99 バイト
どうしよう。
沢井は正面に座る神原を見つめながら冷や汗を流した。
機嫌を取るように、気を紛らわせるように色々な話をしてみるが彼の表情は冴えない。
一見するといつもと変わりないように見えるが、沢井にはその違いが分かってしまった。
会話はきちんと成り立つ。無視することもない。
笑い、呆れ、感情表現だっていつもとは変わらないように思える。
ただ一点、彼の眼が笑っていないことだけは除いて。
「まぁ、しょうがないよ。な? お姉さんも夏休みなんだろうし、だったらまだチャンスはあるじゃん」
「……別に」
あぁ、駄目だ。
これではせっかく仲直りする気でいた彼の気持ちが萎んでしまう。
こんな事になるなら、先に店に電話をして不在かどうか確認すべきだったと沢井は己を恨んだ。
言ってしまえば連絡先を知っている神原が電話やメールで直接謝るなり話をするなりすればいいのだが、それだけは嫌だと拒否するのがいけない。
俺だったらとっくに仲直りして一緒にご飯食べてるくらいなのになぁ、と自分と比べてしまいながら沢井は手間のかかる友人に溜息をついた。
「マスターに聞いてみる? 羽藤さんの叔父さんなんだよね」
「余計なことはしなくていいよ。ご飯食べよ」
「……高橋さんに聞いてみようか?」
「いいってば」
あららら、完全に拗ねてしまった子供だ。
どうして本当にこんなに手間がかかってしまうんだろうと内心で溜息をつきつつ、分かっているのに付き合ってしまう自分に沢井は苦笑する。
面倒だと思っても、手間がかかると嫌になっても、結局自分は彼を見捨てることはできないんだと。
ここまで思うような相手は珍しく、沢井としたらそんな相手は可愛い女の子がいいのが仕方がない。
「残念ね。さっきまで由宇ちゃんいたんだけど。貴方たち最近姿見せないわね、って話していたところだったから丁度良かったのに」
「え、そうなんですか。いやぁ、照れるなぁ」
「……そうですか」
外はまだ暑いからもう少し暗くなってからと出る時間を遅くしたのが悪かったのだろうか。
空調が効いている店内は相変わらずガランとしているが、居心地がいい。
「明日もいますかね?」
「いるわよ~。ちなみに私もいるわよ」
「そうですか」
「……成洋」
咎めるような神原の声を無視して沢井はヘラリと笑う。
相手に警戒心を抱かせないような雰囲気の沢井は、高橋と世間話をしながら由宇の情報を聞き出していた。
感心するやら呆れるやらで、その様子を見ていることしかできない神原は自分の不甲斐なさに溜息をつく。
ふと視線を感じて顔を上げれば、角の席に座っている男性と目が合った。
パソコンを開いて仕事をしているだろうその人物は、柔らかく笑むと軽く頭を下げてカップを手に取る。
いつも決まった場所に座っているこの店の常連だと気付いた神原も、軽く頭を下げた。
仕事ができる、余裕のある大人の男という表現がぴったり合う人物を失礼ながら少し観察させてもらう。
上着は隣の椅子にかけられているが、三つ揃いのスーツはオーダーメイドだろう。良くは知らないがきっと外国製の上質なものに違いないと神原は息を吐く。
イタリア製と前に由宇が会話していたのを耳にしたことがある、と思い出した神原は小さく唇を尖らせてしまった。
「何だよむくれて」
「そんなことないよ」
「ふふふ。神原君も本当に久しぶりよね。なんて言っても、一ヶ月も経っていないけれど」
毎日顔を見ていただけに、来なくなると久しぶりな気がしてしまうのよねと呟いて高橋は頬に手を当てる。
その言葉にピクリと眉を動かした神原だが、二人の様子を見て気付いていない事を確認すると安心したように息を吐いた。
何度もループして、変な領域でボス戦と思えるような事までした上に世界の管理者たちとのお茶会。
病院で発狂した病人に刺される前に時を戻してもらったものの、どうにも時間の経過がしっくりこない。
時差ボケのようなものだろうかと小さく溜息をついて、神原は苦笑した。
「俺は来たかったんですけど、直人が色々モテモテで」
