躊躇いの先に (E)
母たちに、言われたからではないが本来の初夜をどのようなかたちで迎えるのかは、エリアルドにとっても悩ましい事だった。
夜に部屋に行くと告げたが、部屋の扉を前にしてもエリアルドはまだどう話すか、なにも決めておらずそれは、これまでたくさんの人たちと難しい事を話して来たというのに、はじめての経験だった。
逡巡しながらも、ノックをするが、いつもならすぐに返事があるはずがなんの反応もない。
(……まさか……本格的に拒否されている、とかじゃないよな?)
不安にかられながらも、晩餐で部屋に行くと告げた時は、いつものように微笑んで頷いていたはずで、それを頼りとして思いきって扉に手をかけてそっと開いた。
「フェリシア、いないのか?」
いつもなら立って出迎えるフェリシアはどうやらベッドにぐったりとして見えた。
もしかすると具合でも悪いのかと、嫌な汗が滲む。
「どうした!?」
「殿下…お水を…取ってください」
呼吸の整わなそうなフェリシアに、いつになく心配になり動揺して慌ててしまった。
「わかった」
隣のフェリシアの部屋に置いてある水を持ってきて、それを飲ませる。上半身を起こすために、背に触れれば、触れたそのフェリシアの体が熱く感じる。
「侍医を呼ぼう。熱があるのかも知れない」
フェリシアは立ち去ろうとするエリアルドの腕を掴んできた。
「待って…違うから…これは…」
「どうした?」
「行かないで…下さい。殿下…」
行かないで下さい、そう言われてエリアルドはかっと赤くなる気がした。頼られている……そんな気がして。
「フェリシア…」
呼び掛けて、改めて見ればフェリシアはいつもなら着ているガウンもなく、うっすらと白い肌の透けるしどけないネグリジェ姿だ。
慌てていて気がつかなかったが、ここは王宮だという事実。それに照らし合わせてみれば、
「なにか飲まされた?」
その考えに到達した。
「…私の…意思です…」
そのフェリシアの、熱い吐息の中でもはっきりした言葉にエリアルドはまたしても動揺した。
「馬鹿なことを…」
「馬鹿なこと…。殿下、私はそんなにダメなのですか?私は…子供ですか?貴方から見れば」
熱に浮かされたような上気した顔で、言われてエリアルドはひどく戸惑った。
フェリシアにそんな知識があると思えないことから、彼女が飲むと言うとは思えず、誰かの入れ知恵だし、それを自分の意思で飲むという行動に起こさせてしまった事を、不甲斐なく思う。
「私は…君が少しでも私に慣れてからと思っていた。いつも緊張しているのが分かっていたから…けれど、それはフェリシアを傷つける事でもあったんだね…」
エリアルドはフェリシアの隣に座り、闇でも艶やかに煌めく金髪を撫でた。肌に反してそこはひんやりと感じられた。
「私は何と言われても平気だけど、君の方まで言われるとは思ってなかった…本当にごめん」
エリアルドはそっと少しずつ強く抱き締めた。
「殿下…」
目線をしっかりと合わせれば、潤んだきれいな瞳が見返して、しっかりと回された手がエリアルドを受け入れてくれた気がするが、今はどんな作用の薬が効いているのかわからないが、ここまでさせてしまって拒否は出来ない……。
(……フェリシアの好きな相手が、自分じゃない事が……悔しいな……)
「フェリシア…目を閉じていていいよ…私に、任せるんだ」
目を閉じて……思い浮かべる相手は、誰だろう……。
そんな嫌な考えを振り払い、見つめれば腕に抱いたフェリシアは美しく、少し乱れたシーツに横たわり呼吸を乱している。
薬の作用なのか、熱い素肌はしっとりと匂い立つような色香で、エリアルドの理性を浚ってしまいそうだった。一つ良かったことは、そのお陰で初めてのその行為にも苦痛が恐らく無かったことで……。ただそれだけに、己を律するのに意思を総動員しなくては為らなかった。
朝まで寄り添いたい気持ちを堪えながら、エリアルドは微睡んでいる薬の作用が切れたのか落ち着いたフェリシアをそっと寝かせたまま、部屋を後にした。
自室に戻れば……、幸せだけを思い描きたいのに、そうはさせてくれず、苛立つ気持ちのままにベルを鳴らした。
やって来たのは、夜警をしていた近衛騎士のエミールだった。
「エミール、女官長を」
言葉も愛想も少なく一言つげた。
エリアルドにしてはひどく冷淡な響きだった。
やがて時をそれほど置かずやって来た女官長は、思った通りきちんとした身なりだった。
「なぜフェリシアに薬を?」
静かな口調にも勘気を感じているはずだが、さすがの女官長は涼しい顔だ。
「妃殿下がお悩みでしたから、仕える者の務めとしてお知恵を授けました」
「悩んでいた……」
「自分では子供すぎるからかと、務めを果たせていないことをお悩みでいらっしゃいました」
女官長の言葉に、エリアルドはぎりっと奥歯を噛み締めた。
「俺のせいか……」
フェリシアを思いやるつもりが、逆に悩ませてしまったということに気がついて、自責の念が押し寄せて神経がざわつく。
「そのようです」
容赦のない言いように、エリアルドは青い瞳を向けた。
「……」
女官長は務めを果たしただけだ。
怒りの矛先は自分しかない。
「ならば……女官長のその知恵は、うまくいったと言っていいだろう。安心して夜明けも近いが休むといい……」
女官長はきっちりとお辞儀をして退出していった。
外はそろそろ薄く紫色になり、黎明の時を迎えている。
「エミール」
「はい」
「少し……馬で走らせてくれ」
「はい」
夜明けまでに……いつもの王太子 エリアルドを取り戻さなくてはならない……。
エミールを連れ、黒毛の馬を走らせ湖まで一気に駆け抜け、靴と上着を脱いで、湖に飛び込んだ。
冷えた水が一瞬で凍りつくかの様にすべてを冷えさせる。
そして太陽が顔を覗かせて……エリアルドはまた馬を駆って王宮に戻れば、いつもの王太子らしい姿で朝を迎えたのだった。




