140 白い手
大きな白い手にぽいっと放り投げられて尻餅をついた私は、頭上にある白い手を睨みつける。
闇の裂き手の色違いのようだなと思いながら、私は術を紡ぎその白い手にぶつけようとした。
「うわー、使えない」
しかし、魔術が使えない。
これは予想外だと怒っていると、ちょんちょんと白い手が私の肩を叩く。
傷つけないように力加減をしてくれているあたり、親切なのかなんなのか。
放り投げられた勢いで私の腕から転げ落ちたうさぎは、足元で心配そうに見上げていた。
「何?」
白い手は指を動かしたりして何かを必死に伝えようとしているが、さっぱり分からない。
腕を組んで首を傾げる私がずっと唸ったままなので、諦めたように動きを止めた。
何をしたいのか分からないと眉を寄せて周囲を見回す。
視界一面の真っ白い世界。
「また?」
どこかの領域に引きずり込まれたのか、と警戒して白い手から距離を取れば慌てたように白い手が近づいてくる。
私を捕まえて何をしようというのか、と必死に逃げ回るが白い手は追い掛け回すのをやめてくれない。
ここが領域なら思ったことが具現化でいるんじゃないかと試してみたが、できなかった。
という事は、領域じゃないのか。
「はぁ、はぁ。あーしつこい!」
たまに先回りされるのでそれを避け、掴もうとする手から必死に逃れるがどこまで行っても景色は変わらない。
隠れるような場所も無ければ出口もない状況で、私の体力が尽きるのは時間の問題だった。
夢の中のクセに私が不利になるとは酷いものだ。
足がもつれて転ぶ。
頭から白い床に突っ込んだ私は、そのまま動かず荒い呼吸を整えていた。
真上に大きな影が落ちたが、もう気にしていられない。
「なんなのよ。もう、本当になんなのよ」
私が何をした!
そう叫びたいけどそんな声も出ない。
ぴょこぴょこ、と近づいてきた白いうさぎが私の顔を覗き込むように見つめ、ふわふわした頭を近づける。
嬉しいけどくすぐったい。
「うぐぐぐ」
白い手が上から服を引っ張ってくるので、私は必死に床に張り付いた。
幼い子供のようにみっともなくじたばたと暴れ、抵抗する。
その様子に呆れたのか、白い手が服を摘んでいた指を離したような気がした。
じっと白いうさぎの赤い目と見つめ合いながら、早く目を覚ましたいと呟く。
すると、頭を上から押さえつけられた。
「うぐっ」
私の呻き声を聞いて押さえつけていたものがなくなる。
ちらり、と窺うように白い手の指が私の顔の前まで伸びてきた。
どうやら頭を押さえつけていたのはコレらしい。
本当に何がしたいんだ、と睨みつければ指が引っ込んで再び頭に乗せられた。
今度は先ほどとは違い力を加減している。
撫でられている?
