ヤンデレ魔王とその最愛~討伐するつもりが、なぜか溺愛されて嫁入りすることになりました~
――――魔王が復活した。
その一報は、王国を震撼させた。
国王はすぐさま、国防の要である東の辺境伯に討伐を命じる。
王国の東側にある『ラントの森』は魔界に通じると言われており、魔族の侵攻を防ぐことは辺境伯にとって最も重要な責務だったからだ。
数百年ぶりの魔王復活を知った辺境伯は、討伐軍を編成するにあたって国中に広くお触れを出した。魔王との戦いは、否が応でも厳しいものとなるに違いない。王国のため、そして世界の安寧のために、我こそはと思う者はぜひ討伐軍に加わってほしいと。
「ねえ、ルース。あなたも討伐軍に入らない?」
幼馴染のマイラがそう言ったのは、魔王復活の話を聞いた翌々日だった。
「あなたは薬師だし、私には劣るかもしれないけど一応回復魔法も使えるんだし、一緒に行ってみない?」
正直、またとんでもないことを言い出したな、と思った。
だって、魔王討伐である。魔族との戦争なのである。言うまでもなく、命の危険を伴うに決まっている。
だというのに、観光地に遊びに行くようなノリで誘わないでほしいんだけど……!
厄介事しか持ち込まない幼馴染はなんだか謎に目をキラキラさせながら、いや、どちらかというとギラギラさせながら、私の返事を嬉々として待っている。
何を企んでいるのかさっぱりわからないけど絶対に何か企んでいそうなマイラに向かって、私はあっさりばっさり容赦なく答えた。
「討伐軍なんて、私には無理よ。薬師の仕事もあるし」
「あら、薬師だからよ。それに、回復魔法だって使えるじゃない。せっかくそういう力があるんだから、国のために一肌脱ごうとは思わないの?」
「私くらいの薬師なんて国中に腐るほどいるだろうし、回復魔法だってちょっと使えるだけなのよ? 大して役には立たないと思うけど」
「そんなことないから。ね、お願い、一緒に行ってほしいのよ」
マイラはこの辺り一帯を治める領主の娘で、押しが強いというかだいぶ強引というか、一度言い出したら聞かないようなところがあった。
一方の私は、薬師だった祖母の跡を引き継ぎ、細々と生計を立てている。両親は早くに亡くなり、身寄りはいない。気ままな独り身である。
そんな私に、同い年という気安さもあるのか、マイラは何かとこうして絡んでくるのだ。
「お父様が、ルースも一緒なら討伐軍に加わってもいいって言ってるの。だから、ね、お願い。一緒に行ってくれない?」
「な、何それ……」
なんで私の名前を出しちゃうわけ?
確かに、調合する薬の効き目もあってか、私は領主様にいたく信用されてはいるけれど。
でも、何度も言うけど、魔王討伐なのよ?
危険極まりないとは思わないの? お気楽なピクニックとはわけが違うのよ? そこは断固止めるべきですよ、領主様……!
そんな心の声など届くはずもなく、まったくもって不本意ながら、あれよあれよという間に、私は魔王討伐軍に加わるべく辺境伯領へと向かう羽目になってしまったのだ。
辺境伯領まで来てみて、わかったこと。
意外に、人が多い。
それは、辺境伯軍の兵士や王国騎士団から派遣された騎士といった、戦闘に特化したいわゆるプロフェッショナルな人たちだけではなかった。
腕に覚えのある剛の者、打倒魔王に燃える冒険者、私たちのような回復魔法が使える一般市民といったさまざまな人たちが、我も我もと集まっていたのだ。
辺境伯はすぐさま集まった人たちを適材適所に割り振って、いくつかの部隊を編成した。
そしていよいよ、魔王討伐軍は進軍を開始する。
私はマイラと同じ部隊に配属になったけど(マイラが上役に頼み込んだらしい)、討伐軍の中でも後方に位置する回復支援部隊だったせいか、しばらくはさほど緊張感のない毎日が続いた。
そんな中、私はようやくマイラの思惑に気づき始める。
マイラは暇さえあれば見目のよい男性に近づいて話しかけ、無駄に愛想を振りまきつつ、必要以上にベタベタと触れまくっていた。恥じらう様子を見せながら、その身をくねくねさせて男性陣によよ、としなだれかかる。
あれは、どう見ても『捕食者』の目。
マイラは多分、密かに狙っていたのだ。
見目がよく、家柄もよく、性格もそこそこよさげな結婚相手を、ここで見つけてしまおうと……!
