110 ウサギとモモ
心の準備を何とか終えて、なつみがいない事に不自然さを感じていない母さんと兄さんにお休みの挨拶をして自室へと向かう。
スマホを卓上ホルダーにセットし、充電を確認する。
イヤホンをつけて部屋の電気を消した私はベッドサイドの棚の上に置かれているライトを見つめて心を落ち着かせた。
眩しくない柔らかな光を放っているランプは、蓮の花を模した形をしていてその質感も滑らかだ。
絹が張ってあるんだと説明してくれた叔父さんの言葉を思い出しながら、最近はこの光が癒しになっているなぁと苦笑した。
真っ暗にして眠るので活躍する事なくクローゼットの奥に箱ごとしまわれていたランプ。
あれはいつの誕生日の時に叔父さんがくれたんだっけ、と思っていると段々眠くなってきた。
「ふあぁ」
耳から聞えるのはイナバが流しているらしい睡眠導入曲。
ランプに合わせたのかアジアンテイストで、このまま眠ったら極楽の夢でも見られそうだ。
本来は白熱電球だったが、枕元の明かりとして使用するために就寝用のものに変えた。
ぼんやりとした暖かな色が心を落ち着かせてくれて、シェード越しの明かりは目にも刺さらない。
ずっと真っ暗な状態で眠っていたので、最初は慣れなかったが慣れてしまうと反対にこれ無しでは落ち着かなくなってしまった。
「ふぅ」
「深呼吸を繰り返して、心を穏やかに……全身から力を抜いて、リラックスですよ」
イナバの声が優しくて穏やかなのは、これから起こる厳しい事を少しでも軽くしようとする為なのか。
余計な事を考えていると「寝るんですから、考えちゃ駄目です」と怒られた。
極楽浄土を想像するような音楽に浸りながら私は眠りへと落ちてゆく。
心地よい落下に身を委ねながら目を覚ました。
ほんのりと温かな光に包まれるような感覚に安心する。
身を起こして周囲を確認すれば暗闇の中、何かに乗って落下しているようだ。
「花?」
ゆらゆらと揺れながらゆっくりと下降している蓮の花の中央に私はいるらしい。
ランプと似ていると花びらを触れば、絹のように滑らかで弾力があり好ましい香りが漂う。
一枚、また一枚と散りながら下降した蓮の花は一番外側の花弁を残して消えてゆく。
闇に溶けるようなその様子にも美しさを感じながら私は大きく伸びをした。
目を瞑ってイナバの呼びかけを待つ。
既に敵地の内部だろうにこんなにも落ち着いていられるのは、今いる場所が安全だとどこかで分かっているからだろうか。
ファンタジーな夢の世界で良く出てくる紋様は、結界。
敵を寄せ付けず、姿を隠してくれるものだ。
そう言えばあれの中央には蓮の花に似た絵が描かれていたなと思っていると、私の他に誰かいることに気付いた。
「うーん……いたたた。着地失敗かぁ」
イナバか魔王様か、そう思っていた私はその声に驚いて目を開ける。
暗闇に慣れた目に映ったのは、赤、紫、黒、紺が混ざった光景で気味が悪い。
草木の色も通常とは違う。
校舎は黒みがかた赤紫の空を映すように不気味に染まっており、窓から見える校内にはなつみが言っていたようなバケモノの姿が見受けられる。
「うわぁ……なんでよ」
周囲を見回し現在地を確認する。
構内写真は前に見たことがあるので、それと照らし合わせるとここは恐らく裏庭だろう。
中庭と比べてひっそりとしており、小さい面積のこの場所は安全地帯にぴったりだったのか。裏庭を覆うように描かれている紋様を確認した私は、イージーモードで助かると息を吐いた。
そして、頭を左右に振りながらぶつけた腰やお尻を擦っている人物に私は眉を寄せた。
無視したいがそうもいかないだろう。
「はぁーい、マジカル・モモだよ~♪」
「うん。知ってた」
私の視線に気づいた彼女がウインクをしながらポーズを完璧に決めて自己紹介をしてくる。
冷たく返した私の言葉に頬を膨らませ「つまんなーい」と言われても困る。
飛んで来たハートをいつの間にか手にしていたクラーにぶつけると、ぽわわわんと音がしてハートが砕け散った。心なしか淡いピンク色のオーラを纏ってしまったクラーに驚愕していると、彼の頭頂部に何か変な突起を見つける。
「何これ」
「耳ですっ!」
「イナバ……あんた、クラーに寄生したのね」
「失礼ですね、ちょっと間借りしてるだけですよ。魔王様は直接干渉できないらしいので、今回はわたしがサポートします! まぁ、前回の夢の中も魔王様が由宇お姉さんの相棒的ポジションていうのは気に入らなかったんですよね……」
「あれあれ、ユウの相棒なら私だっているよ~?」
変な所で張り合おうとするな。
第一何故ここにモモがいる。
あれか、夢の世界と間違えて石版探しの旅かと勘違いした私の脳が出現させてしまったのか。
一緒にいるには心強いが、申し訳ないという気持ちが大きい。
「ユウお姉さん、ですね。ここでは」
「そんなのいいから。ここにモモがいるは私のせい?」
「まぁ、簡単に言えば引きずられたって事でしょうね」
「あああ……いくら夢の存在とは言え、悪いことしたわ。いや、心強いけどね。一人よりもずっと」
「え? ユウお姉さん勘違いしてますけど、あれ本物ですよ。モモさんです」
「マジカルモモでしょ?」
「いえ、北原百香さんですよ」
ん?