「……」
いきなり引っ張ってこんな所に放り込んだと思ったら、追い掛け回して頭を撫でる。
なんの意味があるんだろうと思いながら、指が離れたので体を起こした。
その場で胡坐をかいて少し離れたところで指を動かす白い手を見つめる。
胡坐をかいた中央には白いうさぎがすっぽりと収まる。
白い手をよく見ていて気づいたのは、手は左手で薬指に指輪をはめていることだ。
ほっそりとした手は女性のもののように思える。
性別を聞いても喋れないので無理だけど。
「あ、そうだ。私の言ってることが分かるなら親指を上に。分からないなら親指を下にしてくれる?」
つまり、“はい”なら親指を上、“いいえ”なら親指を下にというやり取りなら何とか会話はできるはず。
言葉が通じていればの話だけど、と思っていると白い手は少し戸惑いながら親指を上にした。
私も同じように親指を上にして笑みを浮かべる。
よし、上手くいきそう。
「貴方は女性ですか?」
親指が上を向く。
予想していた通り、女の人なのか。
そう言っても、ただの手に性別なんてあるのか知らないけど。
「結婚してるの?」
これも親指は上だ。
指輪をしてるから当然か。
あと、何を聞こうかなと悩んでいると白い手が静かに近づいて、私の顔を撫でた。
加減してくれてはいるが、大きいのでちょっと怖い。
「私の事、知ってるの?」
その問いに白い手は興奮した様子で何度も親指を上にする。
しかし、私には覚えがない。
誰かと間違えているんじゃないかと聞いたが、それはないと親指を下に向けられた。
これだけ大きな白い手なら、忘れられるはずがないだろうけど記憶にない。
番人に聞けば分かるだろうかと思っていれば、ズゥンと床が大きく振動した。
なんだか、嫌な予感がする。
「敵襲?」
腰を浮かしながら白い手に尋ねると、彼女は親指を上にして即答してくれた。
これが目的で誘い込んだのかと呟けば、必死に親指を下にする。
「うわぁ。よりによって……ついてない」
額に手を当てて大きく溜息。
イナバもいない、魔術も使えない状態でどうやって返り討ちにすればいいのか。
考えているうちに遠くで見えていたものが、段々と近づいてくる。
気持ち悪いフォルムで四つん這いになりながら声を上げる化け物は、いつかの侵入者。
黒っぽい緑色をしており、その表面がボコボコしているのもあの時と変わりなかった。
「イナバと雫に倒されたけど、回復しちゃった?」
自衛できる方法がないから、必死に逃げ回るしかない。
白い手との追いかけっこからあまり回復していないが、やるしかないだろう。
あんなのに丸腰で挑むのは自殺行為だ。
どこまで逃げ切れるかな、と遠い目をしながら考え距離を測っていると私の目の前に白い手が立ちふさがる。
「え?」
壁になってる間に逃げろということかと思っていれば、白い手は親指を上に向けた。
安心しろと言っているようだ。
抱っこするようにせがむ白いうさぎを抱え上げ、肩に乗せる。
軽く準備運動をして、いつでも逃げられる体勢を整えた。
「ウグォアアァァ」
聞きたくない気持ち悪い声。
その嫌な動きと相まって思わずイナバと雫に助けを求めてしまった。
次第に加速する化け物に白い手は動かずにいる。
そんな白い手に隠れるように様子を窺っていると、接近してきた化け物は白い手に体当たりをした。
「うわぁ」
驚いて数歩退いてしまうが、白い手はびくともせず正面から突っ込んできた化け物をしっかりと受け止めていた。
どうやら力の押し合いでは白い手の方が上らしい。
女性だから負けるんじゃないかと思ってしまったがそんな心配はいらなかったようだ。
私は彼女の事を知らないが、彼女はこんな私の為にこうして化け物と戦ってくれている。
何も出来ないもどかしさにそわそわしていると、白いうさぎがスリスリと頭を擦り付けてきた。
この小動物は現状を分かっているんだろうかと不安になる。
「あれ? そう言えばあの化け物スリムになった?」
イナバと雫のお陰だろうか。
前に見たときよりもほっそりしているような気がして、何度も白い手に体当たりをする化け物を見つめた。
方向を変えて突っ込んできてもしっかり受け止める白い手。
飽きずに何度も突っ込んでくる化け物に、飽きてきた私が白い手の横から顔を出そうとすると指で後ろに押しやられた。
危ないから下がってということだろう。
「スリムだよね。なんか、一人減ってるような気がするんだけど」
そしてあの時のことを思い出せば、この白い手の正体も分かってきたような気がする。
