告げられない言葉
新しい年を迎えて、王宮では新年の舞踏会の準備が始まり急に華やいだ空気が漂う。
メイドや侍女たちは明るく元気に動き回り、あちこちで声が響き、従者たちも忙しく働いている。
本宮のそんな空気は冬の棟のフェリシアの方にまで届き、フェリシアの前には舞踏会で着るドレスをどれにするか、アミナとユーリエ、それに女官長を交えての相談となった。
「やはりそちらの淡いピンクが可愛らしくていいのでは?」
「ですがやはり、殿下の瞳の色に合わせて青の方が…」
「そうですね、妃殿下にはどれもお似合いですが…」
合わせてみたりしながら、ようやく後ろに細かいフリルのたくさんついた淡いピンクのドレスに決まり、見た目だけは幸せそうな王太子妃になりそうだ。
アクセサリーは真珠とダイヤの花の形に配置されたチョーカーで細い首と肩を強調させ女性らしい仕上がりになりそうだった。
青を避けたのは顔色が悪く見えるからだ。この数日、体調が優れず食欲が落ちていた。
原因には心当たりはあった。
王宮に来てから食欲がない事は時々あったことであるし、珍しい事ではなかったけれどいつもきっちりと月末に来る月のものはまだ来ていなかったからだ。
その事を気づいているアミナとユーリエも女官長も、フェリシアの体調には少しばかりピリピリと神経質になっている。
「やはり侍医をそろそろ呼びましょうか?」
女官長の言葉に
「まだ大事にしてほしくないの。だからせめて舞踏会が終わってからにお願いするわ」
「承知いたしました」
女官長はにこやかにうなずいている。
「…殿下には、先に告げておくべきかしら?」
「そうですね、きっとお喜びになられるでしょう」
アミナとユーリエもにこにことうなずいていて、フェリシアはお茶の時間の前にエリアルドの執務室を訪ねる事にした。
ジェインを伴って、本宮に向かえば貴族たちや従者たち、それに侍女がそこかしこに見られ、静寂の中にも賑々しい空気があった。
ジェインの示した先の扉に手を伸ばしノックをしようとしたところで、その扉が僅かに開いていた。
「…うまくいっていないのか?…」
声が聞こえて思わず手を止めてしまった。
もしかすると客人がいるのかも知れない。
「それなりに上手くいっているとは思っていたが…。やはり若い女の子というのは扱いが難しい。どこで機嫌が悪くなるやら…」
そう言ったのはこの部屋の主のエリアルドに違いなく、若い女の子というのはフェリシアの事に違いない。
「エリアルドは、カーラと比べすぎてはいないか?」
聞きたくないその名にピクッと肩が僅かに反応する。
「カーラの事は関係ない」
「いや、あるだろう。お前がいつまでも忘れないから上手くいかないんじゃないか?」
「ショーン、私はすでにフェリシアと結婚したのだから……」
「そんな事は誰だってわかってる」
エリアルドの語尾にショーンの鋭い言葉が重なる。
「それに、私が思うにフェリシアには…」
これ以上聞きたくなくて、フェリシアは後ずさった。
普段しない行動などするのではなかった。
ジェインが気遣わしげに付いてきているのも、…分かってはいたけれど声もかけられなかった。
どこをどう通ったのか、部屋に戻ったフェリシアを見てアミナが慌てて言った、
「まぁ、お顔が真っ青ですわ!」
フェリシアは
「急に気分が悪くなってしまって戻ってきたの。お水をもらえる?」
「はい、ただいま」
「ドレスを緩めましょう」
ユーリエが背中のボタンを外して、コルセットの紐をほどいていく。
「さあ、横になりましょう」
「アミナ、ユーリエ、あの事は私から殿下にお話をしたいから聞かれても黙っていてね」
「承知いたしました」
二人は頷いて、そっとベッドから離れていった。
夕方には落ち着いたフェリシアは夜のドレスを身に付けて、王家揃っての晩餐に向かった。
この日は王夫妻と、エリアルドとギルセルド、それにアルベルトとエセル、それにプリシラとアンジェリンが席につく。
クリスタ王妃の計らいか、フェリシアの皿は一見そうとは見えないが、他の人達より少量にされてあり、食欲のないフェリシアはホッと安堵した。
