103 地雷は飛んでくる
取り出したスマホではイナバが周囲を見回すような動作をとっている。
立ち止まって文字を打つ私に、イナバは警戒した表情をしながらこちらを見た。
『食堂の中、通り抜けて移動してください』
『……また?』
『わたしも困ってるんですよ。探索すればする程、死亡確率が上がるような状態で』
『もどきが、本気出したって事かな?』
『うーん。アレは何かを通じて干渉する事はできるでしょうけど、直接手は出せないと思いますよ』
神様ならまだしも、と付け加えるように浮かぶ文字を読んだ私は立ち止まったまま溜息をついた。
歩きながらの携帯操作は危ないと言われているが、私の場合はそれを上回るような危険度のような気がするのでこうやって立ち止まっている。
本当はイヤホンをつけて会話すればいいのかもしれないけれど、休みとは言え学生や先生たちの姿も多い。
お盆期間以外は食堂も縮小営業しているので外部からの一般人もチラホラと見受けられた。
そんな中で一人でぶつぶつと喋っている姿を見て変人扱いされるのは嫌だ。
面倒だがいちいち立ち止まるかどこかに座ってやり取りするしか無い。
はたから見ればスマホ依存症と取られてもおかしくないような行為に息を吐きながら私は食堂へと向かった。
「お使い終わったら、ご飯食べようっと」
「わぁ、いいですね。今日のオススメは、トマトとツナの冷製パスタらしいですよ」
死亡フラグがどこにあるか分からないので、つけてくださいとイナバが何度も言うので仕方が無くイヤホンをつける。
イナバの声はしっかりと聞こえてくるが私はあまり喋らない。
通話をしているとしか思われないとイナバは言うが、構内でハンズフリーになる理由がなかった。
誰かに見られたら不思議そうな顔をされるに違いない。
心配しすぎかもしれないけれど、なるべく目立ちたくないんだからしょうがない。
「イヤホンをして通じていますから、心の中で呟くだけでも大丈夫ですよ? 同調してますから」
「っ!?」
「あれ? 忘れてましたかもしかして」
あぁ、完全に忘れていた。
そんな事覚えていたら最初からそうしている、とばかりに額に手を当てて心の中で愚痴る。あわあわ、としたイナバの声が聞こえてきたがそれを無視して私は食堂を出た。
正面から入って裏から出た私は周囲を見回しイナバの指示を待つ。
目に見える道のどこに地雷が埋まっているのか。
私にはさっぱり分からないのでイナバの指示通りに進むしかないのだ。
「地雷は地面だけじゃないですよ? 四方八方のどこにでも存在しますから」
なんだそれ。もはや地雷ですらない。
そんな危機的状況の中、イナバの回避があったとは言え良くここまで来られたなと私は感心してしまった。
それにしても何でこんな急激に死亡フラグが束になってやってくるような状態になってしまったのか。
イナバに聞いても分からないと答えられ、身に覚えのない私は困ってしまった。
いくらなんでも密集しすぎだと頭を抱えたくなる。
「ちょっと待ってくださいね。情報量多いですが……うん、やっぱりもどきの気配は無いですね。もどきや神様が直接介入してくるならその前にリトルレディたちが動くはずですし」
世界を管理している少女たちになら私の死亡フラグも何とか調整できるんじゃないか。
彼女たちと連絡は取れないのかとイナバに聞いてみるが、小さく唸った後に難しいと言われてしまった。
どうやらレディは私の内世界の為に力を使った後、疲労してしまったらしく休養しているとのことだ。
