108 見せかけの平穏
休憩中にスマホを確認すると不在着信と表示されている。
画面の中ではイナバが忙しなく動き回っていて「大変大変!」と吹き出しの中が大文字かつ強調されていた。
履歴を見れば全てなつみから。
今日もちょっと学校に行く用事があると行って出て行ったはずだ。
お昼には帰るとそう言っていたはずなのに、ととりあえず電話を掛けなおす。
呼び出し音を聞きながら裏口から外に出て私はなつみが出るのを待った。
「あ、なつみ? どうしたの? 何かあっ……」
「分かんない。分かんないけど学校が急に変になって……皆倒れて、怖いよお姉ちゃん」
「倒れて? ちょ、落ち着いて。まだ学校にいるの?」
「うん。何か変なのがウロウロしてる。ゲームとかに出てくる魔物みたいな、化け物」
ゲームに出てくる魔物? 化け物?
私はなつみの言っている事が理解できずに頭上にハテナマークばかり浮かべる。
一体この子は何を言っているんだろうか。
私を騙してからかうような子じゃないだけに、冗談で言っているとも思えない。
嫌な予感と、そんな馬鹿なことがあってたまるか、という自分がいて落ち着かせなければいけない私が一番混乱していた。
「今いる場所は大丈夫なの?」
「うん。室内までには入ってこないみたい。あと、凄く眠くて、でも寝たら駄目な様な気がして」
「なつみ、音楽プレイヤーの中に入ってる最近追加したリストのティアドロップをリピートしてなさい」
「え? な、どうして?」
「いいから」
途中から割り入ってきたのはイナバだ。
私の声に似せて私が発言している様に伝えている。
褒められたものじゃないが、今はそんな事を言ってる場合ではない。イナバなりの考えがあってだろうと私はあえて黙っていた。
戸惑いながらも頷いたなつみは、電池がなくなりそうだからと言って通話を切ったが最後まで不安そうなままだった。
それはそうだろう。そんな状況下で冷静でいられる方がどうかしている。
念のためにとポケットにしまっていた無線イヤホンを装着した私は、途端に響くイナバの声に音量を間違えたかと思ってしまった。
「青嵐高等学校周辺にて、大きな歪みを感知しました。リトルレディが抑えてているので被害が拡大する事はないでしょうが外界と遮断されてます」
「それって、校内にいる子たちが閉じ込められて脱出不可能ってこと?」
「簡単に言えばそうなります」
「理由は? 原因は? 解決法は?」
気持ちばかりが焦る。
それを今やっていると半ば叫びながら告げるイナバに額に手を当てながら私はトントンと足を踏み鳴らした。
能力が高いイナバが必死に検索してくれているんだ。私は待つしかない。
リトルレディや魔王様、それにギンはこの事についてどう思っているんだろう。
……ギンは、神原君と一緒?
神原君がまだ学校にいるとの話を沢井君から聞いたばかりだっただけに、神原君とギンのせいで他の子たちが巻き込まれてしまったのかと眉を寄せる。
彼らばかりを責めてしまうようで申し訳ないとは思うが、それくらいしか考えられない。
「ユウ、割り込み失礼するよ。リトルレディは歪みを抑えて他とのバランスを取るので精一杯でね」
「いえ。もどきじゃなくて、カミサマですか?」
「ああ。あらゆる人の精神世界に入っては心の隙間につけ込み、少しずつ力を蓄えていたようなんだ」
「未然に防げませんでした?」
「全ての人間を監視しているというわけではないからね、生憎。異常が起きる気配を察知して、ギリギリのラインで何とか防いで凌いでいるのが現状だよ」
それはそれは、常に綱渡りでスリル満点の飽きないやり取りですこと。
そんな事を思ってもどうしようもないのは分かっているし、これが八つ当たりだというのも理解している。
けれど、そんな事すらどうでもいいと思えるくらい今の私は焦っていた。
よりによって何故なつみが、と思う。
巻きこまれたのが私ならまだしも、どうして。
そう思って脳裏に過ぎったのは馬鹿にしたような笑顔を浮かべて高笑いするもどきの姿だ。
「今までも何度かあったが、小規模なもので防げていたんだ。でも、あの学校は彼らにとって丁度いい餌場でね」
「放置していたなんて事ないですよね」
「まさか、ちゃんと対策はしたさ。その場凌ぎでしか無いが、一応ね」
「なるほど。その応急処置が破られて傷口が開いたって事ですか」
「そうなるね」
黙ってしまったイナバの代わりに状況を説明してくれる魔王様と会話をする。
私が今すぐ高校に行ったところで何ができる?