「おいっ!」
「あら、あらあらあら。いいわねぇ、青春よねぇ」
「違います、そうじゃないんです!」
「俺なんて寂しいもんですよ」
ひそひそ、と手を口の横に当てて高橋と内緒話をしているつもりの沢井だが、本人に隠す気が無いためその会話は全て神原の耳にも届いている。
違うんだと必死に身を乗り出しながら手を伸ばす神原を器用に避けて、沢井は不満そうに唇を尖らせた。
二人の様子を見ながら高橋は「あらあら」と微笑ましそうに目を細める。
「沢井君もモテるんじゃないのかしら?」
「まぁ、人並みにですけど。俺より直人の方が半端なくて。女子からのアプローチが凄いんですよ」
「成洋っ!」
「だって本当の事だろ? まるで、マンガかゲームの主人公みたいで羨ましい限りだぜ」
やれやれ、一般人には縁の無い話ですよと軽く肩を竦めた沢井に神原は大きく体を震わせる。
ゲーム、マンガ。
あり得ない世界に、存在してしまっているあり得ない自分たち。
自分の存在を否定しまえば、同じようにゲームに出てる他の登場人物たちの存在も否定してしまう事になる。
リトルレディは言った。
固定化してしまった以上、あり得ない存在だった神原たちを強制的に消すような事はしないと。
その言葉がどこまで信じられるのかは謎だが、ギンも安心させるようにそんな事はさせないと言ってくれた。
そもそも、ギンが変なことをしなければ自分がこうして悩まなくて済んだのだ。
けれど、そうなると今ここに神原直人としての自分が存在しないことにもなる。
【TWILIGHT】に勤めていた元人間のギンは、神原にとっては親のようでもあり一ファンからすれば憧れの存在でもある。
彼らが作ったキュンシュガというゲームに出会えたことは、前世の神原にとっても幸せなことだったのだから。
怒りと悲しみと嬉しさがごっちゃになってしまって、八つ当たりをしてしまってもどこ吹く風だった相棒を思い出し神原は溜息をつく。
少し落ち着いて振り返ってみると、本当に自分が情けない。
しょうがないよ、なんて優しく声をかけてくれそうな由宇の姿が浮かんで唇を噛んだ神原は楽しそうに会話をする沢井と高橋を見ながら目を伏せた。
商店街の酒屋が、人手が足りなくて困っているらしいという叔父さんからの情報を聞いて目を輝かせた松永さん。それを知っていながら知らない振りをする意地悪な叔父さんに苦笑し、私はバイト募集してるなら松永さんなんてどう? と提案してみる。
叔父さんは顎に手を当てながら暫く松永さんを見つめ、「ふぅん」と一つ頷いた。
松永さんは大盛りにしたカレーを食べ終えてデザートを待っている状態だ。
背筋を伸ばして視線に熱意をこめて叔父さんを見つめる。
「暑苦しいな」と叔父さんが失礼な事を言ったので、私は思わず叔父さんの脇腹をキュッと抓ってしまった。
もちろん、お客様から見えないような位置で笑顔は絶やさずに。
うふふふふ、笑う私に眉を顰めた叔父さんは小さく唸りながら思案していたが「可愛い姪の同期生じゃないの」と高橋さんに言われて渋々電話を手にした。
そんなに嫌だったら無理にとは言わないんだけど、と言ったけれどそうじゃないらしい。
松永さんだって、駄目なら駄目でしょんぼりはしても恨んだり怒ったりするような人じゃないと思う。
叔父さんが電話をしたら面接をしたいとの事で、松永さんは緊張しながらも大きく頷いていた。電話中だから声出すと迷惑になるって思ったのか。
本当に、見かけと違っていい人だ。
そう思っていると、今喫茶店にいるならこれから来てくれないかという話になり、この後予定が特に入っていなかった松永さんは二つ返事で了承した。
履歴書は後でいいと言われたせいもあるんだろうけれど。
そして、何故か私が案内を頼まれて途中で上がることになってしまったのだ。
店は暇だし、忙しくなっても叔父さんと高橋さんの二人がいれば捌けないほどではないはず。それは分かるが、どうして私がと不思議に思っていれば「お前のオトモダチだろ?」と言われる。
