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煉獄のサイパン 〜菊水部隊・東京大空襲ヲ阻止セヨ!〜  作者: 扶桑かつみ


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第五章(北号作戦) 1

1945年2月7日 シンガポール



 南洋の楽園は、戦火の中にあっても楽園を維持していた。

 いまだ敵の主要航空拠点まで2500キロ以上あるので、日本本土を爆撃しているB29ですら足が届かない。

 太平洋戦線ではお馴染みとなった、足の長いコンソリことB24でも無理だ。

 

 またシンガポールは、南洋資源の集積地点であるため物資は豊富だ。

 内地では考えられないぐらいにモノが溢れている。

 足りないのは、日本米と味噌や醤油など日本製の食べ物ぐらいだ。

 

 特に、艦艇の主食である重油は、文字通り掃いて捨てるほどある。

 ロイヤル・ダッチ・シェル社が建設した製油施設の能力は、付近300海里の中に500万キロリットル以上。

 つまり日本の消費量一年分が産出、そして製油できるというのに、貯油タンクは100万キロリットル分もない。

 タンカーが来ると見越して精製しても、本当に棄てるしかないのだ。

 

 そして商船を護衛し、付近の拠点に対する補給や支援のため、いまだ日本帝国海軍に属する艦艇が多数、セレター軍港を拠点に活動していた。

 

 なお、大英帝国が東洋支配の拠点として整備したセレター軍港は、ジョージ六世ドックと名付けられた、いかなる軍艦でも入渠可能な巨大船渠と、無数の投錨地、専用の重油タンクが設定されている。

 

 日本軍による防備も可能な限り行われており、敵地深くという事もあって、連合国の潜水艦が近づけるものではない。

 

 このため、日本の外地にある海軍根拠地として使用され、トラック、パラオに次ぐ頻度で使用されていた。

 もちろん、隣接するシンガポール港から日本本土に向かう輸送船の拠点としての価値は計り知れない。

 いわばシンガポールは、日本延命のための点滴口なのだ。

 

 そして日本にとって戦況が逼迫した1944年2月からは、日本艦隊の艦艇が頻繁に訪れるようになり、8月から10月にかけては、シンガポール・セレター軍港が真価を発揮する活動のピークとなった。

 

 その間日本艦隊は、100海里ほど離れたリンガ泊地と呼ばれる海域で豊富な燃料を用いて訓練に励み、一年分の訓練を行ったと艦隊乗員自身に言わせたほどだ。

 恐らく彼らは、日本海海戦の前に鎮海湾で訓練に励んだかつての先達達に自分達を重ねていたに違いない。

 

 しかしそんな彼らは、もういない。

 10月末の激しい戦闘により既に約半数が沈むか深く傷つき、残りの多くも本国へと帰って行った。

 

 しかしそれでもなおシンガポールは日本海軍の拠点であり、まだ多くの艦艇がここを拠点に活動している。

 

 主な艦艇は、航空戦艦《伊勢》、《日向》、重巡《羽黒》、《足柄》、《妙高》、《高雄》、軽巡は《大淀》、《香椎》、駆逐艦は《朝霜》、《初霜》、《霞》、《天津風》、《神風》。

 他にも中小の艦艇があり、主に船団護衛のため決死の覚悟で南シナ海、東シナ海を踏破すべく出入りしている。

 

 ただし、重巡《妙高》、《高雄》、駆逐艦《天津風》は傷つき、十分な戦力は発揮できない。

 去年10月末に潜水艦の魚雷2本を受けた《高雄》と、レイテで航空魚雷を受け、さらに日本本土への帰投半ばに潜水艦から魚雷を受け艦尾切断し、曳航されて戻ってきた《妙高》は戦力価値を失ったままだ。

 《天津風》もレセターの設備と補修部品では修理はままならず、応急処置で留め置かれている。

 

 だがそこに、一隻の巨艦が入港しつつあった。

 


「何度見てもデカイな。中瀬、積載力はこっちの何倍あると思う?」

「さて、向こうは本職ですからね。格納庫の収納数からだと5倍以上でしょうか」

「五倍、そんなもんか。排水量だけでこっちの二倍、格納庫面積は一段なら海軍最大らしいぞ。けど、変わり果てた姿で完成したもんだな」


 戦艦《伊勢》の第一艦橋で、艦長の中瀬泝少将と松田千秋第4航空戦隊司令官がのんびりとした口調で目の前の巨体を眺めている。

 