でもそうなると私をかばってくれている意味が分からない。
これも罠なんだろうかと難しい顔をしていると、化け物が情けない声を上げて転がっていくのが見えた。
仰向けになって両手両足を動かしている様子は気持ちが悪い。
そこから必死に起き上がった化け物は「ウォグァァン」と鳴いて再び白い手に向かってきた。
白い手は指を伸ばして化け物の頭部を押さえる。
軽く押さえているようにしか見えないが、化け物の両手両足が空回りしているので白い手が優位なんだろう。
「分離させたのは、白い手かな?」
ぺしり、と乾いた音と共に化け物が再び転がってゆく。
そして白い手が私の疑問に答えるように親指を上に向けた。
敵には思えないが、彼女がわざわざあそこで化け物を回収して分離させた意味はなんだろう。
雫はこの手を神と同等の力を持つものと推測していたけど、そうだったとしたら厄介だ。
生まれたての小鹿のように両手両足をプルプルさせながら立ち上がる化け物を見ながら、白い手に私に何かして欲しいのかと聞いた。
「はい、か。え? 私に何ができるって?」
戦闘で役に立たないのは白い手も分かっているはず。
彼女は私に何を求めているんだろうと首を傾げていれば、白い手がこちらに掌を向けた。
トン、トン、と私の体を指で突いて何かを伝えようとしている。
「そんなに突かれても困るんですけど」
痛い痛い、と呟けば慌てたように白い指が離れる。その場で数本の指を動かしながら私の様子を窺っているように見えた。
後方に見える化け物は、両手両足をプルプルさせては倒れを繰り返している。
「あ、もしかして? いや、でも意識しては無理だと思う。ごめんね」
白い手が何をして欲しいのかが分かったような気がしたが、上手くできる気がしなくて謝った。
鳩尾のあたりをさすりながら、自分でも自由に使えない力に眉を寄せる。
自在に使えれば武器になるのにと思っていると、肩に乗ったうさぎがフンフンと鼻を鳴らす。
「うわっ!」
空いている方の手でうさぎを撫でながら、残念そうにする白い手を見つめた。すると、白い手が再びその指を伸ばす。
トン、トンとさっきと同じように、私の鳩尾あたりを突く。
何度そうしたところで力が発現するわけじゃないと言っても、指は動きを止めない。
仕方がないので納得するまで放置していると、白い手の指輪から光が飛んでいて私の体内に入ってしまった。
「え?」
痛くも痒くもないが、悪いものだったらどうしようと不安になる。
気づけば白い指は離れ、手は静かに私を見つめているようだった。
この状況は何かと似ている、と記憶を手繰り寄せ華ちゃんの体内に吸い込まれるように消えた光のことを思い出す。
しかし、そう考えるとその後の展開は嫌なものになる。
「……もしかして、ティアドロップ? なわけないよね?」
白い手がまさかそんなものを持っているわけがない、と笑うが彼女は親指を上に向けた。
本当に今のはティアドロップなのかと驚く私に、彼女は何度も親指を上にする。
この白い手がティアドロップを持っていたなら化け物を回収できたのも納得できた。
華ちゃんと同じような感じなんだろうか、と白い手を見つめていると指で頭を撫でられる。
人懐こいというか、完全に子ども扱いされているというか。
嫌な感じはしないけれど、不思議な気分だ。
「そっか。貴方もレディの欠片を持ってたんだね」
私の呟きに白い手は親指を上に向ける。
そうなると、あの場にいたレディはその事に気づかなかったんだろうか。
気づいていればくろうさが回収しそうな気がするが放置されていたようだ。
白い手は嬉しそうに指を動かしながら、親指で薬指の指輪を触ったり私の鳩尾をトントンと突いてくる。
「もしかして、ティアドロップを私に渡したかったの?」
何度も親指を上に向ける白い手に私は首を傾げる。
どうしてレディじゃなくて私なのか。
何で今なのか。
聞きたいことはあるが、二択しかない彼女に説明を求めるのは無理だろう。
「まぁ、良く分からないけど。ありがとう」
今のところ体調不良はない。
白い手が持っていたティアドロップが浄化されているのかいないのかも分からなかったが、石版を食べていて大丈夫だったくらいだ。今回も大丈夫だろう。
とりあえず礼を言ったところで、私の体がひょいと持ち上げられた。
何をするのかと思っていれば、反動をつけて後方へ放り投げられる。
「えっ! 何、ちょっ!」
肩に乗っていた白いうさぎが振り落とされ、白い手の姿が段々と遠ざかってゆく。
必死に手を伸ばした私に白い手はゆっくりと親指を上へ向けた。




