132 切ない恋心
今まで夢の中で苦戦したことはあまりない。
それはモモがいたからで、魔王様が多大なサポートをしてくれたからだという事を改めて実感していた。
だからこそ私は残りの魔力を気にせず、大技を繰り出せたし幾らでも不死者を呼び出し続けられた。
けれども夢の中にも似たこの裏世界で思い知らされたのは、自分がいかに役立たずかという事。
結局、全てを守りながらその原因だけを除去するなんて綺麗ごとは存在しなかったのか。
自分に対する苛立ちと情けなさ、そして諦めかけた時に頭の中で響いた声。
凛とした心地よいその響きに胸の奥あたりがカッと熱くなる。
昂ぶっていた気持ちが不思議と落ち着いて、体の中から力が湧き上がってくるのを感じた。
「ふぅ」
落ち着いているけど、変な高揚感に笑みがこぼれる。
深呼吸をすれば、心に余裕が生まれた。
「闇の裂き手!」
私の声と共に現れた巨大な手は神原君を拘束する触手を切り裂いて彼を解放した。
難なく着地した彼は驚いた顔をしながら私を振り返る。
「よし、神原君! 今のうちに攻撃して!」
「……えっ? は、はいっ!」
リン、リンと響く音は心地よくて眠りそうになるが、寝てる場合じゃない。
私は頭を大きく左右に振って、神原君に叫んだ。
呆然としていた彼は私の声に慌てて頷くと、床に落とした大鎌を拾い上げ志保ちゃんへと向かってゆく。
ジリジリとしたノイズ音と視界を時折襲う砂嵐。
体育館内はほとんどが真っ白になっていて、イナバとゴッさん、志保ちゃんは石化しているようにその動きを止めている。
窓の外や射し込む光は相変わらず気持ち悪い色をしているのに、ここだけが色を失っていた。
私が出現させた巨大な手は役目を終えると消える。
肉槐から伸びる何本もの触手が攻撃途中で停止している様子を見て、思わず笑いそうになった。
そんな不思議な真っ白の世界で、色を失っていないのは私と神原君だけ。
「加勢したいところなんだけど、志保ちゃんに当てそうだからよろしく!」
「任せてくださいっ!」
頼もしいと思える力強い返事。
こんな変な状況にも大して動じず、機敏に動ける彼は格好いい。
流石、主人公だと大きく頷いて攻略対象たちの気持ちが少し分かった気がする。
そんな事を思いながら私は自分の体から発せられた青い光りが波紋状に広がっている光景を見つめた。
体育館全体を覆うような波紋は、寄せては返す波のように少しずつ収縮を始める。
恐らくその光りが全て私に戻った時に時間は動くんだろうと感じていた。
何でこんな事ができるのかさっぱり分からないが、頭に過ぎるのはイナバが保管して華ちゃんの体内に吸収されてから私が無理矢理飲み込んだ謎の物体だ。
あれくらいしか原因が思い浮かばないけれど、こんな力があるなら頑張って飲み込んだ甲斐があるというもの。
リン、リン、と心地よく響く音と波紋の動きが重なって見ているだけでも癒された。
「ハァッ!」
「もうそろそろ元に戻るから、気をつけてねー」
「了解です!」
素早く背後に回りこんだ神原君は器用に大鎌を振るって大きな肉槐を傷つける。
肉塊にどれほどのダメージを与えたのかは分からないが、未だ手を休めないという事は志保ちゃんからソレを切り離せるかもしれない。
上手いこと切り離してしまえば、あとは好き勝手できる。
「あ」
サァッと潮が引くように思ったよりも早い速度で青い光が私の体へと吸い込まれた。
それと同時に響き渡っていたリンとした音も止む。
真っ白だった世界に色が戻り、動きを止めていた触手が神原君がいた場所を空しく叩く。
「こうなったら、わたしが大技をかましますからユウお姉さんは自分の身を……」
「ウグァアアアアアアァ」
決意したような声でそう告げたイナバが私を振り返ったと同時に、館内に響き渡る酷く汚い声。
ビリビリと大気を振るわせるその声に、体育館の窓ガラスが飴細工のようにパリンパリンと割れていった。
大きな肉槐は切り裂かれた箇所から紫色の液体を流し、ビタンビタンとのたうち回っている。
肉塊を切り離された志保ちゃんは全身をだらんとさせ、絡みついているチューブの動きに振り回されていた。
半端に糸の切れた操り人形のようだ。
ここからじゃよくく見えないが、多分気を失っているんだろう。
「ゴッさん!」
「やっとか」
追撃してと言葉にするでもなく彼はニヤリと笑みを浮かべ、神原君の元へ行くと肉槐を切り刻み始めた。切れ目から飛び出た目玉は血走ってギョロリと神原君とゴッさんを睨みつける。
しかし彼らにとっては大きな的に睨まれたところで痛くも痒くもなさそうだ。
次第にスリムになってゆく肉槐を見ながら、荒っぽいダイエットみたいだなと変な事を思う。
すると再び耳に痛い声が響いた。
「グゥオオオオォ!」
どうやら神原君の大鎌が目玉に突き刺さったらしい。
見れば目玉の真ん中に鎌の切っ先が綺麗に刺さっている。神原君はそのまま鎌の付け根に足を置きながらグリグリと押し込めているようだ。
結構やることが酷い。
いや、志保ちゃんに寄生してあんなことをさせていたんだから、あれでも優しいくらいか。
それにしても紺色のブレザーに白い大鎌はよく映える。
冷ややかに目玉を見つめ、体育館内に響き渡る程の大きな叫び声を聞きながら口の端を上げている男子高校生。
私が知ってる神原君は、こんな男子高校生だったっけ?
