156 ヒロイン
緊張した面持ちでカッブに入ったカフェラテを見つめている華ちゃん。
なつみを介して彼女と連絡を取った私は、セントラルタワー近くの喫茶店でお茶をしていた。
華ちゃんと知り合いだったことを知ったなつみは随分驚いていたなぁと私は紅茶を飲む。
確かに、大学生で高校にはなつみ関係じゃなければ滅多に行かない。
神原君のみならず、華ちゃんとまで知り合いなのは変だと思われて当然か。
まぁ、神原君関係での知り合いって言ったら変に納得されたけど。
神原君と華ちゃんって、やっぱり……?
もしそれが事実なら、お祝いしたいけど育んでる途中なら知らん顔してないとな。
外野が勝手に盛り上がって突っ走ると、ろくなことにならない。
うん。気を付けよう。微笑ましく見守って、神原君からの報告を待つことにしよう。
楽しみだなぁ。
「あ、あの!」
「ん? あぁ、ごめん。ちょっとぼんやりしちゃった」
笑ってそう誤魔化すと、華ちゃんも少し笑顔を見せてくれる。
神原君は未だ目覚めず、学校にも行っていない。
姿が見えないのを不審に思った華ちゃんが、先生に神原君の事を聞くもその人物が誰かもさえ分からないという返事をされてびっくりしたようだ。
なつみに神原君の話をしても覚えていたのは、私の影響もあるかもしれない。
神原君の事を知っているけど、彼が学校に来ないのを不思議に思わない。そんな風に操作されているんだろう。
害がないなら別にいいけど、と思ってしまう私はすっかり染まっているんだろう。この歪な世界と管理者側に。
「体調はどう?」
「あ、大丈夫です。少しだるかったですけど、今は普通に……」
「そっか。それは良かった」
裏世界の事をぼんやりと覚えていた華ちゃん。
そのはっきりしない夢のような出来事だけを頼りに、こうして私に接触してきたんだから大したものだと思う。
私なら、何か変だと思っても放置するだろう。
巻き込まれる時は、どう足掻いたって巻き込まれるのだ。
わざわざこっちから首を突っ込む馬鹿な真似はしないだろう。
「知らん振りしてても良かったのに」
「そんな事できません!」
「美しい正義感は、時に身を滅ぼすよ?」
「ごめんなさい。性格なんです。滅びたら自業自得だと思います」
あらびっくり。
ちょっと脅そうかなと思って言ったのに、逆に火をつけてしまったような気もする。
自分で言っておいてなんだけど、消火できるだろうか。
思ったよりも意志が強い光を放つ瞳で、私を真っ直ぐに見つめる華ちゃんは眩しく輝いている。
これが若さとヒロイン補正というやつか、と一人変な事を思いながら私は小さく笑った。
「若いのに、滅びたら~とか言ったら駄目よ? 覚悟があるのはいいけど、ね」
「分かってます。私、お役に立てることが何も無くて、それがもどかしいんです」
「知らない振りして忘れることも出来ない、か」
「はい。触れない方がいいのかなとは思うんですけど、神原君には今まで数え切れなくらい助けてもらってるので少しでも力になれたら……そう思って」
自分では力になれないと知っていながらも尚、何かないかと探している。
神原君と華ちゃんがどこまで親しいのかは分からないが、助けられた事を恩義に感じているにしてもこれ以上は危険だ。
そう説明したところで、大人しく引いてくれるような性格には見えないけれど。
「あの、どうかしましたか?」
「え、いや。ううん」
真剣な話をしているのに、どうやら私が笑っているのが不思議だったらしい。嫌な思いをさせてしまったかと慌てながら謝ると、華ちゃんは首を傾げてから気にしていないと告げた。
風が吹けば簡単に吹き飛ばされて、折れそうな華奢な子だと思っていた。
ゲーム内の桜井華子という人物の事もそう思っていた。
優しく、おっとりとしていて大和撫子と言うにぴったりな黒髪ロングの美人さん。
