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王妃の階段  作者: 桜 詩
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外れた歯車 (E)

 王太子の執務室では、この部屋の主人が意味もなく絨毯を磨り減らしている。その動きを横目に、従者のハリーは侍女のサラに香り高い紅茶を入れるように目配せをして、そんな落ち着かない様子の主人と対照的にショーンは落ち着いて書面を見ていた。


「ハリー、今の殿下は使い物にならないな。二人である程度やっつけて正気になるまで放っておこう」

「はい、ショーン卿」


そんなやり取りは、耳には入っているがエリアルドの脳にはつるりと滑って確実に刻まれるのはもうしばらく後の事になりそうだった。


落ち着かないエリアルドの待ち望む知らせは、そんな最中にやって来た。


ノックの音を聞き、反射的に椅子に座り今まで落ち着いて仕事をしていたという素振りを演じる。

「通していい」

「はい」


ハリーが扉を開けて、入ってきた人物は侍医のエイブラル・ノーランだった。侍医の中でも責任者である彼は、壮年であるが若々しさも伴うスッキリとした容貌で、柔らかな笑みは落ち着きと貫禄がある。


「エイブラル」

「まずは、おめでとうございます殿下」

その言葉に、今朝のフェリシアの言葉が真実味を伴ってじわじわと脳裏に侵略していく。


「ありがとう。それで妃の具合はどうなんだ?今朝はかなり悪いと言っていた。なんとかならないのか?」

平静を装ったが果たして成功しているのか……。


「さぁ……どうでしょうか。こればかりは、一時期の方もいらっしゃいますし、産まれるまでの方もいらっしゃいますし、我々男には出来ることは何もございませんよ。ただ心安く過ごされるように気を配るくらいですか」


「産まれるまで……」

エリアルドはその言葉を口にのせ……


「産まれるまで、だと」

「ご出産は夏ごろになりそうですね」

にっこりと微笑む顔を見返して、エリアルドは小さな声で低く唸った。


「夏までか……」

「さようですね、人のお子が産まれるまではそれくらいの時を要します」


「よろしく頼む……」

「お任せを」

エイブラルは一礼すると、そのまま部屋を後にした。


「赤くなったり青くなったり、お忙しい顔でございますね」

ハリーが湯気と香りのたつ紅茶を机に置いた。

「ゆったり落ち着かれては?貴方が具合が悪くなってどうするんですか」


「……実際あちこちが痛いが……。それ以上に……どう受け止めればいいのかわからない」

昨夜アルベルトと本気で格闘を繰り広げた体は、あちこちがずきずきと疼いている。まだ若く頑強な体をしていても苛め抜いた体は悲鳴をあげている。


「……嬉しくはないのですか?」

「もちろん、嬉しいと思ってる。だが……避けられている、としか思えない」

エリアルドはようやく紅茶に手を伸ばし一口飲んだ。

「フェリシアにとっては……押し付けられた、妃の立場で……私の顔すら見たくない、ということなのかも知れないな」

エリアルドの言葉に反応したのは、サラであった。


「殿下、妊娠中の女性はとにかく感情が不安定になってしまったりするのですよ。まして、いまは悪阻でおつらい時期です。そういう姿を見せたくないと思ったりもするのですよ。しばらくはゆっくりとお待ちくださいませ」

「わかった……」

「では、まずはお仕事に集中してやっていきましょう!靴底と絨毯を減らしていても何の解決にもなりませんからね」

ハリーがショーンとチェックし終えた書面を、エリアルドの机にどっさりと置いた。


乗せられている気がしないでもないが、確かに今はそれ(仕事)をこなすしかない。


「ありがたいことだ……」


どうやら、それだけ貯まるだけの時間を、エリアルドは動揺していたらしい。

「そうでしょう?さ、どんどん片付けていきましょう」

ハリーの容赦のない言葉に気を引き締めて執務に取りかかったのだった。


「自分がこんなに役立たずだとはね」

「自分でそう思うなら、あちらはもっとそう思ってるだろうね」

ショーンの意地悪な言葉に、その顔を一睨みして

「覚えておけ、いつかお前の妻が妊娠した時にはじっくり役立たずの烙印を押しにいってやる」

「まだ結婚もする気はないよ。その日はまだまだ来ないな」

「……早くしろよ、ショーンはアンブローズ侯爵を継承するんだから」

「慌てることはないさ、セスもいる事だし」


親たちの世代に比べて、結婚する年齢は高くなってきている。

ショーンは27歳とまだしないと言っているがそろそろという歳だ。しかし、弟であり同じく幼馴染みのセスもまだ独身である。


「独身をせいぜい楽しめ」

「言われずとも」

余裕のある口調と仕草に、幼馴染みの気安さでつい言ってしまう。

「こういう時……共に喜びを分かち合う物だと思っていたのにな」

小さな呟きは、自分で言葉にしていながらグサリと突き刺さる。

「焦らず。急いては事を仕損じるというからな」


ショーンの言うように、焦るばかりでは何も成す事はないだろう。ゆっくりと心を通わすしかないと、そう納得させた。



しかし、フェリシアはその日から朝食も晩餐も体調が悪いと部屋で摂るようになり部屋を出てこなくなってしまったのだ。


冬の棟の大きなテーブルは、温もりをしばらく……忘れた。




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