そっとクリスタ王妃を見ればニコッと笑みを寄越されて、確信を持った。
晩餐の後には、男性たちはゲームに興じるのでフェリシアたちは揃って近くのギャラリーでその様子を見ながら会話を楽しむ。
「私もそろそろ結婚しないとね…」
プリシラがそんなことを呟いた。
「プリシラ姫は想う人はいらっしゃるのですか?」
「そうねぇ、素敵な紳士はたくさんいるからどなたか一人に決められないわ。エリアルドが結婚したから、次は私の番ね」
「お姉さまより私の方が先かもしれないわ」
そんなことを話していると、シガーの薫りが漂ってきて途端に吐き気が襲って口許を覆う。
「フェリシア、少しこちらへ来て」
「はい、王妃様」
フェリシアを連れ出したクリスタ王妃は
「大丈夫?シガーの薫りが辛かったのね」
「はい、申し訳ありません」
「良いのよ。まだ秘密にしたいと女官長から聞いているわ」
「申し訳ありません…」
「謝ることはないわ。立場上何でもすぐに明らかにしない方がいいわ。エリアルドにはまだ話してないの?」
フェリシアははい、と、頷いた。
「辛いときは我慢せずゆっくりとしなさいね」
クリスタ王妃は近くにいた騎士を呼んだ。
「エミール、フェリシアを冬の棟までお願い」
「承知いたしました」
どこかで見たような顔だとそう思いながら見ると、
「私はジェインの兄です」
と彼はにこやかに答えた。
「あ、それで…どこかで会ったような気がしたのね」
庭を通って、歩いていくと暗闇の中では影の事を思い出す。
もしも、エリアルドが影のように心の内を明かせるような相手であったなら、今のフェリシアはもっと幸せな気持ちでここにいただろうか?
冬の棟の入り口で、
「ここでいいわ。ありがとう」
エミールはきっちりと騎士の礼をとると、踵を返して戻っていった。
フェリシアは自室に戻り、侍女に着替えを手伝わせる。
「ありがとう、もういいわ」
一人になったフェリシアは、バルコニーに出た。ガウン姿ではまだまだ少し寒い。
一年前はまだエリアルドと出会っていなかった。その時の自分と今の自分はなんて変わってしまったのだろうか?
大声で泣いて叫んで、屋敷を走り回って、あの女の子はもういない…。
フェリシアは、そっと夜風にのせて 歌を歌う。
思えども 思われず
はかなき涙に 秘めし恋
ただ待ちわびる 夢のように
想いは…
ぴたりとそこで止めてしまった…。
「こんな、曲を選ぶなんて本当にバカ…余計に気分が晴れないじゃない」
フェリシアは首を軽く振ってしんみりした気持ちを振り払った。
バルコニーの手すりに、するりと影が降りてくる。
「呼んでないわ」
「呼ばれてなくても、俺は近くにはいた」
懐かしい下町訛りの、低い声。
ひさしぶりの影の姿になぜか嬉しくなってしまう。
「会わないと言われたから、顔は向けないことにする」
そう解説されてフェリシアは笑った。その後ろ姿に笑みが漏れる。この人とは…触れあうことも出来ないのに、こうして話すことは終わらせたはずなのに、やっぱり慕わしく思ってしまう。
「…気を使ってくれてありがとう」
生真面目に距離をあける彼に、クスクスと笑みがもれる。
「体が冷える。中に入れ」
「ひさしぶり会ったのに、なんだか偉そうね」
「…お嬢様が、ここにいるときは悩んでる時だろう?」
「そんなことはないわ。たまたまよ」
「俺は…心配してる」
いつもいつも、彼はその護衛という立場を越えてフェリシアに語りかける。
ただのフェリシアなら、もっと彼に踏み込んだだろうか?
「貴方が?どうして?」
「心配したら悪いか」
「…悪くはないけれど、なぜか分からないわ」
「まぁ、それは置いといていいから、早く中に入って暖まれ」
「わかったわ。…でも…少し、影と会えて嬉しかったわ」
フェリシアはそう言うと、後ろ姿の影の手をそっと触れた。彼が本当に実在するのか気になったからだ。その手は大きくてそして暖かかった。
「おやすみなさい」
中に入りバルコニーの扉を閉めた。
影の姿は瞬く間に消え去り、後は暗闇が広がるばかりだった。
また…姿を見ることは、あるだろうか?




