122 素敵にリフォーム
これじゃまるで力を出し渋っていた私が悪いみたいじゃないか。
上手くいくはずがないと思っていたからやらなかったのに、いざやってみたら成功でしたなんて立場がない。
成功するのが最初から分かっていたらちゃんと実行してたわ、と愚痴りながら変わり果てた校内を見た。
うねうね、と海中に漂う海藻のように蠢いている無数の影の手が、壁や床、天井にまでびっしりと生えている。
手は大小様々で、女のもののようにしなやかな腕を持つものもあれば、太股くらいの太さがあるガッチリした腕もある。
これで白くてもっと可愛い見た目だったら某最強キャラクターに似てるのにな、と失礼な事を考えつつどこからどう見ても悪趣味としか言えない校内を眺めた。
お化け屋敷の中にこんな仕掛けがしてあったら、絶対先に進めない。そんな雰囲気を放っている光景に私は溜息をつく。
発動前の方がまともで良かったんじゃないかとミシェルを見ると、顔を引きつらせて眉をピクピクさせていた。
気持ちは分かる。誰がどう見ても気持ち悪い光景だ。
ただ、一番心配していた華ちゃんの反応が想像していたほどじゃなかったのは救いだろうか。
見た途端に悲鳴を上げて気絶してしまうのではないかと思ったが、驚いて怯えている表情をしているだけだ。
きっと、こんなものを使役している私の事も気持ち悪いと思っているに違いない。
しょうがないとは分かっていても、やっぱり悲しくなる。
「うわぁ、すごーい。カタスちゃんたちでいっぱいだ! ちゃんと根付いたね!!」
「……すごい、ですね」
「ごめんね、気持ち悪くて」
「あの、いえ……その、大丈夫です」
「無理しなくていいよ。それが普通の反応だから気にしないから」
キャッキャと頬を上気させて無邪気にはしゃぐモモに、顔色悪く俯いた華ちゃんは無理を押して笑顔を浮かべ首を横に振る。
気にしなくていいからと私が笑えば少しだけ安心したように「ちょっと、夢に出そうですね」と顔を引き攣らせた。
ミシェルは最初こそ不快な表情はしていたものの、すぐに慣れたのかいつもの無表情に戻る。
「……あぁ、拗ねるなってば。気味悪がられるのは当然でしょ」
華ちゃんの反応に拗ねたカタスの一部がクイクイと私のローブを掴んで遊ぶので、軽く振り払って声を荒げれば、ビクッとしたように手の動きが止まった。
しゅん、とした様子で項垂れるようにだらんと垂れ下がる腕たちを見てモモが「可哀想に」と呟く。
これが可愛いと言うモモは本当にイイ趣味をしているとしか思えない。
「ユウは怖いね。可哀想なカタスちゃんたち」
魔法陣から無数に生える手は基本的には前腕部から。
けれど伸ばそうと思えば上腕部がいくらでも伸びるので、私も彼らの全貌がどうなっているのかは分からない。
どれだけ伸びるのかは個人差もあるみたいだけど。
「いい? 他に手を出したら容赦しないからね」
「ユウってばホント怖いんだから。そんなに脅さなくてもカタスちゃんたちはお利口さんなんだから、大丈夫だってば。ね?」
「……そっか。お利口なカタスは主人を無視して、配下の不死者餌にしようとするのかー」
昔の出来事を思い出して薄っすら笑みを浮かべる私に、カタスたちの雰囲気がざわめいたのを感じた。
腕を組んで「しかたないのかー」とわざとらしく呟く声に彼らは指を動かして会話をしている。
口が無いので声は聞こえないが、彼らはそうやって手や指の動きで会話をするらしい。
私やモモがどうやって彼らの言おうとしている事が判るのかと言えば、勘である。
それで今までやってこれたんだから問題は無い。
「何だか焦ってますね。『あれは違うんです、間違っただけです』って言ってるみたい」
「分かるのか?」
「あ、あの、何となくそんな感じかなと」
私が溜息をつきながら冷たい視線をカタスに向ければ、彼らは慌てた様子でバラバラに動き始めた。
気分が悪くなったかと思っていた華ちゃんは、蠢く無数の手たちを眺めてくすりと笑う。
こんな状況で彼女から笑いが漏れるとは思っていなかった私とイナバは、驚いたように華ちゃんを見つめてしまった。
優しい色をした目をカタスに向けてそう呟いた彼女に、ミシェルが顔を歪め尋ねる。
慌てて両手を振って申し訳無さそうに私に視線を向けた華ちゃんは、ちょっと気まずそうに笑った。
天使だ、女神様だ、と言わんばかりに華ちゃんの元へ集まってゆくカタスたちを、眉を寄せたミシェルが蹴散らすと闇の手はあっけなく消えてゆく。
しかし、バラバラに散った腕たちは闇に溶けて魔法陣の中に沈んだかと思うと、再びにょきっと生えてきた。
