王子とその妃
「フェリシア、いれるんだ」
ショーンと話したその数日後、エリアルドは部屋にやって来た。
ここ数ヵ月訪れの無かった彼が来たのは、やはり彼の策が発動したのだと思って良い。
「殿下…どうされました?」
フェリシアはわかってはいるけれど、おののきながら扉を開けて部屋に通した。
その入ってきたエリアルドの顔を見て、怒りの色を見つけた。
「君がカーラに手紙を出してここに呼ぼうとしていたのは、彼女を私の愛人にしようとしていたというのは本当なのか?」
口調は静かであるが、恐ろしく冷たい眼の色がフェリシアを射ぬいている。
「本当です。誰かにお聞きになりまして?」
「君が女官長に部屋を用意させようとしていたことは確認してきた」
「その通りです」
「そんなに…私が嫌だと?」
彼が嫌だ、そんな風には思ったことはない。
「え?」
「子供が出来たら、用済みなのか?」
「それは…貴方の方では?」
ぐいっと近付いてきたエリアルドは、フェリシアの腕を掴んだ。その力は思うより強くて、静かな口調なのにその中に秘められた怒りの大きさを感じていた。
「カーラを愛人にだって?よくそんな事を思いついた。愛人に身を落とせばそこからは、這い上がれないというのがわからないのか?君が女でそして妊婦でなければ…手をあげたかもしれない」
フェリシアはこくりと唾を飲み込んだ。しかし、彼が怒りを向けようと今回だけは負けるつもりはない。
「…カーラの為なら…そんな風に本気でお怒りになるのね」
フェリシアは腕掴まれたまま、彼を睨むように見上げた。
「なんだって?」
「だから…そんな風に貴方がカーラを見る度に、私は少しずつ死んでいったの」
かつてのフェリシアは、元気に領地を駆け回るお転婆そのものだった…。それを…できなくなったのは…エリアルドの妃として生きることを決めたからだ。そして…そんな中…。
恋すら知らなかった少女を、苦しませたのは…彼らだ。
「フェリシア。何を言ってる?」
「婚約を…発表したあの日。貴方が心からの笑みを彼女に向けるのを見て…。それから、彼女の為に薬を贈って目を治そうとしていたことを知って花を作らせて贈ってるのを知って…」
その度に、フェリシアの中の無垢な少女は死んでいくような心地がしていた。
「それは」
「何よりも…私が悪阻で苦しみだしたその日、貴方は彼女と楽しそうに笑いあって話していた…。そうやって二人で、私を傷つけて心を殺していったの。だから…もう」
フェリシアは言葉を一旦切った
「私には…順調にいけば子供が生まれる。そうすれば、貴方たちは自由に想いを通わせ合えばいいとそう思った…。嫉妬で醜くなった私と同じく、苦しめたくて。神の祝福を受けない穢れた関係になればいいって。清い想いを通わせてる貴方たちが…許せなくて、私と同じように傷つけば良いって」
ブルーグレイの瞳は感情の波を現して涙が頬を伝う。
「ずっと…苦しかった…。仕方ないと思っていたのに…私を見ない人との結婚は…その毎日は本当に苦しかった。私を、見て心から笑いかけて欲しかった」
「フェリシア…。それは…まるで愛の告白のように、聞こえる」
「知らないわ。そんな事、貴方しか知らないのだもの。身内以外の男の人は」
そう言うと、エリアルドは戸惑った声を出した。
「じゃあ、君の想う人は誰だった?」
「私が、一体誰を想うというの?」
思わぬ事を聞いて、フェリシアは答えにならない問いを返す。
「いや…影に、言っただろう?」
「影に?…何を聞いたの?」
「恋人がいるのに、結婚をしなければならなくなったとか」
確かに…そのような事を聞いた記憶はある。しかしそれは、ちょうど二人の事気にしていた時期だったはず。
「それは、殿下とカーラの事を聞いたの」
「…まいったな…。」
そう呟きと、息を吐き出して、エリアルドはソファに座り込んだ。
「フェリシア、横に、来て」
