116 天性の才
不気味に染まり、気持ち悪い化け物が徘徊するようになった校内を一人の男子生徒が歩く。
顔立ちは気弱と言うよりは優しげで、背は高くもなく低くもない。どこにでもいるようなその青年はとても魅力的な雰囲気を持っており、その仕草は十七歳とは思えぬ程落ち着いていた。
着ているのはこの学校の男子生徒であれば誰でも着ている制服。
しかし、彼は左手に神聖なオーラを放つ盾を持ち、右には死神が持つとは思えない白い柄の大鎌を手にしている。
高校生が突然異世界に放り込まれるか召喚されるかして、渡された宝具を無理矢理身に着けたような形にも見えるが恐ろしいことに彼はそれら二つの武器防具を違和感無く使いこなしていた。
誰が見ても彼がそれらを身につけるのは当然だと勘違いするくらいに、似合いすぎている。
慣れた手つきで化け物を倒した彼の目元は凛々しく、その不思議な魅力に惹かれるのは当然とも思えた。
「……変なんだよなぁ」
『何がだよ』
「一部の敵がさ、戦う前から降参して脇に避けてくれたり、鍵や他のアイテムの場所まで教えてくれるなんて」
『そりゃお前だからだよ』
「はぁ?」
またここで、お前が主人公だからと言えば不機嫌になるのは目に見えていたギンは言葉を濁して先を促す。
納得いかない様子で首を傾げていた神原だったが「いいじゃないか、背後から襲ってくるわけでもないし」と言うギンの言葉に渋々頷いていた。
神原だってできれば戦闘は避けたいので、敵から退いてくれるのは嬉しい事だ。
最初は隙を見て襲ってくるんだとばかり思っていたが、それもない。
もちろん、全ての敵がそんな好意的に接してくるわけではないので神原を案内している所を他の化け物に目撃された敵は、他の化け物に追いかけられて倒されてしまった。
統率がきちんと取れてないんじゃないかと敵の事なのに心配してしまう神原に、ギンは乾いた笑いを漏らすのみ。
「それにしても、本気でダンジョンとはね。学校で白昼夢見るようになってから、いつかはこうなるんじゃないかって思ってたけど」
『すいません。白昼夢のこと聞いた時にもっとよく気にしておくべきでした』
「だよねぇ? なーんて、俺もこんな事になるなんて想像もしてなかったし、あんなのただの悪夢で片付けたかったんだけど」
校内を徘徊している化け物にはある程度の知識があった。
ただ邪魔者を排除しろとの命令を忠実にこなすだけだったら、神原を案内したり親切にも鍵の場所を教えてはくれない。
罠だ、と毎回思っては本当にアイテムや鍵を見つけてしまうので彼としては複雑な心境だ。
敵が自分を見て逃げる分には構わないが、ここまで良くされると情が湧いてしまいそうになる。
悪いクセだなぁと溜息をついて鍵を取り出し、教室へと入っていった彼の後姿をそっと隠れるように見つめている一つの姿があった。
「あぁ、素敵……まさかこんな所でアタシの王子様に会えるだなんて。もう、感激しちゃう」
くねくねと体をくねらせて放たれる言葉はどう聞いても野太い男のものだ。しかし、頬を染めながらレースのハンカチを持っている化け物はうっとりとした表情で教室内を捜索している神原を遠くから見つめ続ける。
恐ろしいかな、化け物ですら魅了してしまう上にその心すら奪ってしまうとは。
これが主人公というものか、と思ってしまいそうなくらいに今の神原は神秘的なオーラを放っている。口元に湛えた笑みは何かを含むような黒さを垣間見せた。
「っ!?」
『どした、直人?』
「いや……うん。今なんか悪寒が……」
『敵がいても何とかなるから、それ以外か? 中ボスか小ボスか。お目見えになりましたーってか』
「いるの?」
『いや、確認はできないけどなぁ』
教室内は安全圏なので心配する事は何も無いはずなのに、さっきまでいた廊下から殺気にも似たものを感じた神原は、腕を擦りながら眉を寄せる。
ツツツ、と肌を逆撫でされたかのような気持ち悪さと悪寒は未だ消えない。
しかし肉体と精神の消耗はこの場に留まる事で少しずつ回復されていた。
「この教室は誰もいないか。寝てしまえば養分になるっていうのも、嫌だよね」
『室内にいれば安全だけど、養分からは逃げられないからな』
「もどきが敵ならさ、俺たちがいる事分かってるはずだよね? モニターして楽しんでるのかな。アイツそういうの好きそうだし」
どこで何が起こっているか。
誰がどうしたか。
神にも等しい視点で自由に校内を見ているのかもしれない、もどきを考える神原は少し落ち着いていた怒りの炎がまたジリジリと燃え出すのに気づいて笑みを浮かべた。
もどきは自分の妹と瓜二つの人物だが、中身は違うと彼は強く否定する。
キュンシュガのゲームをしていた時の神原にとって、ゲーム中に出てくる美羽の存在は頼りになる妹であり癒しでもあった。
前も今も一人っ子の神原なので兄弟というものに強い興味があったのかもしれない。
純粋で、素直で可愛らしく、生意気な事を言って偶に困らせることもあるが攻略中の相手に関するヒントのようなものをくれたりもする。
その会話を元に色々と行動していくと、また新しい道が出来たり新しいアイテムを購入できるようになったりした。
