109 心の準備
本当は今すぐにでも帰りたい。
バイトなんてしてる場合じゃない。
学校に行ったところでなつみ達がいないならどうしようもないけど、じっとしているのが苦痛だった。
体を動かしていれば紛れるだろうからそのままバイトを続けるようにとイナバに言われたが納得はしない。
けれど、変に騒いでパニックを増長させるのは駄目だと言われ大人しく頷いた。
「ふぅ」
休憩に出されたおやつが喉を通らないというわけもなく、寧ろこれから行動しなきゃいけないなら体力はつけるべきかと思えば食欲が増す。
フロアに戻って接客をしても、鋼の営業スマイルは微動だにせず叔父さんや高橋さんにも不審に思われない。
まるで化け物だな、と心の中で自嘲しながらいつの間にか今日は一人で来た事になっている沢井君と笑いながらやり取りをする。
思考操作でも受けたかのように神原君の事には触れない彼に、それとなく話題を出してみるものの不思議そうな顔をして「それ、誰です?」と言われてしまった。
緊急事態で、混乱を防ぐ為にというのは分かるがこうも安易に操作できてしまう彼らに改めて恐怖を感じる。
私だけが知っていて、私以外は誰も知らない。
青嵐高等学校で神隠しが起きたと言っても、きっと誰も信じてはくれない。
だって、その事すら私以外は忘れてしまっているんだから。
イナバ曰く、範囲は高校を中心に設定されているらしいけれどやっぱり複雑だ。
それでも、悲しみ喚いたりする人たちが一人でも減ると考えればこれで良かったとも思う。
「ありがとうございました」
笑顔でお客様を見送り、満腹になって満足になったらしい沢井君も外まで見送る。
にこにこ、と自分でも驚くくらいの良く出来た笑顔。
落ち着いて状況をそれなりに把握している私も、きっと彼ら側なんだろう。
そう思うと、当然なのかもしれないが胸が切なくなった。
大切な人が危険な目に遭ってるのに、誰かに頼るばかりで何もできない私。
神原君がいるから大丈夫だろうなんて未だ彼にばかり頼ってしまっている。そんな気持ち、神原君だって迷惑でしかないだろうに。
主人公だから、主人公補正がつくだろうから、私よりも力があるから。
幼稚な思考に軽く頭を叩いた私はゆっくり深呼吸をした。
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
「あら、今日は早いのね由宇ちゃん」
「ちょっと見たい番組があって」
「あら、そう。気をつけてね」
「はーい。お疲れ様でした」
優先しなければいけないのは、歪みの影響を受けた学校に取り残されているなつみたちの事だ。
私に何ができるのかは分からないが、イナバやあの三人ばかりに任せてもいられない。
もし、私がじっとして待っている事で彼らの生存確率が上がるなら文句を言わず待っていよう。
心の中で呟く愚痴くらいは大目に見て欲しいけれど。
車に乗り込みイヤホンを耳にかける。
私の質問にすぐ答えるイナバの声に深呼吸を繰り返してエンジンをかけた。
「前にレディと歪みの話をしていたけど、それと同じ?」
「レディが?」
「私の内世界でね」
イナバが化け物を調べている時にそういう会話をしていた事を教える。
世界中に原因不明の歪みができていること。神やもどきの仕業ではないとレディが言っていたこと。
前に歪みができたのは彼女達が神と対峙した時のことで、それは対峙した際に発生した強いエネルギーが原因だということ。
そして雫はそれを利用してこちら側へやってきたこと。
「そうですか。確かに、レディの言う通りですね」
「と言うと?」
「簡単に言えば神やもどきがこの世界に介入してくる際に現われる現象です」
確定しているのかと聞けばそうだと答えられる。
レディ達は最初から神達が原因だと分かっていて言わなかったんだろうか。
「半分怪しんでいたとは思いますよ。けれど、封印は解けてないですから有り得ないと思っていたのかもしれません」
「この世界で他にそんな事ができるのがいても困るだけよね」
「ええ、本当に」
乗っ取りに好機だと思われるでしょうけど。
魔王様が聞いていたら軽く睨まれてしまいそうな言葉をあっさりと吐くイナバは本当に不思議だ。
