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23 署名活動の結構

 和花はお盆帰りの人に目をつけて署名を集めていた。

 元々村に住んでいた人達は祭りに懐かしさを覚えてくれたらしい。あの祭りか、懐かしいね、とか言って、自分の名前を書いてくれた。

 また、近代化で作られたビルのオフィスに働きに来ている人の中にも署名をしてくれる人は居た。

 近代科学の研究オフィスと聞いているが、科学者らしい気取った人達ではなく、テレビの向こうで見たことのあるような普通のサラリーマンだった。どんな人がどんな風に働いているのかも知らないで、苦手だな、と思っていた自分が恥ずかしく思えた。

 馬鹿にする人も居たが、成功するといいね、と言ってくれる人の気持ちだけを和花は受け取ることにした。

「お前も飽きないよな」

 和花が署名集めを再開してから後をついてくるようになった颯太が隣でポツリと呟いた。

 手伝いをしてくれるわけでも、励ましてくれるわけでもない。

 颯太はただ、和花の後を付いてきてくれるだけ。

 最初は和花も売り言葉に買い言葉で互いに嫌味を言いあっていた。しかし、言い合いは終わることがないので、今となっては華麗なスルーを決めることにしていた。

 和花は静かに署名ノートを確認する。開いている空欄はあと僅かだ。

「祭り、そんなにやりたいのか?」

 オレには分からないと言いたげな雰囲気で、颯太がぼやく。

 神は居ない、と神を毛嫌いしている颯太には言っても分からないだろう。スイが消えてしまうかもしれないという不安も。スイを救いたいと思う心も。

「うん。やるよ」

 だから、和花は多くを語らず、それだけを答えた。

 真っ直ぐ前だけを見つめて、言った。颯太に言った訳ではない。自分自身へ向けた言葉だった。

「あっそ」

 どうでも良さそうに颯太が呟く。

「さて、もう少しだけ頑張りますか!」

 水分補給を含めた小休憩を終え、和花は立ち上がる。アスファルトで固められた道路を歩きだす。


 颯太は歩きだす和花を見つめて、仕方のないやつだと笑った。

 ビルに働きに来ている人は祭りになど興味は無い。颯太が村長の息子という立場を使って、あらかじめ宣伝していなければ署名活動に参加してくれる人など居なかっただろう。

 父親のことなど嫌いだ。仕事ばかりで。家のことなど振り返ることはしない。母親が出ていくときも涙の一つも見せない冷感な男だ。

 大っ嫌いで、憎しみに近い感情すら抱いている。

 だけど、今回ばかりは感謝しなければならないだろう。村長の息子という立場はこの村では動きやすい。父親があんな仕事人間でなければ、颯太の意見などただのカギの戯言で片付けられてしまう。

 複雑な思いが首を絞めにやってくる。

 神は嫌いだし、居るはずは無いと思う。

 だけど、必死な願いは叶って然るべきだと、颯太は思うのだ。

 和花が頑張り続ける限りは、颯太は和花を支えてやりたいと思う。願いが叶わなかった悔しさも苦しみも人一倍知っているのだから。

 幼いころの自分と和花を重ねてしまっていることは申し訳ないと思う。そうまでして、救いたいのは結局、昔の颯太自身なのかもしれない。

 だけど、理由なんてどうでも良い。

 神が居ないのならば、人間が助ければいいだけのこと。

 病み上がりの和花が倒れることが無いように颯太も日なたへと歩き出した。

 和花の後を黙って付いていく。

「夏祭り開催のための署名集めをしております! ご協力お願いします」

 和花の声が新設された通りに響く。

 多くの人が足を止めずに過ぎ去っていく中、一人二人、と足を止めて名前を書いていく。

 署名の欄は少しずつ少しずつ埋まっていく。

 そして。

 夕日が大通りを茜色に染める頃、全ての欄は埋まっていた。

 頬を上気させて、和花は傍に居た颯太に抱きついた。いきなり抱きつかれた颯太はぐえっとカエルが潰れたような声を出す。

 和花は構わず、腕に力を込めた。

「やった! やったよ、颯太!」

 たいして祭りに積極的ではないはずの颯太に同意を求める。

 颯太は和花の腕から逃れようと必死になっている。

「埋まったよ! 見てよ、ほら!」

 嬉しそうな声で宣言する和花。

 ようやく和花の腕から逃れた颯太は肩で息をしながら、顔を上げた。和花に文句の一つでも言ってやろうと考えたのだ。

 だが、しかし。

 和花があまりにも嬉しそうな顔をするものだから、颯太は何も言えなくなってしまった。言おうと思っていた悪態はすっかり茜色の空気に溶けて消えていってしまった。

 颯太は苦笑を浮かべた。

「はいはい、良かったなー」

 棒読みで颯太は告げる。

 明らかにやる気のない返事だったのに、和花はそれでも嬉しそうに頷いた。灰色の瞳に涙まで浮かべている。

 こんなに喜ぶのだったら、協力してやって良かったのかもしれない、と颯太は少しだけ、頬を緩ませた。

「良かった、本当に良かった」

 和花は署名ノートを抱きしめる。

 颯太は少しだけ表情を曇らせた。和花が飛び跳ねて喜ぶほど、神様のことを思っていると考えてしまったからだ。先程の考えを早くも訂正する。

「やっぱ、手伝わなければ良かった」

 颯太の本音が溢れた。

 小さな声に気がついた和花が振り向いた。怪訝な表情を浮かべている。

「颯太、何か手伝ってくれたっけ?」

 和花が不思議そうに首を傾げた。

 和花に知られないように宣伝をして回ったのだから当然と言えば当然なのだが、何だか無性に腹が立った。

 颯太は短く鼻を鳴らした。

「別に。そんな祭りに興味ねーし」

 自棄になって呟けば、和花はニヤリと笑った。

「そんなこと言って! 一番に署名してくれたくせに!」

 嬉しそうに声をかけてくる和花。頭がお花畑なのではないだろうか、と颯太は別の意味で心配になる。

 そして、颯太は直ぐに思い直した。お気楽な雰囲気の和花の父親のことを思い出したのだ。あの父親にしてこの子あり、と言ったところか。

 もう少しだけ危機感を備えてほしいもんだ。颯太は色んな感情を溜息に混ぜて吐き出した。

「これで終わりじゃないんだぞ。親父の説得も残ってるわけだし」

 浮かれている和花に颯太は釘を刺した。

 灰色の瞳が一瞬、スッと細められた。だが、直ぐに和花はへにゃり、と笑った。

「分かってるよ、大丈夫!」

 どうにも、表情筋が締まらないらしい。

 本当に分かってるのか不安になるのだが。颯太はもう一度、溜息を吐き出した。

 二人は帰路に付いた。

 夕焼けに向かっていく。

 二人の長く伸びた影が、アスファルトの上に踊っていた。

 じんわりとした熱を帯びた夕方の風が吹き抜けていく。

 村はほんの少しずつ、祭りへの熱を溜めつつあった。


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