ひどい、と言わんばかりに白銀の装備で身を固めたミシェルに絡みつく無数の手たち。
まるで蛇のように彼の体に纏わりつき、嫌がるミシェルの反応を楽しがって見ている。払っても払っても、次の手が絡みついて体を這い上がってくる感覚に堪りかねたのか、彼が鋭い声で私を呼んだ。
「華ちゃんへはあまり近づかないように。その騎士は……まぁ、程々にね」
「おいっ! 何とかしろっ!」
「あ、敵だ」
不気味に歪む窓の外の景色、逢魔が刻のように魔物が徘徊しそうな不安を煽る薄暗い校内。
床、壁、天井に生えて海草のように揺らめく無数の手。
黒く蠢くそれらは一つ一つ意志があるように動く。そして、近づいてきた敵を掴み、絡め取って己の内部へと引きずり込む。
もがいても、もがいても、逃れることが出来ない様子は何度見ても複雑なものだ。
「あぁ、アレだ。柔毛に似てるのか」
「小腸の?」
「そう、小腸の。ずっと前から、何かに似てるなと思ってたんだよね」
「言われてみれば、確かにね。でも、そうなると何だかここが体内みたい」
「……良くは無いね」
「え? 気持ち悪くてゾクゾクしない?」
「しないね」
信じられないという表情で見つめられても、モモの言葉に同意することはできない。
私は表示させていたマップを眺めて顎に手を当てる。
マップ上青で示されている開放されたエリアにはこの場所からでもカタスを配置することができた。
とは言っても開いたマップを指でなぞったくらいで、細かな調整はイナバがしてくれたようだ。
これで、今まで通った箇所はカタスで埋め尽くされている事になる。
廊下で意識を失い眠っている人たちは、どうやらカタスが巻き込まれないように近くの教室内に運んだようだとイナバが教えてくれた。
そこで私はカタスが室内に入れるんだという事を知る。
考えてみれば術者である私が出入りできるんだから、カタスも同じように出入りできて当然なのか。ついつい化け物と同じ括りでカタスを見てしまうから無理だと思い込んでいた。
私の考えを見透かしたかのように、近くにいたカタスがグイグイとローブの裾を掴む。
ペシッと叩けば手を捕まれてググッと引き込まれそうになった。
遊んでいる場合じゃないと何度言えば分かるんだろう。口にしなくても彼らには伝わっているはずなのに。
逞しくがっしりとした腕は男の物だと分かったが、こうやって手を握られても嬉しくないのは状況が状況だからだろうか。
もっとムーディな雰囲気だったらと想像して私は「ないわ」と呟いた。
周囲のカタスはどうしたものかとオロオロしている。そして、引きずられた私を見た華ちゃんも小さく悲鳴を上げた。
「ほほう、引きずり込む? いいわよ? 内側から食い破ってあげるから。さ、行きましょうか?」
「うわぁ、うわぁ、ユウお姉さんがブラック化!」
私の手を引っ張っているカタスが本気で私を取り込もうとしているわけがない。それは私も分かっている。ただふざけてじゃれているだけだと。
けれど、そんな事をして遊んでいる暇は無い。
怒気を孕んだ声で口元に笑みを浮かべながらそう告げた私に、手を掴んでいたカタスがビクッと震えたのが分かった。
周囲のカタスたちに押さえられ、宥められるようにして私の手を離す。
まぁまぁ、落ち着いて、と言うように私の前に手を突き出して人差し指を立てるカタスたちは、機嫌を取るので必死だ。
離れた場所からは化け物がもがき苦しむ音が聞え、それを凝視しているモモの姿も見えた。
心配そうにこちらを見ている華ちゃんはミシェルの腕に遮られて今にも泣きそうな顔をしている。
大丈夫だと軽く手を上げて笑った私にホッとしたような安堵の溜息が聞えた。
「ごめんね。久しぶりにこんなに長時間外に出たものだから、調子に乗ってるみたい」
「そうなんですか……でも、何も無くて良かったです」
「うん。後で、存分に踏みつけておくから大丈夫よ」
「おい、一部が『寧ろご褒美です』と書かれている紙を持っているぞ。お前はあいつらにどんな教育をしてるんだ」
呆れたような声で呟くミシェルに私は彼が指差す方向を見る。
すると、筋骨隆々とした逞しい腕たちが達筆な字で書かれた紙を広げて持っていた。近くにいるカタスたちはみな、グッと親指を上げている。
私を掴んでいたカタスを逆に引っ張って、大きなカブよろしくそのまま引き抜こうとしていた私は「性格も色々だから」と二人に笑みを浮かべた。
「カタスさんて、一人……じゃないんですね」
「うーん、地縛霊が魔物化したようなものだからね。一つだけだったら弱いけど、群れれば強いみたいな」
