148 アプローチスルー
目を覚まして、そこに彼がいなかったら。
あぁ、やっぱりなと思うだけで怒りはしないような気がする。
全ては私の妄想の産物だったのかと思うだけだろうなと、目を覚ました私は欠伸をした。
「おや、お目覚めかな?」
「……まだいた」
「失礼だね。ここは僕の内世界なんだけど覚えてる?」
「うん……いや、夢かと思った」
例え夢や幻だとしても、あぁそっか程度で済んでいたような気がする。
仕方ないね、で自分を納得させるのも慣れた。
だから、起きてもそこにいた彼に驚いたのは事実。
それを悟られたくなくて誤魔化すように目を擦った私に彼は苦笑する。
「現実で感激してるのかな? そんなに僕の事思ってくれてたなんて嬉しいなぁ」
「分かってるとは思うけど、酷い勘違いね」
「そうでもないよ?」
いや、そうですよ榎本君。
面白がって遊んでいるだけなのは分かってるけど、こっちは疲れる。
「お茶でも飲む? コーヒーより紅茶が好きだよね」
「……」
「あはは、何でって顔してるね。そりゃデートして君の事良く見てれば分かるよ」
「私に近づいたのは観察する為?」
「まぁそれもあるかな」
面白そうだと思ったから、と彼は素直に告げて椅子から立ち上がる。
広い室内には簡易キッチンもあるらしく、戸棚からカップを取り出した彼を見ながら私はゆっくりと体を起こした。
眩暈はまだするし、高熱に浮かされたかのようにぼんやりとした感覚があるが、さっきよりはマシだ。
心配そうにこちらを見て「無理しないで寝てなよ」と言う彼に、私は眉を寄せた。
「意地張るのもいいけどさ、体は大事だよ。あ、心か」
「……別に意地なんて」
「そういう所が可愛いんだけどね」
「くっ」
腹が立つ。
同い年のはずなのに、どうしてこうも余裕綽々としていられるのか。
子供扱いされているみたいで苛立つのと同時に、図星なので何も言えなくなる。
鋭く刺すのではなく柔らかい物言いだからこそ尚更だ。
あー、腹が立つ、腹が立つ。
思った以上に、ここにいるのが居心地がいいのも腹が立つ。
それを素直に言えば、喜ぶだろうから決して言わない。
どうせ彼の事だからそれすらも見透かしていそうだけど。
「ここは?」
「僕の内世界だよ」
「貴方は?」
「榎本稔。聡の兄で、他世界から来たよ」
淀みなくさらっと答える彼は、ニコニコとしたまま私を見つめた。
なんだか悔しい。
「え、他世界?」
「他世界のことは知ってると思うけど、説明が必要かな?」
知らないふりをしようと首を傾げたけれど、榎本くんはそれがわざとだと気づいたらしい。
気づいてるはずなのに、とぼけた様子で返してくる彼は間違いなく私の知っている榎本稔だ。
「君が知ってる他世界だけじゃないから、色々複雑だけどね」
「……他世界から来たなら、最初から榎本稔になる存在はいなかったってこと?」
「うーん。タイミングかな」
神原君が、神原直人になる前は違う人物だった。
前世の記憶が嘘でないなら、その人は元々の世界に生きてたはず。
歪められ、継ぎ接ぎになった世界には彼の前世に当たる人物はいないんだろう。
いたとしたら、中身は誰? と考えが止まらない。
確か世界が継ぎ接ぎになる際に、歪みによる影響でゲーム内の登場人物と一体化。体や環境は登場人物のものに、中身はリセットされて生き直す。
リセットが稀に中途半端になってしまった人は、二つの記憶に混乱することになる。
それに振り回されて発狂してしまったのが、新井君の母親だけど彼女の場合はそれだけじゃない。
ティアドロップを持っていたからこそ酷く狂ってしまったのかもしれない。
神原君や私のように上手く融和できる場合もあるなら良かった。
「こっちに飛ばされたのが、ちょうど再構成して今の世界になる時でね。気がついたら若返っててびっくりしたよ」