なんという野心。なんという貪欲さ。逆に感心してしまう。
確かに、マイラは以前から「この辺の田舎者の男と結婚するなんて、まっぴらごめんだわ」とか、「王都の貴族みたいな、もっと見目麗しくて垢抜けていて、洗練された人と結婚したいのよ」なんてことを、常々言っていた。
でも、マイラの父である領主様は、隣の領主の息子さんと見合いをさせるつもりでいたのだ。向こうがマイラを見初めて、婿入りしてもいいと言っているらしい。なんて話を、小耳に挟んだことがある。
マイラはその見合い話を回避して、ついでにあわよくば自分に相応しい結婚相手を探そうと目論んで、討伐軍に参加しようと思ったに違いない。
そんなことのために、ここまで連れ出されてしまった私っていったい……!?
とほほな気分で愕然としていたら、とうとう魔族との戦闘が始まってしまったらしい。怪我をした人たちが、毎日のように後方部隊へと送られてくるようになった。
私は回復魔法を使うより、薬師としての役割を求められることが多かった。回復魔法は怪我の治癒には適しているけど、一人ひとりの体力を万全の状態にまで回復させるとなるとかなり効率が悪くなってしまう。
それなら、怪我そのものの治療は回復魔法で行い、あとは各自でポーションを飲んでもらったほうが体力の回復は早い。しかもポーションは作り方が比較的容易で、数日なら保存もきく。
というわけで、私はひたすらポーション作りに勤しむことになった。
ラントの森には、ポーションの原材料となる『弁慶草』が至るところに自生していた。大量生産してくれといわんばかりのその量に、私は朝といわず昼といわず夕方といわず、無心で採取し続ける。そしてキャンプ地に戻ると、今度はポーション作りに没頭する。
そんな、ある日。
いつものように森の中をうろついていた私は、信じられないものを目にしてしまったのだ。
なんと、一匹の一角ウサギが、茂みに隠れて震えているじゃないの……!
しかも一角ウサギは、大怪我をしていた。前足から血がダラダラと流れていて、なんとも痛々しい。
もちろん、一角ウサギは魔獣である。
正真正銘、魔族の仲間である。
ただ、魔獣の中でも最弱といわれているうえ、その臆病さゆえに集団で生活していると聞いたことがある。魔獣といっても、戦闘には向かない種族なのだ。
そんな一角ウサギがこんなところで、それもたった一匹で怪我をしているということは、恐らく戦闘に巻き込まれ、群れからはぐれてしまったのだろう。
ぶるぶると震える一角ウサギがなんだか気の毒になって、私は思わず手を伸ばしていた。
怖い、とは思わなかった。
むしろ、抱きかかえたときの温かさにホッとした。命あるものの温かさだった。
一角ウサギは噛みついたり引っかいたりすることなく、ただちんまりと私の腕に抱かれている。
だから私は、静かに回復魔法を使った。
だらだらと流れていた血はぴたりと止まり、ぱっくりと開いていた傷もみるみるうちに塞がっていく。
怪我が完全に治ってしばらくすると、一角ウサギは急にもぞもぞと暴れ出した。
「あっ……!」
と思ったら、私の腕の中から勢いよく飛び出して、一目散に森の中へと逃げていく。
思いがけず魔族を助けてしまったことに一抹の不安と言い知れぬ罪悪感を抱きつつも、私は「回復魔法って、魔族にも効くんだ……」などと場違いなことをぼんやり考えていた。
◇・◇・◇
「水を汲みに行くなら、手伝おうか?」
一角ウサギを助けてから、数日後。
私はなぜか、一人の剣士に懐かれていた。
「ポーションを作るのに、川の水が要るんだろう?」
「……そう、ですけど……」
伸びてきた手が、ささっとバケツを奪ってしまう。
邪気のない笑顔を見せる目の前の剣士に、小さな声で「すみません」と言いながら軽く頭を下げる。と同時に、とてつもなく邪悪な視線が向けられていると気づいてげんなりする。
視線の先にいたのは、マイラだった。
一角ウサギを助けた翌日、前線のほうでは激しい戦闘があったらしく、今までにないほど大勢の怪我人が後方部隊へと送られてきた。
悠長にポーションを作っている場合ではなくなって、回復魔法が使える私もひとまず怪我人の治療に当たることになった。そのときたまたま助けたのが、この王都出身の剣士バルド様だったのだ。
バルド様は長身痩躯、金髪にエメラルドグリーンの瞳をした美丈夫で、どこぞの高貴な家柄の次男だか三男だか、らしい。
本来なら、なんの接点も持ち得ない相手である。それなのに、どういうわけかしょっちゅう話しかけてくるし、時折こうしてポーション作りの手伝いまでしてくれる。
まあ、王都出身の貴族令息にしてみれば、ポーション作りを間近で見られる機会などないから珍しいのだろう。そう思って、しばらくは放っておいたのだけど。