ゲームの彼とはまた違うと理解しているものの、どうしても差が激しくて複雑な気持ちになった。
そんな神原君を見ながらゴッさんは感心したように頷いている。
「仕方ない。うん、ヒロインをあんな目にあわされて怒ってるなら仕方ない」
肉を削ぎ落とされ、飛び散った肉片はビクンビクンと床の上で小刻みに震えていた。
志保ちゃんに絡み付いていたチューブがずるりと落ちて、暴れる肉槐の衝撃で彼女の体が簡単に飛ばされる。
上手いこと抱きとめられなかったのは残念だが、肉塊が何か悪さをする前に保護しなきゃいけない。
急いで駆け出した私は鼻先を掠めて壁に突き刺さった触手をくぐり抜けて、床に倒れている志保ちゃんへと近づいた。
「大丈夫です。気を失っているだけでしょう」
「良かった」
ホッと胸を撫で下ろし志保ちゃんを抱え上げようと床に膝をつく。
心配する私にイナバが彼女の命に別状がない事を教えてくれた。
ゆっくりと抱き起こして、目を伏せぐったりとしている彼女の頬を軽く撫でる。
「っ!?」
軽い体にこのくらいなら私も余裕で抱えられると頷いた瞬間、カッと志保ちゃんの目が見開いた。
驚いて彼女を落としそうになったが、頑張って耐える。
濁った瞳をした彼女に言いようのない不安を感じた。
イナバも何かがおかしいと告げる。
「汚染度合いが酷いですね……まだ精神的に囚われているのかもしれません」
「みんな、幸せになるの。素敵な曲、素敵な歌、誰もが思い浮かべる理想の世界」
「?」
「不幸なひとなんて一人もいない、満たされた素晴らしい世界」
ぶつぶつと呟くだけで攻撃する気配は見られない。
けれど、その言葉も表情も壊れてしまっているように思えた。ちょっと失礼して体を軽く探るが、彼女の中にチップは見当たらない。
しかし、これは前にもどこかで見たような感じがする。
どこだっけ?
焦点が合わない彼女の目が、ゆらゆらと揺れ動く。
か細い声で理想を口にしたかと思えば、歯を剥いて汚い言葉を叫んだりもする。
私に抱えられている状況というのは気付いていない様子で、私の事は志保ちゃんの目には映っていないらしい。
睨む中空にはどうやら華ちゃんの姿が見えるらしく、彼女に対する悪口をこれでもかというくらいに言っていた。
「ユウお姉さん、どうしましょう」
「閉鎖結界しても意味無いからね。汚染を浄化できるのは……モモ、できるかなぁ」
試したことはないけれど、さよみちゃんが我に返っているならできるかもしれない。
しかし、汚染度合いで言えばさよみちゃんの方が軽い。
残念ながら志保ちゃんは暴れはしないものの、さよみちゃんより深刻だ。
感情の起伏が激しく、先ほどまで華ちゃんに対して怒っていたのに今は神原君の名前を呼びながら泣いている。
どれだけ努力しても叶わない思いに、胸を痛めていると彼女は泣き続けた。
「聞いてるだけで、切なくなるわ」
神原君は、本当に罪な男だ。
志保ちゃんに近づいてこようとする肉片を叩き落しながら、カタスに食わせる。
だが、口に合わなかったらしく一度取り込んだ後で吐き出していた。
カタスにも好き嫌いがあったのか、なんて驚いていると床が大きく揺れる。
「ていっ!」
「なっ!」
「ちょっと荒っぽいですけど、気絶してもらった方が楽なので」
「イナバ……」
目を血走らせながら必死に私にしがみついた志保ちゃんの鳩尾に、イナバが勢い良く落ちた。「がっ」と声を上げて気を失った志保ちゃんをしっかり抱き抱えながら私はこちらに近づこうとしている大きな目玉を見る。
神原君とゴッさんに懲らしめられたんじゃないかと、目玉と目を合わせながら動きを窺う。
コロコロとこっちに転がってきたが、志保ちゃんを抱えて逃げ切れる自信がない。
そう思っていると目玉からいくつもの触手が伸びてくる。
しかし、触手はこっちに届く前に素早く切り刻まれ消えた。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう」
トンと軽い音を立て神原君が目の前に着地する。
その目は厳しくも凛々しい。
二人の攻撃を受けてもしぶとく消えることのない目玉のついた肉槐は、転がりながら飛び散った肉片を吸収して体力を回復しているようだ。
「ごめん、あれを抑えられる自信がない」
「大丈夫です。僕が片付けますから」
閉鎖結界に必要な魔力と、維持するための魔力。重ねがけするとしてもそれだけ膨大な魔力量が必要になる。
それに音楽室で一度使用してしまっただけに後のことを考えると厳しい。
出し惜しみせず、死ぬ気でやったとしても威嚇するように咆哮している肉槐を抑えられる自信は無かった。
今の足手まといは完全に私だなと思いながら、跳躍する神原君の姿を見つめる。
鞭のように床を打つ触手を避ける事なく、全て切り刻み本体へと攻撃する姿は鮮やかだ。戦闘慣れしてるとしか思えない身のこなしに見惚れているといつの間にか傍にゴッさんがいた。
「あのままでは無理だぞ」
「ん?」
「違う場所からエネルギーの供給を受けているようだ。恐らく寄生先を失って建物内の養分を食らっているんだろうな」
「はぁ!?」
何故それにイナバは気付かない、と顔を向ければ「万能じゃないですからっ!」と逆切れのように叫ばれた。
ゴッさんは、そんな事も気付かなかったのかと言わんばかりに私とイナバを見下ろしてくる。
反撃する隙を与えない神原君の連続攻撃を眺めながら、肉槐の下に大きな魔法陣が出現するのを見て私は目を細めた。
「いや、強制的に終了しそうよ」




