新入部員勧誘（４）

「しずる先輩、遅いっすねぇ」

　四月にしてはまだ少し肌寒い図書準備室で、そんなことを呟いたのは高橋(たかはし)舞衣(まい)ちゃんだった。

　終業式とホームルームが終わった後、わたし達文芸部員は部室に集まっていた。一人を除いて。

　今朝の一件の後、わたしは何とかクラスでの自己紹介を終えることが出来た。しずるちゃんのお陰で、黒歴史になるかも知れなかった事件は、すっかりさっぱり忘れられていた。そして放課後になると、わたしは、旧知の友人とわずかばかりの言葉を交わした後、そそくさと部室にやってきていた。やはり、事件から数時間も経ってない事もあって、たとえ皆が忘れ去っていようとも、わたし自身は恥ずかしかったからだ。

（うううー。学校の噂になりませんよーに）

　わたしは、大ちゃんの横にちょこんと座ったまま、顔を赤くして俯いていた。

「部長ー。千夏(ちなつ)部長、しずる先輩、どーしたんすかね！」

　舞衣ちゃんの呼びかける声に、わたしはやっと気が付いた。

「あ……、あーと。ごめん、舞衣ちゃん。何だっけ？」

　わたしは慌てて彼女の方を向くと、そう訊き返した。

「しずる先輩っすよ。なかなかやって来ないっすね。先輩、今朝、大立ち回りをしたっすからね。何にもないと良いんすが」

　いつもの舞衣ちゃんとは思えない、気の使い用である。

「きっと、しずる先輩なら、何にも無かったような顔で、すぐにやってきますわぁ」

「大丈夫ですよぉ」

　双子の久美(くみ)ちゃんと美久(みく)ちゃんは、そう言ってくれた。

「でも、心配っすよぉ。この一件で学校に目を付けられたりして、活動に制限がかかっちまうのは勘弁して欲しいっす。ただでさえ、受験の所為でしずる先輩の活動時間が限られてるのに」

　ああ、そうだった。コイツはこういう娘(こ)だったよ。

「舞衣ちゃん。心配なのは、しずるちゃんじゃなくって、しずるちゃんの商品価値(・・・・)なのね」

　わたしは、左手で額を押さえながら──ついでに、心の深淵から沸き上がる、どう言ったら良いか判断しかねる感情を抑えながらそう言った。

「それにしても、先輩、遅いっすねぇ」

　舞衣ちゃんは、そんなわたしの気持ちを全く考慮せずに、鼻の頭にシャーペンを乗っけた顔で、再度、そう呟いていた。

　はぁー、っとわたしが深い溜息を吐いた時、図書準備室の扉がゆっくりと開いた。寒暖の差で生じた僅かな歪みから発する、＜ギギギ＞という軋み音が室内に響く。

「ゴメンねぇ、千夏。遅くなっちゃった」

　そう言って扉から入って来たのは、

「しずる先輩！　もう、遅いから心配してたんすよ。……て、あれ、藤岡(ふじおか)先生も一緒っすか。何で？」

　そう。入って来たのは、しずるちゃんだけじゃ無かった。文芸部顧問の藤岡先生も一緒だった。いつもは放任主義で、しかも、新学期の初めで忙しい時なのに。何でだろう？

　藤岡先生は、室内を一通り見渡して、部のメンバーが揃っている事を確認すると、おもむろに口を開いた。

「皆、揃ってるな。色々あったが、揃って進級できたのはメデタイ事だ。だが、これから部を運営していくに当たって、顧問の私から一言だけ言っておきたいことがある」

　先生は、いつもと違って、やけに神妙な顔をしていた。いったい何だろう？

「今朝の一件もそうなんだが、最近、部活動に歯止めがきかなくなってるんじゃないかと思う。まぁ、我が校は生徒の自主性を重んじているから、少々の事は大目に見よう。でも、今朝のアレ(・・)は、やり過ぎじゃないかい」

　ああ、そうか。やはり、学校から圧力がかかってきたのか。わたしも、そろそろ──というよりも、よく今まで何にも言われなかったよな、ってつくづく思う。

　でも、今朝の事は、しずるちゃんだけの所為じゃない。

「先生、あのー」

　わたしは、おずおずと片手を挙げた。

「先生、今朝の事は、しずるちゃんの所為じゃありません。しずるちゃんは、わたしの為に、あんな芝居がかった事をしたんです」

　わたしはそう発言したが、先生は右手で頭をクシャクシャと掻き回すと、

「そんな事は、百も承知だわよ。兎に角、千夏(ちな)っちゃん、これからは目立つ事は控えてくれないかい。ただでさえ、那智(なち)は目立ってるんだ。盾になってる私にも、限界はある」

