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王妃の階段  作者: 桜 詩
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闇に隠される心

「こんな時間に散歩を?」

下町訛りの、低い声が聞こえフェリシアはゆっくりと後ろを振り向いた。闇に溶けとむような黒衣の騎士。

以前会った時も今も、顔には黒い長い前髪があり、その影で容貌はよくわからない。しかし、その声と下町訛りが前の騎士かと思わせた。


「影?」

「そうです、お転婆なオジョウサマ」

大人しく部屋にいろよ、とでも言いたげな雰囲気にフェリシアは少し笑った。

「少しだけ、降りてみたくなっただけ」

少し近づいた影は、見上げる程背が高い。

「歌が…聞こえたが?」

「そう…聞こえたの」

影が頷いた。

「どうせなら、昼にみんなに聞かせればいい」


「次は、そうするわ。でも、夜は…闇に紛れて、落ち着くの」

そう言って肩をすくめて見せた。

「こんな事を、俺が聞いて怒らないといいのだが…」

「なぁに?私がふらふら夜の散歩をしてたことを内緒にしてくれるなら怒らないわ」

「ふっ…。悩み事かと思っただけだ」

本当の事など、王の臣下に明かせるわけがない。

「悩み事…なんて事じゃないの。単にホームシックなのよ。ここは空気が違うわ…。ブロンテ家の領地が懐かしい。それだけ…子供みたいだから本当に内緒にしてて」

「なるほど…」


(ホームシック…)


そう言うと、本当にそれだけの気がしてくる。


「まぁ、何かあれば殿下に言えばいい。婚約者だろ?」

エリアルド…。次の王で、フェリシアの婚約者で何もかも完璧な王子。

「知ってるんでしょ?」

「何を?」

「前に殿下に直接、言われて私の警護をしたと言うことは、彼の側近なんでしょ?私たちは政略だって事くらい知ってるでしょ?」


「仮にも王太子だ。大概の事は願えば叶うだろ?」

「殿下も、私も…叶わない事はたくさんある。私はともかく、殿下はきっと、いろんな事を諦めて来たんじゃないかと思うの。そんな人に下らない悩みなんて言えるわけないわ」


(彼は、カーラとは決して結ばれない。例えフェリシアが居なくなっても…)

あの穏やかな笑みの下にうまく隠してるのではないかと思う。フェリシアだとて、人前で笑みを浮かべろ、本心は隠せと教えられてきた。


「……わかった…じゃあ、なんかあったらまた俺に言え。話くらい聞いてやる」


「貴方に言っても仕方ないでしょ?」

「独り言を言うつもりで言えばいい。答えられる事なら答えてやるから」

いつも側で警護してる訳でもないであろうに、影はとても親身に言っているように聞こえた。


「変な人ね。影は」


影の年齢はわからないがまだ若そうだ。それに話す口調を聞けば貴族のその発音ではない。


「貴族や王族なんて、嫌いじゃないの?」


―貴族だからって偉ぶってる

―貴族だからっていい暮らしをしてる

―貴族だからってふらふら遊んでる


そんな事を言われているのは知っている。いくら王宮で騎士をしていてもその根底は変わらないとフェリシアは思っていた。


「お嬢様は、なんて言うか…。意外とひねくれてるのか?」

その言い方にフェリシアは吹き出した。


「ええ、そうね。とっても…」

フェリシアは彼の顔を見上げた。月の明かりがちょうど影になっていてその瞳が仄かな光を反射してこちらを見つめ返しているとそう見えた。


「これ…今日貰ったの」


フェリシアは闇の中の微かな光でも輝くリングを見せた。


「これ1つで、一体何人が何年暮らせるのかしら?って思ってた。バカみたい」

闇の中だからか…。彼が名も知らぬ人だからか、そんな本音がぽろりと漏れる。

ブルーダイヤ、幸せを呼ぶ宝石。フェリシア…その名の意味は幸福。この名にかけて、選んだのか…彼の瞳に合わせたのか…。どちらにせよ体裁を整える為だけの宝石としてはとてつもなく高価である。


「バカみたいと言ったが…お嬢様には似合ってる。庶民の娘がしたところで似合わないだろう。その価値は…バカみたい、そう言えるアンタにこそ相応しい物じゃないか?」


「これを…受けとる資格は私には本当はないの」

(彼が本当に贈りたい人は私じゃない)

「たまたま、私は貴族の家に生まれたの。だからメイドたちのように、掃除も洗濯も料理もしたことがない。高価な化粧品を使って、磨かれてそうすれば、美しい手をしてる貴族のお嬢様の出来上がりよ。ピアノに声楽、外国語にダンス。勉強…それから…。親の目を盗んで、木登り、水遊び…スケート…」

途中からの令嬢らしからぬ項目に、影は呆れたように見えた。

「…やっぱりお転婆だな…」

クスクスとフェリシアは再び笑った。


「親の目を盗むって言うのが快感なの。それで、ばれなかったら最高。ばれたら…最悪」


「お嬢様は尻を叩かれたりなんかしないだろ」

「どうかしら?」


「…うっわ、想像つかないな」


こんな風に、他愛ないやり取りがエリアルドとは出来ない。


「そう?多分…貴族だって基本は、同じよ」

「…お嬢様は…後悔してるのか?ここに来たことを」


「いいえ。後悔はしない、自分が決めたことだから絶対に」

フェリシアは王宮の建物を見つめた

「そうか、うん。後悔しないというのは…良いことだ」

「何もかも…誰かのせいには…しないししたくない。私の事は私が決めるの」

どれだけ、間違った事をしてもそれはすべて自分が納得して…動いたこと。これまでもそしてこれからも…。

「なかなか勇ましいな、お嬢様は」

「そう?…そうね、私はブロンテ家の娘だから…強くありたいと、いつも思ってる」

「それ、いいな」


フェリシアは満天の星を見上げる。そこを眺めても何の答えも出てこないし、未来もわからない。


「お転婆で勇ましくてもまぁ、なかなかいいお嬢様だと思う、俺は」

「なあにそれ」

クスクスとフェリシアは笑う。

笑いというのはいつも、少し心を明るくしてくれる。


「そろそろ、帰るわ。ありがとう影、楽しかったわ」


フェリシアはそう言うと、影を置いて足早に歩いて王太子妃の部屋に向かった。帰りを待っていたユーリエがホッとしたようにお辞儀をする。


「ごめんね、忘れ物は勘違いだったみたい」


影との一時が、エリアルドとカーラの事を少しだけ心の奥に押しやっていた。

エリアルドが嵌めてくれた、ブルーダイヤのリングは外してユーリエに渡した。それはきちんと箱に仕舞われた。

それを外せばどこか、ホッとさせられた。


ユーリエは

「お湯は使われますか?」

と聞いてきた。

という事は、準備はされているのだろう。

「お願いするわ」


プライベート空間になっているそのフロアを移動して、バスルームにいくと、そこにはメイド達が待っていた。

「遅くに悪いわね」


「いいえ、フェリシア様」


フェリシアは着ていたガウンを脱ぐと躊躇いなく近づいて、彼女らに身を委ねる。彼女らは、体を泡で丁寧に洗いクリームを塗り込んで磨きあげる。髪はオイルをつけて艶々に仕上げる。

真新しいネグリジェとガウンを羽織れば後は眠るだけだ。


闇が…影が…こんなに、胸の痛みを、まぎらわせてくれた。散歩に出なければ…名前のない感情で、眠れそうに無かったし、侍女たちにもいらぬ心配をかけたかもしれない。






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