127 マジカルアイドル☆モモ
暗闇の中に射し込む光が二つ、三つと増えていく。
そのスポットライトを一身に浴びながら彼女は緊張した面持ちで息を吐いた。
胸元には苦楽を共にしてきたマイクがあり、今までの過酷な試練を思い出すかのように彼女は相棒とも呼べるそれを優しく見つめた。
「はぁ」
ピンと張り詰めた空気、肌を逆撫でする不安と高揚感。
気をしっかり保っていなければすぐに崩れてしまいそうになる両足。
小刻みに震える手に、自分はナンバーワンアイドルなんだと言い聞かせて笑みを浮かべた。
この日の為に作られた衣装は彼女の容姿に良く映え、その魅力を存分に引き出している。
薔薇の蕾のような唇が小さく開き、甘い歌声を室内に響かせた。
「腹立つくらい、似合うんだよなぁ」
はぁ、と溜息をつきながら伸びやかに歌うモモを見つめる。
彼女が歌っているのは乙女の祈り。
歌詞はないので、彼女の口からでるのは「ラ」や「ル」といったものばかりだ。
変な歌詞を自作されるよりはマシか。
『いや、寧ろ聞いてみたかったわ』
『私はいいわ。それにしても、こっちのモモもなんて……あぁ』
私の言葉に反応する声が頭の中で響く。
今まで大人しかったのが嘘のように、この戦闘になってから頻繁に彼女たちの声が聞こえるようになっていた。
今まで静かだっただけに、鬱陶しいなと思っていると『酷い!』『まぁ、我慢して』と言われた。
頭の中で同じ声が二つも聞こえるだけで頭痛がするのに、叫ばれるなんて苦痛だ。唯一の救いは、騒ぐ番人を雫が宥め大人しくさせてくれてることだろうか。
「タラララララララン、ララ~」
室内に響き渡るピアノが奏でる飛翔と、モモが気持ちよく伸び伸びと歌う乙女の祈り。
その二つの曲が合わさる事無くぶつかり合う。
モモが歌えば彼女の周囲から桃色の五線譜や音符たちが出現した。ちなみに楽譜までピンクとは恐れ入るが、そのおかげでこの場の緊張感が緩む。
「モモさん……凄いですね」
「うん。鼻歌はまともなんだけどね」
そう、私が何故モモに歌ってもらったかと言うと彼女は音痴だから。
音痴とは言っても顔を歪めて耳を塞ぎたくなるような程ではない。
ただ、必ず半音ずれるというだけだ。
大したことがなさそうだが、それは遅効性の毒のようにじんわりと体に染みていく。
音楽家でも楽器が弾けるわけでもない私ですら、聞いていると気持ち悪くなってくるのだから、絶対音感を持っているはずの彼女はさぞかし辛いのではないか。
もし、彼女に本来の自我が残っているなら苦痛でしかないだろう。
「あらら、手が止まってる」
「今がチャンスじゃないですかね?」
「いや、あれは発狂するまでもうちょっと待ってた方がいいかも」
「さらりと酷い事言いましたね」
発狂して怒りの矛先が全て気持ちよく歌っているモモへ向いてくれればその時が好機。
モモが彼女を引きつけているうちにイナバは歪みの修復を、そして私はその間イナバの護衛をすればいい。
まぁ、予想通り上手くいけばの話だけど。
『あんたが防御膜張らなかったら、私達まで酷い事になってたかも』
『残念すぎるわ……こっちのモモまで音痴なんて』
防御膜で防音対策はしているものの、全ての音を遮断してしまうわけにはいかないのでモモの歌声は耳に入ってくる。
けれどこのくらいならば耐えられる範囲内だ。
敵は小さく震えて珍しく手を止めた後、力の限り鍵盤を叩きつけた。
ゆらりと頭を揺らせば、くねくねと生えている薔薇たちも揺れる。
「あ、乙女の祈りに変わった」
「……耐えられなかったみたいですね」
モモのずれた音を矯正するように力強く、そして感情豊かに乙女の祈りを奏でる少女。
栗色のショートボブは乱れ、時折顔を歪めながら音を紡ぐ。
今まで聞いてきた演奏に比べ、雑で角が立つような音が目立つようになっていた。という事は、モモの歌声は彼女の耳に届いてダメージを与えていると見ていいだろう。
彼女の周囲をうねっていた五線譜が、モモの生み出した桃色の音符を突き刺して粉々にする。しかしそれでもモモから発せられる桃色の五線譜や音符、楽譜たちの勢いは止まらない。
一時は優勢かと思われた黒の五線譜は、桃色の音符に破壊され室内が徐々に侵食されてゆく。
気持ちよく歌っているモモはウインクをしたり、ポーズをとったりと非常にノリノリだ。
私の周囲にはいつのまにか桃色をしたカタスたちが、ペンライトのように左右に揺れている。
「うわぁ、ピンク強いですねぇ」
