147 複雑な心境
目が覚めて映った天井は、病院のものではなくてホッとした。
この感覚はもしかしてループか、と思っていただけに安堵する。
ここまで来てループなんてしたらどれでけ自分を責めても足りない。
「……」
ここはどこか。
病院じゃないのは確かだが、自分の部屋でもない。
内世界とも思ったけれど、私のじゃないだろう。だとしたら、神原君のだろうか。
それとも、さっき接触した華ちゃんなのか、志保ちゃんなのか。
そんな事を考えながらぼんやりとしていれば、誰かの気配を感じた。
「おはよう。お目覚めはいかがかな?」
うん、どうやらまだここは夢の中みたいだ。
それなら寝てしまおう。
こんなの悪夢でしかない。
声をかけてきた人物を無視した私は、大きく頷いて目を閉じた。
さあ素敵な夢を見るんだ。
「まだ、寝ぼけてるのかな?」
黙ってほしい。私は寝るんです。
穏やかで幸せな夢を。
「それとも……王子様のキスを待っているのかな? 」
動揺するな、寝るんだ私。
眠い眠い眠い。私はとっても眠くなる!
これは悪夢だから、あれはすぐ消える。
でも怖いから、寝返り打つふりして背中向けておこう。
「やれやれ。仕方のないお姫様だ」
私の内世界に戻って、番人と雫に自慢する。
あ、くろうさの名前も決めなきゃいけないんだっけ?
名前、名前。何がいいかな。
候補はあるけど安直すぎて却下されるような気がするから、ちゃんと考えないと。
「そんなに強情だと、無理矢理奪ってしまうよ?」
どうしよう、いい名前が思い浮かばない。
イナバは簡単に名前をつけられたのにな。
くろうさ、くろうさ。
うさくろ、いやそれは駄目か。
「……それ以上近づいたら、本気で殴る」
「おっと、僕はただ心配しているだけなのに酷いな」
抑揚なく早い口調でそう告げれば、間近まで迫っていた彼は両手をあげて降参の意を示す。
まるでこんな私の反応も分かってましたと言わんばかりの表情が憎らしい。
どれだけ睨んでも凄んでも彼は苦笑したまま、本気で怖がっているようには思えなかった。
自分で言うのもなんだけど、恐ろしい顔つきをしている自信はあるのに。
「助けてあげた恩人に酷い仕打ちだよね。ちょっとはありがたく思って欲しいんだけど」
「……助けた?」
「あらら、自分の状況分かってないんだ?」
助けられるような事になった覚えはない。
よりによって何で彼に借りを作るような真似をするものか。
これもくだらないただの夢だろう。
「ここって、どこだと思う?」
「私の想像の世界。夢」
「大体、見当はついてるのにそういう事言うの?」
「……貴方の内世界?」
「ピンポーン。大正解」
正解なんてしたくなかった。
何がどうなって彼の内世界にお邪魔する事になったのか。
それが本当ならばとっとと出て行ってしまえばいい、と私は上体を起こそうとして吐き気に襲われた。
強い眩暈にバランスを失い、驚いた彼に支えられて再びベッドに横になる。
何だこれは、情けない。
ぐるぐると回る世界に必死に言葉を紡ごうとするのに、声はまともな言葉にはならなかった。
「あぁ、ほら無理しちゃって。別にすぐに出てけなんて言わないんだから、少し大人しくしてればいいのに」
「ふーっ、ふー」
「はいはい。よしよし」
息を吐きながら抗議しようとする私の体を優しく叩いて、彼は苦笑する。
まるで私がこうなる事は分かっていたかのような対処に眩暈と頭痛が酷くなったような気がした。
気持ちが悪い。
「無防備な状態で、あれだけダメージ食らったんだから大人しくしてなきゃダメだよ?」
「ダメージ?」
「……記憶の混濁も見られるか。失ってないだけいいのかもしれないけど」
ダメージを与えられたような事があっただろうか。
そもそも変な場所にいたはずの私がどうして彼の、榎本君の内世界にいるんだろう。
華ちゃんや志保ちゃんの内世界ならまだしも、何で榎本君?
しかも一番解せないのは、榎本君が全て分かってるかのような顔してるところだ。
そんな事はあり得ないから私の想像、幻の存在だと思ってたのにどうやら本物みたいで気分が悪くなる。
「しょうがないね。説明しようか?」
「うん」
「どこまでなら覚えてるかな?」
どこまで?
そう、私はどうしてあの場所にいた?
それすら上手く思い出せないけれど、頑張って思い出す。
はっきりと覚えている記憶はどこからどの場面までだろう。
自分の内世界にいて、ゴタゴタあって、神原君と情報をやり取りするために彼の内世界にお邪魔した。
うん、それはしっかり覚えている。
一通り話し終わって自分の内世界に帰って……帰って……帰った?
いや、帰れたっけ?
帰る途中で何か……うん。何かあった?
「そうだね。帰る途中からだね、問題は」
「こんなにダメージ受けるような事?」
「覚えてないか。もどき、の攻撃にあって随分遠くまで流されてしまったんだよ」
もどきの攻撃?
