113 泡沫
保健室の内部は私やモモが通っていた高校とあまり変わりない。
椅子に座ったりベッドに腰掛けてひとまず休憩しているモモと華ちゃん。
ベッドに座れば良いのに律儀に小さな丸イスに座っている聖騎士さまの様子は滑稽としか言えない。本人も難しい顔をしながら居心地悪そうにしているが、背筋を伸ばし座っているので思わず笑ってしまう。
私は語らうモモと華ちゃんの声を聞きつつ、背中に刺さるような視線を受け室内を見て回っている。
保健室にいるだけで回復は他の一.五倍ほどあるらしく、疲れて所々怪我をしていた華ちゃんも元気に回復していた。
まるで夢の中のような出来事だと呟いた彼女は「あ、夢の中ですもんね。当然でした」と苦笑する。
その仕草や表情が可愛くて思わず頬を緩ませそうになるのだが、背中に刺さる視線が邪魔をした。
アレさえいなければモモだけだから顔がどれだけ崩れようと気にしないんだけど、と心の中で呟くと「ユウお姉さん。回復したら行きますよ」とイナバに急かされた。
イナバの探索もここではあまり役に立たない。それが本人としては不満な様だ。
内部構造と敵の位置が分かるだけで充分だと言ってもイナバは不機嫌そうな顔をしたまま、「わたしだって、わたしだって」と呟いている。
手元に表示させたマップの一部が薄くなっていて、イナバの力が制限を受けているのが分かった。
最初にマップを見たときには感じられなかった変化が起こっている。
原因はなんだろう。
「うーん。特にめぼしいものはないけど、ゆっくり休めるから回復にはもってこいか」
「華ちゃん、少し横になって寝てなよ。疲れたでしょ?」
「モモさんでも……」
「大丈夫大丈夫、置いてったりなんてしないから」
なんなら子守唄でも歌おうか? と首を傾げるモモに私は思わず声を荒げて「やめてください、死んでしまいます!」と叫んだ。
ぷぅ、と頬を膨らませてご機嫌斜めのモモは「ふーんだっ」と呟いて目を逸らした。
私とモモのやり取りを見ていた華ちゃんはきょとんとしていたが、小さく笑うとモモが座っていないベッドに横になる。
ミシェルは背後にモモと華ちゃんを守るようにドンと座っていて、その目は相変わらず私を刺していた。
「……」
「うんうん、特に変わったものはないわね」
面倒なので私からは何も言わない。
ミシェルも何も言ってこないので、それでいいと思う。
ただ、さっさと成仏しないところを見ると何か心残りがあるんだろう。
あ、モモと華ちゃんが心配なのか。
ポンと手を打ちながら私は戸棚から誰が置いたのか分からない回復薬を手に入れた。
ファンタジーな世界でも良く見る回復薬は体力魔力気力共に全快するという代物である。冷静に考えたら相当危ない薬だろう。
【隔離領域】をファンタジー風の世界観にしてそこを私達に探索させ、自分の力の欠片である石版を回収させるなんて事を考えたのはきっとギンだ。
アレが私の父親ならば、そうする。
その方が私もやり易いし、何より夢として誤魔化す事ができると考えたはず。
そう言えば顔を見合わせたらどうしようかとか、自然に何事もなかったかのように振舞えるだろうかとか心配していたのが馬鹿らしい。
思っている以上に緊張してるのかな、と心中で呟けば「何があってもわたしがついてますよ!」とイナバが励ましてくれた。
さっきまで力に制限がかかった事を愚痴っていたというのに早い立ち直りだ。
「モモも休んでいいよ。私はあんまり動いてないから大丈夫」
「そ? じゃあ、お言葉に甘えて少し寝るね」
「おい……そんな暢気で良いのか? 敵地内だというのに、行楽気分とは随分なご身分だな」
「輿に担がれて高みの見物してるわけじゃないんだからいいじゃない」
モモと華ちゃんが寝ているベットを中心に青白い円陣が浮かび上がる。一瞬身構えたミシェルだが見慣れた模様に息を吐いて腰を下ろした。
