黒衣の騎士
王太子主宰の夜会の翌日には、新聞にフェリシアたち令嬢と王太子の花嫁選びの事が書かれていて、その一面で載っていたのはフェリシアとフェリシアのドレスとまた歌声の事であった。
美辞麗句を並べられたその記事には、並べてアイリーンの事も褒め称えられていたが、斬新な花のドレスはとても絵で見ても美しくて眼を惹いていた。
「カートライトが本気で乗り出してきたとなると、殿下が寵愛していると思わせなければ…厳しいかもしれないな…」
ラファエルと、そしてフェリクスがブロンテ家の応接室に並びフェリシアも同席していた。
つまりはまだ先手が効いていると言うことだ。
「もしも…私が、アイリーンに負けたら…どうなりますか?」
どこかで、へまをしてしまえばどうなるのか…。そこで終わるのか…気になってしまった。
「…仮に万が一…君に何かあった場合…ウィンスレット家の娘のマリエしかいないが…マリエは残念ながらまだ13歳だ。厳しい状況には変わりない」
フェリクスの言葉にラファエルも渋面だ。
「そんなの…ダメだわ…」
16と13の違いだが、この差はとても大きい。フェリシアは結婚出来る年齢で、マリエはまだ3年待たないといけない。
すでに男性の貴族の適齢期のエリアルド王子の相手となるには厳しい現実だ。まして現在アイリーンという存在がある以上は…。
何よりも13歳をこの戦いに引き出してしまうのは痛ましい事だと思えた。
父たちの苦心が…分かってしまう。
***
そんなある夜…
その夜は、少し寒さも和らぎ春の兆しを感じたそんな時だった。
アップルガース伯爵家での夜会はとても賑やかで、みんな微笑みが絶えず大人たちはお酒もたくさん嗜み、若者たちは踊りに興じた。
フェリシアも夜遅くに帰宅し、メイドたちに支度をさせると寝台に滑り込んだ。
ふと、頬を冷たい空気が撫で、微かな物音で目を覚ましたフェリシアは、とっさにそっと枕元に置いていた細い剣に手を伸ばした。
やがて夜目が利き出すと、黒い服の男が窓から侵入してきたことに気がついた。ぎゅっと柄を握りしめ、その男が足音を忍ばせて寝台に近づくのを待った。
キラリと光るのは…短剣に見えた。
(女だから…きっと油断してる、はず)
そしてもう一人…窓から侵入者が映り、先程の男よりもずっと速やかに入り、その男と対峙した。
(味方同士ではない?)
一言も口を利かずに睨みあっている男たち。敵と思わしき男は、寝台に背を向けている。
フェリシアは寝台から飛び降り侵入者と思われる男に剣先を向けた。
「何者?」
はっとその男がフェリシアの方を向きかけた瞬間、黒い後の方の男は
「私は黒騎士です」
短く言い、その男の手を一気に捻りあげるとフェリシアに命令するかのように言った。
「お嬢さんは下がって大人しく」
その口調は荒々しく、下町訛りだった。
黒騎士…確かに黒だが、その男の黒服は近衛騎士と同じ意匠で、ただ装飾は少なく、飾り緒まで黒で統一されていた。マントの裏まで黒だった。その姿は薄暗いなかで闇に溶け込んでいた。
窓から同じように黒衣の騎士が入ってきたのでフェリシアは大人しく二人に任せた。後の方の騎士が目で合図されたのか紐で縛り上げた。
黒騎士は本当の意味での王宮の警護を担う精鋭部隊で、かなりの腕前揃いだと聞いた。その事に偽りは無さそうだ。ちなみに近衛騎士は完全に表向きのお飾りに近いという専らの噂である。
「フェリシア!無事か」
ラファエルが剣を手に部屋に乱入してきた。どうやら、異変に気がついたようだ。
「無事よ」
答えると、ラファエルが安堵した空気が伝わる。
「それは良かった」
後から来た黒騎士に最初の騎士が命じて、侵入者を引きずってラファエルと共に階下に行き、最初の騎士も続こうとした。
「待ちなさい、黒騎士」
「なんですか?」
「助けたとはいえ、乙女の部屋に無断で乱入して何も言わずに帰るつもり?」
フェリシアは彼の技量を見ていたから叶うはずがないのだが、切っ先を彼の胸元に突きつけた。
未婚のレディが男性に部屋に踏み込まれたら、本来ならとても不名誉な事だ。ましてフェリシアは今、少しの瑕疵も許されない身。例えフェリシア自身を守るためであっても、このまま帰すわけには行かない。
「…それは…大変な失礼を」
夜目でも侵入者をあっという間に鮮やかに倒した彼ならば、フェリシアの白のネグリジェ姿はくっきりと見えているはずだ。
「わたくしは貴族の娘なのよ。その部屋に入って、そんな詫びなの?」
男は膝をついて頭を垂れた。黒髪がさらりと頬にかかる。
「ご無礼を、しかし殿下に護衛を任されておりました。助けるために致し方ないこと」
想像通りエリアルドが彼らを寄越してくれたのかと…。そう思うと感謝の気持ちが沸いた。
フェリシアは剣を引き鞘に納めた。
「名前は?貴方が黒騎士の隊長でしょ?」
二人の騎士の様子からそう感じた。
「貴女に名乗るほどの者では…影とでも、お呼びください」
名乗ってはならないそんな決まりでもあるのかと、フェリシアはそれ以上は聞かない事に決めた。
「では影、改めて…お礼を言うわ。助けてくれてありがとう」
そういうと、わずかな動きから驚きが感じられた。
「いえ、役目ですから…それに、貴女はもしかするとその剣で身を守れたかもしれませんが…」
影はそう言ったが
「…それはどうだか…わからないわ。わたくしは人を傷つけた事も、本気で殴った事もないもの…だから、ありがとう」
そういうと、影の口許が笑みの形になったような気がする。
「御身をお守り出来て良かった。では、これにて」
きびきびと出ていく彼の足音はしない。その姿をフェリシアは今度はひき止めず見送った。
彼が出ていき、母が飛び込んできた。
「フェリシア!」
「お母様」
「無事で良かった……!」
きつく抱き締められて、フェリシアはその背に腕を回した。
「はい、お母様…」
「部屋を、移りましょう。嫌かも知れないけれど、ちょうどアルディーンのベッドが空いてるわ」
「ええ…そうします」
さすがにこの部屋で今夜は眠れそうに無かった。
弟の部屋は、フェリシアの部屋とあまり変わらないが、やはり男の子の部屋なので置いてあるものがそこかしこが違う。
しかし、その寝台を使うことにしてフェリシアは息を吐き出した。
一呼吸して、後からやって来た恐怖心の為に手は震えていた…。
本当に剣を振るう日が来たなんて……本当に、彼らがいて良かった。




