新たな一年生（４）

「こんにちは。ごめんなさいね、遅くなって」

　図書準備室の扉を開けた人物は、そんな挨拶をした。そして、室内の異様な雰囲気を感じ取ると、二の句が継げなかったようだ。

「…………」

　しばらくして、わたしは彼女に話しかけた。

「こんにちわ、しずる(・・・)ちゃん。お、遅かったね……」

　そこまでは言えたものの、わたしも、その先に何か言葉があったわけではなかった。

（さぁ、困ったぞ。一体どうやって説明したものか）

　悩んでいるわたしの心中を知ってか知らずか。彼女は、一歩前へ進むと、後ろ手に部室の扉を閉めた。いや、閉めてくれた。しずるちゃんも、何か勘付いたのだろう。ここだけの話にしないとならないと。

「で、一体全体、どういうこと。いつもと雰囲気が違うんですけど」

　外界と隔絶されたことを確認すると、扉の前に立つ美少女は、質問をした。

「え、えと……、あのね、しずるちゃん……」

　事が事だけに、わたしはシドロモドロになっていた。

「千夏(ちなつ)さん、落ち着くんだなー」

　隣に座っている大ちゃんが、そう言って励ましてくれた。しかし、どう説明しろというのか。

「部員全員が勢揃いの上、顧問の藤岡(ふじおか)先生まで居るし。それに、一人、見かけない女子(・・)が居るわね。一年生？」

　いつものキツイ眼差しが、丸渕の眼鏡の奥から、室内を見渡していた。最後の一言だけは、当人への問い掛けのためか、若干は優しい声音ではあったが。

「あっ、はい。そうなんです。ボクは、夢野(ゆめの)昴(すばる)っていいます。それで……」

「待ちなさい。ここからは、私が説明する。それより、座ったらどうだ、那智(なち)」

　渦中の当人が喋って、話がややこしくならない為の配慮だろう。先生は、取り敢えず、しずるちゃんに座るよう促した。

「分かりました。どうせ、舞衣(まい)さんがトンデモナイ事を思いついて、そのとばっちりなんでしょうけれど」

　真っ先に舞衣ちゃんが疑われるのは、仕方のないことだろう。普段の行いが悪すぎる。なにせ、『文芸部の守銭奴ロリ』の異名を持つくらいなのだ。しずるちゃんも、『お金がらみで問題が発生した』と思ったのに違いない。

　相変わらずのしかめっ面だったが、彼女は、背筋をピンと伸ばし、タッタッタッとテーブルの空いているところに進むと、椅子を引いて席に座った。肩に掛けていた学生鞄は、椅子の脇に降ろす。

「では姉さん、お茶を用意しますね」

　そう言って立ち上がったのは、那智(なち)忍(しのぶ)クン。一年の新入部員でしずるちゃんの弟クンだ。

「いいのよ、忍クン。今、姉さん、喉乾いていないから。ありがとうね。……では、本題に入りましょうか、先生」

　前半の甘ったるい口調から、イライラ度マックスの厳しい口調になる。そのためか、弟クンも、渋々と椅子に座り直した。

「そ、そうか。では、説明をする。他の者には既に承知の事なんだが、確認と現状認識の共有の為にも、よく聞いて欲しい」

　そう言って、藤岡先生は、一旦、冷めたお茶で喉を湿らせた。

「さて、何と言ったらいいのか……。そうだな、ええーっとな、そのう……」

　話を始めようとしたものの、先生も選ぶ言葉に迷っていた。

「単刀直入で構いません。去年の経験で、あたしも素っ頓狂な話には慣れていますから」

　そんな先生に、しずるちゃんは凛とした態度で話を促した。あの(・・)藤岡先生も、一瞬、気圧されてしまっている。

「うーん、そうか。えーっと、那智、落ち着いて聞いて欲しい。今日から、この文芸部に新しく一年生が入ってくれる事になった。夢野昴(すばる)くんだ」

　先生は、そこで一旦間(ま)をおいた。

「先程の方ですね。夢野さん、ですか……。確か、他の一年生女子は、夏目(なつめ)さんと芥川(あくたがわ)さんといいましたね。なるほど、文豪路線ですね。それで、彼女達に何か問題でも？」