厄介なことに、どうやらマイラがバルド様を見初めたらしいのだ。
見目がよくて王都出身で、おまけに高貴な家柄とくれば、マイラの食指が動かないはずはない。
マイラはバルド様目がけて何度となく突撃を繰り返し、自分の存在を猛アピールしていた。でもバルド様の反応はいまいちだし、どちらかといえば手応えがない。媚びを売るマイラの横をすり抜けて、バルド様はポーション作りに余念がない私にばかり声をかける。
この状況に、マイラは不満を爆発させた。
「ちょっと、ルース」
水汲みから戻って一人になったところで、腕組みをしながら仁王立ちするマイラに引き止められる。
「あんた、どういうつもりよ?」
「……え? 何が?」
「すっとぼけてんじゃないわよ。バルド様のことに決まってるでしょ。私が先に目をつけたのに、横から掻っさらうなんてひどいじゃない」
「掻っさらってないけど? ていうか、あの人はポーション作りを手伝ってくれているだけよ?」
真っすぐにじっと見返すと、マイラは眉間にしわを寄せたまま、押し黙る。
「何を勘違いしているのか知らないけど、マイラが心配するようなことは何もないわよ。私はバルド様のことを、そういう目で見てないし」
努めて冷静に、穏やかに言ってみる。
マイラは納得がいかないといった表情をしながらも、私の言葉に多少は安心したのだろう。「ふん」と鼻を鳴らして、お決まりの捨てゼリフを吐く。
「とにかく、私の邪魔はしないでよね」
私だって、マイラの邪魔をするつもりなど毛頭ないのだ。あとが面倒くさすぎるんだもの。過去のあれやこれやが否応なしに思い出されて、うんざりしてしまう。
だというのに、バルド様のほうはマイラに一切目を向けることなく、何かと私に絡んでくる。
しかも、「魔王討伐が終わったら、王都に来てくれないかな?」とか「どうしても君に伝えたいことがあるんだ」とか、なんとなくそういう感情を匂わせる発言が増えてきて、後方部隊の中でも私たちが恋仲だという噂がまことしやかにささやかれるようになる。
必死になって否定しても、「隠さなくていいのに」なんて返される始末。
この不測の事態に、私は困った。みんなの誤解を解こうにも、バルド様のほうは何も言ってくれないからますます勘違いが助長されてしまう。
これはもう、バルド様にきちんと言うしかない。私はバルド様の気持ちを受け入れるつもりなどないし、そもそもバルド様だって、はっきりとしたことは何も言ってないんだもの。
そう決意した私の前に現れたのは、バルド様ではなく、マイラだった。
「嘘つき!」
キャンプ地から少し離れた高台に私を連れ出したマイラの声は、棘を含んで冷たかった。
「何が『そういう目で見てない』よ。ちゃっかり恋仲になっちゃって……!」
「なってないから。みんな、勝手に誤解しているだけよ」
「嘘言わないで! あんただって、まんざらでもないって顔してるじゃないの!」
「そんな顔はしてないし、バルド様にもちゃんと言うつもりだから」
「何をよ?」
「なんだかいろいろと噂になっているけど、私は王都に行くつもりなんかないって」
「でも『王都に来ないか』とは言われたんでしょ!? それって、そういう意味なんじゃないの!?」
「そういう意味だとしても、受けるつもりはないわよ」
淡々と答えた瞬間、マイラの目に恨みのこもった殺気が走る。
「あんたって、いっつもそうよね! 私の邪魔ばかりして! おいしいとこだけ持ってって!」
「そんなこと――――」
「いいように使ってやろうと思ってわざわざ連れてきたのに、ほんと、どこまでも鬱陶しいんだから!!」
そう言ったマイラの手が、私の肩をどん、と押した。
その拍子に私はニ、三歩後退り、バランスを崩して足を踏み外してしまう。
「あ……!」
そのままぐらりと傾いた体は、崖の下へと真っ逆さまに――――。
◇・◇・◇
目が、覚めた。
そして、思った。
なんか、ベッドが異常にふかふかなんだけど。
それから、寝ぼけた頭で何がどうなったのかを思い出し、慌ててがばりと起き上がる。
「ここって天国――!?」
「死んでないから」
すかさず返ってきた声のほうに顔を向けた私は、完全に度肝を抜かれてしまう。
だって、それは、だいぶ人っぽいけど明らかに人ならざる者、だったからだ。
黒いマントを身に纏い、煌めく銀髪に黄金色の瞳をして、微笑む口元からは尖った牙が見え隠れする。
「あの……?」
「ああ、俺? 俺はラスタ。ヴァンパイア族の一員にして、魔王ガイルの側近中の側近、といえばわかるかな?」
いや、わかるわけがない。
ていうか、ヴァンパイアとか魔王の側近とか、軽々しく言っているけれども。
いったいどういうこと!!??
