24 大人と子供
翌日。
和花はクーラーの利いた部屋に座っていた。外の暑さが嘘のようだ。
緊張も相まって、冷蔵庫の中にいるような気分になった。目の前にいつかのときと同じようにお茶と高級そうな和菓子が並んでいる。
静かな部屋にクーラーが仕事をしている小さな音だけが響いている。
耳を澄ませていれば自分の心臓の音まで聞こえてきそうで、和花は息を潜めた。
ガチャリ、と音がして、ドアが開く。
和花が顔を上げると厳格な顔つきをした颯太の父親が部屋に現れた。
咄嗟に和花は立ち上がった。
「面倒な挨拶はいらん」
前回のように頭ごなしに言われる。
和花はもう怯え竦むことはなかった。ここで自分のテンポを崩される必要はない。
一度深呼吸をして、スッと目を見開いた。
「ここに一冊分の署名があります。600人以上の署名です」
和花は挨拶も飛ばしていきなり本題に入った。
村長の目がほんの少しだけ見開かれる。
大事に抱えていた、署名ノートを村長に差し出した。
「皆、祭りがやりたいと仰ってました」
村長がノートを手に取る。最初のページを見て、スッと表情を曇らせた。眉間に皺が寄る。
数ページ見たところで村長はノートを机の上に置いた。
「だから何だ?」
低い声で問われた。
だが、和花は怯える様子はお首にも出さず、話を続けた。
「村長は多くの人の要望があれば考えて下さるとおっしゃいました。これで祭りをする許可が欲しいのです」
和花は真剣な思いで告げた。
スイの命がかかっている。村長の説得に失敗すれば、お祭りはおろか、信仰そのものを復興させることは難しい。
しかし、和花の思いを馬鹿にするように、村長は短く鼻で笑った。
「祭りはやらん」
村長の冷たい言葉に和花は勢い良く立ち上がった。
「どうしてですかっ!?」
詰め寄るように声を上げた。
村長は嫌味な笑顔を浮かべた。
和花に対して座るように促す。和花は渋々とソファーに腰を下ろした。
拳が膝の上で震える。
村長が手を腕を組み、和花を見下すように見つめてくる。
「考えてやると言っただけだ。祭りを開催してやるとは言っていない。そして、考えた結果がこの答えだ」
あまりの言い訳に和花は何も言えなくなった。
颯太が言っていた通りだ。大人って嫌だ。目の前に居る村長のような人物が大人だというのなら、和花は大人などになりたくない。
村長はもう用はないとばかりに立ち上がる。
引き止めなければ。でも、どうやればいいのか。
このまま、見送るしかないのか。スイの命がかかっているのに。和花に焦りが募っていく。
だが、引き止める言葉も要素も皆無だ。手札は署名ノート一枚だけ。勝てるはずがない。どうしようもない。
和花は俯いた。泣きそうになる。鼻の奥がツン、としてきて、目の奥が暑い。泣きたくなくて、目に力を込めるが雫が今にも落ちてきそうだった。
「まあ、待てよ」
部屋のドアが空いた。
音に反応して、和花は顔を上げた。溢れた涙が宙に浮いた。
「アンタなら、そう言うと思ったよ」
焦げ茶の瞳が村長をまっすぐ見つめている。颯太が大量の資料を抱えて立っていた。
その後ろに同じように何かを手に抱えた父親も居る。
「颯太。お前は何をやってるんだ? 勉強はどうした?」
村長が父親らしい顔をする。
反して、和花の父親の顔は敵でも見るかのような険しい顔つきになる。
「アンタに勉強の心配なんてしてほしくないね。卑怯者の癖に」
吐き捨てるように告げる。空気が一気に緊張するのを感じた。
和花は目をぱちぱちさせながら、颯太を見つめた。
「まあ、座れよ。アンタの判断、覆してやる」
喧嘩腰の口調で、颯太が村長に告げた。
村長が白髪の多い頭を撫でて、溜息を着く。目は険しいままだが、座り直してくれた。
何が始まるのか分からない和花は瞬きを繰り返すしか出来ない。
颯太は持参した資料を机の上に並べ始めた。
父親は無言のまま部屋に入り、和花の後ろに立った。
和花は何事かとそれを眺める。
「やるんだろ? 夏祭り」
颯太が和花に聞こえるか聞こえないかぐらいの声で小さく呟いた。