「それにしても、この冬はよく無事にフィリピンを突破できたもんですね」


 気を取り直したように中瀬が言った。

 二人とも眼前を横切る巨艦を眺めたままだ。

 

「ああ、なんでも新兵器のおかげらしい」

「新兵器?」

「うん、俺も良く知らないが、付近の電波を全部お釈迦にするスゴイヤツらしい」

「そりゃスゴイ。電波という事は、電探や無線、無電全部という事ですよね」

「うん、けど凄すぎて内地じゃ使えんので、あれが外に出るついでに試験搭載という名目を軍令部第2部がこじ付けて積み込ませたそうだ」

「凄すぎる?」

「うん、味方の電波までダメにしてしまうんだ」


 松田の言葉に、中瀬が腰に手を当てため息を付いた。

 

 なお彼らがシンガポール・セレター軍港内で目にしているのは、航空母艦《信濃》。

 基準排水量62000 トン、満載排水量71890 トンの世界最大の超巨大空母だ。

 

 全長は266・1mに達し、256mの飛行甲板全てに75ミリの装甲を施した重防御空母で、タイプシップとなった軍艦より高い水中防御力を誇っている。

 

「で、今回あいつの一番の魅力がなんだか分かるか」

「そうですね。防御力は確かに魅力的ですが、やはり格納庫と排水量の大きさでしょう。間違いなく、並の輸送船より積載力は高いですよ」

「うん、基準と満載の排水量差だけで1万トン近くあるからな。それに元は大和級だ。過積載で無理をすればもう千トンやそこらは足を落とさずにいける筈だ。重量トンで数えれば、ざっと1万6000トンてとこだな」


 主計に持って来させた書類に目を通しながら、松田と中瀬が会話を続ける。

 場所はチャートの側に来ているが、高い《伊勢》の艦橋なら《信濃》は存分に見えていた。

 

「大和が満載で73000トンでしたっけ。あ、航空機用の弾薬庫が殆ど空家だ。機銃や高角砲の弾も規定の半数以下ですね。もう千トンは上乗せできますよ」

「それだけじゃないぞ。ヤツの航続距離は、18ノットで9000海里。燃料積載量はなんと9000トンだ。加えてコンクリートで固めた頑丈なガソリン庫が670トン積める。満載時の荷物の半分以上がこの燃料だ」

「それだけ聞いていると、まるで油槽船ですね」

「うん、今回の任務に役立つぞ」

「他にも色々あるみたいですよ」


 中瀬の声に、松田が視線を《信濃》から中瀬が差し出した書類へと向ける。

 


(だからと言って、乗員まで減らす事はないだろうに)


 《信濃》から《伊勢》を眺めている男、《信濃》艦長阿部俊雄大佐は、内心納得のいかないものがあった。

 

 と言うより、彼が《信濃》艦長を拝命してからは、納得のいかない事ばかりだった。

 

 航空母艦《信濃》は、書類上は1944年10月15日に竣工。

 11月2日には危険を冒して呉に到着。

 そこから彼女の姉に当たる戦艦大和が帰ってくる11月末頃まで、姉の寝床である呉工廠第四ドックで身繕いにしゃかりきになった。

 

 何しろ、たった三週間で既存の空母である雲龍、天城から装備を引き剥がして、《信濃》に据え付け、《信濃》を本当に完成させるという大工事だ。

 呉工廠の中で手すきの者が総動員され、年齢から根こそぎ動員の徴兵を免れた熟練工員の指示をうけながら、アリの群のごとく《信濃》にたかった。

 

 しかも熟練工達が、横須賀から《信濃》に乗ってそのまま来たそれまでの工事担当者を押しのけて見聞した《信濃》の状況は深刻だった。

 いや、彼らの視点から見れば、怒鳴るより呆れるような状況だったのだ。

 

 例を挙げれば枚挙にいとまないが、ねじ山が根元まで切られていないボルトや、2センチも隙間の空く防水ハッチが存在するなど、竣工とは名ばかりの未完成艦であったのだ。

 いや、未完成艦どころではなく、いつ沈んでもおかしくない欠陥品だった。

 しかも呉に来たときは、そこら中に工事用のケーブルがのたくっていて、防水扉が閉められない有様だった。

 

 幸いにして工事のペースが上がる前に仕上げられた区画の完成度は、熟練工達がある程度満足できる状況だったため大手術の必要はなかった。

 しかし、艦内各所にも手を入れなければいけないのは明白となった。

 欠陥を調べるだけでも骨だ。

 

