119 確認
規則正しい寝息と、少しだけ苦しそうな表情。
汗が浮いた額を軽く拭って、頭を撫でる。
両耳から伸びた白いコードの先には、オレンジ色の音楽プレイヤー。
誕生日の時に私が買ってあげたものだ。
もう型が古くなっているのに、壊れたわけじゃないからと笑って未だに使ってくれている。
今出ているものに比べたら、容量も小さいだろうに。
「……ごめんね」
呟いた言葉が届くことはないだろう。
けれど、言わずにはいられない。
他の教室と違ってこの教室の周辺には敵の姿が少ないが油断はできなかった。
ここだけ敵の姿が少ないのは、この子がリピートして聞いている曲が効果を発揮しているとイナバが言っていた。
試用とは言えきちんと効いている様子にホッとする。
前もってイナバに聞いていたものの、この目で見るまでは安心できなかったから。
「なつみ、ごめんね」
無理に起こして更に負担をかけるわけにはいかないが、早く起こしてしまいたい気持ちになる。
私がこの子を守るからいいんじゃないか、と思って首を横に振った。
駄目だ。
私の近くにいた方が余計に危ないとイナバにも言われたのに。
神原君の近くなら逆に危険度は低くなるらしい。
なぜそんなに違うのかと聞けば、神原君は基本的に全てにおいて恵まれている立場にあると言われた。
やはり主人公補正というやつは素晴らしい。
ここがキュンシュガの舞台になっている学校だから当然なのかもしれないが、全てにおいてとはどういう意味だろう。
「またね、なつみ」
小さく囁いてなつみの頭を撫でる。
もっとこの場にいたいが、そういうわけにもいかない。
私は名残惜しい気持ちを引きずるようにしながらその場を離れた。隣の教室ではモモたちが何か無いかと捜索しているはずだ。さっさと切り替えて合流しなければ。
と、振り返って部屋を出ようとすれば出入り口の所で腕を組んだままこちらを見つめているミシェルがいる。
守るべき対象が隣の部屋にいるというのに、この男はそんな所で何をやっているんだろう。
「モモと華ちゃんは隣でしょ? 室内なら敵に襲われないとは言っても、絶対じゃないのに油断していいの?」
「少なくとも今は大丈夫だと判断した」
「で? こっちには特に何も無かったわよ。相変わらず養分にされてる人たちが数名いただけで」
何か役に立つものがあれば良かったんだけど、と周囲を見回しながら軽く肩を竦めてもミシェルは微動だにしない。
真っ直ぐに私を見つめる緑の目は探るように鋭かったが、私は避けもせず真正面から受け止めて首を傾げた。
教室を出てゆっくりと隣室へと向かう私を無言で見つめていたミシェルは不思議そうに眉を寄せる。
「お前は……それでいいのか?」
「は? 何が?」
「守りたいものがあるなら、自分の手で守れば良いだろう? お前にそれだけの力がある事は、認めたくないが誰よりも私が良く知っている」
「あのね、ミシェル。皆が皆、貴方みたいに守れるわけじゃないのよ?」
ミシェルであれば自分を盾にして対象を守る事は生きがいのようなものだから苦でも何でもないだろう。
私だって、守りたい相手がいればそれなりに頑張る事はできる。
けれどミシェルのように逃げる時間を稼げるのかとか、最後まで守りきれる力があるのかとか、些細なことで揺らいでしまうのだ。
敵の注目が全て私に集まればいいが、さも大事なんですよと言わんばかりに守っている存在が常にいれば敵も見逃すわけがない。
少しでも危険度を減らすために何をすればいいのか、と私ができる範囲で考え抜いて出した答えは巻きこまない事だった。
それは夢の中だろうが現実世界だろうが変わらない。
嫌なほど繰り返される日常に、相手が何を言うか分かってしまっているその会話の内容に飽き飽きしつつも、なんとか乗り越えてこれたのは家族の存在があったからだ。
「最後まで守りきる自信なんてないもの。だったら、安全圏に置いて離れた方がいい」
「だから、魔王のお膝元か」
「そうよ」
「……面倒だな」
「あんたみたいに防御厚くないのよ! まともに受けたら簡単に吹っ飛ぶの!」
「その前に不死者召喚して盾にするのにか?」
「それも戦い方の一つです」
術を使わずに勝てなんて無理ですと即答できるくらい、私自身に力は無い。
体術を習っていたわけでもなく、運動神経が抜群というわけでもないので魔力が尽きて回復できなければ肉弾戦であっけなくやられてしまうだろう。
夢の中だというのに、何でこんな所までリアルなんだと何度涙を呑んだ事か。
モモは運動も卒なくこなすので、前線に出て持っている杖で攻撃しても問題ない。寧ろ、回復メインの魔女が物理で戦うというのがおかしい。
だからこそいいと支持してる人もいるけど。
得意な術は回復系だって言うのに攻撃魔法も使いこなしてるし、固有スキルのせいで信心深ければ深いほど彼女に敵意を持てない。
落ち着いて考える度に本当に恐ろしい存在だと思う。