　と、言った。そして、こう続けた。

「順当にいけば、那智は、我が校創立以来初の東大現役合格者になることは間違いないだろう。だからこそ、お前らのやってきた派手な立ち回りも、大目に見てもらえたんだ。でも、それと、何でもやって良いって事は違う。何ていうか、那智は……、那智は美少女過ぎるんだよ」

　そう言う藤岡先生の顔は、照れ臭さでホンノリと赤かった。

「はあ？　何ですか、その表現は。日本語的に有り得ない。それに、今更、そんな事言われても、困っちゃいます、あたし」

　そう言うしずるちゃんの言葉は、もっともなことだった。

「あのなぁ」

　先生はそう言うと、空いている椅子にドッカと座った。淡い花柄のロングスカートの布が、ヒラリと舞う。そして、改めて椅子の上で足を組むと、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「生徒指導室でも言われたろう。那智、お前さぁ、もうちっと控え目に出来んか。一年生の頃みたいに」

　藤岡先生は、ヤレヤレという感じで、しずるちゃんにそう言った。

「さっきの話ですか？　ですが、制服だって、ヘアゴムだって、校則通りですよ。ストッキングも黒だし。確かに、今日の髪形は、三年の始業式ってこともあって、少しオシャレっぽくしましたが……。それも校則の範囲内の筈です。でも、そうまで仰るなら、吉岡(よしおか)先生の言う通り、少し変えてみましょうか？」

　しずるちゃんはそう言うと、手を頭の後ろにまわして、髪をまとめているヘアゴムを外した。

　サラリとした黒髪が顔の方に流れて、ゆらりと舞う。

　その光景に見惚れて、わたしは息を呑んだ。彼女の周りに、光の粒が踊っているような気がした。

「こんな感じで、どうでしょうか？」

　しずるちゃんは、外したゴムを口に咥えると、両手を首元からなで上げるようにして、後頭部で握った。肩に流れていた髪の毛が、頭の後ろでまとまって、ポニーテールを作る。

「うわぁ、しずるちゃん。スッゴク似合ってるよ。とってもカワイイ」

「さすがっすね、先輩。超いけるっす。ヤバイっすよ」

　わたしと舞衣ちゃんが口々に褒めると、彼女は、

「ほお？　アリガト」

　と答えた。口にゴムを加えてる所為か、少したどたどしい。

　だが、藤岡先生は、左手で額を押さえると、首を横に振った。

「違う違う。それじゃ、さっきよりキュートだろう。もっと、控え目なヤツ」

　その言葉に、しずるちゃんは不満そうに顔をしかめた。丸淵の眼鏡の奥で、細くなった眼がジトっと先生を睨む。

「ファかりまヒた……」

　しずるちゃんは、そう言うと、ポニーテールにまとめていた髪を解くと、今度は両肩の辺りで、髪をお下げに握った。

「おー、これも良いっすね。如何にも文学少女って感じで」

「確かに、男心をくすぐるんだなぁー」

　皆の言う通り、コレもカワイイ。しかし、大ちゃんまでそんな事を言うとわ……。

　わたしは、少し口をふくらませると、隣の席の大ちゃんをジロリと見上げた。

　それに気が付いたのか、彼は「あっ」と言って、わたしを神妙な顔で見下ろした。

「ご、ゴメン、……なんだなぁー」

　彼は、それだけ言うと、頭を掻いていた。

「いや、だから、可愛くなっちゃダメだろ」

　藤岡先生は、またしても首を横に振っていた。

「フォれも、ラメれすかぁ？」

　しずるちゃんは、ムゥとして口をふくらませると、両手を放した。

　今度は、首の後ろ──ウナジのところに髪を集めて、一本にまとめた。

　こめかみの辺りから、持っていけなかった髪の毛の束が、両肩に流れる。その少し乱れた感じに、わたしは、どことなくエロティックな感覚を感じた。心拍数が上がっているのが、自分でも分かる。

