第8回 準備
自分がいなくなったときのために
歩は今できる準備をし始めます……
その日、僕はある人物を待ち合わせをしていた。
「よぉ。待たせたな」
その人物、内田は、約束の時間より5分遅れてやって来た。
「どうする?そろそろ昼だし、なんか食べてくか?」
その意見に同意して、僕たちは近所のうどん屋に入った。
「で、話ってなんだよ」
実に単刀直入な質問だった。まだうどんが運ばれてくる前のことだ。
「ってか、今日晴香はどうしたんだよ。一緒じゃないのか?」
「うん。今日は1人で来た」
僕はようやく決心をした。
もう晴香と離婚しないって決めたときからずっと考えていたことだ。現在、彼女は7ヶ月。そろそろ頃合だと思った。
「頼みがあって来たんだ」
「頼み?」
ちょうどうどんが運ばれてきた。僕が頼んだ山菜しめじうどんが湯気をたてている。
「内田、まだ晴香のことが好きか?」
「何年前の話だよ。もうそんなふうには見てないって」
内田がずずっとうどんをすする。
「じゃ、もし今晴香に好きだって言われたら?」
内田の手が止まった。僕を上目遣いに見てくる。
「なんだそれ。どういう意味だよ」
「いや、いいんだ。変なこと聞いた。ただ、もし晴香がそう言ったとしても、内田だったら僕は怒らない。2人のことちゃんと認められるから」
ますますわからないといった表情で僕を睨んでくるが、すばやく僕は本題にうつした。
「頼みたいことはまだなんだ。今日は、きっとこの先頼みごとをしに来るってことを伝えたかっただけだ」
「今そんなこと言われたって、引き受けるかどうかなんてわかんないぞ」
「わかってる・・・だけど、内田しか頼める相手がいないんだ」
内田はそれ以上追究しようとはしなかった。僕には、それがありがたかった。
∞
少しずつ、少しずつ、そのときのための準備をしていく。
まず、生命保険に入った。これで、しばらく残された家族がお金に困ることはないだろう。
それから、身の回りの身支度を整えておく。
自分が死ぬんだ、という感覚がだんだん現実になっていく。
それにしてもどういう死に方をするのだろうか。今のところ、体に異常はないようだ。
「テン」
7ヶ月前から自分の周りを飛ぶようになった白い鳥に呼びかける。
「ん?なーに?」
あいかわらず無邪気な声で答える。
「本当に僕って死ぬの?」
「うん。運命だからね」
はっきりとそう言われた。もちろん、予想していたことだから特に驚くことはせず、前々から考えておいた言葉を口にする。
「テンにお願いがあるんだけど」
「いいよ。俺にできることだったら」
「僕が死んだ後、1度でいいから晴香と生まれた子供に会えない?会わせてほしいんだ」
一拍の間の後、テンは静かに首を振った。
「・・・・・・それはできないよ。規則を30以上も破ることになっちゃう」
「テン・・・・」
無駄だとわかっていながら目で訴えかけると、テンは僕から隠れるようにしてベッドの毛布の中に潜ってしまう。
「そんな目で見るなよー!どんなふうに言われたって無理だよ!俺の立場がなくなっちゃう」
「そうだよね・・・ごめん。無理言って」
せめて晴香たちがちゃんと幸せに暮らせるかどうか見届けたかったが、それは叶わぬ願いだ。それに、テンをこれ以上苦しめるわけにはいかない。
もうすぐそのときがやって来る。
僕は黙ってそれを迎えるしかなかった。