フェリシアは隣に座った。
「私とカーラは、正真正銘、幼馴染みで。しかし、小さな頃は彼女が婚約者だと言われていたから、身近な相手として親しくもしていたし…。失明してからは…なんとかしてやりたくて手を尽くし続けていたのは事実だ。その事が、フェリシアを苦しめるなんて思っても見なかった。今までもこれからも従妹かそんなくらいの気持ちでそれだけだ」
それが本当だとすれば...。悪く言えばなんて無神経なんだろう。
王子という立場がみんなに優しくしなければならないのだとしたらフェリシアにとってみれば、そんな誤解を与えるような行動を取らないで欲しかった。
「じゃあ…どうして?私を初夜を迎えなかったの?」
「…それは、君が誰か恋人を忘れていなくて、想い続けてると思ったから…。ゆっくり進めようと思ったからで、あの夜告げた気持ちとそれほど変わらない」
エリアルドがまさかフェリシアに想い人がいると思っていたなんて、想像もしなかった。お互いに、パートナーが他の人を想ってると信じていたなんて滑稽な話である。
「本当に…じゃあ私の誤解だったの?」
「そして、私も誤解していたわけだ」
はぁ、と漏らしたため息は、二人分きっちりと重なる。
あんなにも悩んだ日々がこうなってみれば、色々と可笑しくもある。
くすっと笑ったのも一緒だった。
エリアルドの長い指が、フェリシアの涙の跡を拭った。
「泣かせて…ごめん」
「お父様に斬られても、知らないから…」
「それは困るから、とりなして欲しい」
「私を、愛してくれたら…取り成してあげてもいいわ」
「…私のせいで、涙を流す君を見てしまっては…。更に愛さずにいられないだろう…」
「私は…きっとものすごく我が儘なの。私だけを見てくれないとイヤなの」
さんざん本音をぶちまけた後には…。
わずかな意地悪と希望が
「わかった…仕事の時以外は君だけを見ることにする。それでは駄目かな?」
「それでいいわ。物わかりは良い方なの」
フェリシアは少しずつ、手を彼に向けて、エリアルドもまたフェリシアのウエストに手を伸ばして、ごく自然に抱きあった。
「今さらだけれど…。私の妻に…そして、いつか王妃になってくれないか?」
「貴方が心から…そう望むなら、私も心から妻として、妃として努めるわ」
「ありがとうフェリシア」
「殿下…」
「妻なのだから、エリアルドと名を」
「…エリアルド…」
名を呟けば、その唇は柔らかく優しく重なる。
「もう…震えてはないね」
エリアルドの吐息のような声が聞こえた。
「フェリシアが、震えてるのを感じる度に悪いことをしている気になった。少女が…成長するのは、あっという間の事だな」
「…愛してます…エリアルド。きっと…はじめて目が合ったあの時から」
「私も、君を愛してるよ。美しく誇り高く…輝くような、君が」
口づけは、やがて深くなっていく。
もう、特別な言葉は不要だった。彼の青い瞳は、フェリシアのブルーグレイの瞳を見ていたし、手は素肌に優しく触れて、熱くそれでいて労るような想いを感じることが出来たからだ。
「フェリシア、無事にこの子が産まれて、そして落ち着いたらブロンテ家の領地に一緒に行こう……私に君の産まれ育った景色を見せて欲しい」
エリアルドの言葉にフェリシアは思わず喜びが沸き上がった。
「行ってもいいのですか?」
「約束しよう、必ず。そして、祭りがあるんだろう?」
「ええ」
「じゃあ、一緒に祭りにも」
「はい……必ず……仮装して一緒に踊ってくださいね」
夜は、深いくらい闇にそしてそこに瞬く星の光が、微かなそして大きな光となって人を癒す力があるよう。
そんな時に導かれるように、フェリシアとエリアルドのわずかなそして、二人にとっては大きな掛け違いは解き解されていった。
歩みよれば、飽きることのない心地よい関係がそこにはあった。
そして…その夜、エリアルドははじめてそこで朝を迎えたのだった。




