100 ランクアップ?
「まったく、由宇お姉さんも罪な女ですね」
「なにそれ」
「神原君、松永さん、榎本兄、東風さん、宇佐美さん……色んな人たちとフラグ立ててるじゃないですか」
ラグの上でストレッチをしていた私は「うふふふ」と笑うイナバの声に、前屈みになっていた体を勢い良く起こした。
フラグ……だと?
ガッと食い入るようにスマホに顔を近づければ「ち、近過ぎます」と少し怯えたようなイナバの声がする。
怯える必要はどこにもないのに失礼だ。
「フラグ、立ってるの!?」
死亡フラグじゃないフラグが立っているというのか!
それはいつ、どこで、誰が相手で立ったフラグなのか!
「え、立ってるんじゃないんですか?」
「えっ、立ってるのが分かるから言ったんじゃないの?」
「そんな見えるわけないじゃないですか。人の好意を数値化して一目で分かるように随時更新してるシステムがあったら、ちょっとした問題ですって」
いや、それはちょっとどころの話じゃない気もするけれど。
それでも貴方たちならできるんじゃない? と尋ねようとしてやめた。
全てが管理されているというのが決定付けられてしまったら、私だってまたへこんで投げやりになってしまう。
今でも充分、落ち込んだりして鬱陶しいと自覚してるけど。
それにしても、恋愛フラグが立ってもいないのにそんな事を口にするなんて私をからかって遊びたいんだろうか。
だったら非常にいい迷惑なんだけど。
溜息をつく私に、目には見えないけれど立っているとしか思えないと興奮するイナバが鬱陶しい。
「今それどころじゃないのに、面倒なこと言わないでよ」
「ごめんなさい。ちょっとは気分が明るくなるかと思って」
「なったかな?」
「なりませんごめんなさい」
笑顔を浮かべた私の言葉に動揺したイナバは挙動不審に周囲を見回す。画面の中のデータ上の存在みたいなものなのに、本当に表情豊かなものだ。
気持ち悪いくらいだわと言えば「妖精ですからネ!」とウインク付きで強調された。
この前からイナバは電子の妖精という二つ名をとても気に入っているようで、何かにつけて自分は妖精だからと言う回数が増えた。
自分で妖精を自称するなんて、恥ずかしいと思わないのは凄い。
私は無理だけど、モモなら胸を張って言うかもしれないなぁと想像してスマホから顔を離す。
恋愛フラグが立ったかとぬか喜びしてしまったが、早々上手い話があるわけもない。
心身共にたるんでるのかな、と思いながら脇腹を摘み私はストレッチを再開した。
「ふぅー……」
寝る前に軽くストレッチをすると、眠りが良くなると高橋さんに聞いたので実践中だ。
ヨガもやってるらしいので今度教えてもらうことになっている。
バイト先でも結構できるものが多いから、偶に家族揃ってやったりもするが兄さんがマメに続けているのには驚いた。
「でも、ちょっとくらいは楽しんでも」
「残念なことに恋愛フラグとは無縁でね……死亡フラグとは密接なお付き合いをさせていただいてるけど」
だから、こんな私にもいよいよ春が来たのかと馬鹿みたいに喜んでしまったわけだ。
冷静に考えてみると死亡フラグを回避するので精一杯なのに、恋愛が始まっても困る。
せっかく好意を持たれても、構っていられなくて私からフェードアウトしそうな未来が見えてしまう。
花の女子大生のはずなのに、なぜこんなことになっているんだろう。
「うわ、由宇お姉さんそれ洒落になってません」
「冗談で言ってるつもりもありません」
「尚更駄目ですって!」
画面の中で騒ぎながら「わたしが守りますから! 回避するように頑張りますから!」と必死になっているイナバを見ると他人事なのにどうしてここまでになれるのかと不思議に思ってしまう。
慣れてはいけない、けれど慣れてしまった死亡エンド。ループを繰り返しただけ私の死亡数があると息を吐いた私の頭には大勢の私達の姿が浮かんだ。
私もあの中の一人になるのか、それとも違うのか。
「でも、誰がどう見ても矢印が由宇お姉さんに向いてると思うんですけどネェ」
「しつこい。それは友人知人の関係になれば自然と発生するものよ。ラヴじゃないわ」
「えー」
「一通り攻略対象を落としてきた私が言うんだから間違いないと思うんだけどな。まぁ、年下には手出してないからドキビタのキャラたちに関しては何も言えないけれど」
もしかしてそこを攻略しないと駄目だったりした? と尋ねた言葉にイナバは「変わりないと思いますよ」と答える。
ゲームに出てくる攻略対象を落とすと決めた時に、標的になったのは私と似たような歳か上の人たちばかりだ。
幾らなんでもなつみと同じ年頃の青年たちを誘惑するような事はできなかった。
なつみの姉という時点でキュンシュガ側であり、ドキビタ側じゃないから落とさなくても良しと勝手に決め付けて自分を納得させたというのもあったけれど。
「結局、ある程度落としても無駄なら、他落としても無駄ってことよね」
「ですねぇ」
「……はぁ。最初から無駄と分かっていれば、あれだけ神経すり減らして寒気がするような女の子らしい私を演じずとも良かったと言うのに」
「何言ってるんですか。凄く良かったですよ!」
「イナバ」
「はい?」
何となく、おかしいと思っていた。
見られていたとは言えここまで詳しく知ってるのは、きっとイナバが普通とは違うからだろうと思っていた。
記憶容量が多くて私と違ってすぐに引っ張り出せる状態なんだろうと。
けれど、前はこれほど詳細じゃなかったような気がする。
プライベートな事だから、と言っていたような気もする。それなのに何故、その場にいたかのような返しができるんだろう。
監視していたにしては細かすぎないか?
