講習会三日目~2-1教室・中庭
「真田」
「はい、田代先生」
一時限目が終わった後、田代先生が私の席の近くまで歩いてきた。席を立って先生に向き合う。
先生も結構背が高いなあ。日向くんと同じくらいかも。
「……今日、俺も参加する事になったから。よろしく頼むな」
「参加……って……」
田代先生の瞳が悪戯っぽく輝く。
「文化祭の出し物」
「え!?」
ははっと田代先生が笑う。今日もポロシャツにジャージ姿だ。
「昨日、日向と藤沢から頼まれたんだ。なかなか面白そうな企画じゃないか」
「は、はあ……」
田代先生が、私の耳元に顔を少し寄せて、小声で囁いた。
(主役だって? 頑張れよ)
(そ、それは言わないで下さい……)
私もぼそぼそと返事する。マスク越しなので、ますますもさもさした声だ。
(……で、先生は何の役なんですか?)
(みなみの担任役だそうだ。チョイ役だから、収録も今日で終わるかもな)
……そのまんま……うーん、適役と言えば適役?
(それとも……人に合わせて作った、のかなあ……?)
田代先生がかがめていた体を起こして、にっこりと笑った。
「じゃ、後で。いろいろ教えてくれよ」
「はい……」
田代先生は、後ろのドアから廊下に出て行った。何となく、その後ろ姿を見ていたら……。
――ゾクリ
……なに?
なんか、ものすごーい圧力を背中に感じるんだけどっ……!!
私が恐る恐る振り返ると……うわ。
山城くんに、川崎くんが、揃いも揃って、じーっとこちらを見ていた。おまけに……。
(何? 何!? あれはっ!!)
どす黒ーいオーラを全身にまとった日向くんが……二人から少し離れた所に、いた。ど、どうしてあんなに、不機嫌そうなの!? 私、何か悪い事でもしたのっ!?
(お、重い。重すぎる……)
「ねー沙織ー、先生なんだって?」
みのりさんの明るい声が、その場に満ちていた暗黒の呪縛? を解き放った。
……って、藤沢くんなら台本に書きそう。
(た、助かった……)
「み、みのり~(さん)」
わかってる、って顔でみのりさんが小さく頷いた。みのりさんの手が、私の肩に回る。
「さー、女の子の会話、しに行きましょ?」
みのりさんに押されるように、そのまま後ろの扉から教室を出た。
***
「ふう……」
ああ、怖かった……息止めてたみたい。思わず溜息が出てしまった。
「なんか、今の、すごかったわね……」
女子トイレの鏡の前で、みのりさんが言った。ちょっと目が潤みそう。
「わ、私……」
よしよし、とみのりさんが、私の頭を優しく撫ぜてくれた。まるで、お母さんみたいだ。
「ちょっと話してただけなのにねえ……」
みのりさんも、はあと溜息をついた。
「先生、映画に出るって言ってただけでしょ?」
みのりさん、知ってる?
「え……? どうして……」
「私も頼まれたの、実は」
「え!?」
みのりさんが、ふふふと笑った。
「昨日、日向くんと藤沢くんが、主要登場人物候補にほとんど連絡したみたいね。手際がいいわ~」
「そ、そうなんだ……」
うう……あの内容、あまり知られたくないのに……。
「きっと、日向くんもピリピリしてるんじゃない? ほら、あんまり内容が先に広まっちゃったら、楽しみ薄れるでしょ? 毎年、生徒会の出し物ってぎりぎりまで秘密なのよね~」
「そ、そう……なんだ」
じゃ、私になにか怒ってたわけじゃないんだ……よね? ちょっとほっとした。鏡を覗いて、髪の毛が跳ねてるところを撫ぜつける。
「詩織ちゃんと日向くんのシーンも楽しみにしてるわよ~?」
意味ありげに微笑まれて、かあっと頬が熱くなる。
「そ、それは言わないでっ!!」
「あはは、顔真っ赤よ~」
ぽん、とみのりさんが、私の右肩を叩いた。
「私も協力するから、お互い頑張ろうね」
「うん……ありがとう……」
まだ、うろたえてる部分が大きいけれど。でも、やれる事はちゃんとやらないと……いけない。
いろいろ心配してくれてる、みのりさんや、私の事、信じてくれてる、さーちゃんのためにも。
……私は、鏡に映る自分に「うん!」と頷いて、みのりさんと女子トイレを後にした。