性格は意外としっかりしていて、芯の強さも魅力だったが目の前にいる彼女はそんな私が知っている華ちゃんよりも少々勝気の様だ。
勝気というより、頑固だろうか。
「まっすぐでいいなと思って。あ、馬鹿にしてるわけじゃないからね?」
「はい。分かってます。先程も言いましたけど、多分これが私の性分なんです。損だとは自分でも思いますけど、どうにもできなくて」
「そっか」
私や神原君が危険な事に巻き込まれているのは大体分かっているらしい。詳しくは聞いてこないが、彷徨う視線や開きかけて閉じた口元を見れば逡巡しているのが分かった。
聞きたいけど聞けない。
関わりたいけど、自分ができることを思うとそれもできない。
そんな所だろうか。
「桜井さんて……」
「あ、あの、呼びやすいように呼んでいただいて大丈夫です」
「え? そう?」
何度かうっかり彼女の事を「華ちゃん」と呼んでしまっているだけに、私としては嬉しい。
いくら裏世界で会ったとは言え、あれは夢の中のようなもの。現実では接点など無いし、話したこともない全くの初対面だ。
そんな女にいきなり名前で呼ばれてびっくりしただろうな、と反省していたがその彼女とこうしてお茶をする事になるとは想像もしていなかった。
これが楽しいお茶会だったら良かったのに、と思いながら私は華ちゃんにお礼を言った。
「気持ちは嬉しいけど、なるべく関わらないのをお勧めするな。神原君も心配するだろうし」
「そう、ですよね」
「そんな顔しないで。華ちゃんにしか協力できない事もあるんだから」
「え、私にしか……できない事ですか?」
俯いて肩を落とした華ちゃんに私がそう言えば、勢い良く顔が上げられる。
テーブルの上で手を組み替えていた彼女に見つめられて、私はちょっと気恥ずかしくなった。
いや、そんな風に照れてる場合じゃないのは分かってるんだけど。
だけどやっぱり、可愛い。
なつみが一番可愛いのは何があっても揺るがないけど、それがちょっと揺るぎそうなくらい可愛い。
華ちゃんがこんなに可愛いのはゲームをしていた頃から分かっていたけど、ここまでとは。
これは神原君も必死になるの分かる。
「あのう、羽藤さん?」
「あぁ、私も名前でいいわよ。なつみもいるから、混乱するでしょう?」
「ええと、じゃあ由宇さん……と」
照れた顔も仕草も可愛い。
恥ずかしそうに俯いちゃう姿も可愛かったので、私は目に焼き付けておこうと思った。
愛ちゃんに加えて華ちゃんとも仲良くなれたのは嬉しい。
殺伐とした世の中の、荒んでいる私の心の癒しだ。
そしてちょっとだけ、神原君が羨ましくなった。
主人公という立場を考えれば、間違っても代わりたくないけど。
「その、それで私でもお役に立てる事とはなんでしょう?」
「夢の話なんだけれどね」
「夢……あの、私が良く見ている家族の夢ですか?」
「うん。どんな夢を見てきたか、教えて欲しいの」
神原君から聞いた話によると、華ちゃんが彼の内世界に志保ちゃんを負ぶっていきなり現われた時も家族の夢を見ていたのだと言う。
私が見た時は、血みどろのもどきに追いかけられている光景だったけれど。
できればその事も詳しく聞きたいが、最初からその話をしてしまうと恐怖心に染まって他の話も聞けなくなるかもしれない。
なので、最初にある程度今まで華ちゃんが見てきたという家族の話を聞いてから、様子を窺ってその時の事も聞こうと思っていた。
「場所とかはいつも違ったり、偶に同じだったりするんですけど……」
「頻繁に見るの? 毎日?」
「最初は一週間に一回だったのが、三回くらいに増えて、一時期は毎日の時もありました」
「毎日」
「夢なので起きてしまえば忘れてしまうし、夢を見て『あ、これ昨日も見た』とか『この前の続きだ』とか思うんです」
忘れないようにと今ではその夢を見た時は、目覚めてすぐノートに書き込むようにしているらしい。