そんなことになるなら無理に力を貸してくれなくても良かったのに、と溜息をつくと彼女なりに迷惑をかけたお詫びの気持ちもあるんだろうとイナバが言ってくる。
能力が低下したのは封じられた神だけではなく、レディも同じ。
現在の世界の管理者である彼女が倒れてしまえばそれこそ神にとっては好機に違いない。
私や神原君のループ、それによって引き起こされる世界リセットすらどうにもできない状況だ。
こんな時に神の力が強まったらと考えると、ぞっとした。
今度からレディに力を借りる時は魔王様やギンの反応を窺ってからにしよう。
「そうした方がいいですね。無理に頑張るところがあるみたいですから」
「迷惑……」
魔王様やギンよりも立場が上のはずなのに、レディは優しくて甘いところがあるように見える。
そういう部分を魔王様やギンが補っているのかもしれないが、付けこまれやすそうだ。
神を封じられなかったのはただ単に彼女達の力不足ではなくその甘さも原因なのかもしれない。
次に会った時に聞いてみたいが、素直に答えてくれるかどうか。
「無理でしょうね。今の状態をお姉さんに知られて心配されたの知ったら、暫く立ち直れないかもですよ」
そんなことになるなら、最初から無理しなきゃいいのに。
思わず溜息混じりに呟いてしまってから慌てて周囲を見回す。
よし、誰もいない。
「それだけ、責任を感じているのかもしれませんね」
気持ちは分かるが倒れてしまってはどうしようもない。
それも分かっているとは思うけど、安請け合いして頑張るレディの姿が浮かびため息が出た。
きっと、ギンあたりに説教されているだろうから次に会った時責めることはしないでおこう。
なるべく彼女の力を使わない方向で私は何とかしないといけない。
「ホントに由宇お姉さんもお人よしですよね。使えるものは使ってもバチは当たらないと思いますけど」
それで封じてた神が復活でもしたらどうする。
私のせいで疲労蓄積したレディが力及ばず倒れたりしたら、それこそ世界の終わりだ。
神がその時もまだ器を必要としていたら、私は中身を引き抜かれてしまうかもしれない。
何度も死は経験しているが、そんな未来は嫌だ。
「ま、優秀なわたしがいますから、四方八方からやってくる死亡フラグにも対処できるわけですけどね」
四方八方?
やってくるってどういうこと?
フラグというものは所定の位置に立っているけど見えないだけじゃないのか。
死亡フラグが飛んでくるなんてシャレにならない。
「最近の由宇お姉さんの死亡確率は七十%で、そこにいるだけで死亡フラグを引き付けるという特異体質状態になってますね」
そんな特異体質なんて欲しくない。
死亡確率もいつもより高すぎじゃないかと思えば、イナバが肯定する。
それに探索すればするほど上がると言っていたけど、逆にしなければ下がるんだろうか。
「無理ですね。詳細に探索しておかないと、即死とかあるかもしれませんよ」
構内での即死事故って何?
誰かに刺される事くらいしか頭に浮かばないけど、そう考えると視界に映る人全てが敵に見えるから嫌だ。
私は溜息をつきながらゆっくりと目的の棟に向かって歩き始めた。
警戒してくれるイナバがいるから、突然死も防げるはず。事前に回避すればどうという事は無いと自分を奮い立たせながら黙々と歩き続けた。
そして到着した棟の前で呼吸を整える。
入るのは初めてだが、研究室の階数名と教授の名前が記されたメモを頼りに探せば何とかなるだろう。
「あれ、羽藤さん?」
「……榎本君」
死亡フラグが歩いてやってきた?
