4 神と人間
和花は祖母の血を濃く継いだ子だった。
灰色の目も、神を“視る”力も祖母譲りだった。
だから、和花は自分の神社で祀っている土地神であるスイと知り合いだった。もっと言うなら、和花はスイを家族のように慕っていた。
祖母とスイと和花。三人で語り合う時がずっと続くのだ、と幼い和花は信じていた。
しかし、違った。
和花の祖母が亡くなると同時に、スイは和花の前から姿を消してしまった。
それだけではない。スイ以外にも視えていたはずの神が視えなくなったのだ。
近所にいた小さな神も、時折スイの所へ来ていた雨の女神も。全て視えなくなっていた。
和花はわけが分からなかった。消える前にスイに何かを言われた気がするが、幼い和花に理解できるはずもなく。いや、泣き叫んで全てを忘れてしまったのだ。
あまりに悲しい出来事だったから。
だから、自分が神を視ることが出来たという記憶も和花の中の作り話だったんじゃないか、と自分自身の記憶すらも信じられなかったのだ。
しかし、嘘ではなかった。
現に和花の前に記憶と寸分違わぬ姿のスイが居るのだ。
雨が降る中庭に傘もささずにスイが立っている。長い睫毛に雨粒が止まる。
通り雨だとスイは言っていた。
和花は軒下にある縁側からその光景を眺めた。
スイの動きに合わせて、着物が翻る。
先程まで晴れていたはずの空はスイの予言通り、鉛色で、雫を地上に注いでいる。重々しい雰囲気がその場に停滞している。
「ねえ、何で視えなくなったの?」
和花は唐突にそう切り出した。
何処か遠いところで雷が鳴った。
瑠璃色の瞳が和花を捉える。
深い瑠璃色は全ての哀しみと全ての美しさを背負っているように和花には見える。
スイは何も言わず、視線を逸した。
縁側で和花は膝を抱えた。
神を視る力を失った時、和花は颯太に散々言われたのだ。
それはお前の想像だったのだ、と。その時の和花の気持ちをスイが知ることは無いだろう。
「ねえ、答えてよ」
声が震えた。
視線を下に落とした。小降りになった雨が水たまりに波紋を描いては消えていくのを意味もなく見つめる。
「……聞いても面白いもんじゃないぜ?」
スイがためらいがちに口を開いた。
和花はスイを見上げた。
瑠璃色の瞳は何も語らない。ただ、穏やかな眼差しで、和花を捉えている。
近くて遠い。手を伸ばせば届く距離にいるのに。
雨が通り過ぎた。それと同時にサッと光が庭を照らす。スイの濡れた髪が光を受けてキラキラと輝く。
和花は軒下の暗い影から、そんなスイの様子を眺めた。
「スイ」
あだ名を呼ぶ。
美しい顔立ちがスッと和花の方を向いた。
真っ直ぐ瞳を見つめて、和花は息を吸い込む。
「もう、消えたりしないよね? もう、視えなくなったりしないよね?」
声は震えている。和花の手は握りしめられ、膝の上で微かに震えていた。
スイは口を開き、何も言わずに口を閉じた。引き締められた唇は嘘を言うのをためらうように見える。
雨の後の湿気を含んだ風が和花の髪を揺らした。
「ねえ、答えてよ」
語尾を強めて、スイに詰め寄る。
スイは少し笑った。
「そうだといいな」
子供をあやすような口調。ふふ、と笑みを零し、くるりと向きを変える。
嘘をつく時の癖だった。スイは嘘をつく時、決まって笑うのだ。作られた笑みなのに、異様にバランスが取れていて。それが、和花には怖く感じられた時期もあった。
いや、今も怖い。その洗練された笑みが怖いのだ。
「嘘つき」
和花は呟く。
スイの耳には届かなかったのか、それとも、聞こえないふりをしたのか。スイは何も答えず、その場から動かなかった。
和花は確信した。自分の力を奪ったのはスイなのだ、と。
理由は分からないし、分かりたくもない。
スイを許せそうにない。和花は縁側から立ち上がった。黒髪を翻し、駆けていく。
階段を駆け上がると自分の部屋の戸を勢い良く閉めた。バンと想像以上に大きな音がなったが、和花は気にせず布団へと倒れ込んだのだった。
スイはそんな和花の背を見送った。追いかけることもせず、ただ瑠璃色の瞳を細める。
完全に姿が見えなくなると、溜息を吐き出した。頭が痛む気がする。
もっと上手いやり方は無かったのか、と自問自答してしまう。和花は気が強そうに見えて泣き虫なのだから。
今頃泣いているかもしれない。
考えると少し気が重くなってしまう。
「泣かせたな」
不意にその場に声が響いた。
スイは眉をひそめた。
嫌な声だ。
柱の影から、龍現が姿を現した。
龍現は神や霊の気配を感じ取ることが出来る青年だ。
しかし、龍現は神を視ることは出来ない。薄ぼんやりと、その存在がそこにある、ということを感じ取ることが出来るだけだ。
故に、会話が成り立つことはない。
だが、龍現の放った一言はスイにはよく刺さったらしい。
スイは何も言わず、唇を引き結んだ。