驚き過ぎて二の句が継げず、口をパクパクさせるだけの私に、今度は別の方向から声が飛んでくる。
「ラスタ。そこはちゃんと説明してあげるべきだろう?」
「そうだよ。相手は人間なんだから。ビビらせるだけだぞ」
ベッドを挟んで反対側に立っていた、褐色の肌に尖った耳を持つ眼鏡の御仁の指摘はもっともだと思った。
ただ、それより何より、私はその隣にいた人物に目を奪われてしまう。
だって、そこにいたのは、上半身が人間、下半身が馬という半身半獣の魔族と思われる人物だったんだもの……!(魔族を「人物」といっていいのかどうかは置いといて)
いったいどういうこと!!??(二回目)
あまりにも信じられない眼前の光景に、私の脳は大混乱、軽くパニックである。
だって、だって、もしかして――。
「ここって、天国じゃなくて魔界……!?」
「そういうこと」
けらけらと笑いながら、さっき「ラスタ」と名乗ったヴァンパイアが軽快に話し出す。
「君さー、ラントの森の崖から落っこちたの、覚えてる?」
「……は、はい」
「ガイルが助けたから、死なずに済んだんだよ?」
「ガイル……?」
「あ、魔王ね。魔王ガイル」
「……つまり、私は魔王に助けられたと、いうことでしょうか?」
人間、驚き過ぎると逆に冷静になるということを、私は知った。たった今。身をもって。
「そう。ガイルがね、血相を変えて助けにいって」
「は、はあ」
「多分、あと三秒したら走り込んでくると思うけど」
「さ、三秒?」
……三、二、一。
「気がついたのか!?」
バタン、という荒々しい音とともにドアが開け放たれたかと思うと、黒い物体が疾風のように駆け込んできた。
「具合はどう!? 大丈夫!?」
ベッドの脇にスライディングで飛び込んできたのは、闇夜のごとき黒髪から山羊のようなくるんとした角の生えた、赤い瞳の見目麗しい男性である。
男性は私の顔を恐るおそるといった様子で覗き込み、切羽詰まった声で尋ねた。
「……ど、どこか、痛いところとか……!?」
「……大丈夫です」
騒々しすぎる登場にやや面食らいつつも、私は平静を装ってなんとか答える。
心配そうに私を見上げる彼は「よかった……」なんてつぶやいて、心の底から安堵したような笑みを浮かべた。
この人が、本当に、数百年ぶりに復活した魔王……?
ちょっと、俄かには信じられない。
見た目は確かに魔王っぽいけど(主に角が)、でも全然イメージと違いすぎる。魔王って、もっとこう、禍々しさの権化みたいなものなんじゃないの?