魔族軍に所属していて私とほぼ同期で軍の中でも私と同じ人間だっていうのに他の魔族たちから凄く人気があって、ファンがいるけどもう軽く宗教じみていてアイドルばりに歌を歌ってワンマンステージしたり、貢がせ……ごほん。プレゼント攻撃にあってるあのモモじゃなくて?
「そのモモさんです」
「え、本物!? えっ、えっ?」
一体どういう事だと心の中で叫んでもイナバは「引きずられたんでしょうね」としか答えてくれない。
モモと呼べば、髪の乱れと着ている洋服を手で撫で付けてくるりとその場で一回転した。
ふわり、と膨らむスカートはいつものように鉄壁ガードで見えない仕様になっている。
可愛らしい衣装にマントを靡かせて本人はいたくご満悦だ。
「……どうすんの」
「一緒に行くしかないと思いますけど」
「大丈夫なの?」
「モモさんも魔王様の加護はあるはずですし、このくらいの例外なら何とかなるんじゃないかと思いますよ」
どこまでも軽いな、イナバよ。
私はいいけれど、モモを巻き込むのは何だかとても心苦しい。
けれどもこれもいい機会なんだろうかと思った私は、コホンと咳払いをしてモモを呼んだ。
首を傾げて近づいてきたモモを目の前に座らせてこの場がどういった場所なのか、そして目的は何なのかを告げる。
荒唐無稽で馬鹿げた話を頭から信じられるわけがないので、きっと笑い飛ばされるだろうと思ったけれどモモは「うん、わかった」と笑顔で大きく頷いた。
「えっ? わ、分かってくれたの?」
「うん。つまりー、その歪みを保たせてる存在を倒しちゃえばいいんだよね。それでもって、この空間は裏世界みたいなものだから現実と根底が同じで、存在する人に私達の事がバレないように行動すればいいんだよね?」
「そう……ですね。一応、夢という事でこの場で起こった事は記憶消去をする予定ですが」
物分りの良いモモの言葉に頷きながらもイナバは驚いている。私も同じように驚きながら、ニコニコとしたままきちんと正座しているモモを見つめた。
このモモは本当に私が知ってるモモなんだろうか。
あまりにも性格が良過ぎるような気がする。
「……それだけ? 何か他にこう、『なんなのよここはっ!?』とか『やってられない、帰してよ!』とかないの?」
「やだなぁ、ユウったら。こんな面白そうな場所に来られて私がそんな事言うとでも思う? お化け屋敷でもワクワクしてあのゾクゾクがたまらないこの、わ・た・しが」
「あぁ……そうだった。モモといるとお化け屋敷は怖さが薄れるからいいんだよね……って違うわ!」
そんな事を暢気に思い出している場合じゃないわ。
思わずノリツッコミを入れると面白かったのかモモはお腹を抱えて笑い始める。
左手に抱いているうさ耳のついたクリスタルスカルに憑依しているイナバも唖然としているのが気配で分かった。
うん、ですよね。
なんだろうねこの、緊張感の無さ。
気を引き締めて無事に帰れるかどうか分からない気持ちでいる私の隣で、これだけワクワクされると遊びに行くんだっけ? なんて勘違いしてしまいそうだ。
空は不気味に染まり、校舎はその色に染まって変な生き物が徘徊しているというのにモモは楽しそうに周囲を見回している。
目はキラキラと輝き時折その口から「うふ……ぐふふ」なんて乙女らしからぬ笑いが漏れたりしているくらいだ。
「モモさん、怖くないんですか?」
「ううん。凄く楽しみっ! 今までの旅だって似たようなものだったじゃないの」
「いや、でもあれはほら……ファンタジーだし……って、あれ? モモ、夢って?」
