかけられた。
飛び退いてすぐに振り返り防御体勢をとった。
声の主は想像通り榎本君だったが、もどきが化けているのかもしれない。
警戒を緩めぬ私に、にこにこと笑っていた彼は首を傾げて自身を見た。
「……」
「あ……はははは。ごめんごめん」
「動かないで」
「えーと、とりあえず言い訳だけ聞いて?」
返り血と思われる汚れが全身に広がっていた彼は、慌ててその汚れを消すと近づいてくる。
本物かどうか分からない。
私は近づかれた分だけ退きながら、彼の様子を注意深く観察した。
「ここに来る途中で、四つ足クリーチャーと出会ったから片付けてきたんだ」
「……胡散臭い」
「もう、僕は僕なりに心配してここまで助けに来たのに」
化け物と戦ってきたからなんて言われても、そうだったのかなんて信用できない。
どうする?
「待ち合わせ場所には、うさちゃんしかいないからびっくりしたよ。あの子達も心配してたよ?」
「……じゃあどうして、榎本君だけ来れたの?」
「それは……僕と君を繋ぐ赤い糸をたどっ」
ダウト!
思わず口に出てしまった突っ込みの言動に、シンとした空気が流れる。
まるで私が滑ったかのようだが、意表を突くのは成功したらしい。
ポカンとした榎本君の表情を見て私は武器になりそうなものを想像した。
「へぇ、なるほどね。こういう空間なら大丈夫ってわけか」
「……本当に榎本君?」
「そうだって最初から言ってるのになぁ。本当に僕って信用ないんだね」
いや、まだ本当に本人なのかは分からない。でもここままだと先に進めない。
もどきではなさそうだけど、彼女の手下ということもあり得る。
考え過ぎなのは分かっているけど、ここでさっくりやれるわけにはいかないからしょうがない。
そうだ、こんな所で倒れていられない。
とにかく早く本来の待ち合わせ場所まで移動しなければ。
待ち合わせ場所がここからどう行けばいいのか分からないけど、歩きながらイナバを呼んでれば見つけてくれるはずだ。
たぶん。
それにはまず、目の前の存在の隙をついて逃げる必要があった。
「良かったぁ。榎本君がいてくれるなら私も心強いわ。格好いいし、強いものね」
「ダウトッ!!」
胸の前で両手を組み合わせながら上目遣いを意識して彼を見つめる。媚び過ぎない程度の甘い声色でそう告げれば最後まで言い終わらないうちに人差し指を突きつけられた。
気持ちの良い大声で叫ぶ言葉は、さっき私がうっかり発してしまったものと同じ。
カッと目を見開いて後ずさった榎本君は、嫌悪感を露にさせて私を見つめる。
いや、睨まれてるのか。
「ははは、なるほど、なるほどね。そうやって油断したところをって事か。そりゃ騙されるよねぇ」
「何を言ってるの?」
「部外者ながら、ここまで辿り着けた僕は事実厄介な存在でしかないだろうからね。良く分かるよ」
「榎本君?」
「それにしても本当に良く似せたものだね。感心するよ。賞賛にすら値する」
最後にいくにつれ、彼の声が低いものになった。
もしかして榎本君ですら私を本物かどうか見分けることは難しいという事か。
その人の性格や癖、どこまでの情報を知っているかなど分かっていないと判別すらできない。
現に私のあんな態度一つで警戒してしまった彼の反応が何よりの証拠だ。
魂が違いますから、とかオーラが違いますなんていう展開にはやっぱりならないかと思いつつ、私は小さく息を吐いた。
疑心暗鬼に陥らせての同士討ち。
方法としては自ら手を汚さずに済む上に、味方同士の生臭い殺し合いが好きな人にとっては涎が出るような光景だろう。
もどきもその部類に入るのかと嫌なことを思い出して、私は周囲を見回した。
少なくとも、もどきの気配はしない。
「ここ、どこなのか分かる?」
「羽藤さんはね、そんなわざとらし過ぎる言動なんてしな……え? えっ?」
「【隔離領域】って事は分かるんだけど。待ち合わせ場所は内世界を繋ぐ広場だったじゃない? だから内世界かなとも思ったんだけど、この感覚は【隔離領域】に似てる気がして」
くろうさに頼んで集合場所となる広場を作ってもらい、二羽のうさぎのエスコートで私はそこへ行く予定だった。
一人では心もとないと思っていたら、榎本君が是非にと同行を求めてくる。
私達が広場に着いた後でくろうさが彼を迎えにいくはずだったのに、広場にすら辿り着けずこれとは先が思いやられる。
「四足クリーチャーって、顔が二つあるやつ? 私の内世界で大暴れしたようなやつかな」
「うん……そうだね。それだよ」
「そっか。という事は、その時も見てたんだ」
「もちろん見てたよ」
「少しは反省しようか?」
イナバに一方的にやられながら、消滅する事無く逃げていった化け物の事を思い出して私の気分は重くなる。
あまり親しくないとは言え、知っている人物がああなってしまうのは気持ち悪い。
少なからず私と面識があるからという理由で、粘土をこねるような感覚で彼女はアレを作り上げたのだろう。
きっと、その事を尋ねれば嬉しそうに、自慢げに教えてくれるに違いない。
「あれだけ返り血が酷いってことは、消滅した?」
「うん。手加減してる場合じゃなかったからね」
「そっか」
イナバは元となっている人物が誰なのか分かっていたからある程度手加減していたのだろう。
恐らく、私の気持ちを慮って。
流石に私も鬼畜のように「いいからやっちゃえ!」なんて叫べない。
倒してくれとは思ったが、それは一時退却してまたすぐに復活するだろうと思ってのことだ。
と、自分に言い訳をする。
「何か言ってた?」
「胴体真っ二つにしたら、分裂しちゃってさ。酷い悲鳴だったよ」