そんなことを考える私にはお構いなしで、魔王は手にしていたお盆をサイドテーブルに置いてから、グラスになみなみと水を注いだ。
「ひとまず、水でも飲む?」
「は、はい」
魔王のくせに、妙に甲斐甲斐しい。
お言葉に甘えて水をごくごくと飲み干すと、魔王はにこやかにグラスを受け取って、それからベッドサイドの椅子にゆっくりと腰かけた。
「まずは自己紹介をさせてくれ。俺は魔王のガイル。こう見えても魔族の長であり魔界の王、魔族の中のキングオブキングだ」
「は、はい」
「こっちのヴァンパイアはラスタ、そっちのダークエルフはアフレド、ケンタウロスはノールという。三人とも、俺の側近だ」
「は、はじめまして」
一応、改めて挨拶すると、全員少し驚いて、それからなぜかうれしそうな顔をする。
「君の名前は、ルース、だよね?」
「……そうですけど……」
なぜ知っているのだろうと訝しむ私を前に、魔王ガイルは徐に椅子から立ち上がり、ベッドサイドに跪いた。
そして、私の左手にそっと触れる。
「ルース。俺と結婚してくれ」
「……は、はい!?」
飛び上がらんばかりに驚いて、思わず左手を引っ込めて、それから私は魔王ガイルをもう一度まじまじと見返した。
「け、け、結婚!? って、ええぇぇ!?」
「ルースが好きすぎるから、結婚してほしい。ぜひとも嫁にきてほしい。俺と生涯をともにしてほしい」
「お前さ、会った瞬間にプロポーズするなよ」
「そうだよ。ルースちゃん、ビビってるだろ」
「魔王のくせに、やることが無茶苦茶なんですよ」
側近三人のツッコミが容赦ない。情けの欠片もない。
「うるさいな。俺はルースが好きだからプロポーズしたんだよ。悪いかよ」
「悪いよ」
「最悪だよ」
「いきなり魔王に求婚されて喜ぶ人間はいないでしょうし、そもそも会った瞬間に求婚されたら普通の人間は引くと思いますが?」
ダークエルフのアフレド様が放った至極真っ当な指摘に、私は全力で首を縦に振る。
「え、そうなの? 喜ばない? ルースも引く?」
魔王は途端に不安げになって、おろおろと挙動不審になった。
なんだろう、この人。魔王のくせに、反応がいちいち魔王っぽくないんだけど。
「……あの、引く、というか、普通に驚きます。なんというかまあ、初対面ですし……」
「初対面じゃないよ。俺はルースのことを知ってるよ?」
「お前がルース嬢のことを知ってても、ルース嬢はお前のことを知らないんだよ」
「そこをちゃんと説明しないと、ただのストーカーみたいになるだろ」
「いや、ちゃんと説明したとしても、残念ながらただのストーカーであることに変わりはない」
聞き捨てならないアフレド様のセリフに若干引きぎみな私を尻目に、魔王は「それもそうか」と素直に応じて椅子に座り直す。
「ルース。俺の話を、聞いてくれるか?」
魔王はささっと居住まいを正して、ちょっと真面目な顔つきになった。
「は、はい。どうぞ」
「君は何日か前に、怪我をした一角ウサギを助けてくれただろう?」
「そうですけど、どうしてそれを……?」
「知っての通り、この魔界とラントの森とはつながっていてね。だから俺は、森の中のことならすべて見通すことができるんだ。あの日、人間との戦いに巻き込まれた一角ウサギは大怪我をしたうえ、群れからはぐれて瀕死の状態だった。助けにいこうとしたら、君のほうが先に見つけて命を救ってくれた。人間なのに、君は魔獣である一角ウサギを怖がらなかった」
言いながら、なぜか魔王は興奮ぎみに目をキラキラと輝かせる。
「人間は、俺たち魔族を打ち滅ぼさんとして攻めてきたはずだろう? でも君は、宿敵である魔獣を黙って助けてくれた。そんな君に、興味を抱かないはずがない。いや、俺はあのとき、君に心臓を撃ち抜かれてしまったんだ。一目惚れとはこういうことかと、初めて自覚した」
「はあ……」
「それからは、毎日毎日事あるごとに君のことを観察していたよ。森の中でひたすら無心に弁慶草を刈り取る姿も、仲間のためにとポーション作りに没頭している姿も、面倒くさい人間の女に振り回されて困っている姿も。いけ好かない男に言い寄られているのを見たときには、あいつを血祭りにあげてやろうかとも思ったけど」
「「「おい!!」」」
側近三人の息の合ったツッコミに、つい吹き出してしまう。発言自体は、だいぶ物騒だけども。
「俺だって、君を観察すればするほど、君に恋い焦がれる気持ちがどんどん大きくなってどうしようもなかったんだ。さっきも君を観察していたら、あの面倒くさい人間の女がいきなり君を崖から突き落としたから、急いで助けにいったんだよ」
あの瞬間のことを思い出すと、俄かにぞわりと悪寒が走った。
マイラは本当に、私を崖から突き落とすつもりで肩を押したのだろうか。ただの事故だったような気もするけど、真相はわからない。
「とにかく、あんな危険な女がいる場所にルースを帰すことはできないし、何より俺がルースと結婚したいから帰らないでほしい」