 そして竣工から僅かに一ヶ月、最初の艤装委員(乗組員)が入ったのが7月だったのが、呉第四ドックを巡る短くも激しい狂想曲にさらなる騒音を加える事になる。

 

 艦長も軍令部、聯合艦隊司令部も、工事をしながらの乗員の訓練を命令してきたのだ。

 

 そしてこちらも、一日も早い実働状態に持ち込むためには譲るわけにはいかなかった。

 艦搭乗員も内部に精通したものがほとんどなく満足に応急処置を行えない状況は、軍艦を人に例えれば血液の中にある白血球や血小板がないのも同じだからだ。

 

 おまけに乗員も定数には達してなく、保管状態に追い込まれる雲龍、天城から書類を急ぎ仕立てて移籍させるという混乱付きだ。

 特に《信濃》に殆ど搭載されていなかった高角砲、機銃の要員は、ほとんど丸ごと移動してきていた。

 

 そして狂想曲に仕上げをしたのが、航空隊関係者だった。

 


「艦長、阿部艦長はどこにいらっしゃる」


 テノールに塩気を混ぜたような男性的な声が艦内の通路を駆けめぐる。

 

 声の主は大股でズカズカと、ケーブルや工具が散乱する床を踏みならすように進んでいた。

 彼の後ろには、「祝 《信濃》竣工」と達筆な文字踊るのし紙をつけた一升瓶三本の束を抱えた従兵が続く。

 

 そして肩を風切る勢いで快進撃を続ける男に、一人の将校が立ちはだかった。

 艦橋付きの当直将校だ。

 

「大佐、御用向きをお願いできないでしょうか」

「ん? 中尉、決まっているだろ。《信濃》の竣工を祝いに来たのだ。艦長は何処に居られる」


 大佐と呼ばれた男は有無を言わせぬ、それでいて魅力的な声と目つきで当直将校に相対。

 結局、強引に艦長室へ案内させられる羽目になった。

 

 《信濃》の艦長室は、艦橋下の右舷上甲板にある。

 この点は、タイプシップである大和と全く同じだ。

 同じではないのは、急ぎ建造された事を示す質素な内装だが、時勢的に気にする者はいない。

 

 艦橋当直士官に案内されてきた闖入者を前にした阿部艦長も例外ではなく、簡素なスチール椅子に客人を迎え入れた。

 茶も茶菓子もなしだ。

 

「それで、源田大佐用向きは何かね」


 はい。

 力強く頷いた源田実大佐は、従えてきた兵に顎で合図を送る。

 

「まずは、航空母艦《信濃》の無事竣工お祝い申し上げます」


 これはご丁寧に、ありがとう。

 そう返答した阿部だが、目の前の角張った精力的な顔の男の真意を掴みかねていた。

 

(確か源田大佐は軍令部第1部第1課部員。裏で、持論に則った戦闘機隊の設立に動いていると聞いたが)


「それで、遠路はるばる軍令部第1部の方がいか用か」

「ウム、これは失礼しました。《信濃》の無事の回航を見届けるというのは、私の肩書き上の名目です。本当は今私が計画している航空隊の拠点となるべき基地を、実地で見聞回っている途中なのです」

「では、《信濃》にもその用向きで?」

「はい。この艦は、公試の折り艦載機型の紫電21型の発着艦を試験したと聞き及びます」


 阿部が首肯すると源田が続ける。

 

「実は私が目指している新たな航空隊は、制空権奪回のための局地戦闘機専門の基地航空隊を目指しているのです。そこでは、《信濃》が下ろした紫電21型を主力に据えようかと考えております。

 そして聞けば《信濃》は、固有の航空隊をほとんど持たない洋上基地と言う。となると、私の航空隊にお鉢が回ってくるかも知れないと思い、こうして参上した次第です」

「確かに《信濃》はまだ航空隊の配属は決まっていないが、どの航空隊を配備するかは、聯合艦隊司令部なり軍令部が決定を下すことではないかね」


 さもありましょう。

 源田はウンウンと一人納得するように頷いている。

 そう、彼はまだ軍令部第1部、つまり作戦を扱うエリート課員なのだ。

 

 そして、首を巡らすように室内、いや艦そのものを見るような仕草をしてから、大らかな顔と共に言い切った。

 