　自分の名字を言われて、房江(ふさえ)ちゃんも辰巳(たつみ)ちゃんも、ドギマギしていた。

「あーっと、そっちの二人は大丈夫なんだ。問題はだな……、そのう、夢野さんの方なんだが……」

　また、室内に沈黙が戻った。今回は、しずるちゃんは黙ったまま、先生の言葉を待っていた。ただし、その視線は、キッとして心臓を射抜くようなモノではあったが。

「えーっとな、この夢野くんは、女子の制服を着ているし、見た目も女子高生そのものなんだが……、実は男子(・・)なんだ」

「………………え？」

　この事実に、さすがのK高三大女神の一角も、キョトンとした顔をしていた。それでも、彼女の美貌は少しも損なわれたりはしなかったが。

「……えっとぉ、もう一回、言ってもらってもよろしいですか？」

　うん。普通は、そんな反応をするよね。わたしは、しずるちゃんの普通の人のような面が見られて、何となくホッとしてしまった。

「そ、そうか。そうだよな。にわかには信じられないと思うが、夢野くんは男──男性なんだ。……医学的・生物学的には、だが……」

　ここまで説明されて、しずるちゃんもピンと来たようだ。

「そ、そうですか。あたしの聞き間違いじゃなければ、そこの夢野昴さん──いえ、昴くんは男であると。先生は、そう仰るんですね」

　最初は狐につままれたような表情のしずるちゃんだったが、段々と真面目な顔に戻っていった。きっと先生の言葉を分析しているのだろう。

「藤岡先生に言われるまでは、本当に女の子としか見えませんでしたわ。あまりにも、女子の制服が似合っていたもので。……と言うことは、昴くんは、『何か精神的な障害をお持ちになっている』、ということで間違いないでしょうか」

　さすがは、しずるちゃん。さっきの先生の話だけで、そこまで察してしまうとは。わたしなんか、単に女装好きな人か何かだと思ったもん。

「そうだな。那智は理解が早くて助かる。夢野は、『性同一性障害』なんだ。最初は、私も、何かの冗談かと思ったんだがな。専門の病院で様々な検査を行ったところ、間違いないそうだ。診断書もある。そこで……」

「それで、職員会議か教育委員会かで決まったんで、女子生徒ということで押し通す事になったんですね。でなければ、女子の制服を着用することを許可するはずはありませんものね。しかも、内々(うちうち)の話に止めようとしている様子です。どこかから、圧力がかかっているんですね」

　既にそこまで悟ってしまっていた美少女は、両腕を胸前で組んだ。豊満な胸が圧力で少しだけ持ち上がり、わたしの心をドキリとさせた。

「よ、よく分かったな、那智。それでだな……」

　完全に主導権を握られて、先生も少しばかりタジタジとしていた。その所為もあったのだろう、またしても、しずるちゃんに声を取られてしまった。

「要するに、いくら女装が完璧でも、男子が女子生徒として毎日学校に通うのは、さすがに無理がある。そこで、あたし達でサポートしろと。そういう訳ですね。……全く、もう。どうして、いつもいつもいつも、ややこしい話ばかり引っ張ってくるのかしら。で、千夏(ちなつ)は、どう思ったの？」

　おっとぉ、こっちにお鉢が回ってきた。今の所、未だ、わたしが部長だしね。

「え、えと……、えとね。昴ちゃんが、自分のことを女の子と思い込んでるのは分かったの。それでも、学校には行きたくて。でも、男の子の格好には抵抗があって。本人が辛くて嫌なのに、無理強いは出来ないでしょ」