「聞き慣れた曲ほど、半音ズレてしまうと気持ち悪いのよね。弾き慣れてる彼女は相当……」
言い終わらないうちに激しい不協和音が響く。
鍵盤を何度も力強く叩きつけて歯軋りをした少女は、最早私の知っている彼女じゃない。
いや、ゲームの登場人物と彼女がイコールじゃない事は分かっているつもりでも、ついそう思ってしまうんだから仕方ない。
『違う……違うわ。私の知ってるさよみちゃんじゃない』
『うるさい、番人静かにして』
『うっさいわ、厄介事持ち込んできたくせに』
『由宇の集中を乱さない』
あぁ、面倒臭い。
頭の中で喧嘩を始めた両者に渋い顔をして遮断できないかと考えていると、彼女たちの声が急に聞こえなくなる。
意識すれば遮断できたなら、最初からそうしていたのにと溜息をついた。
顔を上げてピアノを見れば私の術は未だ効いている。
囲いのように突き刺さる鎖はゆらりと紫炎を纏わせ、その炎が薄い幕のようにピアノと彼女を覆っていた。
それに気付いていないのか、気付いても気にしていないのか少女はついに拳で鍵盤を叩きつける。
私が知っている彼女はピアノが好きな子だ。
あんなことするような子じゃない。
「イナバ」
「分かってます。怠ってませんよ」
ゲーム内で時間を共にしたくらいで、彼女の事を分かった気になっている自分に再度溜息をついた。
私が神原君だったら彼女はこんなに醜い姿を晒す事無く我に返ったんだろうか。
素直に協力して無事に歪みも何とかできたのかもしれない。
いや、あのチップと肉塊がある限りはそう簡単にはいかないか、とすぐに否定して苦笑してしまう。
「タララララ~ン、ララン」
モモは飽きる事なく同じ曲を何度も繰り返し歌ってくれている。
急ごしらえのステージがいつの間にか豪華になっているのには驚いたが。
煌びやかな電飾に、シャーベットカラーの舞台飾り。
ちょっとだけアイドル仕様に変化した衣装と、モモの歌声と動きに合わせて踊るウサギのきぐるみたち。
そして、特に強力な桃色の五線譜と音符を発生させている大きなスピーカーが二つ。
ステージ前には左右に揺れる桃色のカタスたちがいた。
あれ? ここって、モモのライブ会場だっけ?
思わずそう錯覚してしまいそうになるくらい、この領域の主導権はほとんどモモに移ってしまっている気がする。
集中できなくなったのか、演奏を止めた少女は何かを呟きながらその細く華奢な手で鍵盤を強打し続けた。
ガタン、と立ち上がった瞬間に大きく鍵盤が波打ち、弦が切れてダンパーが飛ぶ。
意志を持ったかのように屋根がバタンバタンと開閉を繰り返し、突上捧がボキリと折れた。
「うわぁ」
「荒れてますねぇ」
こちらから攻撃せずとも自壊してくれるならそれはありがたい。
もっと壊れてくれ、なんて願いながら壇上から下りようとする少女の動きに合わせ私は鎖の結界を一部綻ばせた。
それに気付いたのかは分からないが、少女は綻びの部分を切り裂いて壇上から下りる。
下りる少女を確認してすぐさま綻びを直したが、予想外の事が起きた。
壇上から下りようとした少女に、左肩の肉塊が激しく抵抗を示したのだ。まるで、ピアノの近くから離れるのは許さないとばかりにギョロリとした目玉が出現し、少女の動きを止めた。
しかし少女は忌々しげに自分の左肩を見つめると、あろうことか右手で寄生してる肉塊をもぎ取り後方へ投げ捨てたのだ。
ベチャリ、と嫌な音を立てて床に捨てられる肉塊。
「えー!」
寄生されて操られてるから彼女本来の意識は薄くて、チップ肉塊さえ倒せば済むと思ってた。
けれどその肉塊が少女と一体化しているので攻撃し辛かったのだ。
左肩の肉塊をピンポイントに狙うタイミングと方法に悩んでいくつかの手を考えていた。
モモのこれまでの攻撃から少女を傷つけずに倒すには弱い攻撃しか手が無い。
一番いいのは接近して肉塊だけを取り除くか、核だろうチップのみを破壊するかだが、間合いを詰めそれだけのことをするのがまず難しい。
モモも、自分にそれは難しいと言っていたのでモモが少女をある程度弱らせたところで、私の手駒にチップ破壊をしてもらうつもりだった。
それなのに、これだ。
「自分で引きちぎるとか……」
「予想外でした……が、寧ろ好機です」
あ、うん。そうだね。
もっとポジティブに考えよう。
そう、良かった。
これでモモがあの子、増永さよみちゃんの相手をしている間に私とイナバがピアノと肉塊を叩けばいいんだから。