「……気持ち悪くないの?」
イケメンだよねぇ、と呟く彼に私は苦笑いを浮かべた。
そんな暢気でいられる理由が分からない。
いきなり他世界に飛ばされ、自分が自分じゃなくなっていたなんて恐怖だろう。
びっくりした、だけで済むような問題じゃない。
「気持ち悪い? どうして?」
「いや、どうしてって……」
「生きてるだけでも奇跡なのに、それを上回るような体験ばかりしているんだよ? 興奮しても、気持ち悪いとは思わないね。イケメンだし」
キラリと白い歯をのぞかせて微笑む彼に、私の顔が歪む。
榎本君はやっぱり普通じゃない。
正確に言えば、榎本兄の中に入っている他世界から来た誰かだけど。
「ごめんごめん。僕は研究者なんだ。信じられないかもしれないけど……ってもしかして聞いてたりする?」
「他世界の私から、実験中に研究者が数人消えたとかは聞いたけどまさか」
「あ、それ。その中の一人が僕だよ」
世間は本当に狭い。
まさか、榎本君の中に入ってる他世界から来た人が雫の言っていた消えた研究者だったとは。
可能性は低いとくろうさが言っていたのに、彼はここにいる。
雫とくろうさに知らせてあげたいと思いながら溜息をついていると榎本君が苦笑した。
「はい、どうぞ」
トレイに乗せて持って来たのは白磁のティーポッドと淡い青色で薔薇が描かれているカップが二組。
私がいるベッドの近くにはいつの間にかテーブルがあって、彼はその上にトレイを乗せると私の視線に気づいてにこりと笑んだ。
「管理者たちは?」
「接触はないから知らないと思うけど、気づいてて見逃されてるだけかもしれないね」
「それで、貴方は一体どこまで知ってるの?」
「ある程度の事は。なんと、僕は人の内世界を覗き見る事ができる悪趣味な能力を持っていてね」
うわぁ、凄く悪趣味です。
自覚して自分で言うからそれが和らぐというものではない。
私も思わず、気持ち悪いと声に出して言ってしまったほどだ。
起きている時に会話すれば丁寧語なのに、彼のとは言え内世界にいて私は安心しているんだろうか。
それともただ単に気が緩んでいるのか面倒なのか。自分でも良く分からない。
「よくそれで放置されてるわね。あとで管理者に言っておくわ」
「うん。僕もそう思う。でも、どの程度ならOKなのかは大体分かっているから大丈夫だと思うよ」
「ん?」
「これ以上やりすぎると、警告きて管理者に気付かれるなーって。何となく分かるんだ。だから、そのギリギリのラインで楽しむわけ」
あ、この人駄目だ。
このまま放置してたら何するか分からないから、早急に管理者に連絡しないと。
しかし、内世界の主に気づかれず覗き見ができるなんて。
いつも見ていたという彼の発言がとても怖い。
見ているだけで介入はできないと言っているが、本当かどうか分からなかった。
「羽藤さん……目が怖いんだけど、僕を売る気?」
「売りはしませんよ。ただ、その首にお洒落なチョーカーを……」
「それって首輪だよね。やだなぁ、酷いよ」
「私なんてもう飼いならされてるようなもんなのに、貴方だけ好き勝手するのはずるいと思います」
ご主人様たる管理者たちの為に、外にあるという権限を取りに行こうとしているところとかね。
敵である神側に寝返ったところでメリットもないと考えれば、管理者たちに大人しく飼われていた方が得だ。
悲願のループ脱却も彼らに協力した方が実現できそうだし。
神側が勝ったら結局またループの世界になるから、嫌だ。
記憶が上手く消されるならちょっと悩むけど、その前に私の存在が消されそうだ。
「うん……まぁ、君を助けた時から覚悟はしていたけど。一緒なら、それも悪くないかな」
「あ、美味しい」
「無視……はぁ。お茶の入れ方は本で学んだだけだけど、むこうにいた時から好きだったからね。披露する相手はほとんどいなかったのが寂しかったかな」