「それは……」
言い淀む私に、魔王はふっと優しく微笑む。
「もちろん、無理強いはしたくない。できれば君にも俺のことを好きになってほしいし、俺はお互いがお互いを熱烈に愛し合う夫婦になりたいからさ」
「……は、はあ」
「だからしばらくはこの魔界に留まって、俺のことを知るところから始めてくれないかな?」
祈るような上目遣いをする美しい魔王に、抗うことなどできるはずもない。
かくして。
私は「魔王の特別な客人」として、当分の間魔王城に滞在することとなった。
敵対する人間の女が魔王城を闊歩し、しかも魔王が未来の嫁にと口説き落とそうとしているという事実に、魔族のみなさんは当然強く反発するのでは、と内心ヒヤヒヤしていたのだけど。
実際は、びっくりするほど大歓迎だった。「魔王がようやく嫁をもらう気になってくれた!」なんて声も聞こえてくるほど。
そんな人懐っこい魔族の面々に、私は意外にもすんなり馴染んでしまった。我ながら、順応力があり過ぎじゃなかろうか。
「俺たちだって別に、人間を敵だと思ってないからね」
側近の一人、ヴァンパイアのラスタ様が楽しげに笑う。
「どういうことですか?」
「君たち人間の認識と俺たち魔族が知る事実には、だいぶ大きな齟齬があるということだよ」
私たち人間とは比べ物にならないほど、途方もなく長い時間を生きてきた魔族の方々の説明によると――。
もともと、人間と魔族とはそれなりに友好的な関係であり、人間界と魔界とを行き来することもできたという。
ところが数百年前、王位をめぐって当時の国王と王弟とが争った。戦いに勝って王位を奪った王弟は、自らの権威の正当性を誇示するために「魔族が人間界に攻め入ろうとしていたのをすんでのところで撃退し、魔王をも封印した」などという根も葉もない嘘をでっち上げて国民の支持を得たというのだ。
「それって、魔族に対する裏切りですよね? ひどくないですか?」
「ひどいよね。俺たちもショックだったよ。でもガイルがさ、人間には人間の事情があるんだから恨んでもしょうがない、許してやろうって言って」
そもそも魔族とは、存外気質の穏やかな種族であり、争いを好まない温厚な者が多いのだという。
好戦的で凶暴で、ありとあらゆる獲物を片っ端から食らい尽くす残忍な種族、などという私たちが知る「魔族像」とはえらい違いである。
「それから俺たち魔族は、魔界の奥に引っ込んで人間との接触を極力避けるようになったんだ。人間たちの認識を脅かすことがないようにね」
ラントの森は魔界に通じていることから、封印された魔王を恐れて人々も滅多に近づかなくなった。こうして魔族と人間は一切の接点を持たないまま、数百年の長い時を過ごしてきたのだ。
「じゃあどうして、今になって『魔王が復活した』なんて話になったのでしょう?」
私が首を傾げると、隣に座る魔王様は一気にバツの悪そうな顔をする。
「それは……」
「ガイルがうっかり、ラントの森から出ちゃったからだよ」
魔界の軍事部門を統括しているというケンタウロスのノール様が、大袈裟にため息をつく。
「自分のペットがいなくなったって大騒ぎして、あちこち探し回っているうちに、気づいたらラントの森から出ちゃってたんだ。それをたまたま、人間に目撃されてしまって」
「ペット……?」
「リオンはペットじゃないし! 俺の家族だし!」
「はいはい」
「人間界では魔王なんて大昔に封印されたことになってるんだから、万が一目撃されちゃったら『復活した』って話になっちゃうよねえ」
「あー、なるほど……」
なんだか、魔王様って、権威とか威厳とかといった概念とは程遠い存在のような気がしてきた。
ちなみに、魔王様のペット『リオン』とは、狼にも似た『フェンリル』という大型の魔獣らしい。生まれたときから一緒に暮らしているから、もはや家族も同然なんだとか。
「でもガイルのうっかりのせいで、魔族はとんだ迷惑を被ってるんだぞ。こっちに戦う気がなくても向こうは容赦なく攻撃してくるし、負傷して混乱した魔獣がつい反撃してしまうことは避けられないんだから。悠長にルースちゃんを観察してる場合じゃないんだよ」
「ご、ごめん……」
素直に謝る魔王。やっぱり威厳とは程遠い。
魔族と人間とを比べれば、力の差は歴然である。だから実際のところ、魔族側はほとんど被害を受けていないらしい。
唯一死にそうになっていた一角ウサギは、私が助けてしまったし。
かといって、その圧倒的な力でもって人間たちを一掃しようだなんて、一ミリも思っていない心優しい魔族たち。
だからこそ、この戦いをどうやって終わらせればいいのか、頭を悩ませているというのだ。
「今更真実を述べたところで、人間たちは誰も信じてはくれないでしょうし」
アフレド様が、悩ましげに眼鏡をくいっと上げる。
「あの勢いだと、魔王を封印するまでしつこく進軍を続けると思うぞ」
ノール様の言葉に、私も大きく頷く。討伐軍の雰囲気を思い出せば、魔族より人間のほうが余程好戦的だとも思う。
