115 目覚める
「ん……」
ふと目を覚ましてぼやけた視界に映った見慣れぬ天井。
てっきり自分の部屋かと思った神原はゆっくりと体を起こして左右を見回した。
まだ頭がぼんやりとしているが、床に倒れている生徒が見える。
視線を上げると机に突っ伏すようにしている他の生徒の姿が映った。
ハッとした彼は慌てて近くで倒れている生徒に駆け寄り脈を確かめる。
生きている事に安堵したのも束の間、立ち上がって周囲を見回した彼は異様な外の景色を見て顔を歪めた。
「何があった? 何があったんだっけ?」
悪酔いしたかのような気持ち悪さに襲われて上手く頭が働かない。
倒れている生徒を起こして何とか椅子に座らせると、彼は頭を掻きながら室内を行き来し始めた。
「夏期講習があって、成洋と一緒に出た帰りに大井先輩に手伝って欲しいって呼び止められて……そうだ! イベント回避しようと思って選択肢にない事ばっかり言って話逸らしてたんだ」
ゲームの内容を全てを覚えているわけではない神原だが、恋愛フラグに関わるような質問や話の流れの時に選択肢が突然目の前に現われることがあった。
最初は頭がおかしくなったのかと思った神原だったが、他の人は何も見えていない様子でギンに相談したところ「主人公、っつーよりプレイヤー目線だな」と豆をつつきながら言われる。
ギン曰く今までは主人公、神原直人として行動してきたから現われなかったんじゃないかとの話だ。
データを混ぜた張本人だというのに「俺も分からん」と胸を突き出して威張られてしまえば神原もそれ以上は何も言えないというもの。
深い溜息をつきながらも、神原は新たに得た“自分だけに見える選択肢”を上手く利用して攻略対象、主要人物たちとの恋愛フラグが立たないようにと気をつけてきた。
今回もその八方美人を発揮して気軽に「いいですよ」なんて引き受けてしまったからこんな事になったんだと彼は頭を抱える。
用事があるからと断れなかったのか、とあの時の自分を思い出し「断れなかった」と神原は溜息をついた。
先輩の女子から直々に頼まれるのだ。そこで下手に断ったりしてしまったら、それこそ周囲から何か言われかねない。
相手が普通の先輩だったら断っても角が立つようなことは無かっただろうが相手は生徒会副会長だ。
しかも最近何だかやたらと神原を呼びに教室まで来る。
「最初は役に立つと思ったんだけどな、選択肢。最近は俺を殺しにきてるようにしか思えない」
気弱になっている神原は何度目か分からない溜息をついて、窓辺に近づく。
空も雲も不気味な色に染まって、まるでこの場所だけが他から切り取られ違う場所へと放り込まれたようだと思ってしまった。
「ゲームじゃあるまいし……」
いい加減にしろよ俺、と呟きながら神原は軽く壁を叩く。
自分が存在している世界こそ、ゲームの情報が入り混じったものだという事を思い出したのだ。
気分を変えて試しに窓を開けてみようとしたのだが、鍵が固すぎて動かなかった。錆びたりしたのではなく、違う力の影響だろうと考えた彼はこれからどうしようかと首を傾げる。
落ち着いて深呼吸を繰り返し、もう一度室内を見回した。
書類棚にもたれるようにして眠っている大井の姿や、他の役員の姿を見て自分が気を失う前の状況と相違は無いかを確かめる。
生徒会長は少し離れた場所で思ったよりも安らかな寝顔で眠っていた。
「うん、変わりないな。頼まれごとが終わって、成洋と合流しようとしてまた頼まれてタイミングを失い、その後半ば強制的に帰ろうとしていた……うん。そうだ」
この後何かあるのかと大井に聞かれて「用事があります」とはっきり答えた神原に彼女はそれ以上何も言ってはこなかった。
何か言いたそうな表情はしていたが、神原は気付いても知らないふりをする。
「その時に、学校が大きく揺れて、視界も揺れて気持ち悪くなって気を失ったんだ。そっか、そうだ」
地震大国とは言え今まで経験した事の無いような大きな揺れに、よくこの学校がもったものだと神原は感心した。
しかしそれも考えてみるとおかしい。
地震の後にどうしてこんな状況になったんだろうと眉を寄せた神原は、この生徒会室から出て行こうと教室のドアを開けた窓の向こう側にギンの姿を見つけた事を思い出す。
開いた窓に止まっていたギンと目が合って、出ようとする前に気を失ってこの有様。
「ギンは? ギン?」
ハッとして周囲を見回しながら名前を呼ぶも、返事は無い。
部屋のドアを開けて廊下に飛び出した神原は、目の前に現れた化け物としか言いようがない何かと暫し見つめ合った。
「なんだ、これ?」
硬直が解けたのは化け物が先で、フードを着たドクロの化け物が大鎌を大きく振りかぶる。
咄嗟に頭を庇うようにして目を瞑り腕でブロックした神原は、何かを弾くような音を聞いて恐る恐る目を開けた。
視界に映ったのは紫色の煙になって消えてゆく化け物の姿だ。
何が起こったのか良く分からなかった神原だが、自分と化け物の間に西洋風の盾が浮いている事に気付く。
「これが、守ってくれたってこと?」
何となく神聖なオーラを放っている盾にそっと触れれば、カシャンと軽い音を立てて盾が床に落ちた。慌ててそれを拾って周囲を見回した神原は、先ほどのような化け物がいないのを確認して安堵の溜息をつく。