本当なら人々の希望の一端を担って魔族軍と戦う、可憐でいたいけな乙女になるはずだったのにどうしてこうなたのか。
私が高給に釣られて魔族軍に就職してしまったのが悪いのか。
「でも、私自身も不死者みたいなもんだから殺しても無駄よ?」
「背後を狙うような卑怯な真似はせん」
「……旧友の騎士団長は背後からバッサリだったのにね」
夢の中でも不死、現実でも不死。
呪われているのはギンのせいか、と溜息をつきながらループする場合も不死と言っていいのかどうかちょっと疑問に思った。
似たようなものだから変わりないか。
いや、でも時間も巻き戻るわけだから違うのか。
「……っ! モモ!? 華ちゃん!?」
「しまった、敵襲か!?」
「……ううん。二人とも眠ってるみたい。どうやら、トラップに引っかかったみたいね」
これ見よがしに置いてある開けられた箱が目に入って私は苦笑した。豪華な宝箱の前でモモと華ちゃんの二人は床に伏せて目を閉じている。
眠っている他に状態異常は無いかとイナバに解析してもらえば、問題ないとの言葉が返ってきた。
苦虫を噛み潰したような表情をしているミシェルに溜息をつき私は空箱を探る。
空は空だ、何も無い。
きっと、この中に睡眠ガスが充満していたんだろう。
それにしても宝箱にトラップとはこの学校をダンジョン化した敵は一体何を考えているんだろう。
もどきだったら、睡眠ガスなんて生易しいものは詰めないはず。
きっと彼女なら麻痺か毒ガスに決まっている。
じわりじわりと苦しむ様子をどこかで眺めながらニヤニヤしている図が容易に浮かんで、私は眉を寄せた。
「起こさないのか?」
「……モモは随分と活躍してくれてるからね。眠ってる方が回復も早いでしょ」
「そうか、そうだな。進める場所が増えるに連れて、路傍の石のような存在だった敵が徐々に強くなっていってるからな」
「気付いてたの?」
「馬鹿にするなよ、私を何だと思っている。敵の強さなど見れば分かるわ」
別に馬鹿にしたわけではなかったが、どうやらそう聞えてしまったらしい。
ミシェルの言う通り徘徊する敵の強さがここに来た時と今では随分と変わってしまった。
簡単に倒れてくれていた敵が、段々固くなっているのだ。
最初は気のせいかと思ったがモモもミシェルも状況が変化している事に気付く。そしてイナバが「開放する度に強くなる仕組みみたいですね」と言ってくれた。
どうせならその情報はもっと早く聞きたかったよ、と愚痴れば「制限かかっててムリなんですもん!」と怒られてしまう。
イナバもイナバで上手く自分の力が使えなくてイライラしているんだろう。
腕に抱いたイナバスカルはスリープ状態になっていて、力を回復しているようだった。
「まともに戦ってもこのままじゃ、ボスより徘徊する敵の方が強かったりする事になりそうね」
「ふむ。開放する度に、ならそうかもしれんがこういう場所はアレではないのか?」
「アレ?」
「結局、全てを開放しないとボスの場所へ辿り着けないとか」
「……嫌なこと言うわね」
薄々そんな気はしていてもあえて口に出さなかったというのに。
私だって面倒だし早く終わらせたいから、ザコは適当に放っておいてなつみの無事を確認し、神原君と合流してそのままボス戦へと計画を立てていた。
けれども進むルートが決められていて、先に進むには鍵のかかった教室を開放しなければいけなかったり、色が違ういかにも何かありますよと言わんばかりの敵を倒さなくてはいけない。
完全に敵の術中にはまってるじゃないですか、と一度はそれを壊そうかとも考えた。
しかし自分にそんな力があるわけもなく、頼みの綱のイナバは力を制限されている為に無理だと告げる。
モモが張り切って頑張ってみても結局無理だったのでこうやって地道に鍵を探しては教室を開放し、アイテムや次へ進むための鍵を探したりしているわけだ。
あぁ、なんてゲーム的なんでしょうねと自棄になりながら呟くと、ミシェルの溜息が聞えた。
「相手がゲームをしたいというなら、付き合ってやれば良いではないか」
「……珍しいこと言うのね」
「なに、敵も暇なのだろう。どうせこんな手間な事をさせるくらいだ。自分に相当余裕があると見える」
言われてみれば確かにそうだ。
恐らくカミサマか何かに歪みの発生源を守るように指示されたボスがいるのは分かっている。私達を危惧していれば、徘徊する化け物たちのレベルを最初から最高まで上げておけばいい。
そうすればそれこそ私とモモは修羅の如き形相で息も絶え絶えにボス部屋まで辿りついたことだろう。
しかし、それをせずにまるでこちらに合わせるような進行。
優しいのか意地悪なのか良く分からないと私が呟くと「遊んで欲しいだけかもしれんな」とミシェルが暢気な事を呟いた。
遊びで養分吸い取られ最終的にミイラ化して発見される身としては、たまったもんじゃない。