放逐されたというのに未だ付き従う辺り、騎士としてか弱い乙女を残して成仏できないとは相変わらず真面目だ。
これが私一人だけだったら言いたい事を全て告げてから、清々しい顔で成仏していっただろうに。
まぁ、あれこれ考えてもそれもギンや魔王様の用意した舞台も混ざっているから実際にどうなるのかは知らないけれど。
「アイテムはこのくらいか。時間経過で復活?」
「のようですね」
私だけが閲覧できる手持ちの不死者リストを頭の中に出してみれば、「うおぉ」とイナバが驚いた声を上げた。
何も今回が初めてでもないだろうにと溜息をついてから、あっちの夢での石版探しは同調しているから見え方が違うらしい。
そう言えば夢の中でイナバの気配が感じられなかったことを思い出す。
魔王様がいるから困らないのでイナバについては深く考えたことはなかった。
閲覧するだけで、今のように干渉はできないんだろうか。
「私を解放した事を一生悔やむことになるぞ。私がその気になれば今この場でお前の心臓を一突きし、首を刎ねる事など容易いのだからな」
「はいはい。でも今ここでそうしないのは、モモと華ちゃんがいるから……と。素敵な騎士様だこと。助けた見返りに全財産を巻き上げた挙句村の若い女を片っ端から陵辱して回る部下をお持ちだものね。お楽しみは、最後までとっておく主義かしら」
「黙れ!」
「……回復の陣が発動してるし、深い眠りだからいいけどさ。あんまり興奮すると、二人が起きちゃうわよ」
教科書、参考書、資料。
身長・体重測定の資料に手をかけた私は、暫く迷った後でそっとそれを棚に戻した。
「ま、そして最後は村ごと燃やして証拠隠滅っとね?」
「貴様……」
「恨み言なら貴方の馬鹿部下にでしょ。忌み嫌う魔族よりも卑劣な部下を持って大変ですこと」
「魔物など見境が無いではないか!」
「やれやれ。見境無く襲うのは三下よ。ザコのザコ。幹部やそれなりの名前がある者はそんな馬鹿な事しないの。したらしたで、同族に殺されて終わるだけよ。こっちにも一応ルールはあるんです」
夢の中なのに妙にリアルで。
生々しくて、ドロドロしていて。
どうして綺麗じゃないんだと魔王様に何度も愚痴ったことはある。
魔王様は困ったように「色々な夢がもとになっているからね」と苦笑してそう呟いた。
どうやらあの世界、現実の世界に住む人々の夢が原料らしい。それをギンが形作ってあんな世界になったそうだ。
夢の中でも苦しんだり死んだり辛い目に遭う人は悪夢としてそれを夢見ているのかと思うと居心地が悪い。
そんな事言っても私に何ができるというわけでもないけれど。
人々の希望は常に勇者であり、救世主。
光を纏う彼らの到来を待ち望み、その姿を目にして涙する。
「貴方たちはいいわよね。悪いことをしても、私達のせいにして被害者面してればいいんだもの。責任を魔族と勇者に押し付けて民衆を煽るだけの簡単なお仕事です、って貴方たちの王様はその勇者様ご一行に討ち取られたんじゃなかった?」
「……っ」
「その場にいなくて良かったじゃない? 信じてたものが音を立てて崩れ、裏切られ絶望する様子も見てみたかったけど」
ギリッと殺意の篭った視線を向けられる。
血走った目、噛み締めた唇からは血が流れ、膝にきちんと置かれていた手は爪が食い込む程に太股を抉っていた。
高貴で神聖な神の祝福を受けた白銀の鎧と不死者のくせに生前と変わらぬ赤い血が流れる彼は、不思議と綺麗だった。
そう感じてしまう時点で私もすっかり魔族軍に染まり、頭がおかしくなってしまったんだろうけど。
ミシェルの精悍な顔つきを眺めていて私は思い出す。
あぁ、彼の最期の時と同じだと。
あの時私に向けられていたのは憎悪、嫌悪、殺意といった感情だったけれども今回はどうやら違うようだ。
少し動いただけでも斬りかかって来るような獰猛さと鋭さは見受けられない。
それを残念に思っていれば左腕に抱えているイナバが「ヒェェ」と変な声を出して震え始めた。




