105 腐り落ちる
良く考えれば分かったはずだ。
彼が二つ返事で頷く事なんて。
それを分かっていながらあんな事を言ってしまったのは油断していたのか、調子に乗ってしまったのか。
そのどちらもだな、と思いながら私は何故自分がここにいるのかを考えていた。
全ては自分の選択ゆえに、だ。
あぁ、そうだ。選んでしまったからには変えられない。
「綺麗だね。植物園には小さい頃に来たことがあるけど、大きくなると来る機会なんて無いんだよね」
「そうですね。意外と、人いますね」
「羽藤さん、それはちょっと失礼だよ。今は夏休みなんだし」
「いや、夏休みだからこそ他のところに行ってるのかなと。遠出したり、遊園地に行ったりと」
「あぁ……確かに。子供が来ても飽きそうという点では頷けるね」
榎本君も結構ひどいことを言う。
小さい子がこういう場所に来るのは親に連れられてという場合が多いだろう。中には植物や鳥が好きで、一気に両方楽しめてラッキーとはしゃいでいる子もいるかもしれないが、それは少数だ。
やはり、遊園地や動物園、水族館あたりが人気なんだろう。
デートスポットとして考えてしまいそうになりながら、それを言ったらここも同じかと私は嬉しそうに目を細めている榎本君の横顔を見つめた。
どの角度から見てもイケメンなんて、本当に「くっ」と歯を食いしばりたくなる。
何故だろう、こうして隣に並んだり近くにいられるのが嫌だ。
モモの場合も榎本君と同じようなものだが、彼女に関しては慣れてしまった自分がいるので不快だとは思わない。
惨めだななんて思う時期はとうに過ぎた。
彼女のお陰で美形に慣れたとは言ってもやっぱりこうして長時間一緒にいるとむず痒くなってくる。
せめて榎本君が女の子だったら、癒し成分としてニコニコしながら見つめられたのになと屈んで咲いている花の説明板を読んだ。
「なんかさ、デートみたいだよね?」
「……は?」
「あ、酷い。羽藤さんはそう思わない? 普通ならそう思うと思うんだけど」
「うーん。ドキドキが、足りないかなぁ」
「吊橋効果狙うにも、ここにはそんなものはないからなぁ」
探してどうする。
またこの男は楽しんでからかって遊んでいるんだろう。
将来彼の恋人になるだろう相手に勝手に同情しながら私は小さく息を吐いた。
思ったよりも子供っぽいんだなとか、意外と無邪気なんだなと彼を観察しながら私の頭にはある人物が浮かんでいた。
にこにことして、年下なのに頼りになる……そう、神原君と似たような存在なのか? と眉を寄せて首を傾げた。
年齢も性格も違うのに、榎本君は神原君と似たような歳に思えてしまう。
手間のかかる弟というか何と言うか。
勝手にそんな弟ポジションにされたらたまったものじゃないのは判っているが、いつもの爽やかでスマートな対応と目の前ではしゃいでいる榎本君のギャップがあり過ぎる。
性別は違うけれど、神原君と言うよりもモモに似てるのかなと思えば妙に納得してしまった。
彼と神原君が一緒にいたらきっと神原君の方が落ち着いていて年上に見えるだろう。
随分と連絡取っていないけど、元気かなぁと溜息をついて私は咲き誇る花の薄片を指先でそっと撫でた。
「……綺麗なバラにはトゲがあるって言うけど、それに刺さりたい人だっているかもしれないね」
「ふふ。やっぱり、面白いこと言うね羽藤さんは」
自分を通して他人を見ていると告げていた榎本君の言葉の意味が判った様な気がする。
私がそんな事をされたら恋人同士じゃなくてもちょっと寂しいと思ってしまう。あぁ、私は失礼な事を今まで随分としてきたんだなと苦笑して、ぽつりと呟いた。
胸の内だけになるはずだった言葉は気付けば口から零れ落ちて榎本君の耳へ届く。
暫く考えるような素振りをしていた彼は、小さく笑ってそう言うと私を覗き込んできた。
「ちょっ!」
近い近い近い。近いですやめてください、それはあまりにもむごい仕打ちです。
やっぱりイケメンとお近づきになれてキャッキャウフフができるのは画面越しで充分だ、と何度と無く思った事を強く思い返しながら私は飛び退いた。
至近距離になってから飛び退くまでの早業に榎本君は驚いた様子で軽く目を見開く。
そして、口元に手を当てるとくすくすと笑った。
完全に遊ばれている!
