129 少女の目
こんな事なら最初からこうすれば良かった。
そう思うのは毎回事が終わってからだ。
まぁ、終ってるからこそ言える事でもあるが。
私はイナバから聞いた情報に顔色を変えると、アイコンタクトでモモにこの場を任せることにした。了解したとばかりにアイドルらしい決めポーズとウインクで送り出してくれた彼女に、さよみちゃんがまた声を荒げていたが気にしない。
ギャーギャーと騒ぐさよみちゃんとモモの半音ずれた歌を背に第一音楽室を出た私は、目的地に向かう途中で第二音楽室に顔を出した。
当然、ゴッさんは中に入らず待機である。
「ホホホ、片付いたようじゃの」
「いや、後片付け残ってるんでもう少しお願いしてもいいですか?」
「ワシは構わんが……」
防音になっているとは言え、この部屋までモモの歌声が漏れ響いている。
まだ横になって眠っている華ちゃんは、眉を寄せながら時折呻いているがそれがモモの歌声によるものじゃないと思いたい。
モモがここにも残した回復魔法陣はちゃんと作動していた。が、魔力が弱まっていたので私の魔力を注ぎ強化しておく。
これならモモがここに戻ってくるまで充分もつだろう。
「私はまだここにいればいいのか?」
「うん、お願いするわ。モモもじきに戻ってくるだろうし、華ちゃんの事が心配……っ!?」
その時だった。
イナバから出た何かが吸い込まれるように華ちゃんへと向かって行く。
サッと身構えたミシェルがそれを防ぐよりも、私が術を唱えるよりも早くそれは華ちゃんの体内へと吸い込まれていった。
「くぅ!」
「華ちゃん!?」
一瞬苦しそうな顔をした華ちゃんの体が次第に色を変えてゆく。それを見て驚愕の声を発したイナバを放り投げて、私は咄嗟に彼女の体に自分の手を翳していた。
何かが華ちゃんの体内を食い破るように蠢いている。ちらりとミシェルを見れば彼は転がったイナバスカルを手中に収めていた。
理解が早くて助かるわ。
「違います! わたし何もしてません!」
「だったら何なのこれは」
「知りませんっ!」
両手を翳して反発する力を押し込めるようにするが、華ちゃんは苦しそうに呻いて身を捩った。
得体の知れない力が彼女の中で暴れて、外に出ようともがいている。そんな気配に私は舌打ちをしながらイナバの名前を呼ぶ。
外に出したほうがいいのは分かるが、華ちゃんの体を食い破るような形にしかなりそうもない。
かと言って大人しくさせて内側に押さえようとすれば、華ちゃんが苦痛に喘ぐ。
「イナバ」
鋭い私の声にすぐさま華ちゃんを探索をしたイナバは「そんな……馬鹿な」とどこかで聞いたようなセリフを吐いて無言になった。
黙ってる場合じゃないんですけど。
『彼女の体内に手を突っ込んで、原因を取り除いてください』
華ちゃんの体に手を突っ込む?