「じ、地縛霊ですか!?」
「魔物なんて大概そんなものよ。強い怨念とか、思念とか。ミシェルみたいに生前に人としての格が上がってるとそのままの姿だけどね」
「え、じゃあここにいるカタスさんたちは……」
「戦場で無理矢理借り出されて無残にも散っていった哀れな魂たちよ」
ふふふ、と悲しそうに笑いながらモモは近くのカタスをそっと撫でる。
黒い手を哀れみ優しく触れるその姿は正に聖女と言えた。
華ちゃんは言葉が見つからない様子で俯いたまま、同情するような視線をカタスたちに向ける。
一方、ミシェルは相変わらず不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。
その様子を見ていた私は、ブーツのヒールでグリグリと床に押し込めていた腕から足を離し溜息をつく。
「モモ、適当な嘘ついて華ちゃん騙さないでくれる?」
「えっ!?」
「えへっ。でもでも、それらしいでしょ?」
「う、嘘だったんですか!?」
「うん。これは罠用に開発された魔物だからね。敵が通りそうな場所に魔法陣だけ仕掛けといて、通った瞬間に発動みたいな」
モモの言っている事は完全に間違ってるわけじゃないが、そんな悲しい過去を持っているわけじゃない。
でも、生物の負の感情を餌として強く成長していくから普通の魔法使いは使用する事はない。
見た目もコレで術者の人格が問われるようなものだ。
効果は抜群で使いやすいのは分かっているはずなのに、周囲の目と評価を気にして使えないとは何とも哀れな。
たまに楽しげに笑いながら多用してくる魔法使いもいるけど、あそこまでぶっ飛んでると寧ろ何故魔族軍にいないのか不思議になる。
まぁ、私も人間側で人間としてお役に立っていたら、カタスを使役することはまずないだろう。
「どこから嘘だったんですか?」
「えー、戦場で~くらいかな」
「え、それじゃあそれ以前は事実なんですか!?」
「製作場面を見たこと無いから何とも言えないけど、材料の一つに怨霊があったのは確かだからねぇ」
「でも大体、怨霊は何作る時にも必要になるよね。たくさん取れて困らないから良いけど」
「お前たちはなんと不届きな……」
だって、魔族軍ですからね。
魔物たくさんいますからね。
極悪非道の罠だって多用してますからね……主に好んでモモが。
本当に見た目と中身のギャップが強すぎて、本当は人間じゃなくて純粋な戦い好きの魔族じゃないかって思うくらいに。
抑圧されているモモの本性が夢の中という事で表に出ているのは分かるけど、ミシェルが顔を歪めて吐き捨てるように言う気持ちも分かる。
「復讐したいって、言う子たちがこんなに大人しくていい子になるなら素敵だと思わない?」
「何をっ!」
「じゃあ、貴方は生まれてから死ぬまでずっと、綺麗な事しかしてこなかったのね。ご立派だわ」
目を見開いて言葉に詰まるミシェルを見つめて、モモは笑う。
綺麗に、艶やかに、馬鹿にする事はなく柔らかな声色で。
心配そうな顔をする華ちゃんを静かに手招きして私の傍に来させると、私は「困りましたねぇ」とどこか嬉しそうに呟くイナバを見た。
どうやら先を急がせるつもりは無いらしい。
「ミシェルは、復讐遂げたからね。一番復讐したい相手にはまだだろうけど」
「え~? それって、もしかして自分とか言っちゃう?」
「馬鹿真面目だから、あんま苛めないであげて」
「やだなぁ、私全然苛めてなんかないよ? ミシェルは凄いなって、綺麗で強くて英雄で人々の希望で汚れたところなんて一点も無い凄い人なんだなって思っただけだから」
うん、それが苛めだよね。
にこにこと悪意を感じさせない笑顔を浮かべながら首を傾げ、ミシェルを見上げるモモ。
体格の良いミシェルは背も高く、モモと比べたら巨木ともやしだ。
どう見ても体格、力で上回っているミシェルが勝つとしか思えないのに、もやしのような華奢ですぐに倒されてしまいそうなモモに押されているのだから笑えてしまう。
いや、笑ったら駄目。うん、笑ったら駄目だ。
「大丈夫でしょうか……」
「あぁ、心配しないで。ミシェルはメンタル弱くてね。綺麗なものだけを信じてきた弊害? みたいなものかな」
「弊害……」
華ちゃんにはそう言ったが、言う程ミシェルの心は弱くは無い。
悪魔の囁きも鼻で笑い飛ばせるくらいに強靭な精神を持っている。
だが、相手が悪い。
相手がモモじゃなかったら、あそこまで酷く動揺して情けない姿を見せることもないのになと私は少しミシェルに同情した。