それを見せてくれないかと頼めば彼女は恥ずかしそうに「汚い字で意味不明ですけど」と言って、了承してくれた。
なつみに渡してくれてもいいからと言うと、直接会って渡したいと言われる。
早々に会う約束が出来て、私は神原君に自慢したい気持ちになった。
そんな事自慢されても困るのは分かってるけど。
「登場人物は毎回固定なのよね?」
「そうですね。両親らしい大人の男女と、小さな女の子です。どこにでもあるような、ありふれた家族の光景なんですけど……」
「何かの手がかりになるかもしれないから協力してくれると助かるわ。これから先、夢を見る事があっても危ない事はしちゃ駄目よ?」
「えっ」
「気持ちは分かるけど、貴方に何かあったら私も神原君も自分を責めてしまうでしょうし」
ずるい大人だ。
欲しい情報を聞き出すために協力させておいて、それ以上は関わるなと目に見えない壁を作る。
それも、彼女の為だともっともらしい言葉を並べて。
間違いではないが、自分勝手だなと心の中で苦笑してしまった。
軽く目を伏せて、静かに告げた私の様子に華ちゃんは笑顔を浮かべて大きく頷く。
「はい。約束します。無理に介入したり、何か探ろうとはしません。今まで通りで……で、いいんですよね?」
「ごめんね、もどかしい思いばかりさせちゃって」
「いえ。少しでもお役に立てるだけで嬉しいです。本当に、何も出来ないと思っていたので」
「そんな事無いよ。華ちゃんは、そこにいてくれるだけでとっても癒されるもの」
本当になつみも、愛ちゃんも華ちゃんも私に癒しを与えてくれる貴重な存在だ。
ここに神原君がいたら、きっと力強く頷いてくれる事だろう。
「夢を見ていて、嫌な感じがしたりとかは無いの?」
「ええと……あったり、なかったりです」
「そっか」
「ちょっと、夢関連で怖い思いをした時もあって」
それはきっともどきに追いかけられた時の事だろう。偶々私が居合わせたから良かったものの、そうじゃなかったら華ちゃんは志保ちゃんと一緒に向こう側に囚われたかもしれない。
私って、意外と使えるタイミングで役に立っているんだなぁと思いながら、チラチラと私の顔を見てくる華ちゃんに首を傾げた。
ここは知らない振りをしておこう。
「ん? どうかした?」
「あ、いえ。その時に助けてくれた人が、由宇さんに似ていたので」
「えー私に? 夢とは言え、お役に立てたなら何よりだわ」
「そんな。本当にどうにもならないって思ってたので、助かりました。って言ってもおかしいですよね」
自分で言っていておかしいと思ったのだろう。
最後の言葉は消え入るように小さくなり、空になったカップを持ち上げては下ろす。
そんな華ちゃんに私は気にしていないと首を左右に振って、微笑んだ。
本当はあの時私はあそこにいて、貴方を助けたのも私なんだよと言いたいが言ってしまえば華ちゃんの危険が増すかもしれない。
さり気なくカバンに手を入れて、メールの着信が無いかどうか調べる振りをしながらスマホの画面を見れば『その方がよろしいかと』とくろうさが吹き出しで言っていた。
無線のイヤホンをつけているので、華ちゃんとの会話はもちろん私の思考も共有している。
声で伝えてこないのは漏れ聞える可能性があるからか。
「いいよいいよ。夢だもの」
「そう、ですね。そう言ってくださると、私も安心します」
「神原君はそのうち元気に学校行くと思うから、そんなに心配しないで待ってあげて?」
「はい。分かりました」
実際はどうなるか分からない。けれど、気休め程度の慰めくらいにはなるだろう。
現に華ちゃんは少し安心した表情で頷いてくれた。
店員を呼んで飲み物を頼む華ちゃんを見ていると、イヤホンからイナバの声が聞こえてくる。
「本来なら、由宇お姉さんのポジションは桜井さんだったのかもしれませんね」
ぽつり、と呟かれた言葉に私も小さく頷いて私は店員にココアを頼んだ。