「いや、良い艦です。一目見て私は気に入りました。大和も最初からこうしておれば、もっと早くに戦局を打開できたでしょうに。本艦は私にとって理想とも言える形で、居ても立ってもいられなかったのです。ご無礼のだんは、平にご容赦ください」


 こうして戦闘機馬鹿の台風は去って行ったが、その日から数日して辞令を持った整備員達が多数乗り込んできた。

 源田が送り込んできたのは明白だった。

 そして彼らは、まだ工事資材を積み上げている格納庫や飛行甲板で与えられた任務に対する作業を始めてしまい、《信濃》の人口密度を上げてしまった。

 しかも妙に熟練した者が多かったので仕事は早いのだが、それが狂騒に拍車をかけた。

 

 けっきょく11月の《信濃》艦内の総人口は4000人近くに達し、工事関係者、乗員、整備兵がお互いに邪魔にならないようにするのが艦長である阿部の一番の仕事となってしまった。

 

 その喧噪のひどさは、鎮守府司令長官の沢本頼雄大将が、第四船渠はまるで毎日運動会か学芸会でもしているようだと評したほどだ。

 

 そしてその喧噪は、工事が完成に向かうにつれて少しずつ沈静化していったのだが、《大和》以下ブルネイにいた第一遊撃部隊の残存艦隊が戻ってきた時点で、《信濃》の工事は完了していなかった。

 

 このため急ぎ第四ドックに入る予定だった大和は、しばし艤装岸壁で待ちぼうけを食らうことになる。

 

 熟練したドック要員の手により、《信濃》は第四ドックから引き出されたのは11月30日の事だ。

 

 この工事で、横須賀での竣工時点での問題点はほとんど解決されていた。

 未熟な工事箇所は可能な限り改善され、缶も全てに火が入って全力発揮可能。

 竣工時はほとんど坊主状態だった機銃や高角砲も、スポンソン全てを埋め尽くした。

 

 完成時の武装は、89式12・7センチ連装高角砲8基16門、25ミリ3連装機銃37基、25ミリ単装機銃40基、12センチ28連装噴進砲12基と、ハリネズミのごとくだ。

 残念なのは、呉でも98式長10センチ高角砲は搭載できなかった事ぐらいだ。

 

 乗員も他艦からの引き抜きもあって定数に達し、乗員約2400名を迎え入れることができた。

 熟練度も、竣工時に比べて大きく改善している。

 

 ただし、《信濃》の混乱は終わっていなかった。

 

 ドックから出る前、他の残存空母全てを動員して特攻機を乗せて出撃すると言う「神武作戦」が計画されたため、「改装工事」とされた《信濃》の工事が一時繰り上げられると言う噂が飛び交ったからだ。

 幸いにして無茶な作戦が実行される事は無かったが、これがドックから出るのを2日遅らせている。

 

 そして混乱したのは、ドックから出ても同じ。

 軍令部も聯合艦隊も、これほどの巨艦で何をすれば良いのか、全く計画を立てていなかったのだ。

 そして海軍上層部が決めた結果は、栄光に包まれている筈の巨艦にとって余りにも無惨だった。

 

 満載排水量7万トンを超える巨大空母を、重量物輸送船として用いるとしたのだ。

 

 理由は、艦載機はともかく空母で離着艦できる搭乗員が十分がない事と、《信濃》自体の巨体にあった。

 《信濃》は、自らの巨体故に毎日60トンもの貴重な油を消費している。

 せっかく完成したばかりの艦だから、他の空母のように運用を止めてしまうわけにも行かない故の苦肉の策が、重量物輸送船というわけだ。

 

 ただ、この輸送任務で問題となったのは護衛だった。

 

 すでに生き残りの駆逐艦で稼働可能な艦の多くは再び南方に出払っており、最初は単艦の丸腰という話しにまでなろうとしていた。

 

 そこで動いた部署が二つ。

 一つは、何としても護衛を付けようした聯合艦隊司令部と、もう一つはなぜか軍令部第2部だった。

 


(今度は軍令部第2部か)


 阿部は、目の前の男に辟易とした思いだった。

 だが、嘆息は内心で止めて置かねばならない。

 