和花は驚いて颯太を見た。
焦げ茶の瞳は真剣そのもので。和花はつられて自分の気持ちが引き締まるのを感じた。
「この資料は夏祭りをやってた当時の村の収入だ。今の収入よりお金が入ってきてる。しかも、祭りがあった年はずっと黒字だった」
どこから引っ張り出してきたのか、颯太が説明を始める。
和花は颯太の顔をマジマジ見つめてしまった。手伝ってくれったけ、などと言った自分が恥ずかしい。
颯太はずっと協力してくれていたのだ、と今更ながらに思い知らされた。
「そんなの昔の話だ」
村長が颯太の話を切り捨てるように言った。
颯太がにやり、と笑った。余裕の笑みが頼もしい。
「本当にそうかな?」
言われた言葉に村長の顔が固まった。
颯太は新しく資料を手に取った。
「この資料は最近の村の経済状況だ」
横から資料を覗いた和花は顔をしかめた。数字がたくさん並んでいて、何を示すのかよく分からない。
だが、村長の顔色がはっきりと変わった。
「都市化を目指すあまり、赤字なんだろ? 少しでも収入が欲しいんじゃないか?」
颯太が資料を軽く手で叩きながら、畳み掛ける。
凄い。和花は素直に感心した。
和花が思いつきもしなかった方法で、村長をやり込めようとしている颯太に尊敬の念を抱いた。
「祭りをやれば村に金が入る」
王手をかけるように、颯太が村長に告げた。
村長の額に汗が浮かぶ。クーラーは効きすぎているくらいなのに。
悪あがきをする悪人のような笑みを村長が浮かべた。
「入るかもしれんな。だ、だが、祭りを開くだけの予算はない。花火やら、屋台はどうするんだ?」
苦しそうな質問だった。
颯太はフッと笑った。
「オレがそこを考えていないと思ってんのか?」
和花の後ろに居た父親が動いた。
何やら、新しい資料を村長に差し出している。村長は黙って受け取った。
資料に目を通した村長が肩を落とす。
「お金なら問題ないぞ」
村長が取り落とした資料には、相当な金額が書かれていた。
和花の神社が溜めてきたもの、祖母の残した財産の半分、そして、多くの人からの募金、県からの支援……。色々な項目で祭りに必要な最低限のお金が集めてある。
予算まで計算されている。
「花火は村の花火師に話を通してあるんだぜ?」
余裕そうな表情で颯太が告げた。
村長はもう何も言わなかった。
部屋に沈黙が下りた。
颯太が和花を肘で突いた。我に帰った和花は勢い良く立ち上がった。九十度に腰を曲げ、お願いをする。
「祭りをやらせて下さいっ!! お願いしますっ!」
和花の声に続いて龍現と颯太もお辞儀をした。
村長が立ち上がった。
歩いて行く。
和花は胃が痛むような気がした。
机に一枚の紙が置かれた。
「後はもう好きにしろ」
和花が顔を上げる。
入ってきたときより老けたような顔で村長が立っていた。
村長はそれ以上何も言わず、部屋を出てっていった。
張り詰めていた緊張が解け、颯太がソファーの背もたれにもたれかかった。
父親も目を閉じて、目頭辺りをもんでいる。
和花は村長が机の上に置いていった紙を見つめた。
「祭りの許可書、出してくれたな」
颯太が疲弊した声で言った。声とは裏腹に顔は清々しいもので。
和花の視界がぼやけ、揺らめいた。
先ほどとは違う理由で目頭が熱くなってきた。
「許可書だよ」
涙声で声を押し出す。
颯太が目だけをうごかして、和花を見た。
「許可書だな。祭り、やれんじゃん。ま、オレには関係ないけど」
ぶっきらぼうに颯太が言った。
なんだかんだ言っていつでも助けられて。関係ないなんて言って、突き放す癖に和花をいつだって助けてくれるのだ。
有り難いなんて言葉じゃ現しきれない。
和花は静かに涙を零した。
悔しいが、一人じゃ成せなかった。
「ありがとう」
涙混じりの声で言えば、颯太は戸惑ったようにそっぽを向いてしまった。ヘッドホンに触れて、返答しづらそうにしている。
父親が何も言わず、和花の頭にポン、と手を置いた。
頭に置かれた手の温度と重さが嬉しくて和花はくすり、と笑った。泣きながら、笑い続けた。