駆け出したいのにそれができないというもどかしさは、モモの時と同じだなと思いながら私は下唇を噛んだ。
「今学校に行っても無駄だよ。混乱を避けるために、閉じ込められた人々はいなかった事になっているからね」
「相変わらずえげつないですね。目的の為なら手段を選ばず。それがお仕事なんですからね」
「ユウ。私はともかくとして、リトルレディがそんな事をする方ではないよ。あの方は非情になれないが故に不完全になってしまったのだから」
「……昔話はいいです」
未然に防げなかったと声を荒げても心優しそうに見えるあの少女を更に傷つけるだけだ。
どうしてか、魔王様やギンには悪態をつけるのにあの子には直接ぶつけるのを躊躇ってしまう。
見た目のせいか、それとも既に彼女の術中に嵌っているのか。
余計な事を考えているところでイナバの声が響く。
「歪みを感知したのは一瞬です。すぐにリトルレディが抑えたので、見かけはいつも通りになっていますね」
「……なつみたちは?」
「歪みに巻き込まれた人々は、存在していません。校内に人は、一人もいません」
イナバの言葉に突きつけられた現実。
集団神隠しなんて冗談じゃないと心の中で声を荒げれば、慌てた様子でイナバが話を続けた。
「でもでも、リトルレディが歪みの世界に取り込まれた高校を別次元として隔離したので、死んだわけじゃないですよ?」
「かと言って救出できる方法なんてないじゃない。あるとしたら、神原君の活躍を祈って全員無事で帰ってくるのを待つだけ」
「ギンはどうなんですか? 魔王様」
「ギンは間一髪で抜け出せたようだ。【観測領域】でレディの手伝いをしているよ」
その時一緒に神原君やなつみだけでも連れてくる事はできなかったのか、と思わず舌打ちをしてしまう。
元人間で、今は神もどきをやってる鳩だからどうでもいいというわけか。可愛い娘が大変な目に遭ってるというのに?
いや、もしかしたらギンだって切羽詰ってるのかもしれない。私と同じように無力さを痛感して歯噛みしてるのかもしれない。
何でもかんでも悪い方へ考えるのはやめよう。
母さんが愛した男だ。
私を膝に乗せてゲームばかりしていたような男だ。
感動的な思い出なんて無いけれど、それでもきっと兄さんの事も私の事も、生まれてくるだろうなつみの事も愛していたに違いない。
人間を捨て鳩になってまでレディを助けると決めたような男だ。
見殺しにするような真似はしないとなぜかそう信じられた。
「けれど、遅かれ早かれ神側の侵食は進むでしょうね。今はひとまずこの世界からは遠ざけたというだけですから」
「そうだね。歪みに取り込んだ人々を養分としてというのは考えられる。心の深部まで巣食われて、魂を汚されてしまえば【再生領域】でのリセットも蘇りも難しくなる」
「……新井君や遠藤のように、ああなるってこと?」
「かもしれないですよ? そうなるってまだ、決まったわけじゃないです」
それだけ聞けば充分だ。
もどきによって遊ばれ無理矢理合成させられた新井と遠藤の成れの果てを思い出す。
吐き気を催すくらいの姿を、きっともどきは楽しんで作っていたんだろうなと思えば彼女に対する怒りが湧いた。
それと、今回の件を引き起こしたカミサマとやらに。
「とりあえず、夜まで待ちましょう。それから行動すべきです」
「え、動けるの?」
「隔離された空間は神やもどきがいる場所とは違うはずですから」
「同じ【隔離領域】とは言っても、色々あるからね」
ややこしい話になってきたが、行動できるということに驚いた私は間の抜けた声を出してしまった。
それにしても夜まで待ったとしても夜に行動するとなると危険度も増さないだろうか。
確かに侵入するんだとしたら、夜の方が警備員さんや数人の教師くらいしかいないだろうから忍び込みやすい。
しかも今は夏休みだ。警備員さんはまだしも、他に校内に遅くまで残るような人はいないはず。
夜の学校に行くなんて、頼まれても嫌で意気地なし呼ばわりされた方がマシなくらいだが今回はそんな事を言っていられない。
「あ、忍び込むとは言っても【隔離領域】内の歪んだ学校にですけどね」
「でも不法侵入するには変わりないでしょう?」
「詳しい事は夜に説明するよ。私はレディたちを手伝って、手筈を整えておこう」
「お願いします。わたしは周囲の監視をしてきますね」
「まぁ、そのくらいなら仕方がない。こちらの世界に強いのはお前くらいだからなぁ」
魔王様とイナバが私の頭の中でやり取りをする。
やっぱり上司と部下のようには感じられなくて私は不思議な気持ちになった。
イナバは魔王様の一部なんだから本体に対してもっと恐れのようなものを抱いていてもいいのに、と思うのは私の勝手な感想だ。
こういう場面は、こうじゃないんだっけ? とゲームやマンガでよく見る光景と照らし合わせているだけ。
そう言えば私も石版を食べて魔王様の力の一部が宿ったらしいけど、具体的にどうなったのか分からずじまいだった。
不都合がないならそれでいいと放置していたのが悪かったのか。
ついでに聞いておけば良かったなと思ったのは、魔王様の声と気配が消えてからだった。
「ズルするの?」
「失礼ですねぇ、ズルじゃありません。お仕事です」
「ものは言い様ね」
「上からの許可は得てますからね。へへへ、正規の仕事ですよ」
それにしたって褒められた事じゃない。第一、その笑い声が危ないだろう。
何かを企んでますとでも言わんばかりだ。
私のこの心の呟きだって聞えているはずなのにイナバは知らない振りをして「ちょっとお仕事モードになりますね」と言って通信を遮断した。
プツッと途絶えた音を聞きながら、私は溜息をつく。
「……しっかりしなきゃ」