面倒だとの声もあったし、出張ってくるブラコンの妹なんていらないという声もあったらしいが、遊んでいた神原にとっては邪魔にならない存在だ。
中の良い普通の兄妹ならあんなものなんだろうと思っていたからだった。
心のどこかで憧れていた兄弟というもの。
しかし、自分がキュンシュガの主人公である神原直人だと気付いた時には、一人っ子で妹など存在していなかった。
ゲームの中でも希薄な存在だった両親が、妙に濃い性格だったりして神原は頭が痛い。
アニメや漫画でも少し出てきたりしていたが、いい歳をしてドジッ子な性格には見えなかったなと神原は遠い目をした。
『直人の母さん、ドジッ子だもんな。注意力散漫の天然さん』
「やめろ……やめてくれ……」
『いやーん、直ちゃんたらすっごーい。流石、母さんと父さんの息子ね。うふふっ』
「ギン、次会ったら覚えておけよ?」
その場で神原がどんなに凄もうとも離れた場所にいるギンは痛くも痒くもない。それに、自分を可愛がってくれる直人の母親がギンは好きだった。
ほんわりした天然なドジッ子という上に、巨乳だからだ。
毛並みが良く綺麗なギンを直人の母親も気に入っていて、神原が学校に行っていない日中は彼女が世話をしてくれるので接する時間が長くなったせいもあるだろう。
愚痴を聞いたり、惚気や自慢話を聞いたりしながらギンは彼女が本当に可愛い人なんだなというのが理解できて良かったと思っている。
可愛いものを見るとつい抱きしめたくなってしまう彼女の胸が心地よいからではない。
弾力があって、柔らかで至福の時だからではない。
そうギンは言い訳じみたことを並べるが、神原は冷たい目をして頭の中に響く声に舌打ちをした。
由宇がそれを知ったら無表情で冷たい視線を向け、彼が父親である事は墓場まで持っていくことになるだろう。
例えギンから父親だと告白されても、拒絶されて終わりだ。
母親に告げ口されて、神原からの情報も加わってしまうとそれこそ絶対絶命だ。
ギンのハマム・マッハシ化も近いというのに、言い訳が終わったギンは満足そうに息を吐いていた。
『何だよ、変なこと言ってないだろうが』
「ギンてさ……家族いたんだっけ?」
『さぁ、そんな昔の事は忘れたな。もしいたとしても、あっちも忘れてるだろうさ』
「ふぅん。寂しくないんだ」
『寂しがってる暇なんかねーよ。次から次へと厄介事や仕事が押し寄せてきてな』
忙しいから考える暇が無くていいのか。
そう勝手に理解した神原は自分の家族について何一つ話したがらないギンに、少し寂しさを感じていた。
相棒として強い絆で結ばれ、今もこうやって彼を外部からとは言えサポートしてくれる。
それが管理者のためなのは神原も分かっているが、妙に人間臭いギンと一緒にいると「それでもいいか」と許してしまいそうになるのだ。
両親がいて、自分がいて。お喋りでオッサンなギンがいて。
“今”がずっと続けばいいのにと願ってしまいそうになりながら、神原は由宇の事を考えた。
本当なら、今日の学校帰りに沢井と一緒に寄った店で彼女を待ちこの前の非礼を詫びるつもりだったのだ。
この前は由宇がいなかったが、今日はこんな状況になってしまって何かに妨害されているようにも思える。
そんなのは思い過ごしだと苦笑した神原は、早く学校を敵の手から奪取するべく教室を出た。
「ぬあっ!」
「きゃっ! きゃーきゃー! いやー、ごめんなさいー! でも殺さないでー!」
「な、何?」
目の前にヌッと現われた大きな壁に戦闘態勢に入った神原だが、耳を劈く野太い声の悲鳴に軽くよろめいた。
くらり、とする体で何とかバランスを取ると、少し離れた位置に素早くその壁が移動する。
大きさの割には俊敏だなと考えながら害を加える意志が無い事を確認し、神原はコホンと咳払いをした。
「君がこちらに害を加えないのであれば、僕も害を加えるつもりはない。君たちの仕事は理解しているつもりだけど、僕もやらなければいけないことがあるからね」
『ってー。何だあの野太い声……敵? あ、そいつ化け物な』
「見れば分かるよ」
姿形が違っても、名前も種類も特に説明は無く化け物とだけ。
聞いたところで活用する場所もないので別にいいやと思っていた神原だが、小さく唸るようなギンの声に首を傾げた。
壁から顔をチラリと出してこちらを窺っている化け物は、近づいてくる気配も無い。
それならば無視して先に進もうと神原は、開放された場所を歩き始めた。
『直人……あいつ、ついてきてんぞ?』
「え、マジ?」
『マジマジ。一定の間隔でお前の事ストーキングしてるわ』
「行動監視して罠にかけるつもりかな」
今まで戦ってきた化け物はほとんどが持ち場を見回りしているものばかりだったので、一対一が多かった。たまに見回りの場所が被っている部分で戦闘していると、新たにもう一体加わったりはするがその程度だ。
化け物が協力して何かをする事は無かっただけに気を引き締め、神原は目の前の阻んでいた赤紫に揺らめく透明な壁を大鎌で切り裂いた。
そしてその様子をうっとりとした表情で見つめる化け物が一体。
「ホント……年下だけど、素敵すぎるわぁ」