「じゃあやっぱり、俺を封印したっていう幻覚でも見せて、帰ってもらうしかないかなー」
魔王様が事もなげに言うから、私は思わず「そんなこと、できるのですか?」と尋ねてしまった。
「え、できるよ?」
「討伐軍の規模がどれくらいか、魔王様もご存じでしょう? 全員に同じ幻覚を見せるなんて、至難の業なのでは……?」
「だってほら、俺って魔王だし」
ふふん、と得意げな顔をする魔王。無敵感が半端ない。
「討伐軍全員に幻覚を見せるくらい、朝飯前だよ。全然余裕」
「でもそれでは、魔族に着せられた汚名を晴らすことができなくなります。あなたたちは何も悪くないのに、この先もずっと悪者扱いなんて……」
私がそう言うと、魔王様は心底うれしそうな顔をする。
「ルースは俺たちのことを心配してくれるんだ? 優しいね」
「だって、本当にひどいのは人間のほうじゃないですか。それなのに……」
「でももう、何百年も前のことだしさ。俺たちが悪者になることで人間の世界の平和が保たれるなら、それでいいかなって思うけど」
「魔王様は、優しすぎます」
「俺にとっては、いつになったらルースが俺のことを『ガイル』と呼んでくれるのかってことのほうが、大事なんだけどな」
「はい?」
唐突に甘やかな視線を向けられて、どぎまぎしてしまう。魔王はずずっと距離を詰めて、私の右手を取った。そして、すりすりと撫でる。
「側近たちのことは名前で呼ぶのに、俺のことはいまだに『魔王様』と呼ぶだろう? いい加減、俺のことも『ガイル』って呼んでよ。嫉妬でおかしくなりそうなんだけど」
「いや、だって、恐れ多いですし……」
「近い将来、妻になるのに?」
「まだ決まってないだろ」
「暴走するな」
「ていうか、俺たちがいる前で堂々といちゃいちゃしないでほしいのですが」
流れるようなツッコミの連打に、魔王は不服そうな顔をする。
「お前たちのほうが邪魔なんだよ。俺は一秒でも早くルースを口説き落として思う存分いちゃいちゃしたいんだから、空気を読んで消えてくれよ」
「「「はあ!?」」」
そんなすったもんだのあと、ガイルは魔王討伐軍全員に対して大規模な幻覚魔法を使ったらしい。
討伐軍は激しい戦闘の末に魔王を封印したという幻覚を見せられ、真実は何一つ知ることなく、意気揚々とラントの森を去っていった。
「本当に、よかったんですか?」
魔界が平和を取り戻してから、数日後。
私は魔王の執務室に呼ばれて、ゆったりとお茶を飲んでいた。
「別にいいよ。もうかかわることもないだろうし」
ガイルはそう言って、当たり前のように私の隣に座る。
「それより、話しておかなきゃいけないことと、ぜひとも聞きたいことがあるんだけどさ」
やけに神妙な顔をするガイルの圧で、聞きたいことのほうはなんとなく内容がわかってしまった。
「どっちを先にする?」
「……どっちでもいいですよ」
「じゃあ、話しておきたいことを先に話していい?」
「はい。どうぞ」
「実は、あの意地悪女をぎゃふんと言わせてきたんだ」
ちょっと不敵な顔つきで、ガイルは堂々と宣言する。
「意地悪女って、もしかしてマイラのことですか?」
「そう。ルースを崖から突き落とした、罪深き人間の女だね」
「いったい、何をしたのです?」
「本当は斬り刻んで八つ裂きにしてやろうとか、地味に鬱陶しい呪いをかけてやろうとか、いろいろ考えたんだけどさ」
「地味に鬱陶しい呪い?」
「全身からきのこが生えてくるとか、人生の大事な局面でしゃっくりが止まらなくなるとか」
なんだそれ。ちょっと、見たいかも。
「でもどうせなら、人間のやり方で報復したほうが面白いかと思ってさ。俺はあいつを、許すつもりはないから」
ガイルの深紅の瞳の奥に、一瞬にして仄暗い怒りが燃え盛る。今まで特に何も言ってなかったけど、ガイルはマイラに対して相当怒っていたらしい。
「報復って、何を……?」
「あの女がルースを崖から突き落とした瞬間を映像として魔導具に収めて、東の辺境伯家に送りつけてやったんだ。ルースがいなくなったあと、討伐軍の回復支援部隊は大騒ぎになったからね。実はあの女の仕業だったとわかれば、あいつは人間の世界の法で裁かれることになるだろう?」
これ以上ないというくらい、悪い顔をするガイル。これぞ魔王、といった顔である。
「しかもあの女、何食わぬ顔で君に言い寄っていたいけ好かない男を籠絡しようとしていたんだよ。急に君がいなくなってショックを受けた男を、優しく慰めてね」
「マイラなら、やりそうです」
「君たちは知らないだろうけど、あの男の家はね、実は辺境伯家と血縁関係にあるんだよ。だから辺境伯家に事実を知らせれば、いずれあの男の耳にも入ることになる。嫉妬に狂った女が仲間に危害を加えたとわかればただで済むはずがないし、法で裁かれたあとの人生がどうなっちゃうのか、ほんとに楽しみだよね」
……あれ。
魔族って、穏やかで温厚な種族のはずよね?