突然頭の中で響いた声に「はぁ!?」と言いそうになったがそれどころじゃない。
外に出すことも内に押さえることもできないなら、言われた通りにする他ない。
ここは夢の中の世界に近いから、何とかなるだろう。
「あー、もう! ごめんね華ちゃん!」
私はどうにでもなれとばかりに、華ちゃんにごめんねと繰り返し心の中で謝る。そして彼女の鳩尾めがけて腕を突っ込んだ。
そんな私の行動にミシェルとイナバが短く声を発したが、気にしていられない。
華奢な体を貫いて殺してしまったらどうしようかと心配していたが、そうならなくて安心した。
不思議なことに私の腕は、華ちゃんの体を貫く事なく体内へと沈んでいる。
まるで、水の中に手を突っ込んだかのような感覚だが手を動かす方向によっては反発を受ける。
これが本当に華ちゃんの体内だったら臓器の感触があるはずだ。けれど、そんなものはない。
一体どこの空間に繋がったのやらと思いながら眉を寄せた。
「イナバ、結界強化して遮断して」
「は、はいっ!」
「ミシェル、剣突き立てて。あんたの力ちょっと貸してちょうだい」
「は? あぁ、分かった」
剣を抜きながらも一瞬眉を寄せたミシェルだが私がやって欲しい事を理解したんだろう。彼は足元に展開させた魔法陣に自分の剣をつき立てて何かを紡ぐと目を閉じた。
ふ、と華ちゃんの呼吸が少し楽になる。土気色になり赤黒く染まりそうだった肌も徐々に元に戻ってきていた。
『なるほど。彼と魔法陣を繋げて彼女に力を直接分け与えているわけですか。中々考えたものですね』
感心したように声が唸るが私としては別に大した事をした覚えはない。
神聖なる加護を受けたミシェルの剣は、持ち主の体力、魔力を主が許可した相手に分け与えられるという能力を持っている。
モモが展開させた回復魔法陣に、ミシェルの剣の力を重ね合わせ上手く融合させたのだ。そして、細心の注意を払って生命力が失われている華ちゃんへ彼の力を分ける。
どういう仕組みになっているのか詳しくは私も分からないが、ミシェルが器用に使いこなせているんだから問題はない。
「ん?」
『あぁ、それですね。取り除くことはできるでしょう?』
指先の感覚だけが頼りなので良く分からないが、ゴツゴツしている変な塊が引っかかる。それがやけに熱く、そして強い力を放っているのが私にも分かった。
触れたら溶けてしまいそうだと思うのに、何故か私は無事でいる。
それにしてもこれが原因なら言われた通り取り除けばいいんだろうけど、嫌な感じがした。
無理に引っ張れば、華ちゃんも傷つけてしまいそうな感じ。
『融合が進んでいますか。それではそこのウサギが保管してた部分だけでも切り離せませんか?』
融合ね。
色々と言いたいことはあるけれど、今は手の中に収まった不思議な物体をどうするのかが先だ。
イナバが持っていた分を切り離せと言われても、一体化して継ぎ目がないようなこの物体を手と指先の感覚だけでどうしろというのか。
中々難しいことを言ってくれる。
「イナバ、違いは?」
「へっ!? あ、浄化されてません!」
「浄化……」
『見えませんか?』
無茶を言わないで欲しい。
私の腕一本入っただけで、どうやってその物体を見ろというのか。
あれか、心の目でというやつか。
目を瞑って集中してみるがさっぱり分からない。片手で適当に割ってみようとするが、適度な弾力があるせいでそれも難しかった。
「んん?」
「ん……ううっ」
物体に触れる箇所によって華ちゃんの表情が変わる。落ち着いたものから、苦しげなものへ。
そういう趣味はないし華ちゃんを苛める気などさらさらないが、これはもしかしたらと私は首を傾げた。
トントン、と指先で物体を軽く叩きながら華ちゃんの反応を見て境界を探る。
『解析完了。境界が判明しました。切り離す手伝いをしますので、離れたらそれを握ったまますぐに手を引き抜いてください』
ちょっと待った。
そんな事しても切り離した部分がまた華ちゃんの体内に吸い込まれないとも限らない。
切り離したら大丈夫だという確証はあるのか?
切り離せなかった部分は華ちゃんの中に残っても大丈夫なのか?
そして、正体不明のこの声は誰だ?
『リトルレディの目のようなものです。ご心配なく、と言っても無理でしょうが今はそれしか手が無いのでは? 羽藤由宇さん』
リトルレディ、あの少女の“目”?
胡散臭い、と思ったがこの声の告げる通り今はそれに従うしかない。
本物なのかリトルレディの威を借りた偽物なのかは後で確かめればいい事だ。それに、敵ならば私達を消すのにこんな手を使うか?
いや、直接頭の中に声を響かせる事が出来るくらいだからそれはないだろう。
『ご心配なく。切り離したモノは、貴方が飲めばいいのです』
「は?」
またまた無茶言ってくれる。
華ちゃんがこれだけ苦しんでいたものを私に飲めと?