これが松永さんだったらまた反応は違ったんだろう。
榎本兄に対して嫌悪感があるというわけではないが、どうしても私はこの人物に慣れない。
いや、別に慣れなくてもいいとは思う。
向こうが積極的に関わってくるだけで、私からは関わりを持とうとはしないから。
そもそも、不思議だ面白いと好き勝手人の事を言いながら近づいてくる彼の本当の目的は何なんだろう。それも気になる。
けれども今はお使いが第一。
「珍しいね、こんなところまで羽藤さんが来るなんて」
「あぁ、ちょっと頼まれごとで」
「へぇ。あ、案内しようか?」
「多分大丈夫だと……って!」
「ふーん。大塚教授か」
人の持っていたメモを奪い取って「ふむふむ」と頷いている榎本兄に、軽く苛立ちながら私はゆっくりと息を吐き出した。
声を荒げて怒っている場合じゃない。用事を終わらせてさっさと楽しい昼食にするんだ。
「そう。返してくれる?」
「はい」
やけに素直に返したなと思った次の瞬間、私はメモを受け取った方の手を捕まれてそのまま棟の中に引っ張られた。
慌ててついてゆく私に榎本兄は笑顔で「案内してあげる」と告げる。
死亡フラグが私を死に導いていく。恐怖だ。
「うーん。何とも言えませんね。彼と一緒に行動したところで、確率には変動が無いんですけど」
それがいつ跳ね上がるか分からないから怖いんでしょうが。
カッと目を見開きそうになった私の前では榎本兄が何やらご機嫌そうに鼻歌なんて歌っている。
いいな、そんなに楽しそうで。
とりあえず今のところ研究棟内部にフラグが潜んでいる様子はないとイナバは言っていたが、いつどこから来るか分からない代物だ。
挙動不審に思われぬ程度に注意する必要がある。
「いやぁ、良かったな。休みなのに羽藤さんと会えるなんて」
「はぁ」
「あ、終わったら暇? だったら一緒にご飯食べない?」
「他に食べる人がいるんじゃないんですか?」
「……ごめん。どうしても同性の友達には敬遠されてる様でさ、寂しいんだよね」
妬みとやっかみと、隣に並んだ事によるいたたまれなさか。
私はどうでもいいからそういうのに関しては何も思わないけど、ただ周囲の目を考えれば厄介だ。
勘違いされるわけがないけど、これだけ一緒にいたらどうしてもそういう話題からは避けられないもの。
適当にモモ目当てでと言って回避した所で、結局発生源がバレて責められるのは私だ。
となると、逐一丁寧に「そんなんじゃないですよ」と笑いながら否定しなければいけない。
「あぁ、じゃあ異性で。私以外の」
「えー。僕と羽藤さんの仲じゃないか」
「語弊を招くような発言はやめてください」
「え? 語弊って、何?」
知らないふりをして首を傾げるな。
爽やかだと称される笑顔を浮かべても、私には効かない。
あぁ、本当にどうして私には効かないのか。
これこそ、胸キュン場面だっていうのに。
ときめいてみろ! 私の胸!
「あはは、ごめんね。そうムッとしないでさ。可愛い顔が台無しだよ?」
「榎本君て、どうしてそうサラッと寒いセリフを言えるのに彼女がいないの?」
「興味が無いからって、前に言わなかったっけ?」
「忘れた」
いいなと思うような相手が中々いないと呟く榎本君は、私の忘れたという発言を大して気にしていなさそうだ。
普通ならば眉を寄せるような言葉だが、苦笑しただけで流してしまう彼は私よりずっと大人なのかもしれない。
いや、私が変なところで子供っぽいだけか。
それにしたって、この大学にも可愛い子はたくさんいるんだけどな。
あ、もちろんモモ以外で。
「そうですよね。結構綺麗な人とか可愛い人とかいますよね」
イナバの言葉に思わず頷いてしまったが、幸いにも榎本君は前を向いたままだ。イヤホンをつけたままでも特に何も言わないところを見ると、こういう姿を見慣れているんだろう。
そう言えば、最近は四六時中イヤホンを装着している学生の姿も減ってきたように思う。
減った学生がどうなっているのかは知らないけれど。入院していようが、家で寝たきりだろうがそこまで私が首を突っ込んでいいことでもない。
情報収集ならイナバがやってくれるし、と思っていると頭の中で声が響いた。
「由宇お姉さんの想像通り、ほとんどが入院中ですよ。それぞれ関連性は無いと思われているので、騒ぎにはなっていませんけどね」
そうなると、結構な人数になるんじゃないだろうか。原因不明の意識不明患者が増えれば、それはそれで問題になりそうな気もするんだけど。
どこかで情報規制が敷かれていると考えた方がいいのか。
「羽藤さん、着いたよ。心配だから僕も一緒に行ってあげるね」
「いえ、結構です」
「いやいや、一緒の方がいいと思うよ」
苦笑しながらそう告げる榎本君は私の声も聞かずにドアをノックしてしまう。中から聞えてきた返事の他に、ざわざわとした声。
来客中なら失礼してしまっただろうかと思い、私は部屋に入ってゆく榎本君を慌てて追った。