手にした盾は軽くて持ちやすい。
もしこの盾があの化け物を撃退してくれたのなら、持っておいて損は無いと彼はありがたく頂くことにした。
装備すればまるで前から自分の持ち物だったかのように馴染む。
こんな感覚はあの剣を手にした時と同じだなと神原は思わず自分の右掌を見つめてしまった。
美羽の皮を被った許しがたいバケモノと出会った時に出現した剣。
RPGで出てくるような英雄や勇者と呼ばれる者が持つに相応しいだろう剣も、この盾と似たような神秘的なオーラを纏っていた。
旨いことまたあの時のように出てきてくれないかな、と思いながら彼は右手を振るってみる。
「……ですよね」
そう都合よくいきませんよね、と苦笑いした彼は盛大な溜息を付いて肩を落とした。
切れ味鋭くもどきを一瞬で斬ってしまったあの剣は、由宇か魔王が持っていて自分では出すことができないんだろうかと考え頭を横に振る。
「無いものは無い。あるものだけで、何とかしないと」
何か武器になりそうなものがあればいいがと彼がすぐ目に留めたのは、さっきの化け物が手にしていた大鎌だ。
何故か大鎌はあの化け物と一緒に消える事は無くその場に残っている。
禍々しいオーラに眉を寄せてちょっと触れてみると、ビリッとした痛みが指先から伝わってきた。
「うわっ!」
どうやらこれとは相性が悪いらしい。だが、そんな事は言っていられない。
鎌の柄を持ちながら痛みに耐えて軽く振るってみると、パキンという軽い音と共に大鎌が割れた。
否、割れたのではなく表面の何かが剥がれて鎌を纏っていた禍々しい雰囲気が掻き消える。
低周波を流された時のようなあの痛みと痺れも無くなり、神原は再び眉を寄せて大鎌を見つめた。
「……属性反転とか? え、でも何で?」
それにどちらかと言えば剣の方が格好良くて持ちやすいし、そっちが良かったと呟く。
鎌の扱い方なんて分からないんだけど、と呟いた彼は生徒会室を覗き込み大井を見つめると小さく頷いて静かにドアを閉めた。
外にあんな敵がいたというのに中にいた人物には襲われた形跡は見られない。
皆寝ているだけなので室内にいればとりあえず無事ということなんだろうかと神原は考える。
『お前が主人公だから、じゃねーの?』
「ギン! って言うかそれやめろってば。俺が嫌なの知ってるだろ?」
『もっちろーん。まぁでも、お前が無事で良かったぜ。ちょっくら心配しちまったけどな』
「心配……ねぇ」
『本当だって。だって、お前に死なれでもしたらまた強制的に世界がループすんだろ』
思わず嬉しくて顔が緩んでしまう。
思いやりの欠片も無い言葉だが、これが彼なりの優しさでもあることを神原は良く知っている。
下手な慰めなど聞きたくなかったから丁度良かったとばかりに神原は小さく笑って「悪かったねぇ」と呟いた。
ふ、と息を吐いた声が頭の中で響くのを聞いた神原はギンが余裕を装いながらも結構心配していたという事を察する。
それは神原の思い込みでしかないのかもしれないが、それでも彼の心を擽り気持ちを軽くさせるには充分な力を持っていた。
「それを回避するサポートするのがお前の役目だろ? 相棒」
『だーからこうやってちゃんと役目こなしてるじゃねーの』
「えー? 異変察知してすぐ逃げたんじゃなくて?」
『誰だって、自分の身は可愛いものです』
うふふ、と気持ち悪い声で告げるギンに思わず笑ってしまった神原はとりあえず生徒会室前で頭の中の彼と話し合う。何があるか分からない校内で下手に歩き回るのは危険だと判断したからだ。
ギンから校内マップを貰ったがこの学校の生徒である神原には不要も同じ。
けれど、もしかしたら変わっている部分もあるかもしれないという事で一応受け取った神原は溜息をつく。
「こういうアイテムは現実になるのに、お前は来ないのか」
『やめてください、死んでしまいます』
「嘘付け。俺より強いくせに」
『危険冒して俺がそこ行って、死んだらどーなるよ』
「俺が死ぬより酷い惨状ですってか。そーですか。俺は死んでもどうせまたやり直しにしかなりませんよ」
拗ねたような声の響きに苦笑しながらギンはマップに表示した赤い点の他に青い点を四つ付け加える。
動く赤い点は先ほどのような化け物だと説明されていた神原は、新たに増えた点を見て首を傾げた。
ゲーム感覚で言うとするなら、赤が敵なのは分かる。では青や緑は? 基本的に味方が多いような気がして彼は顔色を変えた。
「え、俺以外に起きてる人がいるってこと? この空間で!?」
『まぁな』
「ここって、普通科のクラスがある所か」
『あ、なんか敵の妨害なのか遊びなのか知らないけどな、ここダンジョン風になってるから』
「は?」
『簡単に目的地には行かせてくれません、っていう仕様』
馬鹿にしてるの? と低い声で呟く神原の声を聞いたギンは「まあまあ」と宥めながら敵側もそうやって遊んでいるんだろうと苦笑する。
神原の頭を過ぎるのは愛くるしい顔で残虐な事を平気でする、美羽もどき。
「俺を飽きさせない為なら、いい趣向だよね?」
『……黒直人降臨か』
あぁ、やっとその機会が巡ってきたのかと口の端を上げて彼は笑った。