　あまり大きな声では言えなかったが、わたしは思っていたことそのままを、正直に話したつもりだ。

「本当に、もう。千夏ったら、相変わらずね。でも、千夏がやろうとしている事が、どんなにシンドイことか分かってる？」

　言葉だけではなく、人の心の更に奥底までを見通すようなキッとした視線が伴うと、わたしもすぐには返事が出来なかった。

「……え、えと。えとね。大変だとは、……お、思ってはいるんだ。いるんだけど……」

　そんな煮え切らないわたしの態度にカチンと来たのだろうか。しずるちゃんは、今度は違う方向に話しかけた。

「分かったわ、千夏。ところで、舞衣さん。あなたは、この件について、どの程度絡んでいるのかしら」

（え？　ここで舞衣ちゃん？　絡んでいるって、何が？　……いつも迷惑をかけているから、藤岡先生に指名されたんじゃないのかな）

　わたし自身は最初からそう思っていたので、しずるちゃんは考え過ぎだと感じた。

「答えなさい、舞衣さん。正直、この話を持ち込んだ主犯は、舞衣さんじゃないのかしら」

「…………」

　しばらく答えはなかったが、舞衣ちゃんは、いつもの悪戯っ子のようなヒネた笑みを浮かべていた。

　そして、とうとうこのように話し始めた。

「ふぅ、さすがっすね、しずる先輩。バレなきゃ良いって思ってたんすがね」

　えっ、ええー！　しずるちゃんの言うように、やっぱり舞衣ちゃんの陰謀だったの、これって。

「ふぅ。全く、もう。そうだと思ったわ」

　腕を組んだままの美少女は、大きな溜息を吐いた。

「にししし」

　そんな中、陰謀の主は、照れ隠しのように下卑た笑みを浮かべていた。

「つまりは、こういう事です。通常、このような生徒の微妙な問題があった場合、話が持ち込まれるとしたら、普通は我々『文芸部』ではなく、生徒会だと言うことです、千夏センパイ」

「その通りよ。こんなバレたらトンデモナイ事になる案件を、ただでさえ目立っている『文芸部(ここ)』に依頼する訳がないじゃないのよ」

　そ、そうか、ナルホド。さすがは那智姉弟。素晴らしい推理力だ。

「きっと舞衣さんは、生徒会か生徒指導部での話を立ち聞きしたんでしょうね。そこで、生徒指導の吉岡(よしおか)先生に声をかけた。でなければ、藤岡先生にこんな厄介事が回ってくるわけが無いでしょう」

「多分ですが、センパイは、吉岡先生にこんな事を囁いたんでしょう。『文芸部には変わり者が揃っているから、かえって好都合だ。木を隠すなら森だ』、とね」

　そ、そうか。吉岡先生も、藤岡先生と距離を近づけるチャンスと思ったのかもね。

「た、確かに、大筋はその通り、なのだが。よく、そこで吉岡くんが関わっていたと気がついたものだな」

　いやいや、気が付かないのはアナタくらいですよ、藤岡先生。黙っていれば美人なのに、どうして分かってあげられないかな。大学の後輩である吉岡先生は、同門で美人の藤岡先生(アナタ)に気があるんですよ。などとは、声を出して言えなかったが。

　まぁ、これで、ややこしい話が文芸部(うち)に回ってきた理由が分かった。

「じゃ、じゃあ、やっぱり舞衣ちゃんが仕切ってたの、昴ちゃんの件も」

　まさかとは思ったけれど、これって、何かのお金儲けになるんだろうか？

「はぁ、皆さん聡明っすね」

　とうとう、影の首謀者が認めた。

「未だ、皮算用っすがね。三人とも、磨けば途轍もなく光るっすよぉ。あっしの見立てに狂いはないっす」

　や、やっぱり、そうだったんだ。

「まぁ、予想は出来ていたけどね。あたしや千夏が卒業して居なくなっても、充分に稼げるような『商材』を補充したかった、ってことでしょ」

　もしかしたら、散々舞衣ちゃんに金儲けの商材にされたしずるちゃん(・・・・・・)だからこそ、見抜けたのかも知れない。

「あ、はははは。しずる先輩には、全てお見通しのようで……。仰る通りっすよ。辰巳ちゃんは、長身を活かせば誰もが目を引くモデル体型。房江ちゃんは、巨乳の文学少女キャラ。そして、昴ちゃんは、中性的な魅力で男女双方を取り込む。ここに、美形男子の弟クンが加われば、全方位戦略が取れるっす。大儲け間違いないっすよ」