「そういう所は可愛いね。あ、そういう所もか」
「……何が目的ですか?」
「そんな怖い顔しないでよ。僕はただ、楽しみたいだけだってば」
あぁ、本当に読めなくて苛々する。
今までは大体考えが読める人が多かったから余計にだ。
やっぱり、ループを数多く経験して記憶がその度に上書きされていくので自惚れてしまっていたのだろうか。
落とし穴があるから気をつけろって言い聞かせてたはずなのに、と自己嫌悪に陥りながら私は溜息をついた。
他人にペースを狂わされるとこんなに不快になるのかと知ったいい経験ではあるけれど。
という事は、私は結局主導権を握りたいって事?
いや、握れるに越したことは無いけどそっか……何だこの今更感は。
「……ごめん」
「え? どうしたの?」
「いや、本当に私で申し訳ないです」
せっかく誘ってくれたというのにこの態度。恋愛感情を抱いていなかったとしても失礼だ。
私が榎本君だったら顔を引き攣らせそうなレベルじゃないかと考えて落ち込む。
さっきまでの態度と余りにも変わっているせいか、榎本君が慌てたように私を覗き込んで「具合でも悪い?」と聞いてきた。
「な、何急に。どうしたの?」
「いや……せっかく、こうして誘ってもらったのに、こんな私で本当に申し訳ないなと心から思ってる次第です」
「えっ? えっ?」
「もっとね、こう可愛い反応とか、素直な反応とかできればいいんだけど生憎私はできなくて」
できないんじゃなくて、しないの間違いじゃないか。
そんな声がどこからか聞こえてきたような気がしたが聞えなかったふりをする。
やろうと思えば出来ないことなんて無い。
あれだけ誇ってる演技でやってしまえばいいのだ。それなのに、その気が起きないというのは騙したくないという事なのかなと考える。
上辺を繕って良く見せたい。
そう思っているなら、そうした方が得なのにどうして私はこう自ら損に飛び込んでいくのか。
自分の事なのに分からない。
「あ、あのさ……何を落ち込んでいるのかは分からないけど、本気でデートだって思ってるわけじゃないから心配しなくてもいいよ?」
「ごめんね、気まで遣わせちゃって」
「いや……いやいや。本当にどうしちゃったの? あ、お腹でも痛い?」
「そんな事は無いんだけど」
あたふたと慌てる榎本君の顔には薄っすらと汗が浮かんでいる。これは暑いからじゃなくて、私の言動による冷や汗だろう。
そう思うと益々申し訳なくなってきた。
個人的感情で勝手に苦手扱いされて、素っ気無い態度を取っているのにも関わらずこうして彼は爽やかな笑顔で私に話しかけてくれる。
中身までイケメンって事じゃないですか、と顔を手で覆って溜息をつけば「何か、飲み物買ってくるね!」と私の答えも待たずにどこかへ行ってしまった。
「由宇お姉さん、ちょっと暴走し過ぎです」
「え……そうかな? 私の心が汚れ切って荒んでいるせいで、迷惑かけたなって思ってるんだけど」
「いや……あれは、流石の榎本さんでも引きますって」
花を眺め、説明が記されている板を見ながらイナバと会話する。
こういう形で独り言を呟いていたとしても、あまりおかしくは思われないだろう。多分。
「綺麗な花を見てるとさ、自分がどれだけ汚れちゃったかってのを思い知らされるようでね……」
「由宇お姉さん、逃避し過ぎです。帰ってきてください」
綺麗な花。
それぞれが「私を見て」とばかりに綺麗に咲き誇っている。
腐り、枯れ落ちるまでの短い命だというのにこんなにも鮮やかに見る人を楽しませてくれる。
私はもう腐りかけている花だ。
いや、既に枯れているのかもしれない。
せめて散り際くらいは美しくというのは理想だけど、現実はそうもいかない。
みっともなく足掻いて、醜く這い蹲っているような状態だ。
「羽藤さん、鳥の方に行ってみる? 今の時間ちょうど餌やりとかできるみたいだよ?」