妙に友達の部分が刺々しいように聞えたのは私の気のせいだろうか。
何でもないって言ってるのに、まだ気にしてるのか。
東風さんが場所を知ってるから一緒に行くよと言ってくれたのだが、叔父さんの心はもう決まっていたらしい。
早く行けとばかりに手でバックへ追いやられた私は支度を終えると、申し訳無さそうに待っていた松永さんと東風さんの二人と酒屋へ向かったのだった。
「こんばんは、羽藤です」
「お、由宇ちゃん。わざわざ来てくれたのかい?」
「私の友達なので」
「そうかそうか、で……お前は東風さんとこの小僧だから、そっちのあんちゃんかな」
「初めまして。松永英雄です」
叔父さんの飲み仲間でもある酒屋の店主は喫茶店にも夫婦揃って来てくれるので私もそれなりに仲が良い。
ここの酒屋さんは店主のお兄さんがウイスキーづくりをしているので、その商品を多く取り扱っている。
私はお酒の味は正直良く分からないけれど、叔父さんや高橋さん曰くとても美味しいらしい。
ちなみに私でも美味しく飲めるだろうと店主のおじさんが薦めてくれたウイスキーは、綺麗な琥珀色でフルーツのような甘みがあってとても飲みやすかった。
香りも良く、母さんと二人で少しずつ飲んでいる。
夢はストレートで飲む事だが、私にはロックでもきつい。なので、もっぱら水割りで飲んでいる。
母さんはストレートだけど。
「うちの母さんも好きなんだよね、ここの焼酎。父さんはこっちのブランデーがお気に入りだし」
「あ、この焼酎もブランデーもウイスキーと同じ会社」
「あぁ、そうだよ。色々つくってるんだ。酒と研究が好きだからなぁ」
「ここの酒屋さんはね、ネット販売もしてるんだけど遠くからわざわざ買いに来る人も多いんだよ」
にこっと笑いながら東風さんが教えてくれる。
知らなかった。
商店街は少し寂しいイメージがあったけど、それは私の勝手な先入観と固定観念だったのかもしれない。
東風さんの花屋さんだって若い人が結構来てるみたいだ。
感触はどうかな、と松永さんを見れば棚にずらりと並んだ酒瓶を見てキラキラと目を輝かせている。
聞いたこと無かったけど、お酒好きなのかな?
「凄いなこれ」
「美味しいんだよ。俺はここの酒で育ったようなもんだからね」
「どうだ、あんちゃん。ちょっと、働いてみるか?」
「是非お願いします!」
「おお、いい返事だ。いい体格してるし、いい男とくれば客ウケもいいって事よ」
勢い良く頭を下げた松永さんを見下ろして、おじさんは大きく笑う。
鼻の下に蓄えた髭を指で触りながらぶつぶつと「これで若いオネエチャンも増えるってわけか」といやらしい顔をしながら呟いていたので、ついじっと見つめてしまった。
私の視線に気づいたおじさんが慌てた様子で笑顔を浮かべるので、私も笑みで返す。
「奥さんに、よろしくお伝えしておきますね」
「ちょ、ちょっと待って由宇ちゃん」
よろしくお伝えください、ではないのがポイントだ。
にっこりとした私の営業スマイルに小さく震えるおじさんだけれど、どうしてそんなに怯えるのかが分からない。
東風さんと松永さんの二人は、並んでいる酒を見ながら色々と話している。盛り上がっているようでなによりだ。
「ほら、若い女の人の意見て凄く効果があるだろう? この酒屋が賑わえば、商店街もより活性化するってもんだ」
「そうなるといいですねぇ」
「俺は商売と嫁さんの事しか頭にないよ?」
「息子さんたちを忘れないで下さい」
「いいんだよあいつらなんて」
成人したと思えば勝手に出て行きやがって、と苦い顔をして呟くおじさんの様子からきっと色々揉めたんだろう。
揉めるとなれば跡継ぎ問題かと思ったが口には出さず適当に流した。
他人の家の事情に首を突っ込んでもどうにもならない。そんな事をしてしまえば、叔父さんにだって怒られる。
第一、私がそんな面倒な事をするわけがない。
そう言えばおじさんの息子さんは立派なお坊さんになるとか言ってたなぁ、と昔見かけた光景を思い出した。