「んー? 石版探しのやつよ。魔王様の代わりに今回はイナバちゃんがサポート役なんでしょ? それに場所がいきなり現代風になったって良くある事だから気にしないわよ」
なんてことだ。
夢の方に出てくるモモも、本人でしたってオチになるとは。
気づいていなかったのは私だけだったんだろうか。
そんな事あってたまるか、と思いながらもユッコの件がある為に完全に否定もできない。イナバに尋ねても「むーん」と難しそうに唸るばかりで答えはくれなかった。
どうやら、そこまでの判別はつかなかったらしくイナバ自身も夢に出てきたモモが本物であった事に驚いているらしかった。「魔王様は知ってたかもしれませんねぇ」と告げたイナバの言葉に妙に納得してしまう。
「ええと、その……チュートリアル的な事は?」
「うーん、習うより慣れろって言うからなんとかなるっ!」
「足手まといになりそうですが、よろしくお願いします」
「何改まってんのよユウってば。ユウのえげつない不死者召喚による攻撃に比べたら、私の攻撃なんて大した事ないって」
顔の前でパタパタと手を振って否定するモモの言葉はわざとではないと分かっている。
分かっているけど、ムッとするのはどうしてだろう。
褒められているはずなのに、ちっとも嬉しくない。
「じゃあ、ちょっと外に出る前に動き確認しててくれる?」
「りょうかーい。ここが結界で、外に出るとエンカウントってことね」
「その通りです!」
お気に入りのステッキを見つめながら、くるくる回転させたりしているモモ。
あまりにも都合が良過ぎるとも思うけれど彼女がそれでいいならいいんだろうと自分を無理矢理納得させた。
物分りが良くて助かりますなんて呟くイナバの頭を軽く叩いて私は疑問に思っていた事を尋ねる。
「そう言えばなつみに言った、あのティアドロップとか言う音楽って何のこと? 私知らないんだけど。勝手に仕込んだの?」
「ごめんなさい言うの忘れてました。あれは簡単に言えば電子ドラッグ中和剤です。体にも精神にも害はありません。リトルレディから試験的に貰ってたのを試しに使ってみようかと思って……」
「試しになつみのプレイヤーに入れたの?」
うふふふ、と笑いながら優しい声色で尋ねるとイナバが失言に気付いてカタカタと歯を鳴らした。
心なしかその表面に汗が滲んでいる。
モモはと言えば習得した魔法を数発撃ちながら、その感覚を確かめている様子だった。私から見ればいつもと変わりなく好調なのだが、本人は納得いってないらしい。
首を傾げながら調整する彼女を見つめ、今回のクエストは楽勝だななんてちょっと油断してみた。
「いえ、それはその……羽藤家全員の音楽プレイヤーと携帯、スマホに……」
「はぁ。害無いならいいんだけど、最初に話すべき事じゃない?」
「ごめんなさい。雫さんのこととか色々あって、忘れちゃいました」
「……ううん、私もごめん。いつもイナバに頼りっきりだものね」
「そんな事ないです! それがわたしの仕事ですし、役目ですからっ!」
今から乗り込もうという時に辛気臭くなってどうする。
そう思うがしんみりとした気持ちは中々消えそうにも無い。
しゃんとして、なつみだけじゃなくて他の人たちも救出しなければいけないのに。
神原君も無事だろうか。
「よっしゃあ! ユウ、こっちは大丈夫だよー! とりあえず、グラウンドから一掃してく?」
器用にステッキを回転させながらクルクルと回るモモは、まるでバトントワラーの様だ。
明るく元気な彼女につられ、笑顔を浮かべた私はゆっくりと立ち上がって大きく頷いた。