「それで、この新兵器を試験搭載して欲しい、と」

「左様です、阿部艦長。幾つかの制約はありますが、必ずやお役に立つと軍令部第2部は判断しております。事前に行われてた机上演習でも、効果絶大と判定されております」


 第2部の課員は言い切った。

 山科博中佐だ。

 阿部にとっては知己の人物ではあるが、知人程度の間柄であり好意的に迎え入れるべき人間でもない。

 だが、彼には借りがあった。

 山科がいなければ、《信濃》はいまだに横須賀でもたもたしていたかもしれない。

 

 それが阿倍の内心の決め手だった。

 

「命令書が出ているなら是非もない。それと設置工事はいいとして、操作はどうする。まさか君も行くのではあるまいな」


 阿倍の言葉に、山科は別の書類を出しながら、予定していたであろう言葉で言い切った。

 

「はい。操作のためこちらから専門家を付けます。開発を行ったドイツ人技術者と装置の操作員、それにドイツ語通訳の合計6名を出向という形で付けます。この点もご了承下さい」


 その後は、ドックで見た素直さなど微塵もない、雅な顔に険しさをたたえた顔で山科は次々に言葉を続けていく。

 

 そして彼自身が監督した装置の工事そのものは一週間近くかかったが、岸壁に接岸している間に重量物輸送船としての荷物の積載や、初の本格的出撃の準備も同時並行で進められた。

 

 その間阿部は、山科と何度か話す機会はあったのだが、山科は装置について内地での実験はうまく言ったのですが、他から総すかんを食らってしまい、外地に行く《信濃》以外活用できるアテがないのです、と険しい顔のまま語った。

 

 そして、装置よりも人の安全を頼みますとだけ言葉を残すと、出撃の前日に出発を見送ることもなく立ち去った。

 


 《信濃》の出撃日は、1944年12月17日。

 最初の目的地は沖縄。

 次の目的地は、フィリピンのルソン。

 そして以後は戦場を迂回しつつブルネイに達すること。

 輸送任務よりも、いまだ満たされたことのない腹の中に、重油をめいいっぱい飲み込むことの方が重要なぐらいだった。

 

 また、ブルネイに立ち寄った後は、別名あるまで昭南シンガポールでの待機を命じられてもいる。

 まるで貧乏農家の口減らしだ。

 

 護衛は、駆逐艦の《磯風》、《浜風》、《雪風》。

 レイテ沖海戦で死線をくぐり抜け生き残った歴戦の駆逐艦達で、これだけが《信濃》乗員の僅かな救いだった。

 そして積載物は戦局と日本軍のこの当時の姿勢を反映したものとなった。

 

 沖縄向けの特攻機材《震洋》と、歩兵部隊をいくらか。

 フィリピンへは、ロケット特攻機《桜花》と陸軍空挺部隊の一部。

 

 決して明るくなれる任務でも積載物でもなかったが、12月17日に出撃して以後の任務は、拍子抜けするほど順調だった。

 

 阿部にとっては少しばかり悔しい事だが、山科が取り付けていった新兵器の効果だ。

 

 新兵器の連続運転テストも兼ねているというので、艦隊自体の行動が制約される事がほとんどだったが、効果の方が遙かに大きく、絶大と表現してもよいほどだった。

 

 まるで電波の台風となった《信濃》以下4隻の艦隊は、まともに潜水艦や航空機の接触を受けることなく、次々にチェックポイントを通過していった。

 

 連続運転の間に行った装置冷却間の停止時に掴んだ敵哨戒機と思われる無線は平文であり、突発的な磁気嵐にあって機位すら失ったと悲鳴をあげてすらいた。

 

 潜水艦は、日本側の目視報告がないので分からなかったが、効果は明らかだ。

 

 数多の輸送船ばかりか、戦艦金剛すら撃沈した得意のレーダー攻撃はできず、それどころか目視できない限り《信濃》を見つける事は適わず、《信濃》側も之字運動を無視した高速運行で全てを振り切った。

 

 何も知らない米軍側にしてみれば、やはり突発的な磁気嵐ぐらいにしか思えないだろう。

 何しろ数時間で嵐は通り過ぎるのだ。

 

 かくして《信濃》は、12月末には無事シンガポールにたどり着く事ができた。

 

 だがシンガポール湾で護衛の駆逐艦3隻は、南号作戦に参加しているタンカーを護衛のためとんぼ返りで引き返すことになり、しばらくは「礼号作戦」を終えた艦隊が来るのを待って、訓練のためリンガ泊地に向かう事になっていた。

 

 《信濃》をまともな戦闘状態に持っていくのも、石油の豊富な南方に来た目的だったのだ。

 


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