もどきに会った覚えはないんだけど。
榎本君が嘘を言っているようにも思えなくて、私は眉を寄せながら必死に記憶を手繰る。
そもそも何で彼がもどきの存在を知っているんだろう。
それに、攻撃を受けるも何もあの場所でもどきは私に接触できないはずだ。
「もどき?」
「本人じゃなくて、あれは遠藤さんかな。今では見事なクリーチャーになってるけど」
「えっ! 遠藤クリーチャー!?」
「覚えてない?」
覚えてない。
生理的に嫌悪すら感じる化け物の襲撃にあって、私はここまで飛ばされたのか。
そもそもあの場所から何で榎本君の内世界なんだろう。
全く覚えていないから、さっぱり分からない。
「そっか。完全に油断していたみたいだね」
「油断って……」
「じゃなきゃ、君がそう簡単にやられるはずがない。違う?」
確かに、ここまで酷いことにはなっていなかったかもしれない。
変な化け物と出会った記憶がなくて変な感じがするが、彼が嘘をつくメリットがないので事実なんだろう。
それにしても、どうして私は油断したのか。
思い出そうとするけど、頭が痛くなるので分からない。
「でも、どうして私は死ななかったんだろう。そもそも、偶然とは言えここまで飛ばされるもの?」
「その一、管理者の保護を得ている状態だったので消滅せず飛ばされた。その二、君が持っている二つの力が君を護る為に力を発揮した。その三、僕のお陰。さて、どーれだ」
「……貴方の事だから、全部ってところ?」
「わぁ、嬉しいね。僕のことをそんなに分かってくれるなんて」
いや、別に分かりたいわけじゃない。
何となくそういう傾向だろうって思っただけだ。
にこにこと嬉しそうに微笑む榎本君はベッドに寝ている私を見つめながら、小さく拍手をした。
その態度も腹が立つが、寝心地の良いベッドなので我慢する。
「あー。とりあえず、どうもありがとうございました」
「いえいえ」
「何で油断したのか思い出せないのが腹立つわ」
「焦らないほうがいいよ。君はこうして助かったわけなんだから」
そう言われても、モヤモヤが消えない。
番人に聞けば分かるだろうかと溜息をつくと、床に座っている榎本君は楽しそうな表情を浮かべている。
眉間を軽く指で揉んで、室内を見回せば思ったよりも広いことに気がついた。
シンプルだが居心地の良い部屋に彼のセンスの良さを感じる。
「結構センスいいでしょ?」
「自分で言うと残念すぎるんですけど」
「ふふふふ」
褒めたわけじゃないのに、どうしてそんなに嬉しそうに笑うのか分からない。
そもそも、どうやって榎本君が私を助けたのか気になる。
偶然彼の内世界に飛ばされたとかなんだろうか?
「私は榎本君の内世界に飛ばされてきたの?」
「いいや」
「じゃあ、どうやって私を助けたの?」
「君の事はいつも見ていたから、敵の攻撃で倒れたところを連れ帰ってきただけだよ」
さらり、と嫌な事を言われたような気がする。
ずきずきと痛む頭を押さえながら、悪い夢だと言い聞かせて目を閉じると「ごめんごめん」という彼の声が聞こえてきた。
「貴方、本当に私が知ってる榎本君?」
「本人にそれ聞くんだ?」
そういう事は胸に秘めるものじゃないのかと苦笑する榎本君に、私はここまできて秘めたところで何の得もないと答えた。
色気のない私の言葉に彼は笑いを噛み殺しながら私を見つめる。
「どう思う?」
「頭にくるけど、まごうことなき本物」
「本当にそうかな?」
「惑わせようとしても無駄よ。上手く説明できないけど、肌で分かるもの」
感覚的にとでも言うべきだろうか。
どこがどう違うとか、同じだとか具体的に説明できないのがもどかしい。
けれど、それだけでも彼には充分伝わるだろうと思った。
「僕たち、肌を重ねるのはまだだと思ってたんだけど。君の想像の中ではもうとっくにそういう仲なのかな?」
「気持ち悪いからやめて。冗談だろうと、やめて」
「ふぅ。この程度の冗談も笑って流せないようじゃ、これから先が思いやられるよ」
「貴方の発言で顔を赤らめて黄色い声を上げるようなタイプじゃないことくらい、よくご存知でしょう?」
ダメだ、冷静にならなきゃいけないのは分かってるのについカッとなってしまう。
軽く歯軋りをしながら目に力を込め、口調が乱暴にならぬようにと気をつけるだけでこれだ。
まともに相手をするだけで疲れるのは分かっていたのに、すっかり彼のペースに巻き込まれているのが腹立たしい。
「そうだね、良く知ってるよ。君は僕のお気に入りだからね」
「やめて。本気でやめて。寒気が止まらない上に吐く。貴方の目の前だろうが何だろうが、今なら軽く吐ける」
「……それはちょっとやめて欲しいな。お水飲んで少し落ち着くといいよ」
誰のせいで気分が悪くなっていると思っているんでしょうね、この人は。
本当に気分が悪いならしょうがないけど、とさり気なく私の背中に手を回して擦る榎本君にムッとする。
思ったよりもいやらしい手つきじゃないのでちょっとイラッとしてしまった。
自分でも良く分からない感情にイライラしつつ、少しだけ体を起こしてグラスに注がれた水を飲む。
「時間はたっぷりあるから、少し眠るといい。心配しなくても、何もしないから」
「……時間がたっぷりあるってどうして?」
「内世界にいる間の時間は、通常僕たちが起きて生活する時間よりも感覚がゆったりしてるでしょ。ここは僕の内世界だからそのくらいの調節ならどうとでもなるし」
「ああ、そう言えばそんな事もあったような」
「はいはい。心配しなくとも、起きたらちゃんと疑問に答えるから。おやすみ」
逃げられる心配は不思議としていなかった。
それは彼を信用しているからだろうかと思うが、何となく複雑な感情になって変な顔になってしまう。
優しく撫でられる手に抵抗は無く、彼の言葉に従うのが一番だと素直に思う。
不快を抱かせることのない、優しく穏やかな声に宥められながら私はゆっくりと目を閉じた。