「【再生領域】かどこかに保管されてるだろう、私のログ見た?」
「ひゃう!?」
「へぇ~、ふぅーん。見たんだ。あ、っそ。見たんだ」
イナバは私の記憶に接続することはできないらしい。
他の方法として浮かんだのはどこかの領域にあるだろうログだ。
魔王様も人々の記憶はログを見れば分かるけれど膨大で面倒だと言っていたのを思い出す。
今更もう何が筒抜けになっていてもどうでもいい、という心境だがわざわざログを漁られたとなれば話は別だ。
魔王様は一応管理者という立場にあるので、閲覧されても仕方がないと思う。
多分これは夢の中での上下関係が多少なりとも影響しているせいかもしれないが。
けれどイナバはいくら魔王様の末端とは言え、魔王様ではない。
相棒と言えどそこまでの権利はあるのかと軽蔑した眼差しでイナバを見つめた。
「わ、わたしはただ、由宇お姉さんの相棒としてもっと由宇お姉さんを理解しようと……」
「で?」
「……ご、ごめんなさい。申し訳ないです。最初はほんの出来心でした。でも、面白くてついつい見ちゃいました」
「ウサギ鍋か」
「でも、でもでも! わたし誰にも言いませんよ! 由宇お姉さんのプライベートな事はばらしませんっ!」
そう言われて笑顔で「ありがとう」と言えるか。
隠していたいこと、見られたくないことまで暴かれて暫く引きこもったまま外には出たくない気分だ。
明日一日布団被って篭っていようか。
イナバは暫く魔王様に頼んで引き取ってもらうとしよう。
「はぁ」
管理者の三人には自動消去されないログを何とかしてもらえないかと掛け合ってみようか。
世界運営に異常が出るかもしれないから無理と言われそうな気もするけど。
暴かれたくない部分まで白日の下に晒されたような気分の悪さは消えなかった。
「そ、それにそんな詳細には書かれてませんから! 誰々と付き合ったとか、殺されたとか、そういうシンプルな情報だけで……」
「……で?」
「うおぉぉ~面白かったですぅ……ごめんなさいぃ」
「人の不幸は蜜の味って、言うものね。イナバちゃん」
「ひゃあああ、やだぁ止めてくださいお姉さん! その笑顔こわいぃ」
イナバの気持ちは分かるが、それは私が対象じゃない場合だ。
今このウサギの言葉は全て癪に障るものでしかない。
それを分かっているのか、イナバもびくびくしながら私の様子を窺っている。
「はぁ。見てしまったのはしょうがないけど、私のだけよね? 他のは見たの?」
「見てませんっ!」
どうだろう。
本当かどうか疑わしいが、画面に顔を近づけてドアップで映るイナバの鼻が興奮したように動いている。鼻息荒く、耳元で聞えてくるその音に私は眉を寄せた。
一見したら何だか分からない映像だ。
「あの……でも、許してくれるんですか?」
「見ちゃったのを消せ、と言っても完全に消去はできないでしょ? 好転させるための情報集めってことで、ギリギリ許しておくわ」
はぁ、と溜息をついた途端にイナバは嬉しそうな声を上げる。
どうしてもうちょっと反省した様子を見せられないものか。
そう心の中で呟くと、耳をぺたんと伏せて俯きながらお気に入りのクッションがある場所に向かうイナバ。
私の気持ちを読んでそれに合わせたな、と思えばその耳がピンと立つ。
ゆっくりと振り返ったイナバの表情は私の顔色を窺うようなもので、私はあえて笑顔を浮かべた。
「で、何か手がかりは見つかった?」
「す、すみませぇん」
「……はぁ」
「あのでも、由宇お姉さんの演技がどうやって磨かれていったのかを知れたいい機会でした。ありがとうございます! あれなら他の人でも多分今の由宇お姉さんみたいに天然タラシっぽくなれますね!」
「は?」
誰が天然タラシだ。
そんな器用な真似ができるなら、フル活用してるわ。刺されない程度に。
でもやっぱり活用しちゃったら死亡フラグが乱立するんだろうか。
立ったとしても、それはイナバに回避を頑張ってもらうとして恋愛モード突入できるんだろうか。
けれどその場合相手はどうなる?
