143 消えた研究者
「そう言えば、もしも雫が言ってた消えた研究者たちが、こっちの世界に来ててもどきたちと接触してたとしたらどうなるんだろう」
「えっ……」
「あぁ、そう言えば。詳細は私じゃ分からないけど、この世界に来るというのは確率的に低いと思うんだけど」
ふと、気になったことを口にする。
目を見開いて驚くイナバに、雫は首を傾げながらそう告げた。
雫がこちらに来る手段も試験段階のものだったのを思い出して、無事に辿り着くのも怪しいかと思う。
最悪、発生したエネルギーに巻き込まれて消滅する場合だってあるだろう。
詳しくは私も分からないけど。
「雫さんの言う通り、確率は低いと思います」
「くろうさ……」
「この世界は管理者たちに守られていますから」
「そのわりに雫の侵入は見逃してるみたいだけど」
「まぁ、例外はあります。敵意がないなら基本スルーしてしまいますから」
世界は管理者に守られ、好き勝手しようとしていた神は封印されてるから安心だ。
そう思えればいいけれど、色々内情を知っていくと不安でしかない。
雫や雫の父親が何度もこちらの世界に来ていることといい、大量の歪みが世界中に存在しているのを知っただけでも心配になる。
レディと魔王様が本調子であれば、その程度瞬きする間に片付けてしまうようなことなのかもしれないけど。
「あら、くろうさちゃんまだ怒ってるのね」
「当然です。歪みが多いせいで仕事が増えて迷惑ですから」
「それを修正するのが管理者の仕事なんだからしょうがないわよ」
もみもみ、と頬を揉まれながら不機嫌な表情で雫を見つめるくろうさ。
そのまま唾でもかけそうだと心配したが、そんな事はなかった。
うふふ、と笑う雫は引き攣った笑いを浮かべる私を見て目を細める。
「とにかく、消えた研究者は気にしなくてもいいって事よね?」
「そうですね。万が一、もどきや神と接触していたとしても大したことじゃありません」
「本当に? 危なくないの?」
「敵として出てきたとしても、雑魚ですね」
はっきり言い切った。
フンと鼻を鳴らしたくろうさに、私は小さく口を開けて素早く瞬きをする。
自信過剰ですね、と呟きかけたイナバの口を手で塞いで黙らせると軽く噛まれた。
「そっか。気にしなくていいならそれでいいわ」
「何かあってもこちらで処理しますから、ご心配なく」
「しょ、処理……」
どう処理されるんだろうかと怯える番人の顔が言っている。
私もくろうさの発言にビクッと肩を揺らしてしまった。
くろうさの声は淡々としているだけに、処理する際も淡々としていそうで怖い。
それがくろうさの仕事なんだから当然だけど。
「はい。しろうさと違って私はさくさくと処理しますので、安心してください」
「イナバですっ!」
「雫と雫のお父さんは処理されなくて良かったね」
「本当よね」
まるで他人事のように頷く雫は相変わらず余裕だ。
最初はその態度にイラついたが、今では逆に落ち着いてしまう。
番人は相変わらず畳の上でゴロゴロと寝転がっており、たまにイナバやくろうさと目が合うと手招きをしていた。
二羽のどちらにも拒否されてしまうが。
「神が、この世界を捨てて他の世界に移るという可能性はないの?」
「その可能性も低いでしょうね」
「ここで管理者とぶつかって疲弊するだけなら、他へ移った方が手っ取り早いと思うんだけど」
封印されている現状とは言え、その力は未だ健在で油断は出来ない。
高校での一件と、もどきを仕留め損ねた時に現れた白い影のような存在を思い出す。
器を探すにしても見切りをつけて他の世界で、いい肉体を探せばいいだろうなんて酷いことを思った。
「心がないから、同じ事を繰り返してるだけっていうのは本当みたいね」
「レディが嘘をついたとでも?」
「何を信じられるか分からない状況で、鵜呑みにするのは危険だわ」
自分の主人を疑ったのかと鋭いくろうさの言葉に、雫がフォローしてくれる。
レディは自分達が封じた神は死んだも同然だと言っていた。
心が壊れ、機械的に世界をループさせている神の目的。
それは思う通りの世界が欲しい。
「心がないっていうのも難しい言葉よね。何をもって、心がないというのか」
「そうね。その辺りはデリケートな事でしょうから、管理者達もそう簡単に口を割らないと思うわよ」
「まぁ……うん。聞いたところで何ができるってわけでもなさそうだからいいんだけど」
くろうさが黙っているところを見れば、喋る気はないという事だろう。
