22 神が願う
スイは笑顔でその背中を見送った。
やがて、境内の隅にある家の中へと和花の姿が消えた。
和花がすぐに戻ってくるのだろうということは考えなくても分かる。
だから、スイはその場をそっと後にした。
スイの手は僅かに震え、色も先程より薄くなっている。
手先の感覚は殆ど無い。手が透けて、地面が見える。
スイは和花にこの夏の終わりまで、と伝えた。だが、スイの体は既に不安定だ。人間の姿をかたどっているのも難しい時がある。体が空気に溶けるような、自然と自分の境界線を保てなくなるような、そんな気がしてくる。
嘘を話した。和花を安心させるための嘘で。でも、それは自分のエゴで。
夏祭りが成功したって、取り戻せる信仰はたかが知れている。信仰が根付くことは殆ど無い。あり得ないと言っても過言ではない。
だが、和花の首を縦に振らせるためには、他の手段は無かったのだ。
瑠璃色の瞳を伏せる。
スイが助かる方法はたった二つしかない。
他の神が自分に捧げられた信仰の一部を土地神であるスイに分けてくれるか、スイが他の神に従属するか。
最初の方法は恐らく無理だ。スイだって和花の祖母がなくなった時にこうなることは分かっていた。だから、縁のあった神に報せは出した。
しかし、誰からの返信も音沙汰も無い。
最初から期待はしていなかったが、こうも無視されるといよいよ立場が危なくなってきた。
土地神であるスイが倒れたら、誰が後を引き継いで土地神になるか、なんて心のない噂が神々の間では囁かれている。
最後の頼みの綱のスイと考えていた雨を司る女神は返答をしてくれたものの、今回の件は保留とのことだった。
雨の女神とは水を司る者同士、懇意にしていたのだが、自分の信仰の一部を譲渡するというのはやはり気持ちだけでは動かしにくいものなのだ。
だから、望みは薄いだろう。
スイは御神木に寄りかかった。
他の誰かに従属するというのはスイは好かない。
学斗尊に従属している杏を見る度、やるせない気持ちになるのだ。誰かの手駒になってまで生き延びる姿は憐れな気がするのだ。
手駒になるぐらいなら、消えたほうが良いと思うくらいだ。
信仰が消えるということはその神が人間に必要とされていない、ということになる。それならば、大人しく消えたほうが良いに違いないのだ。
この世界のためにも。スイの愛する土地のためにも。
だけども、報せを出すぐらいにはスイも足掻いてはみた。
叶わなかったが。
スイは静かに自分を嘲笑した。意味のない努力に近い。
だから、今のスイの望みはたった一つだけ。
和花の祖母である和子から託された愛し子である和花を護る。唯一の願いなのだ。
「神が願う、か……」
あまりの馬鹿らしさに、スイはフッと笑った。
もうあまり時間がない。和花との期限だけは守りたいものだが、うまくいくかどうか。
その後は消えたって、分かるはずがないのだ。
ふう、と吐き出した溜息は夏の空気に溶けて消えていく。
蝉が煩いほどに鳴いていた。
「嗚呼、暑いなぁ……」
夏は少しずつ少しずつ進んでいく。
スイの近くで、地上に出て頑張って鳴き続けたのであろう蝉が落ちて行った。
もうすぐ、お盆になろうとしている。