身近な人、今まで会った人以外がいいけれど難しそうだ。
知り合いや活動範囲内にいる人々が相手だと、色々思い出したくない過去があるからできれば避けたい。
ゲームの登場人物を除外したとすると、誰も残らない。
何だこの私の交友関係。
「松永さんと東風さんは違いますよ?」
「あ、そっか。そうだった」
「あとは、戸田さんもゲームには登場してないはずですねぇ」
「戸田さん……」
「西森さんもそうですけど、お兄さんのお友達ですもんね」
「そんな事言っても彼女いるでしょ」
「いや、いないです。正義感に燃えてるみたいで、そういう所が暑苦しいって署内でも女ウケは悪いみたいですね。あ、可愛がられてはいるみたいですけど」
何だこの主人公のサポートキャラクターのような、高度な情報収集能力は。
できればチェンジで、と心の中で呟くとイナバはムッとした顔をする。
自分がいかに高性能で役に立つかを熱弁する声を聞きながら私は腕を伸ばした。
「そんな情報もらってもなぁ。フラグ立てる気私には無いし」
「無いんですか!?」
「だ、だってその、恋って言うのは落ちるものでしょ?」
そりゃ好意を持たれたら嬉しいに決まっている。
でも、そこから恋愛に発展するのかと言えば話は別だ。
こんなゲームばかりして画面越しの相手にニヤニヤしてそうな女を、平気で相手できるような人物なんて都合よくいるものか。
私が男だったら、こんな女は嫌だ。友達ならいいかもしれないが。
「……」
「まぁ、それに今回の件が片付いたら、きっと頑張った私にも運が向いてくると思うのよねっ」
「由宇お姉さんが夢乙女だとは知りませんでした。まさか、そこまでだとは……これも、ゲームのせいですね。ううっ」
「失礼な。第一、この世界の事、ループの事が片付くまでは何も出来ないって言ったでしょ。いつ死んでまたループするか分からないのに恋愛なんてできるわけないんだから」
遊びならともかく、本気で恋愛活動するというのなら今の状況がネックだ。
結局死んでしまえば記憶リセットで晴れて恋人になれた相手は真っ赤な他人。キャッキャウフフと砂を吐くような甘い言葉を交わしても、全てなかった事になってしまう。
私だけがその記憶を保持しているというのも空しいけれど、だからと言って相手にそれを元に関係を強要するつもりもなかった。
「私達、前世では恋人同士で結ばれていたのよ」なんて、勘弁してくれと土下座してしまいたくなるレベルの案件だ。
考えただけでもゾッとする。恋愛に頭をやられてしまってそうなった場合には、我に返った瞬間にまたサヨウナラと自殺するだろう。
「しかし、神原君が死んだ場合私が引っ張られて世界リセットのループするのは仕方ないとしても、私の場合でもそれが適用されるなんて迷惑な」
「仕方ないです。お姉さんはイレギュラーですから」
「死ぬに死ねない」
そう口では言っても、何かあればどうせまたループするからいいやと思っているのが本音だ。
他人の事は知らない。自分の思い通りにやる、と何度も自分に言い聞かせるように心の中で呟く。
そうでもないとまた周囲に引っ張られ、自分の事を蔑ろにしそうな気がしたからだ。
「神原君一人でも、サポートはたくさんいるわけだからクリアできそうなのに難しいのね」
「そうですね。神が神原君と由宇お姉さんの体に固執してますから。それに、彼以上にイレギュラーなのは由宇お姉さんですしね」
「あぁ、まぁね。嬉しくないけど」
私は一般人なのにどうしてこんな目に? と思っていた頃が懐かしい。
父親が関係者なら、そりゃその影響がこっちにきてもおかしくはないと今では納得する始末。
兄さんやなつみじゃなかっただけ良しとするべきかな、と思いながらも私は複雑な表情で唸った。
今の私は攻略対象の姉という端役から、サブキャラくらいにはランクアップしたんだろうか?
そうだとしたら、嬉しくないランクアップだ。