でも目の前の魔王は、本来の気質とだいぶ真逆の狡猾さと残忍さを遺憾なく発揮しちゃっているのですが。
そんな私の狼狽と当惑を見透かすように、ガイルはふふ、と可笑しそうに笑う。
「確かに、俺たち魔族は基本温厚で、滅多なことでは争わない寛容な種族だよ。でも自分の大事なものを脅かされたら当然全力でやり返すし、完膚なきまでに叩き潰す。そういう種族でもあるんだよ」
そう言って、ガイルは私の顔を覗き込み、少し真剣な表情になった。
「……怖い? やっぱり引く?」
「いえ、引きはしませんけど、なんというか……」
どう答えていいか、わからなかった。
正直、マイラには複雑な感情がある。今までずっと厄介事を押しつけられ、いろんな意味で尻拭いをさせられてきたのだ。ざまあみろ、と思う気持ちがないわけではない。
ただ、マイラが私を崖から突き落とすつもりだったのかどうかわからないし、もしそうだったとしても私は無事に生きているから、もうどうでもいいかな、なんて気もしている。
答えに窮する私を見て、ガイルは柔らかく微笑んだ。
「ルースが罪悪感を抱く必要はないよ。全部俺が勝手にしたことなんだから」
「でも……」
「あの女は、魔族の長たるこの俺の怒りを買った。だからその報いを受けた。それだけのことだよ」
あっけらかんと言い放つガイルに、魔王としての非情で冷酷で抜け目のない一面を垣間見た思いである。
魔界の頂点に君臨する王だもの、おおらかで優しいだけの人では務まらないのだろう(そもそも「人」ではないけど)。
「じゃあ、次。ルースに聞きたいことがあるんだけど、聞いていい?」
問答無用でさっさと話題を変えてしまったガイルは、さっきよりも数段真剣なまなざしをして、私の顔を真っすぐに見据えた。
「どうぞ」
私が答えるや否や、ガイルは意を決したように大きく深呼吸をする。
「……ルースは、俺と結婚する気になってくれた?」
まるで懇願するかのような目をして、私をじっと見つめるガイル。
その深紅の瞳が宿す熱情に抗える人なんて、果たしているのだろうか? いたら連れてきてほしいと思う。
魔王城に連れてこられて、すでに数週間。
その間、私はガイルの過激な独占欲にさらされて、過保護に愛され、執拗なまでに甘く求められている。
その想いを振り切ってまで、人間の世界に帰りたいとはどうしても思えなかった。そこまでの郷愁なんて、私にはなかったのだ。残念ながら。だって、身寄りもいないし待っている人もいない。
だったら、求められた場所で、求められるままに生きると決めても、いいんじゃなかろうか。
きっとそのほうが、魔界と魔族の平和や安寧につながるような気がするし。
私はふっと小さく笑ってから、ガイルの顔を見返した。
「そうですね」
「え!? ほんと!?」
「はい。できれば末永く、よろしくお願い――」
言いかけたところでガイルの腕がするりと伸びてきて、あっという間に抱きしめられて、あたふたしているうちに耳元でうっとりとささやかれた。
「未来永劫、逃がすことはないからね。俺の愛しいお嫁さん」