神と戦うのは私の役目じゃないので知らなくてもいいか、とその事は考えないようにした。
神の話になると管理者達はみんな暗い顔をするような気がする。
完全勝利とはいかず、痛み分けで世界がこんな風になってしまったのを悔やんでいるんだろうか。
だからと言って、封印している神を消すこともできない。
消せるならわざわざ封印なんてしていないだろう。
「もどきに目の敵にされてるから。もどきが来ると、神も引っ張ってきそうでさ」
「ああ、そうですね。もどきは神の子ですし、由宇さんの肉体は神も狙っていますからね」
「うん。神に接触される前に、管理者に何とかして欲しいんですけど」
「それはこちらも当然理解していますが……。どうしようもない場合もありますので、ご了承くださいとしか言えません」
白い影は相手にしたら駄目だ、と本能が告げてきた。
魔王様がいなかったら神原君と一緒にあの場で終っていたかもしれない。
その時は、本当の終わりでもうループもなく世界がリセットすることもないかもしれないけど。
そう考えると色々なサポートはあるものの、紙一重でよく生きているなと感心してしまった。
非常に危険な綱渡りだ。
「強制介入とかは?」
「一応あるとは思いますが、どれだけ抵抗できるのかは私にも分かりません」
「そうよね。由宇や神原君を放って世界の維持に力を注いだところで、リセットされればまたやり直しだものね」
「次に管理者と神がぶつかるような場合、それすらあるかどうか分かりませんよ」
この世界さえ、なくなっているかもしれません。
静かに呟いてくろうさの言葉が室内に響く。
そんなに切羽詰った状態なのかと今更ながら危機感を覚える私に、イナバも目を細めくろうさを見つめた。
ぴくぴく、と長い耳を動かしくろうさの表情を探るようにしている。
「ま、まーた、やだなぁ。くろうさちゃんたら、脅しちゃうんだから」
「脅しではありません。可能性の話です」
「その可能性だって、低いんでしょう?」
「いえ、高いですね」
努めて明るい声でくろうさに話しかけた番人は、淡々とした返事を聞いてこちらに背を向けてしまった。
声をかければ、何も考えたくないと返される。
せめて希望を持たせるように嘘でも低いと言って欲しかった。
ここで嘘をつかないのはくろうさらしいなと思うけれど。
「だから、外の権限を少しでも早く入手する必要があるのね」
「そうなりますね」
「今まで敵の手に渡らなかっただけマシなのかしら」
「封印されてるとはいえ、油断はできません」
それはそうだけど。
外の権限を手に入れることが今のところ重要なポイントなのは分かる。
けれど、どこをどうやって探せばいいのか良く分からない。
イナバに頼んで色々情報収集をしてもだ。
「せめてもっと具体的にどんなものか分かればいいんだけど」
「神と戦った時に消失してのよね?」
「そうです。具体的に分かれば、こちらも苦労しません」
「えー、くろうさに溜息つかれる理由が分からないんだけど」
せっかく頑張って協力しようという気でいるのに、なぜそのやる気を削ぐような反応をするのか。
私が不満を口にすると、くろうさは驚いたように目をパチパチさせた。
イナバは理解していないくろうさを見て、プッと笑う。
「本当にくろうさは、人の心が分からないんですねぇ」
「……何が言いたいのですか?」
「いいえ。やはり、由宇お姉さんの相棒はわたししかいないなぁと」
別にくろうさは私の相棒になりたいわけじゃないだろう。
イナバは自分の位置が脅かされるとでも思っていたのか。
「あのね、くろうさちゃん。由宇はね、貴方の発言が逆ギレのように感じたのよね」
「ぎゃくぎれ……」
「だって、具体的に分かれば苦労しないって貴方達が言ったら駄目でしょ?」
「……」
「つまり、管理者達が由宇にかけてる期待も大きいってことね」
そうなんだろうか。
使い捨てにされているような気がしてならないんだけど。
でも、期待されていると言われると嬉しいような、プレッシャーで逃げ出したいような。
「それは、失礼しました。実際、現実世界で自由に動けるのは由宇さんや神原君くらいしかいないので、頼りすぎていたのかもしれませんね」
「いや、いいんだけど」
「ふふふ。可愛いわね、くろうさちゃん」
雫に前足を持たれて動かされるくろうさは、抵抗する事もなく半目でイナバを睨んでいる。
そんな視線を受け流して、イナバは楽しそうに鼻を鳴らした。