　両腕を後ろに回してる為に、彼女は、自然に胸を張る姿勢になっている。濃紺の制服を押し上げている豊満な胸が強調される。しかも、乾燥止めに限界まで薄くリップを塗られた淡いピンク色の唇と、それに咥えられたヘアゴムの紺色のコントラストが、更に性的な魅力を増幅していた。

　まるで、モデルさんのピンナップを見るようだった。

「先輩、ステキですぅ」

「しずる先輩は、どんな髪形もお似合いなのですぅ」

　双子の西条(さいじょう)姉妹は、揃って両手を胸の前で握ると、そう言った。少し頬が赤くなっているのが、傍目にも分かる。

「はぁ。そうじゃ無くってぇ……。那智ぃ。どうしてお前は、そんなに美少女なんだ。私まで、変な気持ちになりそうだ」

　先生の言葉に、しずるちゃんは両手を離すと、咥えていたヘアゴムを左手に持ち替えた。

「もう。どーしろって言うんですか」

　彼女は、少し苛ついて、厳しい顔つきになった。その肩へ、解放された黒髪が、極細の水流が流れるようにサラリと降り注いだ。

　わたしには、その動きが、やけにスローモーに見えて、その一コマ一コマが脳裏に焼き付いた。

「はわぁぁぁぁ」

　わたしの口から、思わず深い溜息が漏れ出てしまった。

「スゴイよ、しずるちゃん。髪を下ろしたのも、すんごくステキだよ」

　わたしは、我知らず、そう呟いていた。

「そう？　ありがと、千夏」

　そう言いながら、少し首を傾げた彼女は、右手で肩にかかった髪を後ろに掻き上げた。

　その動作の全てが、予め意図して撮影されたＰＶのようで、わたしをドキッとさせた。

　思わず息を呑んだわたしは、次の言葉に詰まっていた。

「分かった、分かったよ。もう良い。那智が美少女なのは、もう分かったから。吉岡(よしおか)くんには、私から何とか言っておくよ」

　藤岡先生は、右手の平をしずるちゃんの方に伸ばしながら、そう言った。これ以上は無駄と、思い知ったようだ。

　因みに、吉岡先生は、生徒指導の先生だ。吉岡先生は、藤岡先生の大学の後輩らしく、話題に登る時は、吉岡『くん』と呼ばれる。

　二人共未だ独身だが、彼の方は藤岡先生にどうも気があるようだ。しかし、藤岡先生の方は、全くのスルーである。

　先生も、結構、美人さんだと思うんだけどな。しかも、今日は始業式、と言う事もあって、少しオシャレな出で立ちである。

「先輩、私達に、少しいじらせていただけませんかぁ」

「折角だから、編み込みにしましょうよぉ」

　その言葉に、わたしは、「ハッ」と我に返った。

　気が付くと、双子の西条姉妹が、しずるちゃんの左右に立っていた。

「なに？　髪形、いじるの？　良いわよ。あたしも、いい加減に面倒臭くなってきたところだから」

　しずるちゃんは、そう言って肩をすくめていた。

「やりましたぁ」

「張り切っちゃいますぅ」

　久美ちゃんと美久ちゃんは、如何にも嬉しそうに、しずるちゃんの髪をいじり始めた。

「お手柔らかにね」

　彼女は、そう言って少しはにかむと、首を少し前に傾けた。

『はいっ。お任せ下さいませぇ』

　揃った返事が返ってくる。

　二人共、手に手に櫛を持って、丁寧にしずるちゃんの髪の毛を鋤き始めた。

「ふぅーん」

　わたしは、両肘をテーブルにつけると、頬杖を突いた。そして、嬉々としてしずるちゃんの髪形を整えている彼女らを、ぼぉっと眺めていた。

（いいなぁ。この前切っちゃったけど、しずるちゃんの髪の毛、長くてつやつやしてるもんな。色んな髪形が楽しめるよね。……そーいや、大ちゃんは、どんなヘアスタイルが好みなんだっけ？）

　わたしは、そんな事を考えながら、ふと、隣の大ちゃんを見上げた。

　そんなわたしに気が付いたのか、彼はわたしを見下ろすと、

「何ですか？」

　と、言った。

　わたしは、その反応に驚いて、

「えっ。い、いや、なんでもないよ」

　と言って、前に向き直った。

（あー、ビックリした。……そういや、大ちゃんって、ポニーテールが好みだったっけ）

　なんて、変な事を思い返していた。

「そういや、千夏っちゃん。新入生勧誘の準備をしてるんだって？　お願いだから、あまり羽目を外さないようにな。吉岡くんが生徒指導になってから、何かと相談に来て、鬱陶しいんだよ」