***
「うわ~……結構人集まってるのね……」
私は目を見開いたままだった。藤沢くん率いるアニ研の人たち、演劇部の人たちも揃ってるみたい。機材の調子を見てる人もいる。マスクを外して、スカートのポケットに入れた。
……講習会が終わるのと同時に、日向くんと川崎くんに拉致られて? 中庭へ。今日はここで撮影するって。
(みのりさんの出番は今日ないんだよね、残念……)
二人はさっさと、姿消しちゃったけど、なんか準備してるのかなあ、と思った所で、はた、と気がついた。
(そう言えば、昨日いろいろ考え過ぎてて、今日どんなシーン撮影するのか確認してなかった……)
渡り廊下の壁際に並べられた椅子の上に鞄を置き、台本を取りだす。
「えーっと……」
パラパラとページをめくっていた私の後ろから、影がかぶさってきた。
「おい」
ん? この声……振り返ってみると……やっぱり。
「山城くん!?」
山城くんは、ぽりぽり頭をかきながら、片手に丸めた台本を持ってた。ここにいるってことは……もしかして。
「山城くんも……声かけられたの?」
「おう」
ちょっと、照れが入ったような声。表情も、どこか柔らかさが入っていた。
「まあ、あの日向に頭下げられちゃな……」
「え?」
日向くんが、頭下げた!? ますますびっくりだ。
「え、と、山城くんは……どんな役?」
「お前、それも分かってねーのかよ」
山城くんは、呆れたような顔をしてから、言った。
「お前にからむ役だぜ」
「は?」
からむ……って……。呆然とした私に、噛んで含める様に山城くんが説明する。
「みなみ……だったか、主役の女子苛める役」
「な、な、なにそれっ!!」
い、苛めるって、なに。というか、『私』にからむ役っていうのも、そのまんまじゃない!!
(演技する必要ないよね、これは……)
だって、本人と役がぴったりなんだもの。山城くんもいつもの調子なら、大丈夫だよね。
「……で、日向に殴られる役」
「え?」
殴られる……って……。私はぱらぱらとページをめくった。
「も、もしかして、主役二人が親しくなるきっかけになった事件の悪役?」
ずばり、だったらしい。山城くんが眉を顰めた。
「どーぜ、俺はつり目で悪人顔だって……」
ぶつくさ、山城くんが文句を言う。あ、自覚あったのね……。
「で、でも、殴られ役なのに、OKしてくれたのよね。ありがとう」
思わずお礼を言うと、驚いたような色が山城くんの目に浮かび……ぷい、と横を向いた。
(あれ?)
耳が……少し赤い?
「……ま、チョイ役だがな。お前もセリフ忘れて、足引っ張るんじゃねーぞ」
相変わらず憎まれ口だけど……山城くんって、照れ屋なのかもしれない。
「う、うん……」
もう一度台本に目を通す。セリフ自体は少ない……けど……。
(でも、これ……)
「そろそろ用意できた~?」
藤沢くんが周りに声をかけ始めた。機材を触っていた生徒が、「いつでもOK!」と声を上げる。
「あ、みなみちゃん。これこれ」
手招きされて近づいた私に、藤沢くんが眼鏡を渡してくれた。丸くて、茶色のフレームの眼鏡。なんだか可愛い。
「みなみはこれで頼むね~?」
かけてる眼鏡を外して、鞄にしまいに行く。もらった眼鏡をかけると……。
(あれ?)
度が入ってない。ちゃんと見える。これなら……目も辛くない。
「ほらほら、こっち向いて~?」
大きな手に頬を挟まれ、ぐぎっと首の向きを変えられた。かけたばかりの眼鏡を取られる。
「玉木くん?」
「メイクするわよっ! こっちの椅子座って」
「は、はい……」
机の前の椅子に座ると、玉木くんが首周りにスカーフを巻いてくれた。
「あと十分でスタートするよ~? 大丈夫、玉木くん?」
「ふっふっふ……私の超ハイテクメイク術、ここで披露してあげるわっ! よく見てなさい、藤沢っ!」
ばばばっと手際良く机の上に広げられた、化粧品のパレット。刷毛、一体何種類あるの!?
……玉木くんが、沢山ある刷毛から一本を手に取った。
「さあ……変身よ」
……妖しく光る玉木くんの眼力に……ただ頷くだけの、私だった。