ここはレディをフォローする場面じゃないかと思えば「レディのせいとは言ってませんので」と返された。
「全て水面下で抑えられていましたから表に出ることはありませんでしたけどね。やっぱり、向こうはそれだけ力を取り戻しているんだと思います」
「レディの力が不完全だから?」
「そうですね。はっきり言ってしまえば。その他に、由宇お姉さんと神原君の存在もあるかもしれません」
予定通りに進めるはずだった道に異物が二つ。
それも、狂った神に器として目をつけられた存在なんて確かに厄介でしかない。
私がレディ達の立場だったら真っ先にこちら側に取り込んでおくだろう。
それが叶わないのだったら、意識を強制的に封じ込めるか存在自体を抹消してしまうかだ。
わざわざギンやイナバを相棒として巧みに接近させたのは監視のためだとは分かっているし、それはもう受け入れた。
けれど、そんな回りくどいやり方をしてどんな得があるかと言えば私達を餌にして神を完全に消滅させることしか想像できない。
不完全な三人で、不完全な神と戦ったところで今の状況を見ていれば明らかにあの三人の分が悪い。
世界を安定して運行させ守りながら戦うなんて、想像しただけで頭が痛くなる。
今この状況でさえ苦しそうにしか見えないのに実際対峙する事になったら、封じられるか消されるかするのはあの三人の方じゃないかとさえ思った。
もし三人が負けてカミサマと呼ばれる世界を捻じ曲げた元凶が返り咲いてしまえば、この世界はどうなるんだろう。
「わたしは消されますね。魔王様の一部ですし」
「それなら私も同じだわ。もどきに何だか知らないけど凄く嫌われてるし」
「由宇お姉さんは器になるじゃないですか」
「肉体はね。心は消去されるでしょ。それに、私よりいい器が見つかったら、何も私に拘る必要なんて無いんだろうし」
「あぁ……そうですね。もどきは随分と由宇お姉さんのこと嫌ってますからね」
「何かしたなんて覚えもないし、接点も無いはずなんだけど」
見かけは神原君の妹である美羽そっくりだが、もし本人だとしても私との接点は無い。
あれは過去に何かあったとかではなく、ただ私の存在が気に入らないだけじゃないのかなと思っている。
思い通りに行かなくて、癇癪をして八つ当たりをする先が神原君ではなく私だったというだけの事。
それにしたって、あの執着心は中々のものだ。
あんな娘を放置してやりたいようにさせているカミサマも、どんな親なのかは大体想像がついてしまうけど。
けれど器として私が必要ならもどきの暴挙は許される範囲を超えているような気がする。
それについて何もお咎めなしとは、次の器候補が決まったのではないかと推測するに充分だ。
「今まで、こういう現象起こった時はどうしてたの?」
「うーん……発生箇所が狭く小さいものだったので、人的被害が無かったんですよね」
「そうなの」
「電子ドラッグ以来ですよ。こんな大規模なのは」
「警察が一斉捜査して取り締まりを厳しくしているみたいだけど、その為の法案が通るのはまだ時間がかかるみたいだものね」
「面倒ですよね。その辺りもちょっと操作して簡単に通しちゃえばいいのになぁ」
この子はさらりと恐ろしい事を言う。
確かにそう思ってしまうのは仕方ないけれど、そうやってしまえば私がこうして自由意志に基づいて行動しているのが馬鹿らしくなってくる。
リトルレディもまさかそんな暴挙には出ないだろう。
やるならやるで、最初から完全洗脳した人たちだけを住まわせておけばいいだけの話だ。
まぁ、今でもループしてることを知ってる人なんて限られるんだから似たようなものだけど。
「神の侵食とか言ってたけど、それって世界を侵食して管理権限を自分の物にするって意味よね?」
「そうですね。あの人たちの目的はそれだけですから」
「それだけ?」
「わたしも詳しい事は分かりませんが、ある目的の為にわざわざ元の世界を歪ませて自分の理想とする世界を構築したくらいですからね。執着半端無いって事でしょう」
「そういう所は親子……か」
私はハンドルを握りながら赤信号を見つめて溜息をついた。
運転中にこんな会話をするなんて注意力散漫になって危険だというのは分かっている。
けれど、くだらない話をして気を紛らわせようとも思えないので仕方がない。