前言撤回しよう。これは私達を嵌めようとしている敵だ。
面倒な手段をとって嫌がらせをしてくる敵だろう。
「ユウお姉さん、大丈夫です」
剣の柄に両手を置いて膝をつき、目を閉じたままのミシェル。
汗を流しながらぐったりと横たわっている華ちゃん。
何も言わずそれらの様子を眺めている本棚。
ふわふわ、と浮いているイナバが頼りない声でそう告げるのを聞いて顔を上げれば、ビクッとしたようにイナバが震えた。
なんだその怯え方は。
「わ、わたしの事信じてください……」
こうなった原因が自分にあると理解した上でなお、信じろと言ってくる。なるほど、だから震えているのか。
私は口の端を上げて鼻で軽く笑いながらゆっくりと息を吐いた。
飲んだことによる私への影響は?
だったら華ちゃんの中に残る部分も一緒に私が飲めばいいんじゃない?
『残る部分は元々彼女の中にあったものです。それが失われると彼女の生命力も希薄になるでしょう』
それは危険だ。
一体、どうしてそんな事になっているのか分からないけど。
残った部分が華ちゃんに悪さをしないんだったらそれでいい。
確かめるように心の中でそう呟くと『今まで良好ですので、問題ないかと思われます』との答えが返ってきた。
完全に問題ありませんと言い切って欲しかったが、それはそれで胡散臭いのでマシか。
『貴方への影響は大して無いかと。魔王の力の一部が既に貴方の中で根付いていますからね』
こっちも完全に無いとは言い切れないのか。
大して無いって事は、耐えられないわけじゃないって事だから、何かあったら頑張って耐えろということか。
それにしても魔王様の事も石版を食べた事も知ってるとは。
ルトルレディの目なら当然か、と私は頭の中でカウントダウンを始める声に合わせ勢い良く腕を引き抜いた。
「むぐっ!」
そしてそのまま手にしたものを口の中に押し込める。
ぐにゃぐにゃとした感覚に慌てて口の中に入れたものは、吐き出すかと思っていたが意外と平気だった。
口の中でゼリー状から液体に変化したソレは、痞える事なくするりと喉を通って胃に落ちる。
パシュン
突然私の体が一瞬光ったかと思うと、胃に落ちたそれが体内に溶けていったのを感じた。
なんとなく変な気分だが、華ちゃんを見れば安らかな表情で寝息を立てていたのでどうでも良くなった。
私が手を突っ込んだ鳩尾部分も乱れなく元のままで、気配を察して顔を上げたミシェルが剣を抜いて鞘にしまった。
ちらり、とイナバを見てから私を見たが私は無言で首を横に振る。
斬るべきかと判断を仰いだんだろう。
抗議するかと思ったが、ミシェルは「そうか」と頷いて疲れたようにその場に座った。
彼にしては珍しく体勢を崩しているので、結構な力が華ちゃんに持っていかれたんだと思う。
お疲れ様でした、と心の中だけで労ってあげる私も性格が悪い。
「大丈夫?」
「お前の心配などいらぬ。じきに《聖女》も戻るだろう。お前はさっさと行け」
「うん、分かった。よろしく」
「ああ」
じゃあよろしく頼むわ、と軽い口調で私がそう言えばミシェルも軽く右手を上げて答えた。
半音ズレた歌声と泣き喚くさよみちゃんの声を聞きながら廊下に出ると、カタスに紛れるようにしていたゴッさんが姿を現す。
ゴッさんに纏わりついていたカタスは、彼に振り払われて残念そうに床へと倒れる。
構って欲しいのか、足に絡みついたカタスをゴッさんは見もせず踏みつけた。
「随分と楽しそうだったな」
「はぁ……疲れた。でも、ミシェルに気付かれないように気配を消してくれたのはありがたかったわ」
「あいつも情けない。この程度が見破れぬとは」
「ゴッさんと違って繊細なのよ」
大体の状況を察していながら笑うゴッさんを軽く睨みつけ、私は溜息をつく。
慌てたように追いかけて来たイナバスカルを左手に抱え直し来た道を戻ってゆく。
「確かに、な」
階段を下りながらゴッさんは意地悪そうな笑みを浮かべて旧友がいる第二音楽室を振り返るとそう呟いた。