　藤岡先生のその言葉に、

（あっ、それって、しずるちゃん達の事をダシにして、先生にアプローチをかけてるんですよ）

　と、喉まで出そうになったが、わたしはそれをギリギリで噛み殺した。

「何だ、千夏っちゃん。やっぱり、派手な演出を考えてたのか。……もう、頼むから勘弁してくれないかな」

　先生は、如何にも困ったという顔をしていた。そして、椅子の上で足を組み替えると、少し背を反らして、両腕を組んだ。

「今朝だって、新任のヒヨッコ達が、那智のことを見て、ヒソヒソやってたぞ。もう大学生じゃないんだから、自分達の立場ってのを分かって貰わないと……。あっと、そういや……」

　話をしながら先生は、何かを思い出したように、上着のポケットに手を突っ込んだ。

「あ、あったあった。……なぁ、那智。後で、これにサインしといてくれないかい」

　そう言って、先生が取り出したのは、一冊の文庫本だった。

「あ、それって、清水(しみず)なちるの最新刊っすよね」

　舞衣ちゃんが、目敏くそれを見つけると、藤岡先生の方へ身を乗り出した。

「ああ、そうだよ。今年、配属されてきた新任の国語教師から頼まれたんだよ。那智の大ファンなんだとよ」

　藤岡先生は、そう言って肩をすくめると、溜息を吐いた。

「構いませんよ。お名前、入れときます？」

　しずるちゃんは、もう慣れたのか、ケロッとした様子であっさりと主是した。

「助かる。……ええっと、確か『ハナヨサンエ』って、言ってたっけかな」

　先生は、少し首を傾げると、そう言った。

「女の人なんですか？　分かりました。どういう字を書くんですか？」

　しずるちゃんは、上着のポケットからサインペンを取り出しながら、名前の事を訊いた。

「確かねぇ……、花畑の『花』に、昼夜の『夜』って書いて、『花夜(はなよ)』さん……、だったかな。そうそう、朝倉(あさくら)花夜(はなよ)って、言うんだった」

　先生はそう言うと、テーブルに置いた文庫本を指でピンと弾いて、しずるちゃんの方へ送った。

　彼女は、滑ってきた本を受け取ると、

「分かりました。ええっと、『花夜さん江』ですね」

　と言いながら、それを手に取った。パラパラとページをめくって奥付の辺りを開くと、サインペンのキャップのところを口に咥えて引き抜く。そして、開いたページに、さらさらとペンで何かを書き込んでいるようだった。

　その姿が、またきまっていて、カッコよかったのだ。

「しずるちゃんて……、しずるちゃんて、何やってもステキだよね」

　わたしは、我知らずそんな事を呟いてしまっていた。

　すると、しずるちゃんは、

「な、何よ、千夏。それ、相当恥ずかしいわよ」

　と、赤くなりながら、わたしに返してきた。

「そうだな。私でも、そこまでは言えないわね」

　そう言う藤岡先生も、少し頬を染めていた。

「え？　へっ？　わたし、そんなに変な事、言ったかな？　お、おかしいですか？」

　わたしは、少しドギマギして、そう応えた。

「そうですよぉ」

「部長、ちょっと百合っぽいのですぅ」

　そう言ったのは、しずるちゃんの髪を編んでいる、西条姉妹だった。

「もうっ、久美ちゃんと美久ちゃんまで。大ちゃん。わたし、変じゃないよね」

　わたしは、思い余って、大ちゃんにまで訊いてしまった。

「あ……、えーと……、百合っぽい千夏さんも、カワイイんだなぁー」

　彼は、そう言って、ニヘラァと齟齬を崩していた。

「もうっ、大ちゃんまで。……もう良いよ。わたし、新歓の準備をするから。えと、ビラはこの決定校で印刷するんだよね」

　わたしは、プリプリしながら、本来の活動を自分一人で始めていた。

（もうっ。皆ったら。来週には、新入生が入学して来るんだよ。勧誘の準備をしなきゃなのに、ナニやってんだよ。良いよ、わたし一人でやっちゃうから）

　わたしは、半ば自暴自棄になりながら、部長として、新歓の準備を進めることにした。