「榎本君になる前は、そんな冴えなかったの?」
それだけ口が達者なら、清潔さに気をつけさえすればそれなりに好感触を得られそうなものなのに。
ふわり、と香る紅茶に気持ちが落ち着くのを感じながら私は不思議に思って首を傾げた。
榎本君は一瞬驚いたように目を見開くと、視線を逸らして苦笑する。
「冴えない、かな。これほど美形じゃなかったけど、フツメンてところだと思うよ。それなりに恋人だっていたからね」
「へー」
「でも、やっぱり僕は研究者の性を捨てられなくてさ。恋人よりも研究や自分が興味のある事が優先になってしまうんだよね」
「逆に言えば貴方にとって恋人はその程度の存在だったって事?」
いくら研究にかまけていたとしても、それを上回るような相手が現われるかもしれない。
それでもいいと、穏やかに待ってくれる人がいたかもしれない。
全て想像でしかないけれど、何となく榎本君が恋人に対してあまり興味が無いように思えた。
好きだと言われたから、断る理由も特に無いので付き合う。そんな感じを受ける。
「厳しい事言うね……」
「いや、ごめんなさい。楽しくて、優しそうに見えるその見かけに騙される人が多そうだなと思って」
「……そう見える?」
「うん。今の榎本君もそうだけど、誰にでも優しいし穏やかじゃない? 何しても許してくれそうとか、勘違いしちゃう子もいそうだなあと」
近づきやすいイケメンだったら、女の子に取り囲まれているんだろうなと思う。
見るたびに女の子の顔ぶれが変わっていて、女の子たちの中でもランクがつけられていそうだ。
榎本君に近ければ近いほどランクは高くなるというような。
「君が引っかからないのは、看破してるからなのかな」
「何、私の事騙すつもりだったの?」
「いや、騙すとかそういうつもりは……うん、少しだけ」
「素直だけどよろしくない」
見た目は兄弟揃って眩い美形だというのに、中身はこれか。
友達ですら、観察対象でしかないと思っていそうだなと軽蔑した眼差しを送れば、榎本君は困ったように笑みを浮かべた。
笑って誤魔化そうなんて私には通用しない。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。現に君は僕のアプローチを歯牙にもかけなかったじゃないか」
「えっ、アプローチって何が?」
「……これだよ」
溜息をつかれても困る。
もしかして、執拗に私に話しかけてきたこと?
一緒にカフェ巡りさせられた時も、アプローチだったんだろうか。
連れ回されただけとしか思ってなかったけど。
「ごめんね。モモと一緒にいると、そういうの鈍くなるんだよね。で、メリットは何? 管理者に関する情報?」
「……そういう時の勘はいいよね」
「ちなみに榎本君は、記憶保持したまま?」
「あぁ、ループしてるよ。最初は楽しかったけど、さすがに飽きるね」
私と神原君の他に、記憶保持したままループしているのに発狂しない人がここにもいた。
中身は他世界から来た存在だけに、その辺りが影響したのか。
彼自身からも興味深いデータが取れそうだ。
「世界に害を加える気が無ければ管理者も、敵さんも僕は放置するだろう。何となく気付いていたとしてもスルルーするだろうね。優先順位は下位だ」
「でも、念の為監視だけでもしていた方がいいと思うものじゃない?」
「普通はね。でもそうじゃないという事は、僕が何をしようがどうでもいいって判断なんだろうね」
危険人物のように見えるのに、どうでもいい?
管理者たちがそう判断してるなら私がそれ以上何か言うことは無いけれど、悔しそうな表情をした榎本君が不思議だ。
監視対象から外されるなら、喜ばしいことだろうに。
やっぱり彼は何を考えているのかさっぱり分からない。