イナバから夜、私の精神だけを歪みの影響を受けている高校へと導くと告げられた。
願っても無い言葉だったが、同時に怖いとも思う。
夢の中で死霊術師になって好き勝手やってたくせに、と言われるかもしれないがあれは箱庭の中で遊んでいたようなものだからそう怖いとも思わなかった。
それになにより、心強い魔王様が味方にいてくれたということもある。
「うわぁー、もう、逃げたいっ! でも嫌だっ!」
「……【隔離領域】の中は時間が停止しているはずですし、巻き込まれてしまった人たちは皆眠っているでしょうからとりあえずは大丈夫だと思いますよ?」
「何か魔物とか、化け物みたいなのがうろついているとか?」
「あぁ、言ってましたね……。多分、神側が邪魔者を排除する為に配置したものかと」
面倒な事をしてくれる。
不気味な学校に、徘徊する魔物なんてどんなゲームだろう。
生き残りをかけた漫画にしたって脱出不可能な時点で詰みだろう。
チート能力を持ってそれらを破れることが無い限りは。
室内にいる限り襲ってくる気配は無いとなつみが言っていた事を信じると、あの子は無事なはず。
「随分と冷静よね、イナバ」
「慌てても仕方ないですから。それに、神原君がいますし。彼はきっと神の力の影響をそんなに受けないはずですから、きっと仲間を探しつつ脱出方法を探ってるんじゃないですかね」
「……まるで、見てきたかのような言い方ね」
「そんな事無いですよ。彼は色々言っても結局、主人公に憧れて、主人公になりたくて、理想と現実のギャップに苦しみながらも本物の主人公になっちゃうような青年ですから」
「偶に未来を予知したかのようなセリフ言うけど、正直怖いわ」
いつも明るく能天気というイメージだけに偶に見せる真剣な様子や、悟ったような言葉が気にかかる。
演技してるんじゃないかと思っていれば「失礼ですよ、プンプン」なんてあからさまに作りましたよと言わんばかりの口調で返してきた。
「家に帰っても、誰も変だと思わないのはそれはそれでつらいね」
「一時的なものですよ。歪みが解消されれば、ちゃんと思い出します」
「歪ませた敵に言うのもなんだけど、その辺のフォローまでして欲しかったなぁ」
「無理でしょうね。復活してから塗りつぶせばいいだけですし」
「分かってるわよそんなの」
そんなお人よしだったらこんなに苦労せずにすむ。
分かってはいるが、焦る気持ちを誤魔化す為についつい口から出てしまうのだ。
気を紛らわせようとも思わないなんて言っておきながら、結局紛らわせているんだから笑いものだ。
「まぁ、敵にすれば好き放題して迷惑かけようが、どうでもいい事だものね」
「でしょうね。寧ろそれによって管理者にもダメージを与えることが出来ますからね」
「……あいつらを閉じ込めてる【隔離領域】って大丈夫なんでしょうね?」
「それは大丈夫だと思いますよ。何重にも防御してありますからね。それでも漏れ出した精神波による干渉が強くなっているのは否めませんけど。今日明日世界が滅びるとかそういう事はないですから」
今日明日、なんていわれても余りにも近過ぎて「そりゃ当然だろう!」と叫ぶことくらいしかできない。
余命宣告を受ける人の気持ちってこんな感じなのかな、と思いながら無事帰宅した私はこれから迎える本番に備えて軽く腹筋をしてから風呂に入った。
「精神体で入りますから、肉体鍛えても意味無いですよ」なんて告げるイナバの言葉は無視して。
大事なのは心だ。負けない心。
負けない心は強い肉体によって作られる、なんて自分でも訳が分からない筋肉論を展開すると気圧されたイナバは何度も頷いてくれた。
体を洗いながら自分の発言が脳筋のようだと思って、溜息をついてしまったが落ち込んでいる場合じゃない。
救出とは言えど、敵地に乗り込むようなものだ。
イナバも魔王様もサポートしてくれるらしいが、私一人で一体どこまで行けるのやら。
いやいや、そんな弱気じゃ駄目だ。
歪みを修復して元の姿に戻さないといけないんだから。なつみと神原君だけじゃなく巻き込まれた人もちゃんと救出しなければいけない。
あぁ、これがゲームだったらやり直しがきくんだけどなと愚痴りそうになりながら私は湯船に浸かった。