　思わず立ち上がった舞衣ちゃんは、新戦略を暴露していた。しかも、堂々と。

「ボクっ娘で、男の娘なんて、超萌える設定っすよ。そうは思わないっすか、千夏部長」

「あ、あはは、は……」

　さすがに、ここまできっぱりと言われたら、もう笑うしかない。

「やっぱりね、舞衣さん。でも、一ヶ所だけ盲点があってよ」

　売れっ子小説家の『清水なちる』でもあるしずるちゃんは、辟易した表情ながら、そう舞衣ちゃんに指摘した。

「へ？　どういうことっすか」

　ボブカットの前髪の隙間から、怪訝そうな眼差しが向けられた。しかし、回答は、別の方向から返ってきた。

「舞衣ちゃん、忘れてないかなー。昴ちゃんが男ってことは、秘密にしなきゃなんだなぁー」

　ぬぼぉーっとした声だったが、大ちゃんの指摘通りだった。

「ウッ、うおおお。そ、そうだったっす。せっかくの男の娘キャラを、全面には展開できないっす。しまったぁ、迂闊だったっすぅー」

　そう叫んだ守銭奴は、その小柄な身体をテーブルに突っ伏していた。

「まぁまぁ、センパイ。お金儲けになるかは分かりませんが、ボク達で何か力になれるなら、手伝ってあげればいいじゃないですか。そうですよね」

　そんな舞衣ちゃんをなだめるように、弟クンが取りなしていた。

「忍クン。そうは言うけれどね、これは大変なことなのよ。昴さんは、心は女性かも知れないけれど、男の人なのよ。つまり、普段は女子生徒の集団の中で過ごすの。男子の忍クンに、サポートしきれて？」

「え、あ……。いや、姉さん。ぼ、ボクはですねぇ……」

　実の姉にそう言われると、面と向かっては反論のしようがない。

　しかし、この局面で、意外な人物達が声を上げた。

「い、いえ、……そ、そんなことは……あ、ありません。お力になれるかどうかは、未だ分かりませんが。私も出来るだけ、さ、サポートします」

「そ、そうです。幸い、私も房江さんも、昴さんと同じクラスなんです。出来るならば、昴さんも普通に高校に通ってもらいたいです」

　立ち上がってそう言ったのは、一年生女子の房江ちゃんと辰巳ちゃんだった。

「二人とも、すごいのですぅ」

「微力ながら、私達もお手伝いしますわぁ」

　ふわっとした感じではあったが、双子の西条(さいじょう)姉妹──久美(くみ)ちゃんと美久(みく)ちゃんも、そう言ってくれた。

「み、皆……。センパイ達も。……ぼ、ボク、もしかしたら、普通の女の子のような高校生活は出来ないって思っていたんですが……。な、なんか、頑張れるような気がしてきました」

（はぁ。結局は、そうなるのか）

「あらあら。さて、部長。どうするの？」

　そう問い掛けた美少女の眼鏡の奥の瞳からは、優しい光が漏れ出ているような気がした。ここまで来たら、やるしかねぇべ。

「皆の気持ちは分かった。昴ちゃん、文芸部にようこそ。頼りない部長かも知れないけど、変わり者ばっかかも知れないけど、皆と一緒に高校生活を楽しもうよ。ねっ」

　うぐぐ、言ってしまった。しかし、

「部長さん……。あ、ありがとうございます」

　と返した女生徒｜（？）の瞳には、光るものが浮かんでいた。

「ふぅ、結局は、舞衣さんの計略通りになるのね」

　最初からこうなることが分かっていたかのように、わたしを見るしずるちゃんは、今までに見たことがないような柔らかい笑みを浮かべていた。