「修羅場?」
「みたいなものなのかな。しきりに『ヒロインは私』だとか呟いて迫ってくるから怖いじゃん?」
そんな事を聞かれても困る。
多分、私が相手をしていたら遠藤さんだったものはそんな事を言わなかったような気もする。
そうだ。敵対した相手が榎本君だったから、執念深く追いかけて認めて欲しかったのかもしれない。
恋に落ちるヒロインは私よね、とか。
考えすぎだろうか。
「受け入れてあげれば良かったのに。包容力あるでしょ?」
「ないよ! あっても僕にだって選ぶ権利はあるよ!」
そうか。
榎本君なら笑顔で受け入れてあげそうだと思ったんだけど。
嫌だよと声を荒げ抗議をするあたり、本当に嫌なんだろう。
「それにしても、良くここまで来られたね」
「ほらー、さっきも言ったように……」
「あの化け物を一人で倒してしまえるだけの力もあるし」
どうやって倒したのかと聞けば榎本君はもったいぶる事無く、その手に槍を出現させた。ゲームに出てくるような物をイメージして作ったと説明してくれたそれを器用に扱い得意気な顔をされる。
邪魔にならない程度の飾りが施されており、切っ先は鋭く尖っているが何の金属なのか分からない。
こういう空間ではそんな事は野暮だと告げる彼は、片目を瞑って持っていた槍を消失させた。
どうやら私や神原君と同じように出し入れ自由らしい。
私よりも扱いに長けているようなのがちょっと悔しい。
「研究者だからもっと、機械的なものなのかと思ってたわ」
「それは偏見だよ」
「でも、剣じゃないのね」
「リーチ長いし、いざとなれば飛び道具にもなるから便利だよ。斬るより刺すだからちょっと難しいけどね」
そのわりに、その難しい道具で化け物の胴体を綺麗に切ったんじゃないんですかね。
はははは、と笑う榎本君を見ながら私は溜息をついて歩を進めた。
イナバやくろうさとも連絡が取れず、敵らしい姿も罠も今のところ無い。
暢気に私達がここで会話をしているのが不思議だ。そんな暇すらないくらいに攻撃されてもおかしくないのに。
神が封印されている領域とはまた違う場所なんだろうか、と首を傾げつつ適当に歩く。
「敵がドーンと出てきたり、仕掛けられた罠が次々に発動とかあってもいいのにね」
「そうだね。もどきちゃんが高笑いしながら現れてもいいのにね」
何もないならそれが一番なのに、お決まりだと思われるパターンでそのお決まり事項がないと不安になる。
これはパターンにすら入ってないのかと変な不安を抱えながら、私はいつ敵襲があってもいいように警戒して周囲を見回した。
白、白、白。
見渡す限りの白で何の目印も変なものも無い。
何度もこういう場所に来たお陰で慣れたのが救いだろうか。
「どうせこういう場所にいるなら、神原君迎えに行ければいいのに」
「彼の内世界には入れないんだっけ?」
「ううん。入れるよ。ただ、本人がいないだけで」
志保ちゃんは未だに神原君の内世界にある一室で眠り続けている。
マスターである神原君がいなくても、さよみちゃんは毎日のようにピアノを弾きに来ている様だし、華ちゃんも訪れていると言っていた。
今ではギンの許可を貰って、華ちゃんが神原君の代わりに時折訪れる他のヒロインたちに食べ物や飲み物を提供しているらしい。
ギンも本当に可愛い子には甘いんだから。
まぁ、じっとしていられない華ちゃんにとってもちょうどいいのかもしれない。
「桜井さんって、神原君好きなんだ?」
「うーん。恐らく? そういうのはデリケートだからあんまり深く聞けないじゃない」
「そうだね。でも、お似合いだねぇ」
「私もそう思う。理想のカップルだけど、二人にはゲーム設定の強制力みたいなのが働いてないといいなって思うのよね」
もし惹かれ合っている背景にそんな目に見えぬ力の存在があるとしたら。
神原君は賢いから自分がゲームの主人公である神原直人という人物に縛られている事を気付いているだろう。
ゲームからは離れ、それなりに独自の生き方をしようとしているにも関わらずやはり抗えない事は何度もあるらしいので。
華ちゃんは自分がまさかゲームの登場人物なんて知るわけがないので、強制力に流されても自分で思ったと勘違いしているに違いない。
ただでさえ心配事が多いというのに、貴方はゲームの登場人物なんですよと言えば倒れてしまそうだ。
そして頭がおかしい奴だと私が嫌われかねない。
もどきや敵側としたらつけ込みやすいだろうから、早くそうなって欲しいと願っていそうだ。
メインヒロインであり、神原君が何度も好きになって何度も死なせてしまったのは神側も知っているはず。
だから、守れているという華ちゃんを自分たち側に引きずり込み暗示をかけ洗脳させれば神原君の心が折れるだろう。
その隙に体を乗っ取ってしまえばいい、と私なら考える。
「自然発生か、強制か。難しいところだね。強制だとしても当人がそう思っていなかったら自然なんだろうし」
「そういう事。まぁ、神原君は落ち着くまでは誰ともフラグ立てないって頑張ってるんだけどね」
「それは損した生き方だねぇ」
損していると彼は思うだろうか。
私と同じように記憶を保持したままループしてばかりで、自分に関わるヒロインたちを死なせないようにと奮闘していた彼だ。
よく考えたら、ゲームの強制力が働いているかもしれないと思った時点でヒロインを恋愛対象に入れることは無いかもしれない。
それはそれで寂しいなと思いながら、他人事なのに変に期待してしまう私に苦笑した。
いつまでたっても、プレイヤー気分が抜けない。
駄目だなぁ。




