影との別離
エリアルドと影と。
相変わらず、なかなかエリアルドには本当の自分を見せることは出来ないフェリシアだったけれど、影には何故だかそれが見せることが出来た。
これはどういう感情なのだろう。
守ってもらったからか…本当の名前すら知らない現実味がないからかもしれない。
闇の中、『影』と呼べば彼は大抵フェリシアの目の前に現れ、フェリシアの何でもない話を聞き、一方的に話を切られてもまた次は怒らずにまた現れた。
そうして、無心に為すべき事をなしていれば…時は刻々と進み、その時はやって来た。
いよいよ、明日か…。
とフェリシアは窓を開いて、夜風に髪をそよがせた。
バルコニーに影が落ち、その姿をふいに現した。
「…今夜は呼んでいないわ」
「いつかの、お礼だ」
バルコニーに影は小さな箱を置いた。
「…意外と、律儀なのね」
「まぁな…。遅くなったが」
「いよいよ…明日よ」
フェリシアの呟きに影は動きを止めた。
「そうだな」
「明日が過ぎれば…私はもう…その階段を上るしかない。そして死ぬまで降りることは出来ない」
「階段か…王妃への…」
影がポツリと返してきた。
「怖いのか?」
「いつだって…。未知な物への恐れはみんなあるものでしょう?」
「恐れか…。しかしお嬢様の事はみんなが理想的な王太子妃だともっぱらの評判だが…。自信を持てばいいのじゃないか?」
「そんなもの…持てるわけがない。どこを向けばいいのかすらわからないのに。一挙一動が緊張の連続なのに」
「駄目だったら、誰かが注意するさ。それくらいの事だ」
「駄目よ…それじゃ…私の恥は殿下の…この国の恥じゃない」
「もう少し肩の力を抜けばいい。明るく年頃の娘らしく笑って過ごせ」
「そんな余裕なんてない」
「真面目過ぎるなお嬢様は」
「真面目か…そうかも知れない。でも…考えちゃうし、周りの思う事もわかってしまうんだもの、たくさんの人を裏切れない」
「そうか…真面目なのも辛いものだな」
影の言葉を最後にしばらく沈黙がおりる。次に口を開いたのはフェリシアだった。
「影と…こうして話せるのも今夜が最後かもしれないわね」
「そうか?」
「最後にしなくてはね…」
フェリシアは言い聞かせるように言った。
「貴方は…本当にいたのかしら?実は私の夢か想像じゃないの?」
その言葉に影は立ち上がって、フェリシアのいる窓越しに距離を詰めてきた。その影が大きく窓を多い存在を示す。
「この上なくここにいるが?なんだったら触ってみるか?」
まるで暗闇がしゃべったかのような低い声だ、
「いいえ、そんな事は出来ない」
「それは…お嬢様が王太子の妃になるからか?」
「そうよ。私は彼の妻になるの」
「お嬢様はそれで、幸せになれるのか?」
「幸せかどうかなんて…関係ないわ。私が彼に嫁ぐことが…必要な事だったのよ。たくさんの人にとって」
「たくさんの、じゃなく、自分が幸せになりたいとは思わないのか?」
影は意外とロマンチストなのかもしれない。『幸せ』なんて口にするなんて。
「影…貴方と話してると…なんだか余計な事をいつも話してしまう。どうして?だから…貴方は、私にとって危険なんだわ…。忘れようとしてることを思い起こさせる」
「だったら…これからも、呼べばいい」
「いいえ…もう2度と…こんな風には話したりしない。今日までの私と明日からの私は…違うから」
こんな危険を…お互いにとっての危険な事を続けてはいけない。
影はフェリシアの、気持ちを整理する…そんな相手で、誰にも語れない想いを明かすことの出来る相手だったけれどもうそれは、終わりにしなくてはならない。
「やっぱり真面目過ぎるなお嬢様は。そんなに張りつめて大丈夫か?」
「貴方に心配されることではないわよ」
「ふっ…強がりだな」
「…あ…少し待って…」
フェリシアは自分の宝石箱から小さな飾りがたくさんついたアンクレットを取り出した。
「良かったら、恋人にあげて」
「なんだこれは」
「アンクレット。お祭りでつけようと思ってたの」
フェリシアは彼の、黒の革の手袋のを嵌めた手にそれを置いた。シャラッと音を立ててそれは手に収まる。
触れあったのは…ほんのそれだけ。
「祭りか」
「私はもう使わないから」
ブロンテ領である秋の祭り。来年こそは、大人の仲間入りをしてアンクレットをつけて踊るのだとそう思って街で買っていた。結局一度もそれは着けたことがない。
フェリシアはそれを影に渡して、影の置いた箱を取った。
開けると、レースのハンカチとそしてチョコレートが入っていた。
「ありがとう、貰っておくわね」
「ああ」
「おやすみ、影」
「お嬢様も…元気で。ちゃんと誰かを…頼って頑張れ」
「ありがとう」
フェリシアは少し開いた窓を閉じる。
残されたハンカチと…無くなったアンクレット。
ありのままの…フェリシアは…もう、今夜で終わり。そう心に誓う。
もう会わないと決めたのは…。彼にこれ以上心を許さない為なのかも知れない。
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