「あ、そうですね」
爽やかな笑顔で「はい」と渡されたペットボトルに礼を言いながら財布を取り出そうとする。奢ると言われたので、私はバッグに入れていた手を引っ込めて「ごちそうさまです」と軽く頭を下げた。
私が財布を取り出して代金を押し付けると想像していたらしい榎本君は、驚いたような顔をしていたもののすぐに笑顔を浮かべて「うん」と頷く。
なんてキラキラした笑顔だろう。
「そうそう。そうだよ、羽藤さん。甘えるところと、ちゃんとするところは使い分けないとね」
「……難しいですね」
「まぁ、相手のタイプにもよるだろうからね。何でもしてあげたい人もいるだろうし、全て割り勘って考えの人もいるだろうし。流石に全部女の子にっていうのは男としてどうかな? とは思うけど」
「確かに……」
猫を被って演技をして、恋愛もどきをしていた頃の私を思い出す。
相手を注意深く観察して何を求めているのかを把握する。痒いところまで手が届き過ぎてもいけないので、その配分が難しい。
あの頃の私は本当に良くやれたものだと自分のことながら感心してしまった。
そうなると、こういったことに向いているのは私より雫の方かもしれない。
彼女なら榎本君を簡単に手玉にとってくれそうだ。
「全てが計算通りにはいかないから、面白いんだけどね。恋愛も駆け引き次第で面白くもつまらなくもなるだろうし」
「榎本君は、恋愛に楽しさを求めているの? その、つまり駆け引きするやり取り……結果じゃなくて、過程と言うか」
「うーん。難しいね。あれこれ試行錯誤して自分に気を向かせようとしている姿を見ているのは可愛いなとは思うけど、僕だって地雷踏むのは嫌だし好みだってあるよ?」
「じゃあ、好みじゃない子からしつこくアプローチされた場合の対処法を持ってるって事よね」
モモにも似たような事を聞いた事があったが、彼女は笑うばかりでまともな答えはなにもくれなかった。
企業秘密というものだろうかと思っていたけれど榎本君もそうなんだろうか。
言わば、男版モモみたいな感じだからこそ余計に興味がある。
「それは当然だよ。自衛としてはね」
「自衛……」
「多分、北原さんもそうじゃないのかな?」
「どうなんでしょうね。私は良く分からないので」
「あれ、そうなの?」
「ええ。仲が良いと言っても高校からで、色恋に関してはあまり踏み入らないようにしているというか……」
仮想の恋愛だったら幾らでも語ってくれるけれど、それが現実となると機嫌が悪くなる。
モモがモテるのは事実だから私は気にしないのに本人が気にしていたらどうしようもない。
異性からモテモテっていうのも考え物なのかなと思ってしまう。
これがゲームやマンガだとハーレムならぬ逆ハーレムで「やだ、私ったらこんなに愛されてどうしようっ」ってなるんだろうけど。
これが二次と三次の壁というものか。
「でも別に気を遣ってるとかじゃなくて……。うーん、まともな人がいないからですかね。皆モモの見た目だけで突進して玉砕するので、ちゃんと中身も見て玉砕すればいいのになぁとは思いますけど」
「あ、どっちにしろ玉砕コースなんだ?」
「私がいいんじゃないかな? って思う人でも、モモは拒絶ですからね」
モモの二面性というか猫被りの上手さを知っていて、それでもそれがいいと言ってくる相手だっていた。中身をちゃんと見ているからいいんじゃないかなと思ったのに、モモはお断りらしい。
エア彼氏にハマり過ぎているという傾向も見られないから、もったいないと思ってしまう。
「北原さんはさ、思っている以上に相手のこと良く見てるのかもしれないよ?」
「え?」
「理解があっていい人そうでも、裏に何かあったりお腹真っ黒な人はいたりするからね」
「……へ、へぇ」
まるで経験済みと言わんばかりの榎本君に、私は必死に頷く事しかできなかった。




